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テニスジャーナル 2000年2月号 究極のライバル ピート&アンドレ ATP ワールドチャンピオンシップスにおけるサンプラスとアガシの明暗 文:Richard Evans 写真:佐藤 ひろし 翻訳:塚越 亘 |
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ATP ツアーの最終戦、ワールドチャンピオンシップスは11月23日から28日にドイツのハノーバーで行われた。 注目はアガシ。ランキング140位からナンバー1への完璧なカムバック、続くグラフとの熱愛。 1900年代最後の大会をアガシがどのように締めくくるか、観客の興味はその一点に集まった。 しかし、ただ1人、アガシの独走を許さない男がいた。20世紀を代表するプレイヤー、元世界ランキング1位のピート・サンプラス。彼が、この最終戦で自分の存在を強くアピールしたのだ。 |
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アガシを祝福する空気に 包まれたハノーバー ハノーバーはアンドレ・アガシの壮大なフィナーレのために用意されていた場所のはずだった。1万3500人を越す大観衆、コートサイドで応援するステフィ・グラフ。観衆の歓呼はアガシの一挙手一投足に歓声を挙げる。あらゆるものが彼のために準備されていたのだ。 フレンチ、USの2つのグランドスラム・タイトルとウィンブルドン準優勝。世界ランキング140位から世界ナンバー1への壮大なカムバック・キャンペーン。 そのハイライトを飾るものとして1999年最後の大会であるATPツアー・ワールドチャンピオンシップスは準備されていた。ナンバー1ランキングの証明と150万ドルの賞金。素晴らしいクリスマスプレゼントがアガシには用意されていたのだ。 |
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アガシのナンバー1復活のパーティにピート・サンプラスは実力ナンバー1としての誇りを持って参加していた。フレンチオープンに優勝し、勢いを加速させながらウィンブルドンにやってきたアガシをピートはストレートで破り、ウィンブルドンでの6勝目、通算ではエマーソンと並ぶ12個目のグランドスラム・タイトルを獲得。彼は自分をアガシの引き立て役とは思っていなかった。 実際、今回の最終戦でも決勝はウィンブルドンと同じストレートでの勝利。ピートはアガシ一色だったハノーバーの空気を力で変えてしまったのだ。このことによってアガシは非常に悔しいクリスマスをラスベガスで過ごさなくてはいけなくなってしまった。アガシにとって、サンプラス戦のこの二つの敗戦は1999年の素晴らしい記録における大きなシミとなってしまったのである。 |
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アガシとサンプラスの2人は今年5度対戦している。最初はウィンブルドン決勝のセンターコート、2度目、3度目はアメリカのサマー・サーキット。そして残りの2回がこのハノーバーでのチャンピオンシップだ。アガシは予選のラウンドロビン2日目にサンプラスを倒しているがその勝利はすっかりかすんでしまった。ラウンドロビンでの対戦は約3カ月間ケガでプレイできなかったサンプラスにとって復帰2戦目の公式戦で、満足な状態ではなかった。準備不足のサンプラスは2-6、2-6であっけなくアガシに敗れている。 しかしアガシもサンプラスがまだトップギアに入っているとは思っていなかった。サンプラスが自分の背中の具合が試合に耐えきれるかどうか様子を見ながらプレイしているのをアガシは十分知っていたし、事実サンプラスはそうしながら戦っていた。そして予選から本戦へ日を経るにつれ、チャンピオンシップスは1999年最終戦にふさわしい興奮に包まれていった。 サンプラスとアガシの明暗を分けたもの 元フォーミュラー1・レーサーのエマーソン・フィッバルディが決勝戦をコートサイドで観戦していた。彼は最終コーナーを回りトップをとらえ一気にチェッカーフラッグを迎えるときと同じ興奮をサンプラスのプレイに見ていた。サンプラスが2日目より上り調子で決勝ラウンドに来ているのは誰の目にも明らかだった。試合毎にサンプラスは自信を深め、身体もフィットしてきていた。いっぽうのアガシは試合毎に今年がどんなに長い年だったかを思い知らされていた。彼の鈍い脚の動きがそれを語り続けていた。 |
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決勝の日曜が来たときサンプラスの肉体は新鮮で、そしてアガシの肉体は消耗しきっていた。アガシはサンプラスの弾丸サーブとボレーにフィットする十分なスピードを持っていなかった。それが6-1、7-5、6-4という予想外の結果をもたらすことなったのだ。 1990年にアメリカのマディソン・スクウェアガーデンからドイツに移ってきたチャンピオンシップスでサンプラスはこの10年で5回優勝したことになる。1970年にペプシマスターズテニスとして東京で始まった年間ベスト8プレイヤーによるナンバー1決定戦で5度の優勝はイリー・ナスターゼの4度を抜き、イワン・レンドルと並ぶタイ記録となった。また、サンプラスはウィンブルドン優勝でロイ・エマーソンの持っている偉大な12のグランドスラムタイトル数と並び、しかも彼は2000年にはそれを抜く可能性を持っている。記録から見ればサンプラスとアガシにはどんなに控え目に見ても違いがある。 |
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「あのときは正直言ってもう諦めたよ」。パリオープンの1回戦ではマッチポイントを逃れスペインのクラベットに勝ったものの、試合中のジャンピング・スマッシュで背中を痛めたサンプラス。しかし、彼はこう続けて言った。「だけど僕は、大きなマッチや世界一のベストプレイヤーと対戦できる力を失ったとは一度も思ったことがない」 「アンドレは2日目には素晴らしいテニスをした。もしその調子が続いていたならば決勝はまったく違う展開になっていたと思う」 「しかし、今日はあのウィンブルドンのときと同じレベルでプレイできた。本当に集中できていて、ほとんど思いどおりのプレイができたんだ」 サンプラスの背中の状態は完璧だった。第3セットの3ゲーム目、ロブを上げたアガシのボールをまるでディズニーワールドのイルカが水中から空中に高く飛び上がるときのようにダンク・スマッシュで決めたことでそれは十分証明された。 フォアのクロスコート、バックハンドのウィナー、パンチの効いたボレーなどを一斉に発射し、サンプラスはまるで神のためにプレイしているかのようだった。ゼウスからネプチューンまで、彼のすべてのギリシャの祖先たちが天から拍手喝采していたに違いない。 しかし、サンプラスは神ではない。第2セットではダブルフォールトでリズムを崩し、自分のサーブを失いアガシの0-2となり、一時は1-4となってしまった。 |
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「アンドレにカムバックされるのは僕にとっても危険なことなんだよ。わかるだろう」とそのときを振り返ったサンプラス。彼はそこで全身全霊を込めてボールを打ち、踏みとどまったのだ。 第7ゲーム。素晴らしいバックハンドリターンで0-15としたとき、フレンチ、そしてUSオープンの覇者は足を動かさずフォアハンドをミスした。そしてダブルフォールトの後にまたフォアハンドのイージーミスが出て、アガシはとうとうそのチャンスを失ってしまったのだ。4ゲーム後サンプラスはコートを前後左右自由に走り回りボクサーのごとくボレーを放ち0-40とし、ボールボーイにタイミングをはずされたアガシは最後はダブルフォールトでそのゲームを落とす。アガシはもう立ち直るのがむずかしい状態になっていた。 永遠のライバルとして アガシの失望は大きかった。スピーチを求められても言葉が出ず断ったほどだ。ハノーバーの観客は世界でももっとも熱心な観客でテニスを愛している人々だけに、スピーチがないことを私は残念に感じた。しかし、アガシがどう感じたのかを理解することは誰にもできない。あまりに素晴らしい一年だっただけに、この最後の苦い薬を飲み込むことが困難だったのだ。 彼は試合後「大きな試合であることはわかっていたけど、どうしてもテニスのレベルを上げられなかった」と言い、「本当に失望したよ。今日のプレイにはどうしても納得できなかったんだ」と大きく首をうなだれて答えていた。 サンプラスの偉大な業績にはかなわないかもしれないが、アガシのプレイは人を惹き付けるものがある。この落胆がまた彼を一段と熱くさせることだろう。グランドスラムを達成し、140位からナンバー1への復帰と人の考えられないことを成し遂げた男なのだから。 |
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