組織依存系属性の論理

組織依存系属性とはなにか

 キャラクターの個性を構成する属性にはさまざまな種類があるが、一定の論理に従って分類することができる。本稿で考察の対象とするのは、ある社会組織の存在を前提にした属性である。

 具体例としては、教師属性、医師属性、軍人属性、会社員属性、警察官属性、神父属性などが挙げられるだろう。こういった属性は、そのキャラが一定の社会組織に所属することにおいて成立するものである。たとえば教師属性は、国家の教育制度、そして、なんらかの学校組織があってはじめて成立するものである。医師なら病院、軍人なら軍隊、会社員なら会社、警察官なら警察、神父なら教会といった具合に、それぞれについて前提となる組織があるわけだ。これらの属性はすべて組織の一員としての属性なのであり、組織なくしては存在しえないものである。これらをまとめて組織依存系属性と呼んでおこう。

 当然のことながら、組織依存系属性以外にも属性はある。たとえば、眼鏡属性、姉属性、ポニテ属性、貧乳属性、ツンデレ属性、これらはどれも社会組織とは無関係に成立する属性である。組織依存系属性は一定の特殊な属性カテゴリーを形成するのである。

オタク系作品における社会組織の描写

 ところで、しばしばオタク系の作品について、社会組織の描写の不正確さが問題になる。

 よく指摘されるのが軍隊である。軍人キャラが登場する作品は少なくないが、そういった作品にたいして、あんな軍隊はありえない、軍人にはあんな行動は許されない、といったような批判がよくなされる。最近の作品としては、『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』などを思い起こされたい。軍人を出しておいて、軍隊の論理がまったくわかっていないではないか、というわけだ。

 しかしである。よく見てみれば、おかしいのは軍隊だけではない。実は、オタク系作品においては、ありとあらゆる社会組織の描き方がおかしい、とさえ言えるのである。

 たとえば、オタク系作品における政府には変なものが多い。官僚キャラ、大臣キャラなどが出てきても、その振る舞いはリアリティを欠いたなんとも奇妙なものばかりだったりする。行政組織や官僚組織のありかたについて、なにひとつ現実が反映されていないのだ。オタク系の作品における企業もまた実に変なものばかりだ。社長キャラ、社員キャラなどが登場しても、その振る舞いは違和感を感じるものばかり。資本主義制度のもとでの企業としては、ありえないような描写が多い。

 さらに、オタク系の作品に定番の社会組織、学校にかんしてもまた、おかしな描写ばかりがなされている。現代社会における教育という観点からしても、経営という観点からしても、ありえないような学校のオンパレード。その他にも、病院、警察、宗教団体、なんでもよい、どれをとっても変な描写をいくらでも見つけることが可能である。

 言うまでもないことだが、もちろんこれは、虚構として意図的に現実とは異なる描写をしている、ということではない。意図せずにおかしな描写になってしまっているのである。SF的に設定が改変されているというわけではなく、根本的にデッサンが狂ってしまっているのである。

 そして、さらに不思議なのは、ほとんどの場合、オタクがこういったおかしな描写に異議申し立てをしない、ということだ。そのものがマニアックな執着の対象になりやすい軍隊を例外として、たいがいの珍描写はスルーされるのである。では、どうしてこんなことになるのだろうか。

組織依存系属性の実際の使われ方

 ここで、組織依存系属性に着目してみたい。

 組織依存系属性の実際の使われ方を観察してみると、興味深い点に気づく。オタク系作品において、組織依存系属性は、前提たる組織の描写なしに使用されている場合が多いのである。保険医キャラ、シスターキャラ、士官学校教官キャラなどを、その所属している組織についての具体的な描写をほとんどせずに登場させることがまかりとおっているのが実情なのだ。

 つまり、オタク系の作品は、理論的には組織に由来するはずの属性を、実際上は組織を媒介せずに、キャラに付与することができるのである。

 理屈からすれば、これはありえない。軍隊なしの軍人、政府なしの役人など存在しえないはずだから。では、ここではなにが起こっているのだろうか。

 私が考えるに、オタクは、過去のオタク系作品の伝統から蓄積されてきた、「軍人ってこういうものでしょ」「役人ってこういうものでしょ」という属性イメージを手がかりにして、軍隊なしの軍人属性、政府なしの役人属性を構成することができるのである。つまり、軍隊なしに軍人キャラを、政府なしに役人キャラを理解できてしまうのだ。オタク系作品は、オタクのもつこの能力を利用していると考えられる。属性イメージさえ押さえておけば、組織の描写がなくても、組織依存系属性はオタクにたいして通用してしまうのである。

 属性イメージを支える要素としては、コスチューム、口調、態度などが挙げられるだろう。こういった要素が揃っていれば、キャラは「それっぽく」見える。そして、「それっぽく」見えれば娯楽作品の話を進めるためには十分であったりするのだ。メイド服を着ていて丁寧な口調や振る舞いをしていれば、別にどこのお屋敷に勤めているわけでなくともメイドに見えてしまうのであり、さしあたり受け手の側もそれをメイドと見なしてやればいいではないか、というようなことだ。こういうわけで、オタク系作品では、コスプレ古参兵、コスプレ看護師、コスプレ大学教授が、それぞれ本物の古参兵、看護師、大学教授として通用してしまうことになるのである。

なぜ社会組織の描写が変になるのか

 このように、組織の描写を抜きにして組織依存系属性を構成できるがゆえに、オタク系の作品においては、社会組織の描写が危ういものになりがちなのであろう。組織について下調べしたり設定を練りあげたりすることなしに、組織依存系属性キャラはつくられる。しかし、話を進めていくうちに、やはりどこかにボロが出て、コスプレっぽい雰囲気が漂ってきてしまう。その段になって、あわてて背後の組織について辻褄の合った描写を補完しようとしても、もう遅い。骨格のレベルでデッサンの狂ったものにしかならない、というわけだ。

 このような事態は、オタク系作品に限らず、一般向けの刑事ドラマやらヤクザ映画やらなにやらにも生じうることであろう。しかし、キャラクター先行、属性先行の度合いが強いオタク系作品にとって、とりわけ目立つ現象となっている、と考えられる。

 最後に強調しておきたいのは、ここから、きちんと組織の描写を固めてから組織依存系属性を使うべきだ、という結論を導くべきではない、ということだ。

 もちろん一般的に描写が精確であるにこしたことはないのだが、下調べをしたり設定を練ったりすることに一定のコストがかかることを忘れてはならない。娯楽作品においては、枝葉末節の描写の精確さよりも優先させるべき要素がいくらでもあるはずだ。資金にしろ時間にしろ労力にしろ、作品制作におけるコストには限界があるのだから、組織依存系属性については属性イメージに頼って簡便に構成してしまう、という方針も、一定の合理性をもちうる。これを忘れて描写の珍妙さに必要以上にこだわって叩くのは、批評として生産性がないのではないか、と私は考える。

追記

 一点、注意をしておきたい。現実との比較で描写がリアリティに欠ける、という論点と、娯楽作品としてジャンルのポテンシャルを生かし切っていない、という論点とは、別のことであるので、区別が必要であろう。本稿ではおもに前者の論点を扱っている。先立つ拙稿「『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』、ジャンル、萌え軍隊モノ」で扱ったのは、後者の論点である。

 ある娯楽作品を批判するロジックとして、一般的に、前者は不適切であるが、後者は適切である、と私は考えている。たとえば、ある軍隊モノ娯楽作品について、「その描写は現実の軍隊とは違う」という批判は非生産的であるが、「その描写は軍隊モノの醍醐味を損なっている」という批判は生産的である、ということだ。このあたり、実際に作品について語る場合には、ついつい混同しがちなので注意すべきであろう。

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