♪あんだんて♪レポート


 開設記念講演 小沢牧子さん 12月18日(土)
大阪YMCA国際専門学校国際高等課程
表現・コミュニケーション学科
 
 来年4月に開校する「大阪YMCA学院高等学校 表現・コミュニケーション学科」主催の講演会に、ユキ、Cocoとともに参加した。
 この学校はYMCA学院高等学校の技能連携校で、高卒資格取得を目指すとともに、芸術や情報に関する選択科目があり、自分の興味に合わせて学ぶことができる。また体験学習を通して、「じぶんを知り、じぶんも相手も大切にし、グループワークを通じて相手とコミュニケーションできる力を身につけること」を一番の目的としている。系列のインターナショナルスクール、通信制高校での経験を生かした、きめ細かい配慮のある学校といえそうだ。昨日できあがったばかりのあんだんてのパンフレットも置いてくださることになった。

 小沢牧子さんは「『心の専門家』はいらない」という著書で有名な方だが、その本を読んで以来、一度お話を伺いたいと思っていた。ご自身が臨床心理学の現場にいながら感じられてきた、「心のケア」という言葉への疑問や「心のケア」に重点が置かれることから生じる懸念などを、独自の視点からお話しされた。最近のあんだんての相談の中で、スクールカウンセラーの心ない一言に傷ついたり、医療やカウンセリングに繋がりながら、その子に合った支援を受けることができずに、かえって苦しまれているケースに出会う。不登校だからと、簡単にカウンセリングや医療につなごうとする風潮に疑問を感じていた私には、小沢さんの話に納得するところもたくさんあった。(さくら)

講演「心の専門家」をどう考えるか−支え合う関係と暮らしを求めて

「心の専門家」、「心のケア」という言葉がよく使われるようになったが、小沢さんは「心」というあいまいな言葉で生活を語ることになったことに、危機感を抱いている。人はマスメディアによって、内容がよくわからないまま「物の時代」から「心の時代」へと取り込まれ、それが大きなカウンセリングブームの流れとなっている。カウンセリングへの期待、依存、カウンセリング願望から、カウンセリングが苦しい自分を楽にして「くれる」、否定しないで聞いて「くれる」など「〜してくれる」の言葉が並び、心細さをうめてくれるものとして期待されているのではないか。しかしカウンセリングは、その個人の背景にある様々な社会的な問題をも、個人や親の問題に還元してしまう危険性を伴うことも、忘れてはならないと小沢さんは言う。

このような状況の背景を考えると、80年代半ばが転換期だそうだ。自由競争、弱肉強食の時代から「勝ち組、負け組」に象徴されるように二極化され、かつその格差がひろがり、若者、大人、子どもを苦しめていくのが90年代。「物」が売れないから「心」の部分の産業が展開されていっている。そんな中、85年に河合隼雄氏が、不登校は学校関係者でも医者でも治せないとして、心の専門家の必要性を提唱した。そして95年、スクールカウンセラーが学校に入る。このような状況の中で「心」という言葉の使われ方が問題になる。「心の教育」、「心のノートなど」作り方としてはソフトにきれいに、子どもたちを引きつけるようになされているのが、だんだんと愛国心を育てるというような作りになっている。そして自助努力、自己責任など「自己〜」があふれ、自分で切り開かなければいけなくなって、自己責任を負わされていく、次第に人の間の糸をばらばらにする趣があるのではないかと、小沢さんは危惧する。

企業の中にも産業カウンセラー、学校にもスクールカウンセラーと心の専門家が入っていく。しかし、いじめや不登校がそれで解決できたかといえば、どうもそうではない。いじめや不登校は心の中の問題だけではないから、問題解決にはならない。そこで何とか学校に戻すために、医療や薬へとつなげられ、学校における「心の専門家」が医療への橋渡しになっているようだ。

カウンセリングは優しくソフトに、力を持っている者が弱っている者を、望む方向へと導いていると小沢さんは言う。傾聴、共感、受容は大事なことだが、皆が聞き下手になってしまった。そこで聴いてもらうためにカウンセリングへと向かうのだが、カウンセリングは一見対等を装わせているが、実はカウンセラーとクライアントといった上下関係がある。しかしそれはカウンセリングルームなどの場だけでなく、家庭や学校といった日常的な場にも存在してきている。優しく、目には見えないが、人と人との間に管理、被管理の関係ができあがってくる。そのように日常生活に浸透していくことに危惧を感じていると言っている。

大切なことは、何が起こっているのか自分の「目」でしっかり見ること。事実を見て、生活に足をすえて、考えて、人と繋がっていくことが問われているのではないか。「心」という言葉はよくわからないもの。だから「心」という言葉で、無理に相手にわからせようとしないで、どう考えるか、どう感じるか、ということを大切にし、わかる言葉で伝えることが大事。「心」という言葉は、あいまいにするには使いやすい言葉であるが、中身が何なのか、わからないものが何なのか、しつこくこだわる。こだわると簡単に取り込まれないということだ。

生活の中で人とつながり、気になったら「どうしたの?」と聞いてみる。お互いに聴き合う関係の中で、話すことと、聴くことのバランスのとれた人との関係ができていく。人間生きていればいろいろなことがある。いろいろあっても人生は続く。これからの生活をどう作っていくか、どう自分たちが生活を切り開いていくかが大事であると小沢さんは話を締めくくった(Coco)。

今は情報も氾濫しているし、日常生活も煩雑であるため、何かことを解決するには効率が重視される。そのためには専門家に任せることが最善の方法と判断することが多いのではないだろうか。また、わかったふりをして、物事を進めなければならない流れの中にいるのかもしれない。不登校を経験した人はすでにこういう問題に気付いていたんだろう。(ユキ)

 


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