無自覚な関係シリーズ 第十三章
収 束
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静まりかえった美術館の中に、足音がひびく。
探は自分についてくる刑事の靴音に苛ついていた。彼は捜査の責任者である中森がつけた探の助手だ。キッドの前回の仕事から行動を共にするようになった。実際のところ、助手なのではない。
ただの監視役だ、と探は苦々しく思う。
若手刑事に中森はその役を振った。白馬探偵にぴったりくっついていろいろと学んでくるように、という口実も特に不自然ではない。いまいち中森とそりの合わない自分には充分に嫌みになったが。
刑事本人はといえば、その口実を鵜呑みにしているらしく、目を輝かせて捜査手法などを質問してくる。微笑ましいが、その実探がその日どこでなにをしていたのか、中森に報告しているようなのだ。それもやはり密告の意志などないまま。
――やり手なのはわかっていましたけど。
探は苦笑する。
毎回裏をかかれながらも、キッドをある程度追いつめ続けていた中森。探がキッドを追い始めるまで、予告状の暗号を解いていたのは彼だ。侮れない相手であることはわかっていた。
監視役をつけられた理由など、考えなくてもわかる。
探がキッドをかばった一件だ。
キッドを狙う銃口の前に身を晒し、彼を逃がすような素振りを見せた探を、中森は共犯者として疑ったのだ。
自分が彼の立場でもそうする。当然だ。
だが、鬱陶しいことこの上ない。
その上、下手に邪険にも出来ない。
いつの間にかしかめていた眉に気づいて、探は髪を掻き上げた。
探は西館の屋上に出た。そこの警備担当者たちが一斉に探たちに警戒の視線を注いだ。ふたり連れなのを見て警戒の色が消え、探と気づいて彼らは小さく敬礼をよこした。
通り過ぎていった台風の吹き返しか、屋上の風は強い。見上げれば、雲の流れも速い。
「こっちはこんなに手薄でいいんでしょうかね」
刑事が乱れる髪を抑えながら言う。
確かに中森自身が指揮を執る東館の警備は厳重だ。配備されている警官の数は探たちのいる西館の倍以上になる。
「キッドのターゲットは東館にあるのですから、しょうがないでしょう」
「でも、白馬探偵は西館に来た。キッドはこちらから逃走すると考えているのですか」
探は微笑んで答えなかった。
美術館は、本館西館東館と最上階に展望室のある塔で構成されている。
探はキッドは塔からの逃亡を図るのではないかと考えている。だが、それはこれまでの考え方だ。前回それで完全に裏をかかれキッドに逃げられてしまった。だから今回は、あえてその裏をかくことにしてみたのだ。
前回、会って話をする機会を逃した。そのときも監視役がついていたので、個人的に会話することは無理だったにしても、彼から盗品を受け取ることぐらい出来たはずだった。
――僕はきみの力になりたいんです。
キッドをかばった夜、探は彼にそう告げた。
モノクルの下、大きく目を見開いていた快斗。
あの夜以来、探は彼と会っていなかった。
快斗としてもキッドとしても。
会いたいと思う。
声が聞きたいと思う。
キッドでも快斗でもいい。どちらも彼だ。
探は夜空を見上げた。
流れる雲の隙間から時折満月が顔をのぞかせる。
――黒羽くん。僕はきみの。
得体の知れない焦燥感を探はもてあましていた。
「白馬探偵! 塔にキッドが」
刑事が声を上げた。
探ははっとして塔を見た。
月光に照らされた塔の上に、キッドの白い姿が浮かんでいる。
東館が騒いでいる気配が伝わってきた。今回もキッドはターゲットを手にしたらしい。
中森の怒鳴り声が東館から小さく聞こえてくる。
キッドのマントが大きくはためく。
探は胸ポケットから小型双眼鏡を取り出した。研究所で作ってもらった、特別なものだ。夜間でも昼間のような視界を確保できる。
双眼鏡を通して、キッドの横顔が見えた。彼の腕が伸びて、月に宝石をかざす。キッドの表情は変わらない。彼は宝石を布で包んで足下に置いた。
違ったのかと探は思った。
そして、彼はまだキッドを続けるのか。
「キッド!」
探は思わず叫んでいた。
声が届いたか、キッドが探を見た。
彼の表情はやはり変わらないように見えた。
もっと近くにいれば、彼の表情のわずかな変化さえ見て取れるはずなのに。
「キッド!」
探は屋上の柵から身を乗り出して叫んだ。
「白馬探偵」
刑事の声が疎ましい。
双眼鏡の中、キッドが笑った。
キッドの手が大きく動き、彼の姿が白煙の中に消える。強い風がすぐに白煙を吹き散らす。そこから三体のキッドが空へ舞い上がった。そして、別々の方向に飛んでいく。
「キッドが!」
刑事が慌てている。東館の屋上からもどよめきが伝わってくる。
探は焦る心をなだめて状況を見た。
飛去っていく三体のキッドのうち、二体はダミーだ。共犯者が遠隔操作しているのだろう。
「白馬探偵、追わないんですか」
刑事が探の腕を引く。
「むやみに追っても仕方がない。本体を見極めてからです」
探は必死に三体のキッドを双眼鏡で追った。遠ざかる影はどんどん小さく、見分けがつきにくくなってくる。
そのうち、一体がバランスを崩した。
そしてそのまま地上へ落ちていく。
黒羽くん!
探は叫び声をとっさに抑えた。
体勢を立て直そうとしたあの動きは人形には出来ない。
探は双眼鏡を取り落としそうになった。肉眼で落ちていくキッドを食い入るように見つめる。キッドの姿がビルの影に消えた。墜落ではなく、急降下するようにだったのが唯一の救いか。
探はかたく歯を食いしばった。
なにも出来ない自分に苛立つ。
いや、と探は内心頭を振った。
出来ることはある。
「白馬探偵」
探は刑事を振り返った。
「落ちたのはダミーです。郊外に向かっているのが、キッドです」
「追いましょう!」
刑事が意気込む。
「きみはここの警官たちを連れて下へ。僕もすぐ向かいます」
これからすることを監視役の彼に見られてはいけない。
はい! と答えて、刑事は警官たちの先頭に立って階段を下りていった。
中森に疑いを持たれないためには、すぐに彼らの後を追う必要がある。
探は急いで携帯電話を開いた。