コラム
広島
ミク
丸山眞男
著作
掲載誌紙
略歴
2020
新聞 Newspaper
雑誌 Magazine
「21世紀の安全保障はどうあるべきか」
(『市民の意見30の会』 2020年4月1日)
「新型コロナ・ウィルス問題を考える」
(『9条連ニュース』 2020年3月20日)
「朝鮮半島非核化と核兵器廃絶」
(『金日成・金正日主義研究』 2020年1月号)
2019
新聞 Newspaper
雑誌 Magazine
「日韓関係を破壊する安倍政権」
(『マスコミ市民』 2019年10月号)
「北東アジア情勢と日本の外交・安全保障政策を考える」
(『法と民主主義』 2019年7月号)
2018
新聞 Newspaper
「南北対話、警戒心煽る日本政府」
(朝鮮新報 2018年2月5日)
雑誌 Magazine
「緊迫の朝鮮半島情勢と向き合い平和統一の未来へ」
(『金日成・金正日主義研究』 2018年1月)
「「朝鮮核問題」-緊張打開の可能性をさぐる」
(『思想運動』 2018年1月1/15日)
2017
新聞 Newspaper
「視点」
(全国商工新聞 2016年6月13日)
「「軍事大国」日本は東アジアの平和に対する深刻な脅威」
(朝鮮新報 2017年4月17日)
雑誌 Magazine
「「安倍9条改憲」に対抗する安保外交政策」
(『法と民主主義』 2017年8/9月)
「核兵器禁止条約採択と日朝両国の不参加の意味を考える」
(『思想運動』 2017年8月1/15日)
「問われているのは私たちの政治意識」
(『9条連ニュース』 2017年7月20日)
「トランプ政権と世界の行方、日本の進路」
(『季論21』 2017年夏季号
「アメリカ大統領選後の国際政治-問題意識の提起-」
(『民主主義教育21』 2017年4月)
2016
新聞 Newspaper
「日米同盟の変質 注意を」
(朝日新聞 2016年7月25日)
「オバマの広島訪問は日米軍事同盟の完成を祝うセレモニー」
(日刊ゲンダイ 2016年7月1日)
「朝鮮の水爆実験と半島情勢」
(朝鮮新報 2016年1月25日)
雑誌 Magazine
「子どもたちに伝える「平和」」
(『MOKU』 2016年9月)
「米国のリバランス戦略と安倍政権の狙い」
(『思想運動』 2016年8月1/15日)
「参議院選挙と日本政治」
(『9条連ニュース』 2016年7月20日)
「日米同盟強化完成と核保有堅持の儀式」
(『反戦情報』 2016年6月15日)
「オバマ訪広に対する国内の反応を見て」
(『思想運動』 2016年6月15日)
「難民の時代 世界はどこに向かうのか」
(『DAYS JAPAN』 2016年5月)
「安倍首相の「中国脅威論」」
(『9条連ニュース』 2016年3月20日)
「南沙諸島めぐる米中の確執と安倍政権」
(『思想運動』 2016年1月1・15日)
2015
新聞 Newspaper
「安倍・戦争法を許さないために」
(全国ネット21News 2015年6月15日)
「安倍訪米をどう見るか」
(朝鮮新報 2015年5月11日)
「暴走する安倍政権とストックホルム合意」
(朝鮮商工新聞 2015年4月21日)
雑誌 Magazine
「日中友好関係と日本の対中認識」
(『法と民主主義』 2015年11月)
「「抑止力」は平和をもたらすか」
(『季刊ピープルズ・プラン』 2015年10月)
「安保法制を判断するモノサシ」
(『マスコミ市民』 2015年10月)
「敬して接する一個の人格」
(『みんなのねがい』 2015年9月)
「南沙諸島問題と米中の確執」
(『思想運動』 2015年7月15日)
「日米安保と沖縄-いま問われる沖縄差別」
(『市民の意見』 2015年6月1日)
「憲法に基づく外交と東アジアの平和を考える座標軸」
(『民主主義教育21』2015年5月)
「民意の底流-2014衆院選の結果と日本の明日」
(『季論21』2015年冬)
2014
新聞 Newspaper
「東北アジアの平和と安定のカギ・朝鮮半島」
(朝鮮新報 2014年9月1日)
「日朝合意の背景と今後の注目点」
(朝鮮商工新聞 2014年6月17日)
「自国中心的国際観の見直しを」
(朝鮮新報 2014年6月4日)
「憲法と集団的自衛権について考える」
(社会新報 2014年5月7日)
雑誌 Magazine
「「終戦」70年を前に考えること」
(『月刊社会民主』2014年12月)
「集団的自衛権:平和憲法との背反性」
(『広島ジャーナリスト』2014年9月)
「「中国脅威論」批判を妨げる国民的対中意識の所在」
(『思想運動』2014年8月1・15日)
「スッキリ!わかる 集団的自衛権」
(『思想運動』2014年6月15日)
「日米中関係と東アジアの平和」
(『法と民主主義』2014年4月)
「人間の尊厳と日本国憲法」
(『みんなのねがい』2014年3月)
「「和」・「絆」の日本社会と人間の尊厳」
(『みんなのねがい』2014年2月)
「安倍政権の外交・安保政策と日中関係」
(『思想運動』2014年2月1日)
「安倍政権の外交政策と日米中関係」
(『市民の意見』2014年2月)
「朝鮮の核問題の平和的解決のために」
(『金日成・金正日主義研究』2014年1月)
2013
新聞 Newspaper
「「集団的自衛権」問題のポイント整理」
(9条連ニュース 2013年10月20日)
「集団的自衛権ってなあに?」
(ふぇみん 2013年6月25日)
「緊張の朝鮮半島情勢 -対決から対話へー」
(朝鮮商工新聞 2013年5月7日)
「朝鮮半島の戦争状態終結こそ」
(社会新報 2013年3月13日)
「日朝平壌宣言の原点に立ってこそ」
(朝鮮新報 2013年3月11日)
「歴史を繰り返す懸念」
(平和新聞 2013年2月5日)
「日朝関係を考える視点」
(朝鮮商工新聞 2013年1月1日)
雑誌 Magazine
「人間の尊厳と国連憲章」
(『みんなのねがい』2014年1月)
「人間の尊厳と国際社会」
(『みんなのねがい』2013年12月)
「人間の尊厳とデモクラシー」
(『みんなのねがい』2013年11月)
「集団的自衛権と東アジア情勢」
(『思想運動』2013年11月)
「「集団的自衛権」問題のポイント整理」
(『9条連ニュース』2013年10月20日)
「国際法からみた朝鮮の核・ミサイル政策と安保理決議の問題点」
(『金日成・金正日主義研究』2013年10月)
「人間の尊厳と人権」
(『みんなのねがい』2013年10月)
「人間の尊厳と経済」
(『みんなのねがい』2013年9月)
「集団的自衛権と「安保法制懇談会」」
(『週刊金曜日』2013年9月20日号)
「朝鮮半島情勢緊張の基本要因と平和協定の必要性」
(『統一評論』2013年9月)
「死刑と尊厳死」>
(『みんなのねがい』2013年8月)
「ホンネの核政策 前面に」
(『広島ジャーナリスト』2013年6月)
「平和と尊厳」
(『みんなのねがい』2013年7月)
「広島という原石」
(『みんなのねがい』2013年6月)
「ミクという存在」
(『みんなのねがい』2013年5月)
「朝鮮外交-その本質に迫る」
(『思想運動』2013年5月15日)
「朝鮮の核問題の平和的解決のために」
(『思想運動』2013年4月1日)
「「人間の尊厳」とは」
(『みんなのねがい』2013年4月)
「正しい歴史認識を持ち対等な国際関係を」
(『金日成・金正日主義研究』2013年1月)
2012
新聞 Newspaper
「オバマ再選とこれからの世界と日本」
(週刊新社会 2012年11月20日)
「付和雷同する世論の危なっかしさ」
(朝鮮新報(2012年4月18日)
「国連安保理決議に正統性なし」
(朝鮮新報(2012年4月16日)
雑誌 Magazine
「領土問題的思考観点」
(台湾『人間&思想』2012年冬季号)
「尖閣は棚上げ合意へ回帰を」
(『広島ジャーナリスト』2012年12月)
「尖閣問題と日本外交」
(『市民の意見』2012年12月1日)
「日中関係:反省と転換」
(『月刊社会民主』2012年12月)
「戦後日本の形成と領土問題」
(『思想運動』2012年11月15日)
「領土問題を考える視点」
(『思想運動』2012年9月15日及び『社会法論』2012年秋号)
「国交正常化40年の日中関係」
(『歴史地理教育』2012年9月)
「人間の尊厳と平和 そしてヒロシマ」
(『みんなのねがい』2012年8月)
「今日の東アジア情勢とその方向性」
(『法と民主主義』2012年5月)
「日米軍事同盟と朝鮮」
(『9条連ニュース』2012年5月20日)
「朝鮮の人工衛星打ち上げと安保理決議」
(『思想運動』2012年5月15日)
「分類別・本の紹介/国際情勢」
(『イオ』2012年5月)
「我所認識的陳映真以及1960年代的台湾」
(季刊『台湾社会研究』2012年3月)
2011
新聞 Newspaper
「原爆 原発 原子力」下
(沖縄タイムス(2011年8月11日)
「原爆 原発 原子力」中
(沖縄タイムス(2011年8月10日)
「原爆 原発 原子力」上
(沖縄タイムス(2011年8月9日)
「広島から問う原発」
(毎日新聞(大阪本社版)2011年7月26日)
「『平和思想』礎に」
(朝日新聞(広島版)2011年2月23日)
「安保再考 世界も変化」
(朝日新聞(広島版)2011年2月16日)
「『天動説観』の克服を」
(朝日新聞(広島版)2011年2月9日)
「日朝関係-相互不信は過去最悪-」
(朝鮮商工新聞2011年1月4&11日)
雑誌 Magazine
「「オバマ広島訪問」の二面性」
(『広島ジャーナリスト』2011年12月)
「1960年代的陈映真 访谈浅井基文教授」
(季刊『台湾社会研究』2011年9月)
「二一世紀における日本及び世界の平和」
(『季論21』2011年夏号)
「東アジア情勢と日米安保条約」
(全国民主主義教育研究会『民主主義教育21』第5号)
「尖閣問題と日中・日米関係」
(広島弁護士会『会報』2011年3月号)
「日朝関係の現状と課題」
(立命館大学コリア研究センター『コリア研究』2011年2月号)
2010
新聞 Newspaper
「米大統領の広島訪問 どう考えますか」
(中国新聞2010年10月17日)
「核廃絶「お任せ」懸念」
(朝日新聞(広島版)2010年8月25日)
「核をめぐる世界の動き」
(朝日中学生ウィークリー2010年8月8日)
「平和宣言を比較」
(長崎新聞2010年8月15日)
「学生平和意識 一人一人の努力の積み重ねが大きな力に」
(聖教新聞(中国版)2010年8月6日)
「日本は核のこわさを世界に伝える先頭に」
(朝日小学生新聞2010年8月2日)
「日米核密約と非核三原則」
(社会新報2010年4月8日)
「非核三原則 原点に返れ」
(朝日新聞2010年3月24日広島版)
おじいちゃんの平和教室「未来を作る日本の憲法」
(中国新聞『ちゅーピー子ども新聞』2010年2月)
おじいちゃんの平和教室「子どもの権利守る社会へ」
(中国新聞『ちゅーピー子ども新聞』2010年1月)
対談「核廃絶へ広島の役割とは」
(朝日新聞-広島版ー2010年1月6日)
雑誌 Magazine
「尖閣諸島(釣魚島)問題と日中関係」
(『Impaction』2010年1775号)
「日米関係及び国際関係のあり方を再考する」
(『法学館憲法研究所報』2010年7月)
「日米安保体制の問題点と目指すべき日米関係」
(『Impaction』2010年175号)
「米国の「核の傘」」
(『週刊金曜日』2010年6月4日号)
「現代国際関係をどのように捉え、どう教えるか」
(『民主主義教育21』2010年5月号)
「オバマの核政策とヒロシマ」
(『週刊金曜日』2010年3月26日号)
「民主党政権の外交の批判的検討と21世紀の日本外交への提言」
(『法と民主主義』2010年1月号)
「鳩山民主党政権と日朝関係」
(『社会評論』2010年冬号)
2009
新聞 Newspaper
おじいちゃんの平和教室「「社会」ルール徹底が大切」
(中国新聞『ちゅーピー子ども新聞』2009年12月)
おじいちゃんの平和教室「「尊厳」基本の国際社会へ」
(中国新聞『ちゅーピー子ども新聞』2009年11月)
おじいちゃんの平和教室「戦争や飢え 世界で今も」
(中国新聞『ちゅーピー子ども新聞』2009年10月)
おじいちゃんの平和教室「暮らしと市場 関係知って」
(中国新聞『ちゅーピー子ども新聞』2009年9月)
おじいちゃんの平和教室「尊厳を実現できる社会に」
(中国新聞『ちゅーピー子ども新聞』2009年8月)
おじいちゃんの平和教室「尊厳を大切にしない日本 いじめ社会と深い関係」
(中国新聞『ちゅーピー子ども新聞』2009年7月)
「朝鮮の主張に耳を傾けるべき」
(労働新聞2009年7月5日)
おじいちゃんの平和教室「核兵器廃絶 日本の声に」
(中国新聞『ちゅーピー子ども新聞』2009年6月)
おじいちゃんの平和教室「戦争にもいろいろな形」
(中国新聞『ちゅーピー子ども新聞』2009年5月)
インタビュー:オバマ演説とNPT再検討会議第3回準備会合
(毎日新聞-広島版-2009年4月26日)
インタビュー:オバマのプラハ演説
(朝日新聞-広島版-2009年4月15日)
新聞時評「記者の問題意識を示す的確な「中近東報道」」
(毎日新聞2009年4月6日)
おじいちゃんの平和教室「人の「尊厳」200年の時をかけ」
(中国新聞『ちゅーピー子ども新聞』2009年4月)
日本の異常な反応をどう見るか
(朝鮮新報2009年3月23日)
新聞時評「「北朝鮮の人工衛星」批判社説に疑問」
(毎日新聞2009年3月10日)
おじいちゃんの平和教室「みんなで守ろう人間の尊厳」
(中国新聞『ちゅーピー子ども新聞』2009年3月)
新聞時評「新しい日米関係への積極的提言を期待」
(毎日新聞2009年2月10日)
ピース・フォーカス「核報復文書 国公開の思惑」
(中国新聞2009年1月19日)
新聞時評「核兵器廃絶に本気で取り組むために」
(毎日新聞2009年1月13日)
「安保50年 私の発言/直言(第1回)」
(安保廃棄2009年1月15日合併号)
雑誌 Magazine
「二一世紀の世界平和への道を拓く」
(『人間と教育』2009年冬号)
「権力政治的国際観からの脱却を」
(『世界』2009年11月号)
「対談」
(『広島市医師会だより』2009年8月号)
「太平洋戦争は「自衛戦争」だった?」
(『ひろばユニオン』2009年8月号)
「アメリカ・オバマ政権の核兵器政策」
(『人権と部落問題』2009年8月号)
「NPT再検討会議へ向けて 課題と展望」
(『民医連医療』2009年8月号)
「国連安保理議長声明の隠れたポイント」
(『이어(イオ)』2009年6月号)
「わが幼き日 他者感覚の芽ばえ」
(『ちいさいなかま』2009年6月号)
「アメリカの世界戦略ーオバマ政権の戦略・行方」
(『月刊 全労連』2009年6月号)
「アメリカと日本の行方ー被爆地の視点から」
(『長崎平和研究』2009年4月)
「障害者権利条約で日本を変えよう」
(『support』2009年1月号)
「オバマ政権の世界戦略及び対日政策をどう見るか」
(『軍縮問題資料』2009年2月号)
2008
新聞 Newspaper
「(核調査結果)日本の姿勢 あいまい」
(中国新聞2008年7月21日)
雑誌 Magazine
「核廃絶と第9条は双子の関係にある」
(長崎平和研究所『長崎平和研究』2008年10月号)
「広島からのメッセージ」
(きょうされん『TOMO』2008年8月号)
「アジアの非核化・平和に向けた動き、日本の課題」
(全国保険医団体連合会『月刊保団連』2008年8月号)
「力によらない世界観を」
(婦人之友社『婦人之友』2008年5月号)
「広島に来て3年の節目に思う」
(広島平和文化センター『平和文化』2008年3月第168号)
「アメリカの対中国軍事戦略と沖縄」
(歴史教育者協議会『歴史地理教育』3月増刊号)
2007
新聞 Newspaper
「放影研60年 第5部・提言編(6)」
(中国新聞2007年10月17日)
「(平和宣言)「反戦」共有の危機」
(毎日新聞2007年8月6日広島版)
「争論 集団的自衛権」
(中国新聞2007年1月13日夕刊)
「朝米関係 糸口は金融制裁問題の打開にある」
(朝鮮商工新聞2007年1月2/9日)
「「弱者の視点」忘れず、米戦略の危険性見抜こう」
(労働新聞2007年1月1日)
雑誌 Magazine
「丸山眞男ー私の場合」
(丸山眞男手帖の会『丸山眞男手帖』2007年10月号)
「「広島プロセス」は名実ともに受け容れられない」
(朝日新聞社『論座』2007年11月号)
「原爆投下は正当化されえない」
(軍縮市民の会・軍縮研究室『軍縮問題資料』2007年9月号)
「対米追随「力の均衡」外交と決別を」
(労働者学習センター『ひろばユニオン』2007年8月号)
対談「戦争をしないという文化」
(婦人之友社『婦人の友』2007年8月号)
「憲法集会でのお話し」
(長野・松本「平和の種をまく会」『平和の種』2007年7月8日号)
「すいせんのことば」
(新日本婦人の会広島県本部『木の葉のように焼かれて』第41集)
「危機の日本政治と主権者・国民のチャンス」
(日高教・高校教育研究会『高校のひろば』2007年夏季号)
「ミクの発達と障害者・児の権利実現
「『特別支援教育』における違和感」
「二つの権利条約で社会の変革を」
「「他者感覚」を我がものに」
「被爆体験と原爆体験」
「ミクのいる時空間」
「差別の風土」
「参議院選挙で民意は?」
「改憲は生死にかかわる」
「今のミクとこれからのミク」
「私にとってのミク」
「日本の子どもたちとの約束」
(全国障害者問題研究会『みんなのねがい』2007年4月~2008年3月号)
「北朝鮮の核開発と岩国の基地機能移転強化」
(中国税理士政治連盟『中国税政連』2007年1月号)
「安倍政権の外交・安全保障政策」
(「建設労働のひろば」編集委員会『ひろば』2007年1月号)
2006
新聞 Newspaper
「核心インタビュー 原爆ドーム・世界遺産10年」
(毎日新聞(大阪版)2006年12月7日)
「インタビュー 北朝鮮の核実験問題をどう見るか」
(社会新報2006年10月25日)
「インタビュー 北朝鮮「核実験」ー被爆地の役割は」
(朝日新聞・広島版2006年10月18日)
「インタビュー北朝鮮核実験 ヒロシマは問うー」
(中国新聞2006年10月17日)
「インタビュー 米軍再編を聞く」
(中国新聞 2006年5月15日)
「インタビュー 広島・日本の視点を柱に」
(中国新聞 2006年4月1日)
「集団的自衛権は必要か」
(高知新聞 2006年3月20日)
「広島1年生の被爆・平和都市「広島」についての思い」
(広島保険医新聞 2006年1月10日)
雑誌 Magazine
「米軍指揮下の「海外派兵」へと歩む安倍政権」
(毎日新聞社『エコノミスト』臨時増刊2006年12月25日号)
「日韓朝関係のもつれを正常に」
(軍縮市民の会・軍縮研究室『軍縮問題資料』2006年12月)
「保守支配の日本政治と問われる被爆2市の存在理由」
(長崎平和研究所『長崎平和研究』2006年10月)
「敗戦60年・被爆60年をふりかえって」
(長崎平和文化研究所『平和文化研究』2006年第28集)
「露わになった日本外交の幼稚さと危うさ」
(岩波書店『世界』2006年9月号)
「台湾問題と米中の国際情勢認識」
(明治大学軍縮平和研究所『軍縮地球市民』2006年夏号)
「米軍再編と憲法改悪」
(部落問題研究会『人権と部落問題』2006年5月号)
シンポジウム「戦争・核の恐怖から抜け出す平和への道」
(反核医師の会『2005年度活動報告集』(2006年4月1日)
2005
新聞 Newspaper
「「中間報告」の本質」
(琉球新報 2005年12月4日)
「米軍基地反対運動における視点転換を」
(琉球新報 2005年11月6日)
「内外情勢と平和憲法」
(千葉県保険医新聞 2005年10月25日)
「善意の改憲論者との対話」
(琉球新報 2005年10月9日)
「安保を解消し、憲法を活かそう」
(全国革新懇ニュース 2005年10月5日)
「衆議院総選挙に思うこと」
(琉球新報 2005年9月11日)
「被爆60年の広島での私」
(琉球新報 2005年8月14日)
「インタビュー 首相(靖国)参拝是か非か」
(東京新聞 2005年8月11日)
「テロ連鎖 自衛隊イラク派遣を考sえる 軍隊で対応する根本的間違い正せ」
(毎日新聞 2005年7月21日夕刊)
「『やはり伝わってこない沖縄』に思うこと」
(琉球新報 2005年7月17日)
「常任理事国入りの是非を考える前に」
(東京新聞 2005年6月5日)
「インタビュー NPT再検討会議開幕 浅井・広島平和研究所長に聞く」
(産経新聞広島版 2005年5月3日)
「インタビュー 有事法制などに危機感」
(朝日新聞広島版 2005年4月28日)
「インタビュー NPT再検討会議を前に」
(『中国新聞』 2005年4月19日)
「非核・平和インタビュー」
(『非核の政府を求める会ニュース』 2005年4月15日)
「平和について考えてみる」
(『Morgen』 2005年3月7日)
「争論 政冷経熱の日中関係」
(『中国新聞』 2005年3月5日付夕刊など)
「シンポジウム 憲法は誰のものか イラク派兵と沖縄から考える日米関係」
(毎日新聞労働組合機関紙『奔流』 2005年2月23日)
「平和憲法が核廃絶でも原点」
(『しんぶん赤旗』 2005年1月26日)
「平和憲法を胸に発信を」
(『中国新聞』広島世界平和ミッション 2005年1月3日)
雑誌 Magazine
「日本民主主義的前途」
(中文 中国『領導者』2005年10月号)
「現代における武力行使とは」
(『軍縮問題資料』2005年11月号)
「ただいま広島赴任中」
(『ウェンディ広島』2005年9月号)
「被爆60周年と『国民保護計画』」
(『広島医師会だより』2005年8月号)
「被爆・敗戦60周年に思うこと」
(『全国ネット21News』2005年8月15日)
「ブッシュ押しつけの改憲と日本の軍事大国化」
(『連帯ニュース』2005年8月6日)
「(特集)私の戦後60年」
(『マスコミ市民』2005年8月号)
「NPT再検討会議と核廃絶の課題」
(聖パウロ女子修道会『あけぼの』2005年8月号)
「日本国憲法9条を守ろう」
(文化団体連絡会議『まい』2005年初夏号)
「日本の行方と憲法ー激動する世界の中で、日本は今」
(『反改憲ネット21通信』2005年5/6月合併号)
「日本の常任理事国入りは是か非か」
(『通販生活』2005夏号)
「有事法制、在日米軍の再編強化そして改憲」
(『未来をひらく教育』2005年早春号)
2004
新聞 Newspaper
「安保理常任理事国入りの是非」
(『西日本新聞』争点対論 2004年11月5日)
「アメリカとどう接するか」
(『中国新聞』時想 2004年10月17日)
「ブッシュ大統領再選の危険性」
(『民族時報』 2004年10月11日)
"Look for benefit, not battle in China relations"
(Asahi Evening News, May 15-16, 2004))
「尖閣問題 国会は大局見据え判断を」
(『朝日新聞』私の視点 2004年4月2日)
「憲法『改定』論議の動向」
(『東京保険医新聞』 2004年3月25日)
「識者座談会 自衛隊イラク派遣」
(『信濃毎日新聞』 2004年2月4日)
「日朝問題を考える視点」
(『朝鮮商工新聞』 2004年1月6/13日)
雑誌 Magazine
「岐路に立つ日中関係」
(『中帰連』)2004年冬季号)
「日中関係悪化の主要な責任は日本にある」
(『軍縮問題資料』2004年11月号)
「『平和国家』日本のあり方と国際社会とのかかわり方」
(『民医連医療』2004年6月号)
「『対テロ戦争』と私たちの選択」
(『マスコミ市民』2004年5月号)
2003
新聞 Newspaper
「対談 イラク復興支援特別措置法」
(『共同通信』 2003年5月)
「許すな!有事法制」
(『しんぶん赤旗』 2003年5月13日)
「イラク戦争ではっきり 有事法制の危険」
(『しんぶん赤旗日曜版』 2003年4月20日)
「イラク攻撃 国連を無視する日米政府」
(『しんぶん赤旗』 2003年3月20日)
「インタビュー 小泉首相と公明・冬柴幹事長の反戦敵視の発言」
(『しんぶん赤旗』 2003年2月20日)
雑誌 Magazine
内山書店月刊誌『中国語』に「視点」
2003年3月号まで定期掲載
「明治学院大学ー浅井基文ゼミ」
(『世界週報』2003年10月21日号)
「有事法制のインパクト 国際関係のインパクト」
(『法学セミナー』2003年9月号)
「ブッシュ政権の特異な世界認識とイラク戦争」
(『前衛』2003年5月号)
「ブッシュ戦略と有事法制」
(『軍縮問題資料』2003年2月号)
2002
新聞 Newspaper
「イージス艦派遣 戦争させない外交努力こそ」
(『しんぶん赤旗日曜版』 2002年12月15日)
「インタビュー 核使用へ」
(『しんぶん赤旗日曜版』 2002年7月29日)
「有事関連法案ー鹿児島県民1000人アンケート 見逃すな米への戦争協力」
(『南日本新聞』 2002年6月11日)
「有事法制3法案 なにが問題か」
(『しんぶん赤旗』 2002年5月24日)
「対論 どう考える有事3法案」
(『毎日新聞』 2002年5月10日)
「米国の戦略と日本の有事法制」
(『神奈川新聞』 2002年4月30日)
「『戦争する国』に変質する日本」
(『民族時報』 2002年4月11日、21日)
「インタビュー 普天間返還合意から6年・現状を問う」
(『沖縄タイムス』 2002年4月11日)
「有事法制の『対日攻撃対処』とは」
(『社会新報』 2002年4月10日)
「どうみる? ブッシュ政権の『悪の枢軸』論」
(『平和新聞』 2002年3月5日)
「なんのための『備え』か 有事立法」
(『しんぶん赤旗』 2002年2月20日)
雑誌 Magazine
「浅井基文のホームページ0」
(『クレスコ』2002年2月号~12月号)
「編集長対談 時代を撃つ」
(『週刊金曜日』2002年11月15日号)
「日中国交回復30年を振りかえる」
(『季刊中国』2002年秋季号)
「責任論」
(『月刊保団連』2002年8月号)
「『外務省問題』を考える」
(『法と民主主義』2002年2/3月号)
「米国の戦争と日本」
(『歴史地理教育』2002年2月号)
「アメリカの世界戦略と平和の問題」
(『民主文学』2002年2月号)
「核兵器をめぐる国際・国内情勢」
(『被爆者問題研究』2002年2月号)
「インタビュー:今、子供たちに伝えたい、反戦平和の道筋を」
(『クレスコ』2002年1月号)
2001
新聞 Newspaper
「テロ対策特別措置法案 この法案には重大なまやかしとすりかえがある」
(『しんぶん赤旗』 2001年10月10日)
「日米の絆ー安保50年に寄せてー」
(『中日新聞/東京新聞』 2001年9月6日夕刊)
「講演 試練の中の日中関係」
(『国際貿易』 2001年8月14日)
「インタビュー 緊張高まる日中米関係」
(『Chinese Dragon』 2001年8月14日)
「ちょっと待った!小泉政治」
(『しんぶん赤旗』 2001年7月6日)
「集団的自衛権」
(『朝日新聞』 2001年6月5日)
雑誌 Magazine
「9.11事件-アメリカの軍事報復と日本の海外派兵」
(『法と民主主義』2001年12月号)
「アメリカ軍事戦略と日本のナショナリズム」
(『中帰連』2001年秋号)
「日米安保体制の検証と今後」
(『マスコミ市民』2001年9月号)
「RAND報告の危険な内容」
(『軍縮問題資料』2001年9月号)
「アメリカの世界戦略の現段階」
(『ポリティーク』2001年創刊号)
「ブッシュ政権と日米軍事協力の危険な動き」
(『マスコミ市民』2001年5月号)
「私と憲法」
(『法と民主主義』2001年5月号))
「アメリカ新政権と日本の外交・安保上の課題」
(『軍縮問題資料』2001年3月号))
「21世紀の世界・日本と教育」
(『季刊 人間と教育』2001年3月)
「最近の東アジア情勢と我が国の『平和のための戦略』」
(『法と民主主義』2001年2/3月号)
「参議院国際問題に関する調査会会議録第1号」
(2001年2月14日)
2000
新聞 Newspaper
「日米安保と平和を問う」
(『全国商工新聞』 2000年1月10日)
「対談 労働運動に期待する3つの視点」
(『フェニックス』 2000年1月1日)
雑誌 Magazine
「現代情勢の特徴ー国際情勢を中心に」
(『自治体労働運動研究』2000年12月号)
「アジアと日本の平和」
(『マスコミ市民』2001年1月号)
「中国と日米新ガイドライン」
(『市民の意見30の会・東京ニュース』2000年10月1日号)
「書評:Ronald Dore"Stock Market Capitalism: Welfare Capitalism"」
(『学鐙』2000年10月))
「日中友好協会50周年と21世紀の友好運動」
(『季刊中国』2000年秋季号)
「日本の情勢と憲法第9条(下)」
(『8・15』2000年9月号)
「2000年の国際情勢と核兵器廃絶の課題」
(『被爆者問題研究』2000年7月)
「日本の情勢と憲法第9条(上)」
(『8・15』2000年8月号)
「日中友好協会50周年と21世紀の友好運動」
(『季刊中国』2000年秋季号)
「真の安全保障の道はこれだ」
(『軍縮問題資料』2000年9月号)
「軍事同盟の呪縛なき日米の展望」
(『軍縮問題資料』2000年3月号)
「日本の民主主義と教育の課題」
(『未来を開く教育』2000年冬季号)
「世界の中で、マスコミと私たちの責任」
(『マスコミ市民』2000年1月号)
「インタビュー 今、子どもたちに伝えたい、反戦平和への道筋を」
(『クレスコ』2000年1月号)
1999
新聞 Newspaper
「731部隊・南京大虐殺・無差別爆撃」訴訟の判決に当たって
(『すおぺい』 1999年8月10日)
「いま考える 世界の平和秩序と日本国憲法」
(『赤旗』 1999年7月31日ー8月2日)
「平和のためのガイドライン」
(『社会新報』 1999年6月9日)
「どう見る?ユーゴ空爆」
(『平和新聞』 1999年5月25日)
「憲法を語る(菅直人との対談)」
(『沖縄タイムス』 1999年5月3日)
「新ガイドライン法案に異議あり」
(『民族時報』 1999年5月1日)
「ガイドライン法案 国際法無視の米国の思い上がりこそただせ」
(『しんぶん赤旗』 1999年4月15日)
雑誌 Magazine
「21世紀に問われる日本の国際的役割」
(『歴史教育・社会科教育年報 1999』1999年8月)
「日本外交と平和戦略」
(『社会民主』1999年9月号)
「アメリカ追随の小淵自自公連立政権」
(『月刊自治労連』1999年9月号)
「日米ガイドラインと日本の進路」
(『原爆被害と国家補償』1999年7月10日号)
「天安門事件10周年に寄せて 中国の実情踏まえたアプローチを」
(『アムネスティ』1999年6月号)
「世界情勢と私たちがこれからなすべきこと」
(『マスコミ市民』1999年6月号)
「21世紀への日中関係の展望」
(『季刊中国』1999年春季号)
1998
新聞 Newspaper
「核被害も想定した戦争協力づくり」
(『原水協通信』 1998年11月6日)
「ガイドラインと関連法案は日本をどこへ導くか」
(『しんぶん赤旗』 1998年8月16日)
「日中両党関係正常化 世界とアジアの平和に大きな意味」
(『しんぶん赤旗』 1998年6月4日)
「論評 海上基地・知事拒否表明」
(『琉球新報』 1998年2月10日)
「『天動説』の国から『地動説』の国へ」
(『しんぶん赤旗』 1998年1月6日)
「訪談 為什麼日本不該當常任理事国」
(香港『大公報』 1998円1月4日)
「クリントン政権の世界戦略」
(『東京商工新聞』 1998年1月1日)
「朝鮮半島有事と新ガイドライン」
(『民族時報』 1998年1月1日)
雑誌 Magazine
「21世紀の日本を開く教育のカギ」
(『季刊 人間と教育』1998年12月)
「イラン・イラク戦争と『地域問題』における国連の役割」
(『ジュリスト』1998年12月号)
「北朝鮮衛星を脅威に利用した政府の思惑」
(『マスコミ市民』1998年11月号)
「新『ガイドライン』は憲法と地方自治への正面攻撃」
(『議会と自治体』1998年8月号)
「私にとっての丸山真男」
(『丸山真男手帖』1998年7月号)
「覇権大国アメリカと現代帝国主義」
(『労働総研クオータリー』1998年春季号)
「21世紀の日本を開く教育のカギ」
(『季刊・人間と教育』1998年第20号)
「国連幻想を超えて」
(『imidas'98』)
「外交」
(『朝日現代用語'98』)
「大国日本と私たち」
(『高校のひろば』1998年冬季号)
「現代中国の情勢」
(『法と民主主義』1998年5月号)
「覇権大国アメリカと現代帝国主義」
(『季刊労働総研』1998年春季号)
「成人の平和学習への提言」
(『月刊社会教育』1998年2月号)
1997
新聞 Newspaper
「日米新ガイドラインの本質と国民生活」
(『全国保険医新聞』 1997年12月15日)
「講演 『新ガイドライン』と有事立法」
(『徳島新聞』 1997年11月26日)
「『新ガイドライン見直し』が狙うもの」
(『週刊新社会』 1997年8月15日)
「講演 香港返還の意味と問題」
(『日中友好新聞』 1997年7月15日、25日、8月5日)
「国際社会が望む日本のすすむ道」
(『しんぶん赤旗日曜版』 1997年5月4日)
「インタビュー 21世紀を前に」
(『しんぶん赤旗』 1997年1月7日)
雑誌 Magazine
「21世紀に向けた日中関係」
(『中国年鑑1997』)
「対論'97 日米安保体制は、このまま堅持すべきか」
(『imidas'97』)
「香港返還の意味と問題」
(『経済科学通信』1997年10月号)
「日米軍事同盟体制の現段階」
(『社会主義』1997年8月号)
「アメリカの世界戦略と日米軍事同盟」
(『日本の科学者』1997年8月号)
「憲法50年と高校生の意識」
(『未来を開く教育』1997年夏季号)
「日米防衛協力指針の見直しの狙い」
(『酪農事情』1997年7/8月号)
「2期目クリントン政権の対中政策と日中、日米関係」
(『日中経済ジャーナル』1997年7月号)
「権力に取り込まれたマスコミ」
(『マスコミ市民』1997年6月号)
「インタビュー 危ない!ガイドラインの動き急」
(『グラフこんにちは』1997年5月18日号)
「日米安保の戦略と沖縄」
(『国際労働運動』1997年5月号)
「インタビュー」
(『高校のひろば』1997年春季号)
「インタビュー 日常的なことに国際的視野を持とう」
(『月刊自治労連』1997年1月号)
1996
新聞 Newspaper
「戦争責任否定勢力の台頭」
(『朝鮮時報』 1996年11月28日)
「『安保再定義』とは何か」
(『朝鮮時報』 1996年10月7日)
「インタビュー 中国外交の特徴と『安保再定義』」
(『日中友好新聞』 1996年7月25日、8月5日、8月15日)
「山ろく清談 侵略戦争の歴史を胸に」
(『信濃毎日新聞』 1996年8月14日)
「防衛白書が強調する『北韓脅威』の虚構性」
(『民族時報』 1996年8月11日)
"The perils of redefining the security treaty"
(Asahi Evening News, June 6, 1996)
「危うい安保『再定義』」
(『朝日新聞』 1996年5月27日)
「インタビュー 日米安保を考える」
(『しんぶん赤旗』 1996年5月1日)
「日本の軍事介入の道開く『日米安保再定義』」
(『民族時報』 1996年5月1日)
「実質的な安保の『改定』」
(『沖縄タイムス』 1996年4月19日)
「インタビュー いま日米安保は 首脳会談に向けて」
(『毎日新聞』 1996年3月29日)
「新春政治座談会 安保・沖縄問題と日米関係の将来」
(『しんぶん赤旗』 1996年1月3~6日))
雑誌 Magazine
「沖縄問題と安保条約『再定義』」
(『未来を開く教育』1996年冬季号)
「シンポジウム 『有事立法』は許せない ー沖縄・朝鮮と私たちの人権ー」
(『マスコミ市民』1996年10月号)
「記念講演 安保・沖縄・憲法」
(『未来を開く教育』1996年秋季号)
「将来必要とされる外交官像」
(『法律文化』1996年9月号)
「『有事』協力って何だ?」
(『グラフこんにちは』1996年6月2日号)
「被爆・戦後50年ー今こそ非核のねがいひろげて」
(『非核福岡』1996年4月10日号)
「アジアの平和と日米安保」
(『軍縮問題資料』1996年3月号)
「日本の対朝鮮半島外交の反省と転換」
(『韓国の声』1996年2月25日号)
「人道のなで国家主権は制限できるか」
(『前衛』1996年2月号)
「日本の対朝鮮外交の反省と転換」
(『韓国の声』1996年2月号)
「参議院国際問題に関する調査会会議録1号」
(1996年2月7日号)
「"再定義"がはらむ大きな危険」
(『週刊金曜日』1996年1月12日号)
「シンポジウム アメリカの覇権主義を問う」
(『経済』1996年1月号)
「最近の朝鮮情勢と南北統一の展望」
(『キムイルソン主義研究』1996年1月号)
「'96 見直し必至の日米安保体制」
(『産業新潮』1996年1月号)
「求められる歪んだ朝鮮認識の清算」
(『朝鮮画報』1996年1月号)
1995
新聞 Newspaper
「日米安保の行方 相互不信の固定観念」
(『神奈川新聞』 1995年11月15日)
「徹底討論 日本の政治はどこへいく」
(『しんぶん赤旗』 1995年11月5日)
「インタビュー 世界情勢と朝鮮半島」
(『朝鮮時報』 1995年3月30日)
「黒木都知事候補応援の訴え」
(『しんぶん赤旗』 1995年3月23日)
「国連安保理常任理事国」
(『全国保険医新聞』 1995年1月5・15日)
「『戦後50年』を考える」
(『しんぶん赤旗』 1995年1月3日)
雑誌 Magazine
「敗戦50年と日中関係」
(『中国研究月報』1995年12月号)
「対談 日米安保 やめるか、残すか」
(『論座』1995年12月号)
「安保『再定義』は、日本と世界に何をもたらすか」
(『平和運動』1995年12月号)
「インタビュー もう米軍は必要ない 安保解消こそ安定への道」
(『ニューズウィーク』1995年11月22日号)
「インタビュー 戦後史のなかの国際連合」
(『歴史地理教育』1995年10月号)
「日米安保体制と国家状態」
(『歴史評論』1995年9月号)
[21世紀への道 日本国憲法は世界の宝」
(日本母親大会実行委員会『わたしたちはあゆみつづける』1995年所収記念講演)
「庶民の良識をアジア諸国に伝えよう」
(『世論時報』1995年8月号)
「講演 今日の政治をどう見るか」
(『国公労連 調査時報』1995年8月号)
「日本の今後の進路と国政選挙」
(『月刊保団連』 1995年臨時増刊号)
「戦後50年で問われる日本の進路」
(『季刊 高校のひろば』1995年春季号)
「常任理事国入りの必要はない」
(『法学セミナー』1995年2月号)
「国際問題 いま日本に求められているもの」
(『ほんりゅう』1995年1月号)
「学問と実務の間」
(『大学時報』1995年1月号)
「日本の軍縮とアメリカ」
(『軍縮問題資料』1995年1月号)
1994
新聞 Newspaper
「派遣3回PKO 『人道』名目に肥大の恐れ」
(『毎日新聞』 1994年10月9日)
「インタビュー 今、言わなければ」
(『しんぶん赤旗』 1994年8月28日)
「戦後50年を問う 主権者は目を見開こう」
(『山陽新聞』 1994年8月1日)
「インタビュー 世界情勢と朝鮮半島」
(『朝鮮時報』 1994年6月30日)
「座談会 変革期日本の選択」
(『山陽新聞』 1994年6月26日)
「討論 外交アプローチ大切」
(『読売新聞』 1994年6月10日)
「核心討論 問われる国防・自衛隊」
(『東京新聞』 1994年5月17日)
「連立与党の政策合意のねらうもの」
(『しんぶん赤旗』 1994年4月26日)
「ここが問題 北朝鮮"核疑惑"問題」
(『ふぇみん』 1994年4月25日)
「寄稿 北韓『核問題』を巡る米政府政策の問題点」
(『民族時報』 1994年4月21日)
「インタビュー 世界情勢と朝鮮半島」
(『朝鮮時報』 1994年3月31日)
「インタビュー これからの米中関係と中国の改革・開放経済のゆくえ」
(『日中友好新聞』 1994年1月5日、15日、25日)
「細川連立政権と日本人の政治意識」
(『ジャーナリスト』 1994年1月25日)
「時代の目 『普通の国家』を考える」
(『毎日新聞』 1994年1月18日)
「新春政治座談会」
(『しんぶん赤旗』 1994年1月3~8日)
「寄稿 南北対話の動きと韓半島情勢の展望」
(『民族時報』 1994年1月1日)
雑誌 Magazine
「常任理事国入りにあえて反対する根拠」
(『サンサーラ』1994年12月号)
「北朝鮮驚異を名目にした有事法制の欺まん」
(『ほんりゅう』1994年8月号)
「インタビュー 『朝鮮危機』を口実にした有事への衝動」
(『前衛』1994年7月号)
「今、『小沢政権』は何を狙っているのか」
(『酪農事情』1994年6月号)
「戦後保守政治と海外派兵への道」
(『歴史地理教育』1994年6月号)
「小沢一郎『強権政治』への危険な傾斜」
(『サンサーラ』1994年6月号)
「大学と民主主義」
(『軍縮問題資料』1994年5月号)
「『ポスト冷戦』時代における国連の役割」
(『憲法問題』1994年5月号)
「アメリカの戦略転換と小沢『国連中心主義』の破綻」
(『情況』1994年5月号)
「地球的拡大を迎える日米安保体制」
(『エデュカス』1994年4月号)
「ジャーナリズム報道をどう見るか」
(『日本の科学者』1994年2月号)
「『強権政治』への加速を阻止せよ」
(『サンサーラ』1994年3月号)
「対米軍事協力路線を強化してきた細川政権」
(『エコノミスト』1994年2月8日号)
「国連改革は可能か」
(『エコノミスト臨時増刊』1994年2月7日号)
「日本の『国連中心主義』、その実体は『アメリカ中心主義』だ」
(『月刊少林寺拳法』1994年2月)
「大国、とくにアメリカの政策が強く反映されている国連」
(『月刊少林寺拳法』1994年1月号)
「小沢一郎『日本改造計画』を読む」
(『出版情報』1994年1月号)
「国際政治軍事情勢に正確な認識を」
(『社会主義』1994年1月号)
「連立政権の対朝鮮政策と日朝交渉のゆくえ」
(『キムイルソン主義研究』1994年1月号)
1993
新聞 Newspaper
「インタビュー 世界情勢と朝鮮半島」
(『朝鮮時報』 1993年11月1日)
「著者訪問 『新保守主義』」
(『しんぶん赤旗日曜版』 1993年9月5日)
「インタビュー 世界情勢と朝鮮半島 上下」
(『朝鮮時報』 1993年8月9日、12日)
「『国際貢献』と現代」
(『信濃毎日新聞』 1993年6月12日)
「憲法の平和原則を生かし切る」
(『全国保険医新聞』 1993年5月25日)
「インタビュー 世界情勢と朝鮮半島」
(『朝鮮時報』 1993年5月17日)
「書評 松井芳郎著『湾岸戦争と国際連合』」
(『しんぶん赤旗』 1993年3月29日)
「対談(小沢一郎) 国際貢献と憲法」
(『岐阜新聞』 1993年3月9日、10日)
「新春政治座談会」
(『しんぶん赤旗』 1993年1月3~7日)
「インタビュー最近の中国の動向」
(『日中友好新聞』 1993年1月5日、15日、25日、2月5日)
「新春対談 世界を語る」
(『民医連新聞』 1993年1月1日)
雑誌 Magazine
「小沢・細川「新保守主義」政権の擬装を衝く」
(『サンサーラ』1993年12月号)
「メディアと付き合って30年」
(『マスコミ市民』1993年11月号)
「憲法9条の改定は民主主義の基盤を突き崩す」
(『JRU REPORT』1993年11月号)
「非核・平和のアジア、朝鮮統一を考える」
(『統一評論』1993年10月号)
「特集社会党に再生の道はあるか 国際情勢認識に致命的な誤り」
(『月刊労働組合』1993年10月号)
「細川内閣は『侵略』の事実をはっきり認めよ」
(『エコノミスト』1993年9月7日号)
「座談会 PKOと国際貢献の現在」
(『平和と大学生協』1993年7月号)
「書評 筒井若水著『国連体制と自衛権』」
(『エコノミスト』1993年6月29日号)
「これからどうなる?海外派兵ー小沢試案の問題点」
(『親鸞と世界』1993年6月号)
「今こそ憲法に戻らざるを得ない」
(『世界』1993年6月号)
「今後の日中関係と日米安保体制」
(『季刊中国』1993年春季号)
「"人道的介入"は世界に秩序をもたらすか」
(『公研』1993年2月号)
「激変する国際政治と日本の役割」
(『軍縮問題資料』1993年1月号)
「PKOとアジアの平和」
(『詩人会議』1993年1月号)
1992
新聞 Newspaper
"Taking the Long View"
("Asahi Evening News" 1992年10月21日)
「論壇 日中両国が今考えるべきこと」
(『朝日新聞』 1992年10月1日)
「47年目の夏 "国際社会"のなかの日本」
(『しんぶん赤旗』 1992年8月19日)
「100%利用された"国連信仰"」
(『全国婦人新聞』 1992年6月20日)
「PKO法案 こんなにある重大問題」
(『しんぶん赤旗日曜版』 1992年6月14日)
「世界新秩序とヒロシマ 国連軍縮会議を前に」
(『中国新聞』 1992年6月10日)
「緊急識者座談会 PKO法案と日本の進路」
(『山陽新聞』 1992年6月5日)
「天皇訪中の意義は何か」
(『山陽新聞』 1992年5月25日)
「提言 どうする日朝交渉」
(『朝鮮時報』1992年5月14日)
「読書 <PKO>を読む」
(『朝日新聞』 1992年5月10日)
「『安保』は日米合意で清算を」
(『毎日新聞』1992年5月10日))
「どう考える? PKO 」
(『新婦人新聞』 1992年4月30日)
「議論 自衛隊のPKO参加 是非は」
(『日本経済新聞』1992年4月19日)
「新春対談」
(『しんぶん赤旗日曜版』 1992年1月5日、12日)
「新春座談会 世界の激動とブッシュ大統領来日」
(『中国新聞』 1992年1月3日)
「本質捉え、主張を明確に」
(『民間放送』1992年1月3日)
「世界の新秩序を求めて」
(『日本農業新聞』1992年1月1日)
雑誌 Magazine
「自衛隊海外派兵に対するアジア諸国の憂慮と警戒」
(『月刊民商』1992年12月号)
「90年代の世界と日本」
(『労働法律旬報』1992年10月25日号)
「国連は平和解決の機構となりうるか」
(『赤旗評論特集版』1992年9月14日号)
「冷戦的思考をどう清算するか」
(『世界』1992年9月号)
「冷戦の終焉と日本の進路」
(『婦人新報』1992年8月号)
「米ソ冷戦の終結と新しい国際秩序」
(『月刊保団連』1992年8月号)
「インタビュー 国民の深いいきどおりを力に」
(『女性のひろば』1992年8月号)
「インタビュー 日米関係を見つめ抜く 国際貢献に隠れたPKO法の意味」
(『酪農事情』1992年8月号)
「米ソ冷戦の終結と新しい国際秩序」
(『月刊保団連』1992年8月号)
「問われる日本の国際的地位」
(『経済同友』1992年7月号)
「PKO法案に絡むアメリカに対する日本の姿勢」
(『世論時報』1992年7月号)
「PKO協力法成立 自民党の次の狙いは国民の慣れ」
(『エコノミスト』1992年6月30日号)
「PKO法案と日本国憲法」
(『ほんりゅう』1992年5月号)
「徹底討論 自衛隊のPKO参加」
(『朝日ジャーナル』1992年5月1/8号)
「アメリカ『世界警察体制』加担のPKO法案」
(『赤旗評論特集版』1992年4月20日号)
「平和憲法と日本のすすむべき道」
(『ほんりゅう』1992年4月号)
「軍事協力強化に変質する日米安保体制」
(『エコノミスト』1992年3月24日号)
「転換期の日本外交」
(『文化評論』2002年3月号)
「日米関係と農業問題3 日米農業問題への国際的視点」
(『酪農事情』1992年3月号)
「日米関係と農業問題2 日本の国際的地位」
(『酪農事情』1992年2月号)
「対談・激動する国際社会と日本」
(『月刊婦人展望』1992年2月号)
「アメリカの『新世界秩序構想』と核戦略」
(『日本の科学者』1992年1月号)
「これでは禍根を残すーPKO法強行採決」
(『世界』1992年1月号)
「湾岸後の世界と日本の役割」
(『歴史地理教育』1992年1月号)
「日米関係と農業問題1 日米経済摩擦 その背景にあるものは何か」
(『酪農事情』1992年1月号)
1991
新聞 Newspaper
「座談会 日米関係を問う」
(『山陽新聞』 1991年12月8日)
「国会審議で明確にすべき三つの論点」
(『しんぶん赤旗』 1991年11月26日)
「座談会 ゴルバチョフ復権と世界新秩序の行方」
(『山陽新聞』1991年8月23日)
「山陽時評 戦争への道を歩まぬために」
(『山陽新聞』 1991年8月15日)
「識者座談会 日ソ交渉と今後の展望」
(『信濃毎日新聞』 1991年4月20日)
「湾岸戦争と世界」
(『朝日新聞』 1991年3月8日)
「メッセージ(4) 『新秩序』は米の一極支配 ポスト湾岸戦争」
(『毎日新聞』 1991年3月7日)
「論壇 正当化し得ぬ湾岸支援策の根拠」
(『朝日新聞』 1991年2月13日)
「メッセージ(3) なぜ止めぬ、米の暴走 湾岸戦争と日本の立場」
(『毎日新聞』 1991年2月7日)
「メッセージ(3) 『力の政治』の終焉、米に説け 日米関係を考える」
(『毎日新聞』 1991年1月10日)
「対談 中国の進路とアジアへの影響」
(『国際貿易』 1991年1月1日)
雑誌 Magazine
「PKO法案は憲法9条空洞化の最終段階だ」
(『サンデー毎日』1991年12月15日号)
「西側は対ソ・アプローチの見直しを」
(『エコノミスト』1991年9月3日)
「対ソ政策 新たな展開の条件」
(『世界』1991年9月号)
「対談 激動の世界と日本外交」
(『文化評論』1991年9月号)
「憲法の下でこそ可能な平和協力」
(『大阪保険医雑誌』1991年8月号)
「アジアは実利主義的な対ソ外交からの脱皮を」
(『エコノミスト』1991年8月6日号)
「日本外交を支えるもの」
(講談社『本』1991年7月号)
「実務と学問」
(『桜門春秋』1991年夏季号)
「平和と教育」
(『軍縮問題資料』1991年7月号)
「国際貢献、日本の責任と私たちの役割」
(『賃金と社会保障』1991年7月上旬号)
「国連の平和のための活動と日本の立場」
(『法律時報』1991年5月号)
「国連協力、即対米協力を意味する危ない図式」
(『世論時報』1991年5月号)
"Pacifism in a New International Order"
("Japan Quarterly", 1991 4-6)
「国際社会における日本の協力はどうあるべきか」
(『未来を開く教育』1991年春季号)
「CSCEに向けて」
(『世界 臨時増刊』1991年4月)
「ソ連新思考外交は全人類的利益か?」
(『軍事民論』1991年4月号)
「問われる日本の対米追随外交」
(『時事教養』1991年4月号)
「緊急インタビュー 湾岸戦争の本質」
(『公明』1991年3月号)
「湾岸戦争勃発とその教訓」
(『進歩と改革』1991年3月号)
「衆議院予算委員会公聴会での発言」
(『衆議院予算委員会公聴会会議録』1991年2月18日)
「中東座談会」
(『エコノミスト』1991年2月12日号)
「日米関係の見直し如何にかかっている今後の日本」
(『世論時報』1991年1月号)
「『国際協力』の原則と日本の立脚点」
(『賃金と社会保障』1991年1月上旬号)
1990
新聞 Newspaper
「メッセージ(1) 自民の変化球に惑うなかれ 国連平和協力法案の意味」
(『毎日新聞』 1990年12月6日)
「山陽時評」
(『山陽新聞』1990年8月26日、9月24日、10月15日、11月4日、12月10日)
「冷戦の終結とアジアの平和」
(『創価新報』 1990年9月19日)
「世界に通用する論理持て」
(『公明新聞』 1990年6月18日)
「時代の目 米の世界戦略転換を迫れ」
(『毎日新聞』 1990年1月6日)
雑誌 Magazine
「日本外交ー危機を好機に転じるために」
(『世界』1990年12月号)
「脱冷戦『平和構想』を米国に説け」
(『サンサーラ』1990年12月号)
「米中間選挙はなにを残したか」
(『世界週報』1990年12月4日号)
「日米安保体制に代わる構想を」
(『世界』1990年7月号)
「緊急インタビュー ゴルビー革命と国際政局・その展望」
(『公明』1990年7月号)
「日米安保にかわる安全保障の構想」
(『進歩と改革』1990年10月号)
「外国人労働者問題を考える」
(『桜門春秋』1990年秋季号)
「疑問だらけ政府の『貢献策』」
(『朝日ジャーナル』1990年9月14日)
「90年代の国際情勢とわが国の民主主義について」
(『法と民主主義』1990年7月号)
「日米関係問い直す 朝鮮半島めぐる変化」
(『朝日ジャーナル』1990年6月22日号)
「米ソはポスト冷戦のデザインを描き始めた」
(『エコノミスト』1990年6月19日号)
「国際環境の変化と教育のあり方を考える」
(日教組機関誌『教育評論』1990年6月号)
「激論座談会 ポスト冷戦と安全保障の質的変化」
(『月刊Asahi』1990年6月号)
「緊急インタビュー」
(『公明』1990年5月号)
「特集 どうする日米安保体制 激論!存続か、廃棄か」
(『中央公論』1990年3月号)
"Democracy, an Unintended Victim"
("Japan Quarterly"1990,1/3)
1989
新聞 Newspaper
「核心 『日米安保』は廃棄すべきだ」
(『中日新聞』 1989年12月5日)
「連合政権下の朝鮮政策」
(『社会新報』 1989年11月21日)
「インタビュー」
(『東京新聞』 1989年11月?日)
「天安門事件の背景と中国経済の現況」
(『新いばらき』 1989年11月2日)
「インタビュー」
(『東大新聞』 1989年10月17日)
「限られていた進路選択 公開待たれる『日ソ関係』」
(『朝日新聞』 1989年10月16日)
「論壇 アジア軍縮停滞は日米の選択」
(『朝日新聞』 1989年10月6日)
「主体思想の国・北朝鮮」
(『信濃毎日新聞』 1989年9月24日)
「混迷中国 波紋と行方」
(『東京新聞』 1989年6月10日)
「中国『5月政変』」
(『日本経済新聞』 1989年6月3日)
雑誌 Magazine
「中国社会主義の現実と本質」
(『文化評論』1989年11月号)
「いま、日本の防衛政策を問い直す」
(『エコノミスト』1989年9月26日号)
「中国指導部の問題意識と日中関係」
(『世界』1989年8月号)
「急浮上するアジア安全保障問題」
(『経済往来』1989年8月号)
「中国の『動乱』を考える」
(『軍縮問題資料』1989年8月号)
「東アジアの脱冷戦と日本」
(『世界』1989年6月号)
「激動するアジアに日本はついていけるか」
(『朝日ジャーナル』1989年1月13日号)
「真の日米友好を考える年」
(『AERA』1989年1月3/10日号)
「動き始めた朝鮮半島 日本は何をなすべきか」
(『世界』1988年12月号)
「新展開するアジア情勢」
(朝日新聞社調査研究室『調研室報』1988年12月号)
「イラン・イラク戦争といわゆる『地域問題』における国連の役割」
(『ジュリスト』1998年12月1日号)
「中国政治と日中関係」
(『東亜』1988年8月号)
「最近の中国情勢」
(『日中経済法律センター会報』1988年6月号)
「日本の対ソ政策を考える」
(『世界』1987年12月号)
「米ソ軍縮交渉と日本の安全保障政策」
(『世界』1987年5月号)
「日中友好は口頭禅ではない」
(『世界』1987年1月号)
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