♪あんだんて♪レポート


シンポジウム
みんなで考えよう「社会的ひきこもり」
2月26日(土)
登校拒否・不登校を考える京都連絡会
  
 斉藤環氏の「社会的ひきこもり」の定義によると、(1)20代後半までに問題化し、(2)6ヶ月以上、自宅にひきこもって社会参加しない状態が持続している。(3)精神障害や広汎性発達障害があり、その影響が第1原因と考えにくいもの。・・・とある。
 (2)の6ヶ月以上という定義によれば、不登校になった子どもは、ほとんど自宅にひきこもり、6ヶ月くらいすぐに過ぎるので、これを「ひきこもり」と呼んで問題視すると、家でゆっくり心の傷を癒したい子どもが、「ひきこもり」を恐れる周囲の働きかけでつらい状態になりはしないかと気がかりである。
 最近、「ニート」(64万人、H15年)という言葉が出てきたが、日本語では「若年無業者」と言って、厚生労働省によるとつぎの条件に当てはまる人を言うそうだ。
・ 15歳〜34歳 
・職に就いていず、学校にも所属せず、就労に向けた具体的な動きをしていない。
 「フリーター」は、217万人(H15年)
・ 15歳〜34歳 ・学校卒業者(在学者は除く) ・女性は未婚者(既婚者は除く)
・ 就業者はアルバイトまたはパート ・無業の場合は家事・通学せず、アルバイト・
 パートの仕事を希望する者
若者の就労意欲がなくなったという論調が多いが、実際に正社員の雇用は減っているし、雇用条件は悪くなっており、そんな状況下では絶望的にならざるをえないのではないかと思うのだが。

 支援の支柱は「親」。本人は外に出て来れないので、親の支援から始めることが多い。親の面接、講座等で、親に本人の気持を理解してもらう。高度成長期を過ごしてきた親と、不況下で育った子ども世代とでは、社会環境の差が大きい。売り手市場であった高度成長期の雇用状況で就職した親の世代と現在の就職難の時代に自己否定感を強める経験を重ねている子どもの世代とでは全然ちがうといいうことを理解しなければならない。親の子どもに対する気持が態度に出るので、それが子どもに伝わり子どもが変わる。ただし、一般的な親子関係と、長期化したひきこもりの親子関係は区別して考えたほうが現実的である。

 子どもに言葉や身体的に攻撃されるような親のつらさは、子どもに向けず、支援者に愚痴って解消したほうがいい。子どものしんどさに引きずられないように、つねに安定していられるようにしたほうがいい。そのために、子どもとの関係は演技することも必要。言葉だけでも「わかった、わかった」と言えるといい。

 家庭内乱暴や暴力が出てくるとき、母親に向かうことが多いが、母親は距離をとり、暴力から逃げること。子どもの持つ怒り、あきらめなどは時間をかけないと解決しない。親は子どもの言い分を十分聴いて、そのつらさは第三者に吐き出し、自身の安定を図ることが大切である。子どもは、多弁だから言いたいこと言えているとは限らない。口数より本音が言えているかどうか。
 本人が外へ出て行く時期は、2月から4月が多いが、本人の居場所にあるところはどこがいいか、ショッピングするといい。3,4箇所見て、色々な人に出会っていく。面接は、そこに居るスタッフが自分にとって役に立つかどうかを見る機会でもある。

 本人への支援としては、コミュニケーションを家族以外の第三者ととれるようになってから就労や就学へ向けて準備段階から支援していくというプロセスだが、高齢化したひきこもりの場合、コミュニケーションがなかなかうまくいかない。かえって、いきなり共同生活の作業場や「研修」という名の就労実習に入ってうまく行く例もある。そして、コミュニケーションは一生かけて学んでいく。そもそもコミュニケーションとはだれにとっても生涯追求していくものではないかというT氏の弁は納得できた。

 ここまでの支援のプロセスを見ると、不登校の支援と共通している所が多いが、年齢が高いので、「就労」の壁が厚い。就労の前段階のステップになる作業場や就労への研修など、さまざまな就労支援の場が増えることが望まれる。
 「淡路プラッツ」「フレンドスペース」といったひきこもりや不登校支援をはやくから始めていたところでは、本人が動き出すのを「待つ」時代があったという。なかなか動かないので「押し出す時代」に移り、今は支援の「多様性」が求められる時代である、と言う。私が考えるに、支援者は「待って」いたが、親は「待って」いられたのだろうか?親も周囲の目に身を小さくし、自分の子育てを否定し、重く暗くなっていたのではと想像する。暗い雰囲気の家庭環境で、本人はますます自己否定感を強めて行ったんじゃないだろうか?プラスのエネルギーが溜まってこなければ、自己決定もできなかっただろうと思う。

 親が悪いのでも、支援者の力不足でもない、みんななんとか本人の回復を願っていたのだと思う。不登校の子どもが、緩慢にしろ、はっきりわかるいじめなどにしろ心の傷を負っているように、ひきこもりの若者も「なにか」によって、深く傷付いているはずだと思う。その背景に思いをいたす視線がなければ、本当に支援できないのではないだろうか?
(フェルマータ)


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