♪あんだんて♪レポート


「不登校の子どもが求めていること」
〜子どもたちの心・本音と子育て〜
倉本頼一氏(滋賀大学教育学部)
6月24日(土)
滋賀県不登校親の会の連絡会主催
近江兄弟社高等学校にて
  
 最近起こった少年事件(放火によって家族が死んでしまうという傷ましい事件)をはじめ、近年の子どもたちの事件から、今子どもたちがおかれている学校環境、社会環境を話してくださった。
 こうした子どもの事件が新聞のトップ面に扱われるのは、少し前までは考えられなかったことだが、見方を変えれば、それだけ子どもの安全が脅かされているという危機感が国民的レベルでもたれ、みんなが心配しているという現れであると指摘された。それは子どもを守る絶好のチャンスでもあるということだ。
 事件を起こした子どもに見られるように、最近、進学熱がますます高まり、子どもを過酷なほど競争へとかりたてる状況がある。 京都、滋賀でも有名私立大学が付属小学校を新設し、すでに幼稚園、保育園の段階から「お受験」の準備をすることが予想されている。このような教育環境は、子どもたちに共通した苦しみや哀しみをもたらしている。その本質をとらえ、矛盾を感じた子どもたちが不登校になっているのではないか?

 子どもたちの作文からは、今の子どもたちは学校のクラスのなかで、人間関係をうまくやっていくことに疲れている姿が見えた。いつ「仲良し」グループからはずされて一人になってしまうかわからない。「好きな者どうし」で給食を食べる日、「適当に」班分けしなさい、というような場合に、だれからも声をかけられずに一人にさせられるのではないかと怯え、ひとりだけ残ってしまうとつらくて苦しくなってしまう子どもの気持ちが理解できるように思った。
 そのつらさを先生や親に言えたり、文章で書いたりして受け止めてもらえると、苦しい状況は変わらないのだけれど、子どもが自分の力で、苦しい状態から這い上がることができる。自分のきもちをコントロールできる。

 家で虐待を受けている子どもが、学校で人をいじめて、そしていじめられた子どもが不登校になることはよくある。いじめられた子どもの作文を匿名でクラスで読み聞かせたら、いじめた本人が「かわいそうやな」と言い出した。「いじめはいけない」と教えても、いじめられた子どもの気持ちは認識できないが、特定できないだれかのいじめの体験を聞かせることによって、自分のやったいじめを客観視できる。

 3,4歳までの幼児は、2元の世界に住んでおり、大きいか小さいか、あちらかこちらか二分することしかできない。5,6歳になると、だんだん大きくなる、とか今はまだできあがっていないけれど伸びていっているんだ、などと系列化できるようになる。
しかし、日本の教育は、できるかできないか、と二分する二元の世界。だから、子どもたちは、わからなかったら、できなかったらやろうとしない。海外の子どもは分からなくてもやってみようとする。考えるプロセスを大事にする。

 小さい子どもの行為は、行為の終了をもって終わることはできない。
「お母さん、見て見てー」と子どもが言ってきたとき、
1、よくできたねー。・・・安心できる他者に評価されたり、認められたりすると行為を終了することができる。その経験を積み重ねていくと、子どもはもう一人の自分(内なる安心できる他者)を形成し、自己信頼、自己肯定できる。
2、またちらかして!・・・攻撃的な評価をもらうと、攻撃的な自分(内なる他者)を形成し、自分にも外にも(身近な人に)攻撃的になる。
3、無視、あるいは「忙しいから」と取り合わない。・・・不安定になる。自分のなかの自分が安定していないので、いつまでも他者を求める。

 お母さんが忙しいときほど、子どもは見てもらいたい、聞いてもらいたい。それは、内容ではなくて自分のことに心を砕いてもらいたい、「こっちを向いて」と言っている。

 日本の学校や会社の評価制は、よいところを認めるのではなくて悪いところを指摘するやり方。友達や同僚がライバルになっている。がんばっていても評価が下がるときがある。そうするとやる気をなくしてしまう。気持ちが分かってもらえないことが積み重なると、それが内に向かえば自傷行為になり、外に向かうと人を傷つける行為になる。

 不登校の子どもは、「学校へ行ってなくても、何をしていてもあなたは私のだいじな子ども」というメッセージが伝わったとき、子どもは「私は私であっていいんだ」と安定する。
 親自身が自分をまるごと受け入れてくれる人と出会い、ほっとすることが大切。そうすると子どもがラクになれる。(福本)



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