奥山順市の<映画組成計画>

セルロイドからの流れを保ちながら、宿命的な傷つきやすさ、脆さ、を堂々と秘めている映画フィルムへの熱い思いをせつせつと語った<映画解体計画> (1968〜72年)を総括した結果、<映画組成計画> が生まれた。ライヴの要素を極力排除し、一本の完成された作品作りを目指したのである。1975年の実験映画「Le cinema」(映画) 以降の作品は、全てこの計画に基づいている。

 

 

 

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