春の宵闇 -3-




 ベッドの上で新一はぼんやりと目を開いた。
 部屋は薄明るい。夜は明けている。
 伸びをしようとしたとたん、耳の近くで声がした。
「目ぇ、覚めたか」
 新一は勢いよくそちらを見た。
 同じベッドに平次が寝ている。
 自分で頼んでいたことなのに、新一は内心の動揺を面に出さないようにするのに苦労した。

 頬杖をついている平次が、新一の顔を覗きこんでいる。
 少し腫れぼったい目をした彼は、晴れやかな笑顔を浮かべていた。
「おはようさん。どや、身体の具合」
 おはようと答えて、新一は自分の身体を点検するように動かしてみた。痛みも違和感もない。元に戻るときには必ずといっていいほど激しく打っていた鼓動も穏やかだ。
「とりあえず、大丈夫そうだ」
 新一は布団から出した自分の手をしみじみと眺めた。
 記憶より少し大きくなっている。

「成長しとるやろ。フィルムの早送りを見とるような感じやったで」
 花が咲く様子とかのな、といいながら平次が大きなあくびをした。
「ほんとに徹夜したのか」
「まぁ、初日やしな。なにが起こるか、予想がつかんし」
 なんでもないようなことのように言って、彼は笑う。
 いきなり平次が新一の手首をつかみ取った。
「おい、なにをするんだよ」
 新一の抗議を彼はあっさりと無視をする。

 ためつすがめつ新一の手を眺め、平次が唸った。
「起きとるときは、止まるんかな」
「なにがだよ」
「そら、爪の伸びや」
「爪?」
 新一は寝ころんだまま首を傾げた。
 掴まれていない方の手をじっと見る。夜寝たときと爪の長さは変わらないように見えた。

「爪がどうした?」
 聞いた新一に平次がため息をつく。
「おまえも予想しとらんかったんやな。身体の成長にともなって、爪やら髪の毛やらめちゃめちゃ伸びとったんや」
 手首を解放して、平次が枕の辺りから髪の毛をつまみ上げた。
 目の前まで引っ張られたそれが自分のものであると知って、新一は声を上げた。
「なんだよ、これ」
「自分の髪や」
「それはわかっている。わかっているけど、なんなんだよ。これは」

 新一はがばっとベッドの上に起きあがった。
 髪の毛は肩に届いている。前髪など口元にかかるまで伸びていた。
「これまで使うてた薬では、こうはならんかったんやろ」
 つられたように起きあがった平次が、新一の髪を摘んで言う。
 新一は頷いた。
「なったことねぇよ。薬の種類が違うからかもな。なにも言わなかったところを見ると、灰原も予想してないんじゃないのか」
「あとで聞いてみたらええ。向こうも経過を知りたいやろし」

 平次がベッドから降りて、カーテンを開いた。阿笠邸が朝日を浴びているのが見えた。よく晴れている。開けた窓から吹き込んできた風も、もう肌を刺すような冷たさはない。気持ちのいい日になりそうだ。
「成長しまくったんやから、めっちゃ代謝が盛んやったんやないか。汗もかいとるやろし、シャワー浴びてきたらええわ。さっぱりするで」
 平次が笑顔で振り返る。
 彼は天気以上に上機嫌だ。

 まぶしい笑顔に思わず新一は目を細めた。
 さりげなく逸らした視界に自分の手が入る。
 ――爪。
 髪の毛は異常なほど伸びている。
 しかし、爪の長さは昨夜と変わった様子がない。
「なぁ、もしかして、爪は切ってくれたのか」
 考えられるのは、それしかない。

 振り返った新一に彼がまた笑う。
「ほっといたら、朝には指と同じぐらいな長さまで伸びそうな勢いやったからな。布団にでもひっかけたら、生爪剥いで流血の惨事や」
 あっさりと言われ、新一は自分の手に目を落とした。
 短い爪は、平次の心遣い。
 頬が熱くなる。
 新一はさらにうつむいた。
 伸びた髪の毛が平次の目から新一の顔を隠してくれる。

「爪切りなんてよく見つけられたな」
「念のためゆうて見せてくれた救急箱に入っていたんや」
「あれか。小さくて使いにくかっただろ。携帯用だからな。一時間おきぐらいに切ってくれたのか」
「そないしょっちゅうやないって。四回ぐらいやったから」
 平次がベッドの脇を通り、扉に向かう。その途中で、新一の頭をぽんと叩いた。
「さぁ、飯にしようや」
 新一は顔を上げた。
 平次と目が合う。

「ありがとう」
 感謝の言葉が素直に滑り出た。
 平次が驚いたように大きく目を開いた。照れたように赤くなる。
「いや、まぁ、その、たいしたことちゃうし」
 あたふたと手を振るのが微笑ましい。
 新一は笑って、ベッドから降りようとした。

 床が近くなっていた。
 まだ足は届かないけれど、確実に成長している。
 床に降りて、部屋を見回す。
 景色がどことなく違う。
 見守る平次を新一は見上げた。
 彼の視線も昨日より近い。
 笑顔に笑顔を返す。

 新一は思いきり両手を突き上げた。
「すっげー。ばっちり背も伸びてる」
「そら、髪と爪しか伸びんかったら、詐欺やろ」
 高くあげた新一の手を平次が叩く。
 高校生のハイタッチというにはまだ高さが足りなかったが、それでもいい。
 パジャマ代わりのスエットはまだぶかぶかだったけれど、それでもいい。
 確実に元の姿に近づいている。
 高揚する気持ちが抑えきれない。
 新一は声を上げて笑った。

「髪が伸びるだけやったら、はげの特効薬やゆうて売り出せるかもしれへんな」
 平次がいたずらっぽく言う。
「そうだな。爪が伸びるのは副作用って事にしてさ」
 新一もそれに乗る。
 ふたりは毛生え薬でどれぐらい儲けられるか皮算用しながら、リビングに降りていった。



  2へ  
  4へ  
小説TOPへ