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伊勢と渡辺の対話:
その3・山北 紀彦さんのアンケートを読みながら
――(渡辺)山北紀彦さんは、ミュージシャンですよ。伊勢さん。
伊勢達郎:そやね。
──アフリカン・ドラムの奏者。そういう人をこのセミナー(ファシリテーター養成のセミナー)
にひっぱるって、すごい飛んでる感じがします。
伊勢:最初は北海道でライブをみて、その場で仲良くなって、徳島のフリースクールに来て
子どもたちを前にバンバン叩いてもらったりして。
人の中心を揺さぶるものはいろいろあるけど、太鼓にはほかのどれとも、ちょっと違う魅力がある。演奏も素晴らしくて。
──1年目は演奏者として参加していただいたけど、前回・2年目からは、
ゲスト・ファシリテーターの一人として分科会も持ってもらっています。そのココロは?
伊勢:直感的に、山ちゃんはいけるってのがあったんだよ。
──山北さんからの申し出ですか?
伊勢:いや僕から。この人はできるはずだという直感。演奏の素晴らしさもあるけど、
人間としての面白さも大きい。いいドラム奏者ってだけじゃなくて、歌もつくっていて、
それがまた素晴らしい。
そもそも大学では水産学部で学んでたのに、あることからアフリカのセネガルにいって、
ジャンベ(太鼓)に出逢って。日本に帰ってから、大きな丸太を探して自分で太鼓を彫りだして。演奏活動はじめて…。こんな人、めったにおらんよね。
──たしかに!
北海道で太鼓たたきのワークショップをやっているっていうのも、セミナーの
一部をまかせる判断につながってます?
伊勢:少しはね。太鼓叩いている人は、かならずワークショップやってるから。
太鼓をうまく打たせるためのだったり、たたきながら自分を解放させるものだったり。
そういうのもまあ多少はあるけど、それよりは山ちゃんが太鼓を叩きながら感じとってる所で、この人は、みんなとなにかやれるだろうなっていう。根拠ないけど確信はあった。
──ゲストからもらっている事前のアンケートでは、伊勢さんの
インタビューを
どう読んだ?という質問に、「お手本を見せようとしてちょっと間違えちゃったりすると、
かえって場が和んだりするのが面白いですね。そんなときがチャンスなんですね」と
書いてくれました。
伊勢:適当にファシリテートしてるわけじゃなくって、ベストを尽くしてやっている。
わざと間違えようとか、和ませようとしているわけじゃなく、最高のパフォーマンスを
みせようとしてやってながら、いろんなことが起きてしまう。
でもそこで、自分のパフォーマンスに執着しないで、プロセスが運んできた違う
チャンネルに入っていけるかどうか。そこを本当に活かせるかどうかが、
場が意図を超えたものになっていくかどうかの分かれ目だよね。
―― 一生懸命その場にいて、そこから生まれたハプニングやズッコケを、
否定も無視もせずにどう取り扱うか、という姿勢の話ですね?
伊勢:そうそうそう。「そんなときがチャンスなんだ」っていうのは、単純に
「前向きに」とかそういう理解じゃないよね。起きてる事実をそのまま認めて
そこからが面白いっていう目線がある。これは、決定的に大事なことだよ。
このセミナーが意図してる、みんなに伝えたい部分やね。
そういう目をもってないと、状況に応じた対応策を際限なく追っかけてしまって、
セミナーのアリ地獄に陥ってしまうんじゃないかな。
――前回のセミナーでも、山北さんには、その場の助けになるような発言や、
場を和ませるありさまがありましたよね。ほかのゲスト達が夢中で話している時、
ポロッと「僕、全然ついていけません」と言ってくれたり。
そんな言葉がとってもまっすぐに届いてきて、山北さんてすごい人だなと感じました。
伊勢:子どものように純粋な目で、わからんことは「わからん」とちゃんと言えてて。
――去年のセミナーでやり残していることは?の質問には、「ファシリテーターでありながら、
自分も、もっと深く楽しむ」とあります。
伊勢:余分な緊張感や、ついていけなさみたいなものがとれて、
いい意味で楽しみが深まるってのはあるだろうな。
――場づくりの極意は?の質問には、
「場に敬意を持つこと、自分の持っているものを捧げること」と書いています。
伊勢:そういう言葉を口にするミュージシャンである、ということ自体に敬意を持つなぁ。
僕もそうありたい。
最終回のこのセミナーの中で、新曲できないかな? 3日間で。
淡路の国産みの地で、そこのパワーで。
――どうでしょうねー。以前、「完璧によいと思わないと絶対世に出さない」って話していましたよ。
次号(4回目)は、同じくゲストの西村佳哲さんのアンケートを読みながら、
また伊勢達郎と
担当渡辺で語り合います。お楽しみに。