♪あんだんて♪レポート


 京都子どもと家族と支える会 2月8日(土)
  
 2ヶ月に1回の定例会。今回はスクールカウンセラーのコーディネーターやスーパーバイザーとして活躍されている臨床心理士のMさんを迎え、「ブリーフセラピーのものの見方・考え方」の話を聞いた。参加者は学校の先生、民間や行政で子どもを支えている人たちで、ワークも交えて、相談を受けるときの話の聴き方を学んだ。

 「ブリーフセラピー」という言葉を聞いたのは初めてだ。「ブリーフ」とは簡潔にという意味だが、ここでは「効果的に」=よい変化をもたらすこと、「効率的に」=楽してよい結果を出すこと、ととらえている。「こころ」の問題は複雑な構造で、原因を一つや二つのものに特定できない。だからその原因を取り除くのではなく、「あなたにとって『解決』とは何か?」と話し合うところから『解決』を作っていこうという試みである。
 具体的にはカウンセラーがクライアントとともに、「自分自身のリソース」を探す。ここでリソースとは「能力」「興味・関心」などその人自身が持つリソースと、「家族」「友人」「愛用物」「ペット」などその人を取り巻くリソースで、治療者の仕事は『潜在』しているクライアントの持つ能力を発見し、引き出すことだという。クライアントの話を聞く中で、解決に繋がりそうな部分に反応し、どうしたら少しずつ解決できるかを考え、「到達しやすいゴールセッティング」をしっかりし、「具体的行動課題を出していく」というやり方で進める。
 クライアントが『問題』としていることを話すとき、クライアントが否定的なことばかりに目が向きがちだが、「その問題が起こらなかったときはありましたか?」などと『例外探しの課題を出す』など、私たちが日頃相談にこられる方のお話を聞くうえで、参考になることも多々あった。ただ、事例として不登校の話を取り上げられたが、そこで少し違和感を感じたことも確かだ。

 個人に視点を当てた支援は、一見早期の解決に繋がるように見える。しかしここで思い出したいのが「カウンセリングは、その個人の背景にある様々な社会的な問題をも、個人や親の問題に還元してしまう危険性を伴うことも、忘れてはならない」という小沢牧子さんの話だ。不登校になった原因を突き止める必要はないかもしれないけれど、その『背景』にあるものには目を向ける必要がある。学校に行けなくなったのは自分に問題があると、親も子どもも思っていることが多いが、決してそうなのではないというメッセージを送ることには大きな意味がある。精神科医やカウンセラーの視点は、どうしてもその個人に目が向き、リソースとしてあげられるのも、その子自身の持つものが中心だ。
 しかし昨今、学校や地域社会で起こっている事件を見ても明らかなように、今子どもを取り巻く環境は、決して安心できるものではない。私の子どもは、小学校2年の時にも行き渋った時期があったが、その時学校の門をくぐったとたんに、何ともいえないおびえた目をしていたのが忘れられない。子どもがそこまで恐怖を感じる学校とはなんなのか。そこを見つめ直さなければ、根本的な解決には結びつかない。例えば、いじめの問題ひとつを取ってみても、いじめている子どものストレスやあるいは家庭での問題を解決しなければ、いじめの根本的な解決にならないといわれるように、学校環境を子どもたちにとって安心できる居場所にすることが急務なのではないだろうか。 

 ブリーフセラピーの例として、子どもが再び登校できるようにと目標を設定し、子ども自身がそれに向かって、登校できる時間に起床できるよう努力する、ということをあげられた。確かにそれもやり方の一つかもしれないが、その子を受け入れる学級作りやその子を支援する学校の体制作りにも目を向ける必要がある。また学校外の機関や福祉的な支援も視野に入れたもっと包括的な体制作りも求められてくる。
 スクールカウンセラーは単に生徒や親にだけ視点を向けるのではなく、もっと社会資源を活用することに目を向けた、いわゆるスクールソーシャルワークの視点を持った取り組みが、ますます必要になると思う。(さくら)

一般的にわたしたちは、こういう結果が出るのは何か原因があるからという考えに縛られてしまいがち。今の状態から「これからどうしていくか」を考えないとね。ワークをすることになり、さくらととなり同志に座ってたけど、お互い知り過ぎてワークにならないかもと、座席を移動した。(ユキ)
 


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