♪あんだんて♪レポート


アイ・メンタルスクール寮生死亡事件を考える集い
7月8日(土)
情報センターISIS主催
  
 京都市内で若者の社会参加を支援している「情報センターISIS」の主催で、4月に名古屋のひきこもりの若者更生施設「アイ・メンタルスクール」で起こった死亡事件を考える集会が開かれた。出演者は評論家の芹沢俊介さん、精神科医で立命館大学の忠井俊介さん、愛知教育大の川北稔さん、ISISの山田孝明さん。芹沢さんは昨年もお話を伺い、共感するところがたくさんあったので、今日のお話も楽しみだった。

 まず最初に、川北さんから事件の経過説明があり、その意見交換が始まった。それぞれの立場から激しいやりとりがかわされた。
 ひきこもりの支援を10年にわたってされてきた芹沢さんは、何故引きこもるのかという本質論をきっちり論じることなく、対処の方法に走ってしまった故の事件だとというところから話をされた。芹沢さんのスタンスは「ひきこもっていることの全面的肯定から始めよう」というものだ。だから今回の事件を引き起こした「引き出そう」という支援ではなく、本人の主体を大切にし、出たいと思う人に手をさしのべる支援が大切なのだと。
 また山田さんは、かつてはひきこもりの若者の家への訪問活動をしていたが、今は絶対にしていない。当事者の気持ちと親の気持ちは別人格。当事者は誰も訪問されることを望んでいないからだと言う。かつて訪問していた時を思うと、自分自身も間違ったかもしれないと省みられていた。

 それに対し医師でもある忠井さんからはひきこもりには多様性があって、よいひきこもりと悪いひきこもりがあるという。よいひきこもりとは短期間で終わる。人は対人関係の中で育つものであり、長期化すると失うものが多く、予後が悪い。一般的に意欲が出てくると動き出すと言うが、出ることで意欲が出てくることもある。だから引きこもっているという安定した状態から、変化させる必要があり、時期・タイミングを見ての激励が必要だと。それを思うと、本人が望んでいないからと、訪問を止めるということでいいのかと反論された。そして変化させるには、一見悪い方に言っているように感じる不安定さを通過しないといけないが、1ヶ月単位くらいの長い目で見て繰り返してほしいと言われた。
 しかし、芹沢さんからはひきこもりは本質的には変化をはらんでいるのに、レッテルを貼られるがゆえに固定化していることが多いのではないかと言われる。長期化するには2つのタイプがあって、それが本人にとって必要な時間である場合と、家族が長期化することの不安から本人を追いつめるた結果、家族関係がこじれるなど二次的に起こっている場合とがあるのだ。
 これは不登校でも同じだ。要は時間の長さではなくて、その時間の流れの中でどう過ごしているかが問題なのだと思う。長い時間を要していても、長いスパンで見れば何らかの変化が起こっている場合は、本人のペースで動き出すのを見守ってもいいのではないか。しかし変化の兆しが見えなかったり、本人が追いつめられて苦しみ、身体症状が出ている場合、あるいは本人とどう関わっていいのか周囲が混乱している場合などは、支援機関につながっていく必要があるだろうと思う。ただその際も、本人を主体として考えることを忘れてはいけないと思う。

 芹沢さんと忠井さんの意見の違いは、当事者に近いところで支援をされてきた評論家と、当事者を治療の対象と見る精神科医という立場の違いからでてきているのかもしれない。行政がひきこもりの支援に力を入れ始めているが、結果重視の支援に走り、本人が主体であるということを忘れてしまうことが怖い。「支援する私たちがしっかりとした意見を持ち、強制的に引き出そうとする力に対してどこかで歯止めをかけなければいけない」という山田さんには危機感があふれていた気がする。

 最後に山田さんからとても印象に残る言葉を聞いた。「20年、30年ひきこもった人も、生き直せる社会を作っていきたい。そして引きこもっている若者に対して社会全体から、いつでも生き直すことができるというメッセージを伝えたい」と。そして親へのサポートの必要性も認めながら、「自立することをめざす中で生きづらさを感じるこの社会で、助け合ったり、寄りかかったりできる生き方を見直すことが必要だ。私たち自身が問い直さなければならないことがたくさんあるのではないか」と。長年若者とその家族を支援し、常に当事者の思いや声に耳を傾けてきた山田さんならではの言葉だと思った。不登校も同じ。当事者からの声を聞き、私たちが当たり前と思っている制度や価値観を見直していくことは、社会全体が暮らしやすくなりことにつながる。弱い立場の人が生きづらくなっていると感じられる今こそ、そのことを大切にしていかないければならないと思う。(さくら)


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