「伝統的社会秩序が壊れ、個々の自由が当たり前となった最近の日本人」といった新聞の社説などを読むとき、「だからこそお寺が必要」と私は勇気と励ましそして本佛寺の方向性を教示されているよう思えてなりません。 本日の議題1.御会式2.励光閣3.行事予定などは、毎年この総会で題材としている重要な事柄ですが、すべては核家族化した現代に対応するため推進していることでございます。かつては出稼ぎとして田舎から都会へと期限付きでの移動が、今では地域を離れ永久的な住居を構えての新しい家族形成が主流となり、田舎の事を「実家」と謳い、分家していく家族が大変多くなりました。田舎の山寺である本佛寺はこの現象の渦中にあり、止めることも否定する事も出来ず、当然として「ではガンバッテ下さい」と檀家のご家族を送り出して参りました。しかしながら近年面白い事が起こり出したのです。都心に住む方からのお手紙や参詣を頂きだしたのです。想像の域を超えませんが、もしかすると人心が枯渇しつつある都会に生きておられるからなのでしょうか、何故か御先祖への想いと菩提寺を望郷されてのタヨリが多くあります。また住所は東京や大阪であっても自分は本佛寺に送って欲しい、筑後川の潺を聞きながら法華経に守られたいとのお電話等あります。私はこれらをうけ、「だから必要」との結を申し上げたのです。「まだまだ日本人としての誇りの因縁は健在だ」との核心のようなものをこの度々の現象を得て感じているのです。これは新聞やメディアではあまり伝えられていませんが、実はお寺に対する想いは日本人の誠の心なのです。整合に関しては法話で示しますが、殊に皆様に護持して頂いている本佛寺霊場は代々棲神の住処なのです。 此度「御会式」が題目講の歴史を経て「うきは市の後援」を得ました。また「励光閣」は尊い浄財を頂戴しながら「完全木造建築」をまもなく達成します。「行事」も皆様の啓発を忝なくし順次推進中であります。本佛寺の方向は一つです。それは「誰もがいつでもいつまでも参詣出来、法華経の経声に包まれた寺」です。これには議事で難しい懇願を致しますがインフラ等の整備が不可欠は勿論の事、懈怠無き僧侶や職員の努力に尽きます。特に私達僧侶は読経を切らしてはなりませんし法華経研鑽を止めてもいけません。その位置に立ちしっかりと眼光を開き精進して参る所存でございますので、今後もご理解ご鞭撻を宜しくお願い申し上げまして、ご挨拶に返させて頂きます。本日はお忙しい中当会にご参集下さいまして誠にありがとうございました。終わりに皆様のご健勝をお祈り致します。合掌 山首 佐野前延 |
司会進行 南爲三郎様 一、お題目三唱 一、開会の辞 南 爲三郎様 一、総代挨拶 神代啓司様 安川重徳様 一、住職挨拶 一、議 事 一、御会式について 山首 一、励光閣について 立石総代 一、米・麦初穂報告 山首 一、 境内整備報告 山首 一、今後予定(正月・寒行・二月一日総会) 一、新規檀家紹介 一、法話 一、閉会の辞 南総代 お題目三唱
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万灯提燈行列教箋 今年も秋の風物詩として歩いております。毎年のご理解に感謝申し上げます。 さて、「恥の文化」という表現で日本の精神構造を喩えた造語があります。もう四十年程前から揶揄として西洋人に使われているようですが、この語が示す恥には「外観に対しての恥」「周囲と比較しての恥」といった世間体を気にするからこそ存在するものであるから、諸外国殊に欧米にはあまりないとされています。日本人は古くから近所付き合いによる互助、家督継承による家訓制度などを大切にしてきました。そこに「近所の恥になる」などの考えが定着していったとされています。つまり法によらず自分を律することが出来、道徳を重んじる文化の事です。先祖への感謝や信仰表現による祭事などもそこを原点としていますが、現在その情思が消えつつあるためコニュティーが崩れかけているように思えます。市場主義の善し悪しは別としても、精神まで欧米化する事は寂しいことです。この「御会式」が伝統を柱とし、地域に支えられて遂行しているお祭りであることは周知の通りです。今年完成した「吉井町白壁交流広場」を集合地点として、うきは市と共に歩を運ぶことに専念している提燈行列に、辞書の「恥」はなく、大切なものを守り続けるという「文化に生きる姿勢」と受け止めて頂き、変わらぬ声援をお願い致します。それを佛教の「縁起」と捉えているのが私たち行列参加者の本心であり「苦」の生き様なのです。合掌をありがとうございました。 合掌 平成二十年十月 西身延 本 佛 寺 |