♪あんだんて♪レポート


講演「交じり合い、学びあう教育を!」
田中孝彦氏(都留文科大学教授 臨床教育学専攻)
9月24日(土)
近江兄弟社高等学校単位制 公開講座
    
 臨床教育学は、困難に直面している子どもたちを通して、社会、教育、子育てなどに関して、医療や福祉などさまざまな分野から考え直していく学問である。
 田中先生は、生きて成長していく過程でさまざまなサインを出す子どもたちと出会い、対話し、相談を受け、臨床教育学というものを作ってこられた。そのなかで、一人の研究者として、「こうすればうまくいく」ということができない大変難しい時代であると感じていらっしゃる。以下、講演内容―――

1、子供たちの声を聴くことから
 今の小学生たちが育ってきた10数年の日本を考えると、激しく変化しており、しかも未来や生活への不安が強まってきている。そうした社会のなかで、普通の大多数の子どもたちに、「むかつき、いらつき、不安、おそれ」が広く深く溜まっていっている。90年代半ばくらいから子どもたちの日常的な感情表現に「いらつく、ムカつく」という言葉が顕著に出てきた。学校で、いじめが増え、友達関係も外されたり外したりという緊張する場になっている。そのなかで、不登校や中退する子ども、ひきこもりをはじめ、キレル子ども、非行や少年事件を起こすなど、何かのきっかけで、自分や他人を傷つけてしまう子どもも出てきている。学びからの逃避、学級崩壊など学校の学習に背を向け、学力低下(僕はそうは思わないけど)の不安が話題に上るようになった。今、子ども達の間に、人間としての成長の「危機」が進んできていることを感じている。 
そうした表面に現れる現象、問題、事件の底に、子徐もたちの心の中で「このままでおとなになれるのだろうか?」「どう生きたらよいのか?」という生き方への問いが広く深く芽生えている。

2、人間発達の原点に立ち戻って考える。
子どもたちの声に耳を傾けさえすれば、私達は彼らの揺れ動く姿そのものを通して、現代の子育て、教育の根本的な問題が見えてくるはずである。
@ 子どもの情動、感情の世界につきあう
キレル子どもは、ある状況で情動(うれしさ、悲しみ、怒りなど基礎的な感情の部分)が込み上げて来ると、普通なら働く分別や判断が働かなくなり、行動したり爆発してしまう。90年代半ばから、AD/HDといわれる子どもが増えたが、ある地域に集中している所を見ると、精神科医によって診断基準がちがうのだろう。神経性医学的な困難が発生した子どもは、治療や療育を受ける権利がある。しかし、キレやすい子どもをすべてAD/HDで説明するのは無理がある。泣く、わめくなど激しい情動の経験は、生きていく中でつきものであり、それを周囲の大人に受けとめてもらい、意味ある反応を返してもらうという繰り返しで、子どもはキレずに情動をコントロールするすべを身につける。母親が孤立して子育てしなければならない日本社会のコミュニケーションのなかで育ってきた子どもたちが、学童期になってキレやすい傾向になってきている。子育ての環境を変えると性格は変わっていく。
A友だち作りを支える
子ども達の人間関係は、今の大人たちが考えられないほど緊張した関係である。外されるつらさにいつも怯え、友だちと一緒に居たい、行動したいという気持が非常につよい。反面、そんな友達関係に満足していない。いじめの裾野は広く、だれもが傷付き体験をしている。だからこそ、自由で安心できる友だち関係をつくりたいと思っており、そんな関係づくりを支えてくれる大人が必要になっている。子どもが人間関係のしんどさ、さみしさを親や教師に言う時は、相当しんどくてつらいとき。安易な励ましの言葉は、子どもの気持とは遠くすれちがってしまう。子どもの抱えている難しさ、問題は子どもの話をゆっくり聴いていくとわかる。
B「性」的成熟の過程の不安につきあう
子どもの性まで商品化される今の社会の中で、少女・少年期から思春期へ移行するプロセスで子ども達の性も混乱している。性衝動を人に向けると人が傷付くから、どうコントロールするか、それを思春期に向かう子どもにどう伝えるか、考えなくてはならない。現代における性の問題をおとなたちは考えなければならない。
C職業選択の困難をともに考える
「好きな仕事がみつかるだろうか?」「好きな仕事につけるだろうか?」「自分の生活を一生支えていける仕事につけるだろうか?」長引く不況で、まじめに働いてきたのにリストラにあったり、路頭に迷う大人たちを子どもは見ている。
従来型の学校の進路指導では、子ども達の不安や要求に応えられなくなっている。「君たちの不安には根拠がある」という話しから、子ども達にどんな仕事につきたいかきいて、そのためにどんな高校へいき、大学があるか、またどんな進路があるかをいっしょに考えて行く。今までのように多少ランクが上の大学を出てもその先がない状況がある。もう少し腰をすえた職業観、職業選択が必要になっている。

以上に出てきた問題、感情をコントロールしたい、安心できる友だちづくり、性の問題、一生の仕事など子どもたちが分かりたい、知りたいことに役立つ学びを学校や社会で提供しなければならない。子どもの知的欲求や学習の欲求がなくなっているとは思えない。学校全体の学習が、子どもたちの知りたい、分かりたいと思うこととずれているのだと思う。学校の教育の質を考え直さなければ、子どもたちを支えることはできない。

3、大人同士が相談し合える関係
子どもに事件やなにかあったとき、親と親、親と教師、教師と教師、の間で責め合う関係になってしまう。これを大人同士が相談し合える関係に変える事が大切。子どもを支えていくには、ひとり一人の親、教師がばらばらでは難しい。ひとりで子どもに向き合っていくのは無理がある。不登校の親同士が支えあう。非行の親が親の会で、家族以外で理解し、ともに考えてくれる人がいることで、世間の目に耐えられ、親としての責任が果たせる。・・・というように。
そうした新しい共同の動きを支え、大切な役割を果たしている「発達援助」の専門家たちがいる。子どもが生まれ育つ地域で、「父母と住民」、福祉・医療・心理臨床・文化などの領域で働く「発達援助者」、「学校の教職員」の新しい共同の動きを広げ深めていくことが必要である。(不登校の親が、親の会、カウンセラー、担任の教師、フリースクール等の支援者など色々な人とつながって、子どもを見ていくのは、その良い例だと思う。・・・福本)

4、学校を変える。
今の日本の学校は、全体に「混乱」「形式化」「空洞化」が進行しつつある。
教師の間からは、子どもと親にゆっくり向き合う時間が無いという「悲鳴」があがっている。その悲鳴の中には、今の学校教育に対する疑問がこめられており、その疑問には、日本の学校教育の質を変えていく可能性も含まれている。
その「可能性」を現実化するために、理解しにくい子どもへの理解を深め、教育実践と学習指導を納得いくまで構想しあうような教師同士の動きもはじまっている。

「いらつき、むかつき、不安、恐れ」を感じて色々なサインを出す子どもの心配な姿は、だからこそ「どう生きたらいいのか?」という深刻な問いが込められている。その問いをしっかり受けとめて、子どもの話に耳を傾け、いっしょに考えくれる大人がいなければ、子どもは追いつめられ、他人や自分を傷つけてしまうかもしれない。
一方で、子どもたちを厳しい環境におき、競争させなければならないという声が大きい。しかし、厳しさだけの対応や単純な秩序を守る考え方では、一時的にはよくなるだろうが、子どもの切実な問いとは大きくすれちがってしまう。大人と子どもの亀裂が深まり、もっと大きな荒れが来るだろうと予想できる。最近、小学校での暴力行為が激化しているとマスコミで報じられているが、今までの対応ではまずいということだ。子どもの声に耳を傾けることなしには、血の通った子育て、教育の改革はできない。(フェルマータ)



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