♪あんだんて♪レポート

ノンラベル設立5周年記念シンポジウム
「青年のひきこもりと支援を考える」
−ひきこもり、社会的ひきこもり、ニート、フリーター問題にふれて−
9月23日(祝)
キャンパスプラザ京都
  
○基調講演 講師:春日井敏之先生(立命館大学文学部教授)
 午前中、近江兄弟社高校のシンポジウムに参加されてきた先生。講演はそのシンポジウムに参加した卒業生の話から始まった。以下は春日井先生の講演より

 不登校やひきこもりは、子どもたちにとって意味がある。その意味を誰かと共有できたらそこから次に進める。変化のきっかけの一つが負の体験を語ること。つらい体験をしたそのときに遡ることはできないけれど、その体験を語り、誰かに聞いてもらうこと、そして語ることが誰かの役に立っていると感じることで、心の空白を埋め、自信が持ててくる。人とのつながりを実感し、それが社会とつながる入り口になるのではないかと。

不 登校やひきこもりの課題に関わる時、「『よい不登校の親』にならなくてもいい」。確かに一番つらい思いをしているのは不登校になった子ども自身だけれど、子どものしんどさ以上に親の方がしんどくてたまらないと思えてしまうことがある。そんな時、負の体験や感情を子ども自身にぶつけないためにも、親の会など「本音を出せる場」でちゃんと本音を出し、それを受け止めてもらい、他者への信頼感を実感することが大切。そのことで子どもの中にある「負の体験や感情」を受け止めることができるようになる。親同士、親と教師が責め合わない場や関係づくりが必要。

子どもとどう向きあっていくか
◇手当て:子どもの不安やストレスが身体症状となって表出し、大人にSOSを求める時、「お疲れさん」という労をねぎらう言葉をかける(家にいて何もしてないように見えるけど、そうしていることも大変)。場合によっては医療に繋ぐ必要も。
◇聴く:心の中の葛藤(負の感情)を聴き取る。
◇見守る:本当にしんどい時は言葉にならない。適度な距離を取って、「一緒にいる」。
◇認める:子どもがマイナスの自分を抱え落ち込んでいる時、「そのままでいいじゃない」と言われても納得できない。しかし誰かと比較するのではなく、その子自身の成長やいいところを認めていくことで「この私」にOKが出せ、自分の持ち味を生かし、上手に人との距離を取って「自分らしく」人とつながって生きていける。
◇「つながり役」と「つなぎ役」として:土台になる親子関係ができていれば、押したり引いたりしても大丈夫。遠巻きにして見ているのではなく、親子でぶつかることも大切。対人関係のスキルは失敗しながら学んでいく。そのためにも失敗しても排除されない場所(フリースペースや居場所、学校など)に繋いでいく。

ニート・フリーター問題と青年の自立
 今の社会は「困った時はお互いさま」という社会から「困った時は自己責任」という社会に変化しつつある。その中で不登校やひきこもりの子どもたちは、「人と人との関係を引き離す、競争第一主義の社会でいいのか」という提案をしている。スクールカウンセラーなどいろいろな手だてを打っても、不登校の数が増えているのは競争が激化しているという現れ。
 ニート問題の本質は「若年失業者と非正規雇用の増大」であるにも関わらず、青年個人の内面の問題としての側面が強調されすぎている。政府はNPOや民間団体に委託するニートや不登校の支援事業を始めているが、雇用機会の拡充がなければ、ひきこもりやニートの中で競争が激化し、「勝ち組」「負け組」を再生産することになる。就労支援だけに特化するのではなく、多様な青年の生き方を認め、そのニーズにあった支援(出会いの場、居場所、ボランティアや仕事の体験の場、学び直しの場、就労技能獲得の場、専門機関の手当てや治療を受けられる場など)が必要。豊かな社会というのであれば、「社会とつながること=社会で働き、経済的に自立すること」だけを強調するのではなく、その子の持ち味を生かし、どういう形で社会とつながってくかを考えていかなければならない。
 大人は理想を語るだけでなく「リアルなメッセージ=I message」を伝える。自分もいろいろあったけど、生きているって面白いという感覚を、リアルに子どもたちに伝えていきたい。。

○シンポジウム 
[シンポジスト]
上山和樹氏(『「ひきこもり」だった僕から』著者)
井出草平氏(大阪大学大学院博士課程、ウェブサイト「論点ひきこもり−社会参加情報センター」事務局)
田井みゆき(京都ひきこもりと不登校の家族会「ノンラベル」、アスペルガー思春期・青年期・成人期援助部門「アスペ・ノンラベル」代表)
[コーディネーター]春日井敏之先生

上山さん
 中学時代から不登校を経験し、高校を中退した後大検を取得、大学をなんとか卒業したがバイトなどで挫折経験を重ね、絶望感が深まり30歳で完全にひきこもった。「自分で働いて社会参加できない人間」とあきらめがあり、自分の意識で何とかしようと思ってもできなかった。その後、親の会とつながり経験者として語っている。親の会と関わった時、最初は不登校の過去は言えても、ひきこもりの過去は言えなかった。それは当時、ひきこもり=犯罪者予備軍といわれている時代だったからであるが、会の最後にひきこもりの体験を話した。その自分の一番恥ずかしい話を、親ごさんが聞いて喜んでくれたことで、自分も何か役に立てる形があるのではと模索を始めたという。ひきこもりは「治療」「解決」という発想があるが、それは本人を追いつめる。たとえば就職することは親から見れば「解決」だが、本人にとっては新たな問題が始まること。本人の悩みは続いているので、取り組みを続けていくことが大切だ。
 またひきこもりをしている人は、人との交渉(コミュニケーション)ができない「交渉弱者」であり、交渉のスキルを身につけていく必要がある。特に親とのコミュニケーションの関係が膠着していることが多いが、それは親の話の中に地雷があるからだ。

井出さん
 社会学の立場からひきこもりを研究しているが、自分の課題から入学してきた人が、社会学を学ぶと元気になるという。それはそれぞれの事象(たとえばひきこもり)には社会的背景や文化があることがわかると、それが自分だけの責任で起こっているのではないと言うことがわかり、自分の社会の中での立ち位置が見つけられるからだ。

田井さん
 発達障害支援者の立場から、発達障害についてもっと啓蒙し、発達障害の人が生きやすくなればと思い活動している。発達障害は「本人の努力ではどうしてもできない部分」と「とてつもなくできる部分」の差が大きく、それが本人にとっての生活のしづらさ、生きづらさにつながっている。大切なことは本人がまず自分の状態を知ること。生活のしづらさ、生きづらさの原因がはっきりすると変化を起こしやすい。早期発見、早期療育が原則だが、医療待機時間が長い。また診断が下りれば薬を使ってしんどさを軽減することも可能だが、薬の効かない範疇の支援をどうするのかが問題だ。ひきこもりが長期化しているケースの何割かは発達障害を持っているといわれているが、それに対するサポート体制が進んでいない。京都市には発達支援センターができたが、府はまだ進んでいない。学校現場も人を増やさずに、援助をしようとしている。

質疑応答:社会的ひきこもりの予防的な関わりは
井出さん ひきこもりの原因の一つに、不登校からの長期化の問題がある(不登校経験者の2割くらいがひきこもりに移行)。それを防ぐためには、不登校の子どもが繋がれる場を作ることが大切だ。不登校をしている子どもの内、フリースクールや適応指導教室につながっているのは1割程度。もっと多くの子が繋がれるように就学、就労支援の場を増やすためにも、フリースクールなどに公的支援を入れ、ひきこもりになる入り口を止める。

最後に春日井先生から
 小、中、高校、青年、それぞれに対応が違う。一人でも確かにつながっているという関係をどう作っていくかを考えていく必要がある。また、高校を卒業して働く子はほとんどが挫折を経験する。その子がSOSを求める場として、自分が卒業した「高校」とのつながりも考えなければいけない。
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 不登校の場合は再登校が、ひきこもりの場合は就業することが目的であるような支援が中心になっているが、そこから見直す必要があることが再確認できた。春日井先生の話はいつも具体的で、またちょっと心がけてみようと思えることが多い。さすがに広い世代のこどもや青年たちと関わってこられただけあるなあ、と思う。また発達障害のことは昨今あちこちで取り上げられているが、まだその支援は始まったばかり。私たちもできるだけ情報を得て、相談を受ける中でも、その子にあった支援を受けられるよう、お手伝いをしていかなければと思う。
 社会的ひきこもりの予防的な関わりとして「就学、就労支援の場を増やし、ひきこもりになる入り口を止めることが必要だ」と話された。確かにそれは必要なことの一つだけれど、やはりもっと大切なのは、学校に行けない自分を否定的に捉えなくてもいいように、家庭や地域など、学校外のところで育ち、学ぶ権利を保障していくことではないかと思う。最近、いじめのことが大きく取り上げられているが、学校が自分にとって安心できる場でないときは、自分の身を守るためにもその場から距離をおくことも必要なのだから。(さくら)


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