♪あんだんて♪レポート


不登校フォーラム「不登校はいけないことですか?」
〜「不登校」から未来をみつめて
2月8日(土)
京都市教育委員会、京都市不登校児童・生徒適応支援連携協議会主催
  
藤原勝紀氏講演 
○逆説に目を向けよう
不登校の子どもについては、登校か不登校か、という二者択一では語れない。登校している子どもの背後になにがあるのか、という視点が大事。登校している子どもの背後に、学校を休みたいとかしんどい、という不登校の心があることを理解しなければならない。逆に、不登校の子どもの背後には、登校したいとか、外へ出て遊びたい、という子どもの心がある。表面的なかたちではなく、背後にある心を見るまなざしが大切。心の目と心の耳を身につけて子どもから学ばなければならない。同様に、未来を考えるためには、過去と現在をしっかりみつめ、わかることが必要である。

○思春期の仲間意識
思春期のはじめ、男女を意識し始める頃、友だちとの約束が親との関係より大事になってくる。中学になると、子どもは親を離れ、仲間と一緒に出て行けるようになる。その分、友達から嫌われたり好かれたりが、重要なウェートを占める。だから「無視、仲間はずれ」は、生きていけないほど決定的なダメージになる。不登校の子どもは、学校嫌いなのではなく、「仲間集団の中で私が生きていくこと」が難しくなっている。中学のクラブ活動でも、たとえば、今まで少年野球で力をつけていても、友だちに合わせて違う部活を選んだりする。今までの自分を棄てて新しいことを始めたのだから、そこで人間関係につまずくと、あまりに張り切ってがんばっていたからこそ、小さな傷でも大きく痛みを感じる。

○行けなくなった子どもにどう向き合うか。
子どもが学校を休み始めた時、親や先生がどう関わったか、センスが問われる。子どもが困っている時には、この人はわかってくれるか、本当に信用できるか、やさしさがあるか、ちゃんと見立てるものだ。「あんたも納得してやったことでしょ」というようなアタリマエの言葉に子どもは傷つくから、なにも言わないほうがいい。
心の傷を癒すには、傷でない所が回復していかないと傷が治らない。だから、家でストレスを発散することも必要。不登校の子が家で元気にしていると、登校の可能性があるのにと、親は腹が立つ。しかし、家庭の生活をフツウにできて、手伝いなどして家の中で役に立つことも大事。だから、周囲のおとなは、子どもの元気を不登校に結び付けてはいけない。

○「復活」と「受け皿」
子どもが元気を回復して「復活」するとき、「受け皿」ができているかどうか?復活しようとして受け皿ができていないとき、また行けなくなると、より一層の力をつけないと再び出て行けない。長期化している不登校のなかには、何度か復活しかけたけれど、挫折したという経験がある。長い間、不登校の子どもとつきあってきた親は、子どもの心が「わかる」から先取りしてしまうが、先取りしないこと。読めたら読めるだけモノ言わないようにしたほうがいい。子どもが自分なりに分かったことを自分の言葉で話すことが大事。子どもの心が「自発的に動いていくペース」を守って欲しい。子どもはペースを崩されたら進めなくなる。

○子どもたちへ、同時におとなたちへのちょっとロマンチックなメッセージ
子どもには「君は君を好きか?」と聞いてあげたい。子どもたちは、まず「自分を好きになること」をどう思うか?
親は、「この子を生んでよかった、この子が私の子でよかった」と思えるかどうか?
人間関係の傷は人間関係でしか癒せない。夫婦は、赤の他人がどうしたら濃い人間関係になれるか、という人間関係のモデルである。そして、子どもの不登校が「子どもの問題」にとどまるのではなく、子どもに向き合うおとなたちが、自分の人生の夢を失わないことが大切である。

以上のように、講演は、不登校の子どもをどう理解し、どんなふうにつきあっていけばいいのか、おとなはどんな姿を見せたらいいのか、心に響く話が随所にあって良かった。
ただ、今現在しんどい時を過ごしている子どもや親にとっては、具体的にどう動いていったら良いのか知りたいだろうし、目の前の子どもと毎日つきあっていく親のための知恵や情報なども必要と思った。それから、フォーラム全体を通して、不登校を語る雰囲気がく、くらい・・・。ある不登校経験者が言ってたように「今からふりかえると、そんなに大騒ぎすることだったんかな?」という心の軽さがあっていいと思う。心が軽くないと、足が前へ進めないもの。周囲の人たちが、問題を重たくしてしまって、本人が動けなくなっている場合もあるように思う。(フェルマータ)


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