♪あんだんて♪レポート


京都教育研究集会
義家弘介氏記念講演&分科会
11月7日(日)
  
 京都府教職員組合などが主催する京都教育研究集会で、ドラマやドキュメンタリーで有名な北星学園余市高校教諭義家弘介氏の講演があった。義家さんは「ヤンキー母校に生きる!−教育に信頼と希望を」をテーマに、自らの生い立ち、余市高校での恩師との出会い、今の教育にかける思いを熱く語った。また午後開かれた分科会では「不登校・登校拒否」に参加し、現場の教職員からのレポートを題材に、不登校の子供を持つ親や教職員、研究者などと意見交換した。

「ヤンキー母校に生きる!教育に信頼と希望を」
 ドキュメンタリーやドラマで有名になった義家さん。実際お見かけすると、思ったより小柄で華奢な体つき。一見、話に聞くような雰囲気は感じられない。しかし壇上に立ち、語り出したその口調は淡々とした中に熱さがあり、話が進むに連れその熱さが増していく感じだった。

 義家さんは小さい頃両親が離婚し、母親の顔を知らない。父親はやがて再婚し弟もできたが、義家さんは家庭にもどこにも居場所を見つけることができず、常に寂しさと隣り合わせに生きてきた。その寂しさの表れである「自己顕示」。家庭内で荒れ、非行に走り、高校を退学になる。児童相談所を経て里親の元に引き取られた頃の彼が望んでいたものは「死」だった。16歳の時に自殺を図るが未遂に終り「死ぬことすらできないのか」と自らを追いつめる一方で、とにかくあと16年生きてみようと心に誓ったという。

 そのころに出会ったのが、全国で初めて高校中退の生徒を受け入れ始めた、北星学園余市高校である。初めはここでも自分の居場所を見つけられなかったが、安達俊子先生と出会ったことが彼を変えた。安達先生は顔に感情が出る「わかりやすい人」だったそうだが、その先生の心が通じたのだろう。義家さんははこの学校に、自らの居場所を見つけていった(義家さんが心を開いたのは、すべてお母さんの年代の人だったそうだ)。卒業後、弁護士を目指し、大学に進学したが卒業を間近に控えたある日、バイクで事故を起こし瀕死の重傷を負う。その時に駆けつけてくれたのが、安達先生だった。「あなたは私の夢なのよ」と言いつつ看病してくれる安達先生を見て、教育の場に身を置くことに決めたという。

 幼い頃から自分の居場所を求めてきた義家さんは、今の子どもたちが帰属意識や尊敬の気持ち、あるいは自尊心を持てない状況が必然だという。「この場所に自分がいてもいいんだ(安全の欲求)」という気持ちが持てて初めて前に動き出せるのに、今の子どもたちはそれが満たされていない。それどころか、もっと基本にある「生存の欲求」さえ満たされていない子どもいる。「こんなくそったれな世の中でも、しがみつきながら生きている子に寄り添っていく」ために「何もないオレでも、信じることはできる」と、日々格闘されている。

 また不登校や高校中退の子どもたちを「むき出しの感受性のままで、今、目の前に起こっていることをすべて受け止めてしまう『真っ当な子どもたち』」と認めている。その上で高校生活を、なぜそうなってしまったのかを追求するよりも、だからどう生きていくのかを考える時間ととらえて、生徒と向き合っている。自らが送った3年間を重ね合わせ、全身全霊で生徒に寄り添っているであろう姿が、話からも感じることができる。

 そして義家さんが一番熱く語った言葉が「教育は原点に戻らなければならない」という言葉だった。かつては「いい学校に進むことが幸せに繋がる」という「神話」があり、「内申書に響くよ」という言葉で子どもをコントロールすることができた。しかし、その神話が崩壊した今は、権威に負った教育ではなく、子どもたちの不安やふるえを押さえる「熱」を持って、「情熱と思い」を込めた教育をしていくべきだと義家さんは言う。「よく暗闇に光を当てることが必要だと言われるが、光は別の影を作り、人はまたそこに逃げ込んでしまう。でも熱は暗闇にも伝わり、熱に触れれば人は自分たちの力ででてくる」と。その言葉に、義家さんの思いが集約されているようだった。

 幼い頃家族の中に居場所を見つけることができなかった義家さんも、結婚し一児の父親になった。立ち会い出産をし、とても感動されたようだ。陣痛と闘う妻の姿を見て、自分が不安で混乱して医師や看護士さんにくってかかったエピソードを交えながら、その感動を語る義家さんに、参加者は笑ったり涙したり。「人は『希望』としてこの世に誕生する。『希望』が人間になるまでを支えるのが教育です」、そういって話を終えた義家さんが退場してもなお拍手は鳴りやまない。参加していたのは1000名あまりで、教職員のみならず保護者も多かったようだ。それぞれの心に、大切なものが刻まれた気がした。

 午後からの「登校拒否・不登校」の分科会は、2人の先生からのレポートを元に意見交流をした。参加者は教職員が多かったが、不登校の子どもを持つ親も多く参加していた。
 最初はある不登校の子どもを、6年間教育相談担当あるいは担任として見守ってきた小学校の先生からのレポだった。子どもが不登校になると、先生は家庭訪問をしようとするが、これが子どもや親にとっては負担になることが多い。なんとか接触を持とうとする先生の気持ちもわかるが、それ以上に大切で、先生にしかできないことは学級づくりである。不登校の子どもが再登校する時に、行きやすい学級づくり。それは他の子どもたちもいやすい場を作ることになる。目先のことにとらわれず、その子どもの状態にあった支援をしていくことが大切だ。
 また2人目のレポートは、進路決定を迎えた中3の担任。どう支援していけばいいのか悩まれているようだ。あまり情報を持たない先生が多いとよく聞くが、この先生はしっかりと支援されている。しかしだからといって子どもが動くわけでもない。こんな時、先生も支えられていないと無力感が強くなる。担任ひとりで抱えない、体制づくりを期待する。
 参加した親も本音の話ができる雰囲気の中で、先生方といい交流ができたのではと思う。こういう機会が多く持てたらいいな、(さくら)




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