「ツンデレ」概念の射程と限界

0 はじめに

 さわやかな朝の挨拶が、澄みきった青空にこだまするかのように、オタク業界で頻繁に「ツンデレ」という語を耳にするようになった。
 正直、耳障りに覚えるほどだ。
 さらに、私の見るところ、「ツンデレ」概念にはかなりの意味の混乱がある。そのため、「ツンデレ」を巡る対話や論争には、すれ違いが起きやすい。混乱した概念を整理せずに語り合っても、生産性はないだろう。
 ここいらで整理を試みたい。

1 「ツンデレ」属性などは存在しない

 最初に考えておきたいのは、そもそも「ツンデレ」という概念がなにについて適用されるべきものなのか、ということだ。
 「ツンデレ」概念は、多くの場合、「最初はツンツン、惚れたらデレデレ」と定式化されている。さしあたり、これを本来の意味と考えて論を進めよう。
 さて、すぐに気づくことであるが、この概念はシナリオのストーリー展開の一形式を示すものであり、キャラ属性を示すものではない。
 「成長のドラマとヒーローの論理」で指摘したように、キャラ属性として「ツンデレ」を解釈することには、そもそもの初めから無理があるのだ。

2 ストーリー展開の形式としての「ツンデレ」

 「ツンデレ」の基本的な意味が、キャラ属性ではなく、ストーリー展開についての規定にある、ということを押さえよう。
 では、「ツンデレ」展開に対応するキャラ属性はなにか存在するのか。
 私は、存在しない、と考えている。あらゆるキャラ属性について、「ツンデレ」展開は成立しうる。
 たとえば、きゃんでぃそふとの『つよきす』は、「強気っ娘」属性に特化して「ツンデレ」展開を追求した。
 「強気っ娘」キャラが「ツンデレ」展開に親和性をもつ、ということは確かであろう。しかし、誤解しやすいのだが、たんに親和性をもつだけであり、「展開としてのツンデレ」と「キャラ属性としての強気っ娘」は論理的にまったく独立なのである。
 「強気っ娘」属性萌えと、「ツンデレ」展開萌えを混同してはならない。
 よく考えれば、「お話の最初から主人公に相手が全面的な好意をもっているのではない恋愛成就ドラマ」は、すべて広義の「ツンデレ」展開に分類できるはずだ。古典『ときめきメモリアル』なんぞは、幼馴染であってすら「一緒に帰ろうよ」と誘っても「噂されると恥ずかしいから」と断ってくる。『ときメモ』はすべて「ツンデレ」展開だ、と言うことすらできるわけだ。
 つまり、「真正女の子片思い成就系」以外の「彼氏彼女になりました」恋愛ドラマは、いくばくかは「ツンデレ」展開を含むものなのである。「ツンデレ」を展開に特化して解釈すると、ほぼあらゆるキャラ属性について成立するものになるわけだ。(言うまでもないが、ここでは男性主人公異性愛のみを考えている。)

3 「ツンデレ」概念の混乱

 現在、「ツンデレ」という概念はかなり多義的に使われてしまっている。
 第一に、先に指摘した、出発点の意味としての「展開としてのツンデレ」。
 第二に、「ツンデレ」の「ツン」に着目した、「強気っ娘」属性を指す「属性としてのツンデレ」。これは私の考えでは誤用である。「強気っ娘」属性という言葉を使えばそれで済む。
 第三に、未だ「ツン」状態な娘がたまに「デレ」を見せるシチュエーションが萌えるよな、という、「エピソードの類型としてのツンデレ」。
 この三番目の意味でも、よく「ツンデレ」という言葉が使われている。しかし、これは一番目の「ツンデレ」とはまったく別の事柄を指している。
 「ツンデレ」展開のストーリーであっても、「ツンデレ」エピソードが含まれているとは限らない。「ツン」が、ある瞬間から完全に「デレ」るタイプのストーリーであれば、エピソードとしての「ツンデレ」は背後に退くことになるだろう。たとえば、『つよきす』椰子なごみシナリオあたりを参照されたい。逆に、「ツンデレ」展開ではないストーリーにおいて、「ツンデレ」エピソードが成立することもありうるだろう。
 ちなみに、散見される、「ツンデレ」ではなく「ツンツン」が正しい、という主張は、この「エピソードとしてのツンデレ」の重視を「強気っ娘」属性に特化して強調したいのではないか、と私は解釈している。
 現行の「ツンデレ」概念の使用においては、少なくとも以上の三つの意味が混在しているようだ。
 「ツンデレ」を語るときには、展開を言っているのか、キャラ属性を言っているのか、エピソードを言っているのか、はっきりとさせておかなければならないのである。(追記。2006年春現在、なんとなく「ツンデレ」はキャラ属性として定着した感がある。)

4 「まともな恋愛ドラマ」の復権に向けて

 私は、「強気っ娘」が好きであり、「ツンデレ」エピソードも好きである。
 しかし、近年の「ツンデレ」万歳現象の意義は「展開としてのツンデレ」の強調に求められるべきではないか、と考えている。
 「ツンデレ」展開は、少なからぬオタクたちの心を掴んだわけだ。
 それは、これまでのオタク向け萌え狙い駄作がまともに恋愛ドラマを描いてこなかった、描くことができていなかった、その反動が来た、ということではないだろうか。
 「萌えの主観説」などで示したように、「萌え」はエピソード単位で喚起される、というのが私の基本テーゼである。しかるに、萌えるエピソードの多くは、(「ツンデレ」エピソードも含めて)「ツン」が「デレ」っていくなどの一定のドラマの展開過程があってはじめて成立するものなのだ。
 ところが、近年の萌え狙い駄作、抜き用エロ作品には、下品な表現で申し訳ないが、最初から大股を開いて誘ってくるような駄キャラ駄エピソードが多かった。仲良くなる過程のドラマもなにもないわけだ。そんなキャラやエピソードは、やはり魅力に欠けてしまうのだ。
 このことに、やっと萌えオタたちも気づいてきた。そして、やっぱりマトモな恋愛ドラマやラブコメって面白いよな、という揺り返しがきた。
 そこで掲げられたわかりやすい旗印が「ツンデレ」だったのではないか。
 そう考えると、本当に求められているのは「ツンデレ」展開ですらない、ということになる。
 「誰かが誰かと仲良くなる過程をきちんと描くこと」、このことなのである。
 もしこの考えが正しいのであれば、「ツンデレ」展開を強調しすぎるのもよくない、ということになる。「ツン」から「デレ」へ、というのは、「誰かが誰かと仲良くなる過程」をわかりやすく単純化した一パターンでしかないからだ。
 このあたりに昨今の「ツンデレ」マンセー現象の危うさがある。無反省に「ツンデレ」「ツンデレ」とただ叫ぶだけでは、展開の安易な記号化が招来されかねない。それではまったく意味がない。
 「まともな恋愛ドラマ」や「まともなラブコメ」の復権こそを、私は求めたい。

5 おわりに

 私の主張をまとめておこう。
 現在、「ツンデレ」という語には、少なくとも三つの重要な意味がある。
 「展開としてのツンデレ」は、まともな恋愛ドラマの復権、というより広い文脈に回収すべきである。「属性としてのツンデレ」は、誤解を招き易い表現なので、避けるべきである。
 ということで、「ツンデレ」概念は「エピソードとしてのツンデレ」を指示するものとして使っていくのがもっとも生産的ではないだろうか。
 ただし、これは私の勝手な提案にすぎない。
 さしあたって言えるのは、「ツンデレ」という言葉のみ単独で使うのを避け、「ツンデレ展開」や「ツンデレエピソード」といったかたちで、誤解のないように語るべきだ、ということくらいだろうか。

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