被爆60年・戦後60年をふりかえって
—日本・アジア・世界のこれまで・これから─ Page.1

2006.07.07

*この文章は、2005年12月11日(日)午後に長崎県教育文化会館で開催された長崎総合科学大学長崎平和文化研究所主催の平和文化講演会における私のお話しを、主催者が録音し、文章化してくださったものです。小見出しは、当日のレジュメを参考に主催者で付けてくださいました。当日配布したレジュメと講演後の質疑応答記録もあわせて収録してくださいましたので、ここでもそのまま掲載します。時期的には半年以上も前のものですし、内容的にもこのコラムで随時述べてきたことの繰り返しなのですが、被爆・戦後60年という節目の年の最後に長崎でお話ししたこととして、記録に残しておきたく、あえてコラムに掲載する次第です(2006年7月7日記)。

はじめに

みなさん、こんにちは。浅井でございます。私は今年(2005年)の4月に広島の平和研究所に赴任しまして、まだヒロシマ1年生で、一生懸命勉強している最中ですので、みなさまに対して生意気なことを申し上げるような知識も考え方もまだ成熟していないということを始めにお断りしておきたいと思います。他方、大げさな言い方だと思われるかも知れませんが、21世紀を迎えてこれから人類社会がどこに向かって進むのかが非常に深刻に問われなければならない時代であるとも言えます。21世紀に入ってすでに5年が経ったわけですけれども、今日の国際情勢をどのように見るのかということについてすら、みんなが共通してうなずくような認識が生まれるにいたっていません。

今日お配りしている資料の中に「戦後60年における国際情勢認識への視点」というのがあります。これは歴史教育者協議会(歴教協)年報に、この問題について文章を書いてみないかというお誘いを受けて、一生懸命考えて書いたものです。これを元にしてレジュメの「国際情勢認識のあり方」という問題について触れてみたいと思います。私の考えの中には国際情勢認識がしっかりしていないとこれからの展望を考える素地・基本ができてこない、ということがあります。そういう意味で、この21世紀国際社会、20世紀から現在にいたる状況をどのように認識するかが大きなポイントになると思います。このことがなぜ大事かと言いますと、みなさんもご記憶の2001年9・11事件以来、アメリカ・ブッシュ政権は、今の時代はテロとの闘いが基本的な課題になったと一方的に宣言して、ご承知のようにアフガニスタン、イラクとの戦争に、言わばうつつをぬかしてきたという状況があります。日本国内におきましては、いかにも21世紀はテロとの闘いの時代であるという考え方がアメリカからの直輸入によってかなりみんなの認識を縛っているということがあると思います。しかし私は、これに対しては根本的に非常に疑問があります。このテロとの闘いというのは確かに今日私たちが直面しなければならない重要な課題の一つではあるけれども、このテロとの闘いが国際情勢認識の出発点あるいは中心内容をなすというのはとんでもないことである、という気持ちが私には非常に強くあります。従いまして私は20世紀国際社会あるいは20世紀までの人類の歴史の足取りを踏まえて、何が達成されたのか、そして今何が課題になろうとしているのかをまず「21世紀国際社会の展望」の部分で触れたいと思います。このような大きな枠組みを設定した上で「核兵器廃絶の展望」という問題について考えてみます。この点につきましては、広島滞在8カ月の間に浮かんできた私の問題意識を整理してみなさまにお示しし、忌憚のないご批判・ご意見をいただけましたらありがたいと思っております。同時に「核廃絶を目指す立場にとっての課題」では、特に日本の核廃絶運動を私が今まで見てきた延長線上で膨らんできた意識、2つの問題点、核廃絶の問題と戦争一般の問題とをどう認識づけるかという課題、平和憲法と核廃絶という課題、これらをいかに位置づけるかについて今の段階での私の考え方をご説明したいと思います。以上が今日お話しようと思っていることです。それに加えて「被爆60年の日本・日本人について改めて考えること」というところでは、今の日本社会・日本人がかかえている問題について触れたいと思います。これは私が広島に来る前から考えていることなのですけれども、特に被爆60年を今過ぎようとしている私たちが、今後、国際社会とかかわっていく上で、どういう認識を持ち、どのような物事の見方をすることが求められているのかについて、私が常日頃考えていることを時間があれば申し上げたいということでレジュメに加えています。これが今日のレジュメの構成です。それでは最初から順を追ってお話していきたいと思います。

Ⅰ 国際情勢認識のあり方

1.2006年にかけて国際情勢
(1)最大の不確定要因としてのブッシュ政権

まず国際情勢認識のあり方ということですが、21世紀の国際社会の展望を見る前に、この2006年にかけて国際情勢がどう動くかについて簡単に触れておいた方が良いかなと思って二つの問題を抜き出してみました。一つは国際情勢全般に影響を与える要素としてブッシュ政権がどうなるのか、ということです。それからもう一つは、被爆60年ということで、特に核にかかわる国際的問題について整理をしてみたいと思います。特に詳しく申し上げるつもりはありませんが、ここでは2006年にかけてこれから世の中がどうなっていくのかについて一通りの整理をしてみます。

まずブッシュ政権がどうなるのかということです。2001年にブッシュ政権が発足してからこの5年間、本当に世界はこのブッシュ政権に振り回されてきた。みなさんも同じ認識を持たれているのではないかと思います。それが故に、ブッシュ政権が2006年も引き続きがんばるのか、それともあまり動きがとれない状況に追い込まれるのかによって、かなり国際情勢全般が大きく影響を受けるだろうという気持ちが私の中にあります。結論から申しますと、ブッシュ政権が生きるか死ぬか、死に体になるか否かという決め手は、やはりイラク情勢だろうと思います。イラクの現状はかなり厳しいものがあって、それがためにブッシュ大統領に対する支持率も、いまや世論調査のあるものによっては36%という低迷ぶりになっています。この36%という数字がどのようなことを意味しているか、一つの分かりやすい例をお話します。1960年代のベトナム戦争当時、このベトナム戦争を指導していたのはアメリカ・ジョンソン大統領です。ジョンソン大統領は二期目の再選を目指して運動をしている最中に、このベトナム戦争の泥沼化がおこり、彼の人気は急失墜しました。このときの彼に対する支持率が36%であったのです。その結果、彼は大統領再選の活動を断念せざる得なくなりました。この支持率36%というのは、それほど惨い数字なのです。要するに現に死に体に限りなく近い数字にブッシュ大統領は追い込まれているということです。ただしジョンソンとブッシュの違うところは、ブッシュはすでに二期目であるということで、アメリカの憲法上もはや三選はあり得ない仕組みになっていますから、そういう意味でのブッシュの再選ということはない。ただまだブッシュの任期は残り2年以上あるわけですから、この間に一体どうなるのか、何か動きがとれるのか、国民に見放されて何もできなくなるということもあり得るわけです。よく英語でlame duck(役立たず、ダメな奴の意) と言いますけれども、そういう状況にブッシュ政権が追い込まれる可能性が私はかなりあるのではないかと思っております。

イラク戦争が始まった頃は、現地からの報道があり、生々しい映像を通じてかなり私たちにも届いていましたので、私たちもイラクの戦況の深刻さというものを感じとる手がかりがありました。けれども、お気づきかどうかわかりませんが、最近はそういう生々しい映像がほとんど流れてこなくなっている現状があります。特に日本の報道機関はNHKを除いては、一人も特派員を出していないということもあって、本当に現地の情報はアメリカがかなりスクリーンしたものしか入ってこない。ですから私たちにはイラクの実態が非常に不明確になっています。しかし数字は誤魔化せないもので、いまやアメリカ兵の死亡者は2100人を超え、着実に増えています。そういうことから見ても、現地の情勢は非常に厳しいということははっきりしています。またアメリカに追随してイラクに派兵した30数カ国のうちの3分の1は、すでにイラクから撤収してしまいました。さらに言えば最近のニュースでご覧になったかと思いますが、あのアメリカ追随の小泉氏ですら、もうイラク撤兵の可能性を言わなければならなくなっている。そういう状況がイラクにあるということです。ですからこのブッシュ政権の将来はかなり暗いものであり、彼が痛ましいことをする可能性はかなり薄れてきていると思います。しかもブッシュに影響力のあったネオコンと言われる超保守主義者の勢力、その代表はチェイニー副大統領でありますけれども、チェイニーも非常に個人的な問題がいろいろ暴露されて動きがとれなくなっています。2006年はアメリカ議会の中間選挙の年です。今の感じでいくと、民主党がかなり勢力を盛り返すのではないかと言われるような状況になっています。これらを総じて考えますと、この2006年から2008年にかけてのブッシュ政権というのは、第一期の2001年から2004年までのあの勇ましいブッシュ政治のように国際的に羽振りをきかせることはかなり考えにくい状況になってきているだろうと思います。一言加えれば、そのブッシュ大統領に影になり日向になって付き従ってきた小泉首相も来年で任期が終わりますので、日本がこの後アメリカとどうつきあうのかという問題も大きく問われることになります。本来、今までが問われていなければならないのですけれども、小泉氏のあの一流のやり方に、私たちは何か目眩ましを受けた感じになって批判力が鈍っているわけですが、もう少し世の中が見やすくなってくるという感じもあると思います。

(2)核にかかわる問題

それから核にかかわる問題に関してもレジュメにNPT再検討会議の行方、6カ国協議の行方、イランの核開発問題、台湾問題と中国の核戦力増強、「死に体」・ブッシュ政権でアメリカの核政策はどうなるのか、という5つの大きな問題をあげています。すべてにおいて一つ一つ申し上げることは時間的に無理ですので、NPT再検討会議についてだけ少し言及いたします。この2005年に行われた核拡散防止条約の再検討会議がニューヨークで挫折したことは、記憶に新しいところです。このことで非常に悲観的な見方が流れていますが、私個人は必ずしもそうは思っておりません。と言いますのは、ブッシュ政権の下、NPTに対するアメリカの政策というのは、非常にはっきりしていたわけですから、あのような結果になるということは当然織り込み済みでなければならなかったのです。むしろ私たちが評価・手がかりとして確認すべきことは、2005年のNPT再検討会議は何も生まなかったけれども、しかし2000年の新アジェンダ連合の提案、採決された提案をボツにする決定も行わなかったということです。ですから2000年の「核廃絶の明確な約束」というのは死んでいません。したがって今後のアメリカ政局の行方次第によって、つまりブッシュ政権が死に体になっていく、あるいはブッシュ大統領にかわる大統領が出てくるという条件の下で、NPT再検討会議に対して新しい風が吹いてくる可能性がある。このことを私たちは考えておくべきだし、またそうなるように私たちがエネルギーを盛り上げていくことが、非常に大きな主体的な課題として私たちの目の前にあることを私たちは認識する必要があるのではないかと思っています。

その他の核の問題についても、いろいろ警戒的な見方が多いわけですけれども、北朝鮮の問題、イランの問題についても、以前のブッシュ大統領であれば、これらの国に先制攻撃をかけたかもしれません。イラクに行ったと同じような戦争をするのではないかと私は真剣に心配した時期があります。けれども先ほど言いましたように、ブッシュ政権がいまや死に体になってきていて、イラク以外のことにとてもかまっている余裕がないということを考えますと、北朝鮮やイランの核問題は外交によって解決するしか手が残されていない状況になってきている。このことは考えて良い問題ではないかと思います。ただしブッシュ政権が死に体になっているから、先制攻撃の戦争を始める余裕がないとは言えますが、ブッシュ大統領が打ち出した先制攻撃を含む核戦略が取り下げられるかというと、そこまで考えるだけの材料はありません。少なくとも表面上は核の先制使用を含む核戦略を彼らは強硬に主張し続けていくであろうということは考えておく必要があります。そういう意味で、このようなアメリカの核政策に対して、私たちはNPT再検討会議のような国際世論を糾合する場で、その機会を通じて対抗していくという問題意識を持つ必要があるのではないかと思っています。

こういうことで、2006年の情勢というのは、私は決して悲観するには及ばない、悲観せず展望をもって取り組んでいく素地がある年ではないかと思っています。

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