無自覚な関係シリーズ 第十三章
収 束
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キッドの予告時間が迫ってきていた。
新一は平次とふたり、自宅のリビングでじりじりと時を過ごしていた。快斗に無理矢理着けさせた発信器からの信号を、手にした眼鏡で確認するだけの重苦しい時間だ。
なにかが起きるかも知れないし、起きないかも知れない。もし、万が一起きたときには、迅速に動かなければならない。
快斗が無事に仕事を終えるまで、ただひたすら待つだけだ。
自分自身が事件の渦中にいる方が、精神衛生にはいいと新一は思う。
「切り替えの上手いやつやと思うてたんやけどな」
快斗から聞き出した中継地点などを記した地図を睨みながら、ため息混じりに平次が言う。
眼鏡に映る点を見つめたまま新一は答えた。
「それだけ重大なんだろ。白馬に言われた言葉がさ」
快斗を示す点は未だに今回のターゲットのある美術館から動く様子はない。
平次が地図から目を上げた。
頬に彼の視線を感じて、新一はわずかに緊張した。
平次の目は雄弁だ。関西弁を操る口以上に。
快斗の様子がおかしくなったころから、平次の自分に対する態度が変わった。まるでじゃれつくように自分を構うのだ。そばにいて、なにかといえば肩を叩き、髪をかき回す。
そうして、自分を見て、笑う。その笑顔の眩しさに思わず彼を蹴ってしまうほど、嬉しそうに楽しそうに笑うのだ。
そのときの彼の瞳に浮かんでいるのは、まぎれもない好意。
見間違えようもなく、彼は自分を好いている。
そしてそれが友情を越えているように思えてならない。
その方が自分にとって都合がいいからではないか、と新一は自分を戒める。彼に惚れている自分の、平次もまたそうであって欲しいという願いが見せる、幻ではないかと。
なぁ、と話しかけられて、新一は平次を見た。
彼の目は真っ直ぐに新一に向けられていた。
「白馬はなにしとるんやろな」
「美術館で警備しているんだろうよ。当然だろ」
前回キッドに完全に裏をかかれ、落ち込んでいた探も必死だろう。
探が快斗に惚れているのは間違いないと新一は考えている。
「あいつに捕まえる気があるんかな」
言葉は疑問形でも、視線に迷いはない。
新一は肩をすくめて見せた。
「怪盗に向かって力になりたいなんちゅうこと、普通はゆわんで」
「まったくだ」
探は本気だ。だからこそ、快斗はおかしくなった。探の言葉の裏に駆け引きの影でもあれば、快斗はそれをさらりとかわして見せただろう。それどころか、利用しようとさえしたかも知れない。
「キッドの正体を知りながら黙っている俺たちだって、中森警部に言わせれば共犯者だろうけどな」
「それと白馬がゆうとるんはちゃうやろ」
「ああ、違う」
新一は横目で眼鏡でまだ動かない点を確認して、湯気の消えたマグカップに口を付けた。コーヒーはすっかり冷め切っていた。
つられたように平次もコーヒーを飲み、顔をしかめている。
「白馬にとって快斗は、何よりも大事なんだろう」
まずいコーヒーを飲み干し、新一はため息とともに言った。
「何よりも、なぁ」
平次のつぶやきが消えると、リビングにまた沈黙が落ちた。秒針の音だけが部屋に響く。
新一は眼鏡に視線を戻した。予告時刻も過ぎている。そろそろキッドが逃走を図るはずだ。
レンズに映る点を覗きこむように、平次が身体を寄せてくる。新一は彼にも見やすいように、眼鏡の向きを変えた。
腕が、肩が触れ合う。
新一の耳からゆっくりと秒針の音が遠ざかっていく。
その代わりに心臓の音が大きく聞こえた。
「俺は、工藤やから」
目を上げると驚くほど近くに平次の顔があった。
「それだけは覚えといて」
瞳を覗きこむようにして、平次が言う。
彼の目の中には、間違いようもなく、友情を越えた想いがあった。幻かも知れないと思っていた、自分と同じ想い。
知らず、新一の顔に血が上る。笑みが浮かぶ。
それを見て平次が嬉しそうに目を細めた。
新一の手の中の眼鏡が音を立てた。無意識のうちに握りしめてしまったらしい。
慌ててレンズに視点を落とし、ふたり同時に声を上げた。
点が動き始めていたのだ。
テーブルの上に広げた地図を平次が引き寄せる。新一は地図と点とを見比べた。
「どこへ向かっとる?」
「中心部だな」
都市の中央、ビルの乱立する方向に、快斗の位置を示す点がゆっくりと動いている。そちらには中継地点が二箇所ある。どちらを使う気なのかは、まだ見えてこない。
新一は息をつめてその動きを見つめていた。
平次の指が地図の上を滑り、点の示す位置をおおまかに指す。
ふたりが注視するなか、点の動きが止まった。中継地点にはまだ遠い場所だ。
新一はちらりと平次と視線を交わした。
「アクシデントか」
「かもな。快斗の意志なら良いんだが」
新一は言葉を切った。
点は動かない。
平次の指は繁華街を指して止まっている。だが、工藤邸から距離があるせいで、快斗がとどまっている詳しい場所まではわからない。眼鏡の探査範囲を狭めれば詳細がわかるが、そのためには発信器に近づく必要がある。
「行くか?」
平次がソファから腰を浮かせる。
新一は一瞬ためらって、首を振った。
「まだ。もう少し、待とう」
快斗に何か考えがあっての行動かも知れない。
いくら最近ミスが多いとはいえ、彼は稀代の怪盗なのだ。
平次が「せやな」と笑った。
彼の笑顔で張りつめかけた緊張が弛む。
座り直した平次が、新一の頭にぽんと手を置いた。そのままくしゃりと髪を撫でていく。
「しっかし、しんどいな。自分が動く方がどんだけましかわからんで。こうゆう役回りは性に合わんわ、ほんま」
なぁ、と平次が笑う。
同感だと新一が答える前に、彼の携帯電話が鳴った。
飛びつくように出た平次が鋭い声を上げる。
「白馬!」
電話を耳に押しつけた彼の横顔が強ばる。
新一は眼鏡を手に立ち上がった。広げた地図を手早く畳む。
「……落ちたんやな。わかっとる。わかっとるから、落ち着け」
落ちた、の一言に新一は平次を見た。平次も厳しい表情で見返してくる。新一は地図と眼鏡を持ち、用意していた上着を掴むとリビングを出た。
「ああ、任しとき。場所はこっちでちゃんと把握しとる」
新一は足早に玄関に向かった。ついてくる平次を振り返る。
「その電話は切らせるなよ」
わかっているというように、彼の手が上がった。