Deleuze & Guattari "Mille Plateaux":ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』

12. 1227年―遊牧論あるいは戦争機械

pp.464~: 物質-流れ,戦争機械

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報告: 2005/07/21

今回は,これまでの物質の問題が,それを扱う人間の問題へと移行し,鍛冶師と定住民,遊牧民との差異が,多孔空間と,条里空間,平滑空間との差異として語られました。

pp.464(最終行)-471では,物体を「形相-質料」モデルではなく「物質-流れ」モデルで捉える先駆的な例として冶金術が取り上げられ、またそれを操る鍛冶師が、定住民とも遊牧民とも異なり、それらを媒介する中間的な存在であることが指摘されていました。鍛冶師の住みつく「多孔空間」も同様に、「条里空間」と「平滑空間」のいわばあいだに位置するものとして描かれていました。

前々回と同じく、実際に金属と付き合ってこられた真鍋さんのお話が、抽象的な議論に具体性を与えてくれたと思います。また、走り書きのメモには「画材」とあるので、オオシカさんからそのようなお話があったのかもしれません。

pp.471-478では,戦争機械は必ずしも戦争を目標としない,という刺激的なテーゼのもと,次のプラトー(「捕獲装置」)への助走として,戦争機械と国家装置の連関が分析されます。「戦争機械は必ずしも戦争を目標としない」というテーゼの下、まず、ゲリラを例として、戦争に必ずしも「戦闘」が付随するわけではないこと、また、戦争機械は、平滑空間を占拠するにあたって、国家装置が障害となるときにのみそれを殲滅すること、などが述べられていました。確かこの範囲は駆け足で見ていったため、あまり深い議論はなかったように記憶しています。

ちなみに,文中に出てくる「目標objet(対象)」と「目的but(目標)」は,おそらくフロイトの理論,特に「性欲論3篇」を下敷きにしていますので,興味のある方はご一読を(精神分析では僕が括弧内に記した訳語が定訳になっています。全く逆になっているのでご注意を)。こちらの「エロス論集」に入っています。 ――大久保

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