無自覚な関係シリーズ 第十三章

収 束

― 3 ―



 強い風が正面から吹き付けてきて、平次は腕で顔をかばった。砂埃と一緒に枯れ葉が舞う。強風は太平洋沿岸を通っていった台風の置き土産だ。関東地方には昨日から強風注意報が出ている。天気予報では明日まで注意が必要らしい。
 アスファルトの上で小さな渦を巻く枯れ葉を踏み越えて、平次は角を曲がった。工藤邸が見えてくる。
 今日、平次は剣道部の試合を観戦しに行っていた。顧問や部員からも誘われてはいるのだが、入部する気にはなれない。部活動よりも探偵活動の方がいまの平次にとっては重要だからだ。それでも試合を見ると、血が騒いでしまう。そんな平次を見透かしてか、彼らは試合の度に見に来いという。
 ええかげん、諦めてほしいわ。
 空を仰ぐと、雲の流れが速かった。昼下がりの日差しが時折地上を照らし出す。阿笠邸の庭木が枝ごと揺れている。平次の足下を枯れ葉が駆け抜けていった。





 平次が工藤邸の門扉に手を掛けたところで、玄関が開くのが見えた。厳しい表情をした新一が靴を履きながら出てくる。
 平次は門を開け、そのまま彼が来るのを待った。
「ただいま。なんかあったんか?」
 おかえりといいながら、新一が平次の横をすり抜ける。
「隣だ。おまえも来い」
 足早に阿笠邸に向かう彼に平次も従った。新一の背中が怒っている。
 あのばか、というつぶやきに、平次には快斗に何かあったのだとわかった。

 この間から彼の様子がおかしかった。
 原因が探であることははっきりしている。彼が快斗に向かって「力になりたい」というようなことを告げた、と平次は推測している。
 自分がコナンだった新一に対して、やはり力になりたいと思っていた。それは今から考えてみると、恋愛感情の始まりだったのだろう。
 それが彼らにも当てはまるかどうか、疑問には思う。
 しかし、探偵が怪盗に向って言う言葉ではないことも確かだ。
 おかげで快斗は混乱している。
 いつもの憎らしいぐらいの余裕がなくなっている。
 平次は前を行く新一を見た。

 彼が自分を好いているとうぬぼれるようになってから、平次は新一への接触を増やした。なにかと言えば話しかけ、髪や肩に触れる。そのたびに、彼は赤くなったり、照れたように目を逸らしたり、思い切り蹴飛ばしてきたりする。
 最近では平次の中でうぬぼれは確信に変わろうとしていた。





 新一が呼び鈴も押さずに慣れた阿笠邸の玄関を開ける。
 リビングに繋がる扉の前に哀が立っていた。表情が曇っている。
 スリッパを勝手に出して、ふたりは上がり込んだ。
「快斗は?」
 問いかける新一に彼女はリビングを指さした。ガラスの嵌った扉越し、肩を押さえている快斗が見えた。氷嚢で冷やしているらしい。
 その扉を開けようとした新一を哀が止めた。
「彼、階段から落ちたのよ。足を滑らせて」
 あの彼が、と哀が強調する。
 快斗はただの男ではない。キッドなのだ。身軽さにかけては猫と張る。
 そんなシーンは想像できない。
 平次は新一と顔を見合わせた。
「そんで、怪我は?」
 廊下に膝をついて平次は彼女に聞いた。
「怪我は自体はたいしたことはないわ。左肩を打っただけで済んだから。今夜の仕事には支障は出ないと思うけど」
 新一と平次を見やり、哀が厳しい声で言う。
「でも、私は行かせたくないわ」
 新一がため息をつく。
「同感だけどな。でも、あいつは行くぞ」
 キッドにかける快斗の覚悟は生半可なものではない。予告状を出した以上、なにがあっても遂行しようとするだろう。
「でしょうね」
 処置なし、と哀が肩をすくめる。
「任せておけ、俺に考えがある」
 ガラス越し、快斗を睨みながら新一が言った。
 平次は今度は哀と顔を見合わせた。





 リビングのテーブルの上には都心の地図が広げてある。ところどころに赤い印が付けられていた。二重丸がひとつと、一重のものが四つ。
 新一がコナンの頃に掛けていた眼鏡を手に持ち、アンテナを伸ばしている。平次はその横で地図を睨んでいた。
 地図の脇にはマグカップが置かれていたが、二つとも半分以上コーヒーが残っている。すっかり冷めて飲める代物ではなくなっていた。
 平次はちらりと時計に目をやった。そろそろキッドの予告時間だ。
「今どこや?」
「美術館だ」
 新一が眼鏡を見つめたまま答えた。
「まだ動かないだろ」
 二重丸は美術館に、一重丸は逃走の中継地点だ。今回彼は四箇所も用意していた。臨機応変に使い分けるのだという。詳しい手口は聞かなかった。聞いたところでしょうがない。美術館の中まで入り込んで、彼を見守るわけにはいかないのだから。
 だから、なにかアクシデントがあった場合に備えるしかない、と新一は言った。
 自分たちが出来ることはこれぐらいしかない、と平次も思う。
 快斗は今夜、発信器を持って仕事に出かけた。
 これが新一の考えだった。

 打撲した肩に湿布を貼られ、すこし面目なさそうな表情を浮かべていた彼は、平次が予想していたよりも簡単に新一の提案を受け入れた。拍子抜けした平次に新一が言うには、怪我の前から言質を取っていたらしい。
 暗くなる前に出かけた快斗を見送り、ふたりは早めに食事を取った。不測の事態が起きたとき、すぐに動けるようにだ。

「切り替えの上手いやつやと思うてたんやけどな」
「それだけ重大なんだろ」
 白馬に言われた言葉がさ、と新一が呟く。
 快斗のことを考える横顔を平次は見つめた。



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