対象年齢別ヒーロー論

はじめに

 一つの仮説を立ててみたい。対象年齢によってヒーローの造形の様式が異なっていくのではないか。もちろん、そこには多くの例外があるだろう。また、当然のことながら、よくできてさえいれば、登場ヒーローが対象年齢外の受け手にたいしても、その作品は面白いものとして広く受け入れられることになるだろう。しかし、一般的な傾向としては、ヒーローの造形には対象年齢による違いがたしかに認められるように思われるのである。

1 対象年齢別ヒーローの五類型

 以下では、ヒーローに五つの造形の方向性を区別してみたい。対象年齢が若い順に、幼児向けヒーロー、子ども向けヒーロー、学生向けヒーロー、社会人向けヒーロー、中高年向けヒーローと名づけておこう。順に説明していきたい。

・幼児向けヒーロー

 幼児向けヒーローの造形は、幼児自身の視点ではなく親の視点によって規定される。すなわち、親が我が子に望むような理想的な人間の姿がそのままヒーローの造形に移しこまれるのである。たとえば、素直で明朗で誠実で、云々といったような徳目が盛り込まれるというわけだ。幼児はそれを与えられるまま受け入れる。しかし、少し成長してくると、親に与えられるそのようなヒーローには満足できなくなる。次の段階、子ども向けヒーローへの移行である。

・子ども向けヒーロー

 子ども向けヒーローは、子どもが素直にカッコいいと思うような造形となる。子どもは複雑なことを考えないので、それでよい。強く逞しく勇敢であるようなヒーローをそのまま受け入れて楽しむのがこの段階である。しかし、思春期あたりにさしかかり、受け手に自我が芽生えてくると、ヒーローにもそれに見合った複雑さが要求されてくるようになる。そこで、学生向けヒーローが登場する。

・学生向けヒーロー

 学生は自らの才能を努力して開花させよ、という圧力を常日頃から親や学校からかけられている。これは実にウザったらしいものである。そのため、学生向けヒーローは、努力アンチな造形になる。天賦の才をもっていたり、偶然素晴らしい力を手にしたり、といったヒーローの対象年齢はここになる。つまり、学生向けヒーローの特徴は、その能力の起源をどう設定するかに見いだされるのである。さて、このような造形が好まれるのは基本的には社会に出る以前、モラトリアムの段階においてである。親や学校の庇護から離れ、社会と直接に向き合うようになると、求められるヒーローの造形は、社会人向けのものへと移行することになる。

・社会人向けヒーロー

 社会人は組織に属してそのなかで労働しなければ生活できない。これまた楽しいことではない。そのため、社会人向けヒーローは組織アンチな造形になる。マルクス先生などに言わせれば、資本主義のシステムから脱出しないと結局は搾取の網の中、なのかもしれないが、とりあえずそういう難しい話はいい。とりあえず、今自分を拘束している具体的な組織のしがらみの外部で生きてみたい、というわけだ。かくして、誰にも頼らぬ一匹狼とか、組織のなかでのはみだし者とかいったヒーローが登場することになる。しかし、組織が嫌だ嫌だと言っていられるのは、それでも組織のなかになんらかの居場所があるあいだだけである。もっと年齢を重ねると、もう組織だなんだということはどうでもよくなる。中高年向けヒーローに話を移そう。

・中高年向けヒーロー

 中高年になると、自分が取り仕切っていた仕事がだんだん若い人間の管轄に移っていくことになる。これは愉快なことではない。そのため、中高年向けヒーローは若者アンチな造形になる。豊かな経験をもって若者たちの鼻を明かしたり、若者たちの危機を救ってあげたりすることが、この系統のヒーローの中心的な売りになるわけだ。中高年向けヒーローから先の展開は、まだ人生経験的に未熟な私にはよくわからない。なにかもっと別の段階が開けたりするのであろうか。

2 この区別からの諸洞察

 では、このような区別にもとづくことで、たとえばどのようなことが言えるようになるのか。いくつか気づいた点をメモ風に記しておきたい。

・幼児向けから子ども向けにかけて

 幼児向けヒーローの典型として私が考えていたのは、『アンパンマン』であった。しかし、このあたりの実情はもっと複雑であるはずだ。たとえば、そもそも「ヒーロー」ということでなにを指しているのか、『ドラえもん』はどうなるのか、『クレヨンしんちゃん』はどうなるのか、かつての修身の教科書みたいなヒーローはあまりいないのではないか、などと問われると、ちょっと返答に詰まってしまう。このあたり、子どもをもっている友人にでも訊いてみたいものである。

・少年漫画

 週刊少年ジャンプにおける現行のヒーロー造形は、子ども向けと学生向けの混交からなっているのではないか。最近ちゃんと読んでいないのであまり自信はないが。劇画の名残りがあったくらいの昔は、社会人向けのノリもあったようにも思う。

・仮面ライダー

 基本的には、昭和ライダーは幼児向けから子ども向けの造形であり、平成ライダーは子ども向けから学生向けの造形である。しかし、一部のライダーで強調されている、異形の姿に超常の力、社会から切り離されてたった一人で戦う孤高の戦士、というところに注目すると、社会人向けヒーローとしても解釈できてしまうところが面白い。大きなお友だちにたいしてもこのような受容の可能性を開いているところが、仮面ライダーが世代を超えて愛される理由の一つなのではないか。ちなみに、左翔太郎は私立探偵として明確に社会人向けヒーローの要素をももつが、あくまで「ハーフ」ボイルドなのでそれほど押しは強くない。

・イタさは中二病ヒーローの専売特許ではない

 上記五つのヒーローの造形は、どれもその年齢特有の欲望がダダ漏れしているものであり、端的に言えばイタいものである。ところが、学生向けヒーローだけがとくに中二病的と呼ばれてそのイタさを問題視される。それは、ちょうど学生向けヒーローに向かう年齢あたりに、同時に、ヒーローなんか下らないや、という伊集院光式の中二病が発症するからであろう。そのために、そのイタさに注目が集まってしまうのである。実際には、シルヴェスター・スタローンがフルパワーでカッコつけた『コブラ』のマリオン・コブレッティは実にイタい社会人ヒーローであるし、池波正太郎『剣客商売』の秋山小兵衛も、若い者より喧嘩が強くて権力にコネがあって二番目の嫁は若くて美食が趣味で子どもには尊敬されて、というような中高年の理想と妄想の塊であるわけで、実にイタい中高年向けヒーローなのである。学生向けヒーローだけにイタさがあるわけではないのだ。

・池波正太郎

 ついでに付け加えておけば、これまで私は、秋山小兵衛は権力サイドとベッタリすぎやしないか、とちょっと思っていたのであるが、どうやらこういった読み方は適切ではなかったようだ。中高年向けヒーローに社会人向けヒーローの論理を押しつけてしまっていたのである。中高年向けヒーローは、とりたてて組織アンチな造形である必要はないのである。

・ヤンキーもの

 ヤンキーもの不良ものは、学生を描いているにもかかわらず、社会人向けヒーローの形式をもっているようだ。学校もまた一つの組織である、ということは、ドロップアウトの可能性を思い浮かべたときにはじめて実感されるのである。このようなズレは興味深い。

・残念系性格属性におけるドロップアウト

 いや、学生におけるドロップアウトならば、ぼっちや中二病の場合でも生じているはずではないか、と思われるかもしれない。しかし、このような残念系性格属性については、やはり事情が異なるように思われる(この表現については「残念系性格属性の由来」を参照)。ヤンキーものや不良ものの場合は、ドロップアウトした先に、組織(学校)のうちでのものとはまったく別の生きかたや価値観の可能性が広がっていて、ヒーローはそこで活躍することになる。しかし、平坂読『僕は友達が少ない』や渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』あたりを読むかぎりでは、残念系性格属性をもつキャラたちは、組織には馴染めないが、あくまで組織のなかでなんとか生きていこうとしている。その意味では、組織アンチではないのである。

・オタク向けと社会人向けの相性

 現在のオタク文化、とりわけアニメとライトノベルは、基本的に学生向けヒーローで止まるようになっていて、あまり社会人向けヒーローに向かわない。アニメだと『DARKER THAN BLACK』や『UN-GO』などがそれに当たるだろうか。それほど多くはない。購買力のある社会人オタクがこういった業界を支えているのだとしたら、これはなぜだろうか。よくわからない。

・ヒーロー造形の生態学的棲みわけ

 とりあえず、各々のヒーロー造形がジャンルごとに生態学的な棲みわけをしている、ということは言えそうである。少年漫画、オタ向け漫画、アニメ、ラノベあたりが、子ども向けヒーローや学生向けヒーローの生息地。青年漫画、劇画、映画、ドラマ、一般娯楽小説が、社会人向けヒーローや中高年向けヒーローの生息地。各々のヒーロー造形は媒体ごとに生息地を分け合っていて、特別の事情がないかぎり、他種の領域を侵犯しない。なぜならば、いろいろと先行作品の蓄積があるぶん、旧来の生息地で繁殖したほうが効率がいいからである。さらに、受け手のほうもまた、こういう造形のヒーローを楽しみたい、となったときには、作品をその一般的な生息地で探すようになるはずなので、そこで作品をつくったほうが受け入れられやすい、ということもあるだろう。このようなかたちで、より棲みわけの度合いは強くなっていく、というわけだ。

・組織依存系属性再論

 かつて私は、オタク向け作品における組織の描きかたの拙さについて考察した(「組織依存系属性の論理」を参照)。その議論に論点を追加したい。オタク向け作品に多い学生向けヒーローの成り立ちには、そもそも組織への言及が不要である。それにもかかわらず、組織との緊張関係を要求される社会人向けヒーローと対象年齢的に連続しているので、相互に比較されやすい。それゆえに、オタク向け作品における組織の描きかたは、下手なものになりやすく、また、その下手さが目立ってしまうのである。

・ハリウッドのヒーローたち

 ハリウッドのアクション俳優たちのキャリアを眺めてみると、自分の年齢の重ねぐあいとともに、社会人向けヒーローから中高年向けヒーローに自らのキャラクターを転換させて生き残っている人が多いように思われる。典型として私が思い浮かべるのはブルース・ウィリスである。『ダイ・ハード』は社会人向けヒーローものであったが、シリーズも回を重ねて『ダイ・ハード4』になると、ジョン・マクレーンは中高年向けヒーローになっているのである。

おわりに

 このテキストはウェブログに挙げたメモを練りなおしたものである。有益なコメントをいただいたmaruriさんに感謝したい。ありがとうございました。

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