♪あんだんて♪レポート


 開設記念講演 広木克行氏 1月8日(土)
大阪YMCA国際専門学校国際高等課程
表現・コミュニケーション学科
 
 以前から、一度お聞きしたいと思っていた広木克行神戸大教授(臨床教育学)の講演に行って来た。広木先生は20年来、不登校の子どもたちと親たちに関わって来られた。
その豊富な臨床経験と、徹底して子どもたちや親に寄り添う姿勢に感動した。今まで多くの不登校の支援者に出会ってきたが、すぐれた専門家に共通しているのは、理論や知識や過去の経験の押し付けではなく、目の前の子どもや親から学ぼうとしていらっしゃることだ。
 YMCAの新規学科が開設されるに当たり、不登校の子どもの選択肢が増えることを大変喜ばしいと言い、しかし設立し、維持していくのは大変苦労の多いこととねぎらっておられた。またこうして、新規に開設される一方で、今まで不登校の子どもたちにとって、重要な学びなおしの役割を担っていた定時制、通信制高校が、統廃合され減っている現状がある。「改革」というのは強者のための改革であり、弱者にとっては「切捨て」である、と不登校の子どもたちの大切な選択肢が、減らされていくことに危機感を持っていらっしゃった。

広木克行氏 講演

 不登校の子どもと親に20年来関わってきた臨床経験からの話は、いくつかの事例をあげなら具体的でわかりやすく、本当に当事者の思いに沿ったサポートのありかたを示していた。

 定義ふうに言えば、「不登校」は子どもが学校へ行っていない状態をいう。それゆえ、不登校には、怠けによるものや、経済的に、あるいは家庭的に学校へいけない子どもも含むが、ほとんどの場合は、学校へ行こうとすると心と体が拒否する「登校拒否」である。つまり、行こうとすると、心と体が拒否反応を起こして身動きできなくなっている状態をいう。
 「心と体の反応」には2段階ある。

・ 一次反応・・・子どもがなんだかへんだなと親が感じる。行き渋り、五月雨登校、の時期。
この一次反応は、医学的にいう症状ではない、したがって病気ではない。これを病気とみなして、「治そう」としても治らない。親は、何とか学校へ行かせようとするが、子どもは行こうとしても行けない。そして、身体化、症状化し、腹痛、や発熱となってあらわれる。そこで、小児科や内科にかかるが、調べてもなにも原因は出てこない。
そこで、心因性のものではないかということで、思春期外来、心療内科など心の専門家にかかる。しかし、不登校は心の病気ではないので、やはり本当にはわからない。自律神経失調症、あるいは起立性障害などの病名がつくと、親はホッとする。病気だったら治る、そうでなかったら自分の子育ての失敗になり、今までのすべてを否定されたような気持になる。相談に行くと、自分の子育てが責められるんじゃないかと思うと、相談に行くのも勇気がいる。

 そうして、親子で葛藤しているうちに、二次反応が出てくる。

・ 二次反応・・・大体「昼夜逆転」から始まる。相談に行くと「朝ちゃんと起こして」と言われるが、子どもは起きられない。なぜなら、朝起きると両親の「今日は学校へ行くのかな?」というまなざしがある。みんなが学校へ行く朝のざわめき。それを避けようとすると、夜起きていて、朝みんなが活動する時間帯に、一番深い眠りに入る必要がある。それは自分を守るぎりぎりのやり方なのだ。そして、昼過ぎになると元気になり、ゲームなどしている。親は、そんな子どもを見て怠けているとしか思えない。親子の相互無理解が起きる。ここで、相談に行くと良いが、行けないと、どんどん親子の関係がわるくなっていき、「対物暴力」「対人暴力(主に母親)」が出てくる。
「対物暴力」「対人暴力(主に母親)」は、親に苦しさをわかってほしいという子どものシグナルである。だから、親の前でやるが、外ではやらない。母親にむかう暴力も顔ではなく、背中や胸を叩くことが多い。「お母さん、助けて」と訴えている。弟や妹などきょうだいに向かう場合もある。暴力が自分に向かうと、リストカット、薬を飲んだり、自殺未遂をしたりする。同様に拒食は緩慢な自殺と見ることもできる。 ここで、親が相談に来ることが多い。

「もし私がこの人だったら、見栄っ張りな私だから、相談に来れていなかったかもしれない。大きなハードルを越えてよく来てくださった」と広木氏はおっしゃっていた。こんなふうに親の心情に寄り添っていただけたら、親もしっかり支えられた思いがするだろう。

 解決のはじめは、まず子どもが家庭を安全で安心な場所と思えるようにすること。家庭が自分の居場所になると、「二次反応」から「一次反応」に変化していく。家庭がもっと安心できる場所になると、元気を取り戻し、次の場所へと出て行く。

 「不登校」は人生の中のひとつのトラブルだけれど、それを越えれば、色々な居場所がある、ということがわかる。こどもがエネルギーを貯えられる居場所があちこちにある。
「居場所」とは親、先生、友人など周囲に自分を理解してくれる人がいる。自分が自分自身でいられる場所。第1は家庭が居場所。そこが居場所でなければ、自室に引きこもるしかなくなる。家庭でエネルギーを貯えると、次の居場所に出て行ける。そこには多様な選択肢がある。そこでつぎのステップである、矛盾のいっぱいある社会に出て行くエネルギーを貯える。
何千人と出会ってきた子どもたちは、そんなふうにしてほとんどの子どもが高校へ行き、行かない子どもは自分の好きな道を見つけ、それぞれにその後の自分の進路を選んでいる。本当にしたいことを見つけられる勉強をするため、自分の夢を実現するために学びなおした時、学力はついてくる。

 親の会にきていたある母親の手紙から
「親の会に来て1年たって、今日はじめて先生の言うことが分かりました。それまで私は全然先生の話が耳に入りませんでした。この子はどうしたら学校へ行くようになるか、それをいつ答えてくれるかと思って、ずっと来ていました。でも、大事なのは、どうしたら学校へ行くようになるかではなく、子どもは何に苦しんでいるのか、子どもは親に何を求めているのか、親にどうしてほしいと言っているのか、その姿勢で子どもの話を聴くことだったんですね」

 「不登校」は非常に構造的な背景がある。直接の原因が「いじめ」であっても、いじめには構造的な背景がある、
不登校の子どもは「小さな哲学者」

☆ 親や周囲のおとなはなにができるか?
1、 原因追求よりも子どもの心の理解を
2、 心のもつれをほどく
 この社会の教育のあり方が、子どもたちの心に多くの疑問を起こさせている。そして、心がもつれて身動きできなくなっている。細い糸ほどもつれやすい。無理に引っ張れば、よけいに固くもつれがひどくなる。もつれをほどくようにやわらかく扱っていくと、時間はかかるが元の一本の糸になる。
3、 待つために
もつれを解くには時間がかかる。ひとつずつ丁寧にほどいていかなければならない。そこで、「待つ」ためには、
・ 相談に行き、理解を深めながら待つ。→ 相談に行くと子どもに対する理解が深まり、待つエネルギーが湧く。
・ 親の会で、自分と同じ経験をした人と支えあう。→ 安心して話せる場。
・ 子どもの防波堤になる。→ 外からの子どもを苦しめる言葉から子どもを防ぐ。母親だけでなく、父親も加わると一層強い防波堤になれる。

以上のようなすべての条件を整えるのには時間がかかる。「待つ」ことは楽なことではないし、何もしないことでもない。何年待ったらいいのか、答えはない。しかし、よりベターな環境を整えると、時間が短いとは言える。

事例から、
○ きょうだいで、行っている子と行ってない子がいる。
ふたりに、正反対のことを言わなければならない苦しさがある。親はダブルスタンダードに苦しむ。ここで、行っている子のさびしさに気づく必要がある。親がいつも行ってない子に注意が向いているので、「自分はあんまり大事じゃないのかな」と感じてエネルギーが放出していることがある。だから、行っている子のために「特別の時間」をとる。お父さんが不登校の子どもの相手をして、お母さんがその子のためにゆっくり時間をとって、ふたりで買い物に行く、心からの気持「元気でいてくれてうれしい」ということを伝える、など。
行っている子が、行き渋る時、とってもしんどそうな時「ちょっと休んで充電してみようか」といって休ませる。心のもつれがないときは、3,4日すると自然に行く。もつれがあるときは、行かなくなる。学校へ行く、行かないは、カタチの問題。カタチより、「心のもつれ」をほどいてやる事が大事。ほどけたとき、子どもは自然に出て行く。
友人に遅れたくない、焦り、など深くもつれている。それがどんな苦しみなのか、親が子どもの言うことを聴きながら、親がカウンセリングにいくと良い。そうして、家庭が安定した居場所になると良い。

○ 低学年の不登校、母子登校について
母子登校していると、母親がよくないことをしている気持になり、つらいことがある。
足の骨折だと松葉杖が必要だが、同じ様に心のもつれからいけなくなっている子どもには、母親のささえが必要。心のもつれはカウンセラーにしかみえないので、相談しながら、今この子には母親の支えがいることを学校に理解してもらう。子どもには、自分に合った助けを得て、教育を受ける権利がある。
低学年では、今まで高学年を受け持っていた先生が低学年を持つと不登校が多くなる傾向がある。これは、低学年の子どもにはボディランゲージが必要だが、高学年のように言葉でコミュニケーションしようとするところから生じる。

 「子どもたちが立ち止まるのは、弱いからではない。親の子育てがまちがっていたのでもない。もっと社会的な原因がある。くもりのない目でまっすぐ、社会や学校のはらむ矛盾を見たとき、子どもは行けなくなるのです。」
と日ごろ私の感じていることが、何千人の臨床経験に裏打ちされた力強い言葉で語られるのを聞き、胸が熱くなった。(フェルマータ)
 


リストに戻る
♪あんだんて♪日記に戻る