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G. ドゥルーズ&F. ガタリ『千のプラトー』読書会

『千のプラトー』解題へ

4. 1923年11月20日――言語学の公準: pp.106~

報告: 2003/05/29

身体・言表相互のアレンジメントの相互介入,超線形性,逃走線といったことが議論になりました。

リゾームのイメージが若干不確定なのですが,固い線形的な図式(例えば建築では都市構造をグラフで表現するのですが,凱旋門を始め特異点から放射状に道が延びてゆくパリや,駅を中心に運河が幾重にも巡るアムステルダム,皇居という余白を中心に環状に都市が囲む東京,といった「結び目」と「経路」だけで場所の構造の特異性を表現したようなもの)ではなく,ネットワーク自体が動的な性格を帯び,異なるネットワークの系と触発しあうようなものをリゾームと呼べるのではないでしょうか。

資本という抽象機械の海に浮かぶ都市というリゾーム/島。島相互間の交通。世界システム(?)の中で相互に影響を及ぼしあい,それ自体性格を変え続ける都市というリゾーム。あるいは潮の流れが変わり,重心の変化とともに明滅する系。

私はそのようにリゾームあるいは超線形性を捉えています。

逃走線はリゾームが得てして地層化,あるいはブラックホール(全体主義化)に陥没することを回避するような作用かもしれません。資本主義は原則的に神経症ですが,それでも分裂症を回収しながら生き長らえるというアンチ・エディプスの主張を思い出します。地方が中央に従属して条里化されてきた中で今後どのように逃走線を引いて特異性/リゾームを活性化させるかといった問題があります。また時間―空間においても同様の問題があります。

また,アレンジメント相互の介入といった点で前回レポートした「秋葉原」を再構成しました(下からダウンロードできます)。身体/機械状アレンジメントの系として家電製品を始めとする秋葉原と,もはや「戦後ではない」高度経済成長期の言表/集団的アレンジメントが四価性によって介入し合うこと,日付を有することといった先日の議題の参考にでもなればと思います。個人的には先述のグラフとアレンジメントの四価性によって都市なり場所なりの形成を把握する方法を見出したように思います。(さらにバージョンアップに励みますが)

余談ですがロラン・バルトが日本の歌舞伎の女形を評して「女性という形態ではなく,女性という表徴がある」と指摘したとき,無論役者は男ですが,その皮膚の上に帯電した「女性」的諸作為―声の絞り方,腰の落とし方,視線の移ろい,かなり紋切り型ですが―のネットワークを指摘し,その部分ではなく,あくまでネットワークとして評している点を思い出しました。リゾームは非対称的な力相互の触発関係の中で動的なネットワークを生み,それ自体が特異性の表現ですが,差異はあるものの表徴とリゾームは似た位相にあるものと感じました。バルトは肉ではなく表徴に欲望を覚えるという倒錯が常にあります。 ――真鍋

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