無自覚な関係シリーズ 第十三章
収 束
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おはよ、といいながら快斗が朝食の席に現れたのは、新一の食事が終わる頃だった。一番早く起きた平次など、大学の剣道部の試合を応援してくるとすでに出かけている。
大きなあくびをして自分のコーヒーを作る快斗を新一は眺めた。元々癖のある髪が、寝癖も入ってぼさぼさになっている。
「昨日も遅かったらしいな」
寝ぼけた顔をしてコーヒーメーカーを見つめる快斗の代わりに、新一はトースターにパンを放り込んでやった。
「まぁね」
その返事もあくびにまぎれる。
今日はキッドの仕事の日。
昨夜はその準備の総仕上げをしてきたらしいと、新一には見当がついている。
ここ数日、快斗は帰りが遅かった。仕事の間隔が短かったせいもあって、いつも以上に忙しかったらしい。快斗が帰ってくるまで熟睡できない新一もまた、ここのところ寝不足だ。今日は日曜日ということもあって朝寝を楽しんだわけだが、その新一以上に遅く起きてきたのが快斗だったというわけだ。
自分のマグカップを手に席に着いた快斗の皿の上に、焼き上がったトーストを乗せてやる。
「ありがと。いただきます」
ジャムの瓶を引き寄せる快斗の左腕に傷が付いていた。ちょうど半袖に隠れるあたりに、何かに引っかけたような傷がある。
「どうした、その傷」
新一が目で指すと、快斗は初めて気がついたように自分の腕に目をやった。
「あれ?」
「なにが、あれ? だ。どこでやったのか知らないが、ちゃんと手当てしたんだろうな」
ところどころかさぶたになっている。怪我した直後には出血もあったはずだ。
しかし、快斗は曖昧に笑うだけだ。どうやらなにもしていないらしい。
新一がついた大きなため息に、彼はお気楽に言った。
「大丈夫だよ。これぐらいの傷」
「傷よりも、気づいていないおまえが問題だ」
真顔で突っ込むと、彼はまた笑って誤魔化そうとする。
新一が表情を崩さずにいると、快斗は気まずそうに目を伏せた。
「この間からおまえ変だぞ。自分でもわかっていると思うけどな」
「まぁ、ね」
「原因もわかっているんだろうな」
「ま、一応」
トーストをかじりながら、快斗が口の中で答える。
「わかっていて、それかよ」
快斗は苦笑だけを返してきた。目が答えを拒絶している。
新一は追求を止めた。
これ以上は聞いても無駄だ。彼は絶対に答えない。
「今日、これからどうするんだ?」
「阿笠博士のところで遊んでくる」
話題を変えると、いつもの顔で快斗が笑う。
「夜の方はもういいのかよ」
キッドとしての準備は済んだのか聞いてみると、彼はあっさりと答えた。
「昨日で全部済ませたよ。夕方には出かけるから」
それまで隣で遊んでいる、と彼は言う。
快斗の言う遊びとは、阿笠博士と新しいメカの開発をすることだ。なにを作っているのか、新一は知らない。たとえて言うなら孫の手つき洗濯機のようなものだと、哀が教えてくれたが、よけいにわからない。とにかく実用性はないだようだ。
「ほどほどにしとけよ」
ふたりとも熱中すると時間を忘れるタイプだ。
快斗はにっと笑って頷いた。
二杯目のコーヒーは快斗が淹れてくれた。
新一は熱いカップをもてあましながら、快斗のことを眺めていた。彼ももう食事を終えて、コーヒーを飲んでいる。
ずっと見つめている新一に、彼は苦笑する。
「なにかまだ話しでもあるわけ?」
言外に話すことはないと言っている。
べつに、と新一は軽く肩をすくめた。
「ただ、今回ちょっと心配している」
「なにを?」
「おまえをだ。快斗」
本気で聞き返してきた快斗を新一は睨んだ。
「いつもなら心配なんてしないけどな。今回は別だ。理由は、わかるな?」
ここ数日、快斗の注意力はかなり落ちている。
塩と砂糖を間違える。洗剤を入れずに洗濯機を回す。階段を踏み外す。パンを焦がす。些細なミスばかりだが、立て続けにやっている。快斗はなにも言わないが、大学でもいろいろやっているはずだ。いつもの彼なら絶対しないようなミスを。
昨日の朝など、サンマの水揚げを報じるニュースを見ていながら、快斗はまったく反応しなかったのだ。魚のイラストからさえ逃げ出すような、魚嫌いの男がだ。サンマが画面に出たことに気づいてチャンネルを変えようとした平次と、快斗の目から画面を隠そうとした新一は、お互い顔を見合わせたものだ。
彼の仕事に失敗は許されない。それは彼の身の破滅を意味する。
「大丈夫だよ」
「言い切れるのか? 今の状態で」
快斗が口をつぐむ。
彼にも自覚があるようだ。
「でも、大丈夫」
それでも彼は言い切った。
「任せてよ。絶対に大丈夫だから」
快斗の顔にキッドの表情がよぎる。
「そうかよ。けど、次になにか失敗をしたら、俺にも考えがあるからな」
しっかりと釘を刺して、新一は席を立った。