広島一年生の『平和』についての所感 Page.1

2006.06.06

*3月31日(私の広島在住満1年の日)に標記の題でお話しする機会がありました。テープ起こしをしてくださいましたので、チェックすることができました。実は、レジュメを事前に送ったはずなのですが、何かの間違いで参加者に配られずに至らず、それを知った私は急遽レジュメの概要をお話しすることにかなりの時間を費やすことになってしまいました。そのため、お話の内容が薄くなってしまったのは非常に残念なのですが、やはり私にとって記念すべき日にお話ししたものですので、その大要を紹介します(2006年6月6日記)。

(はじめに)

今、沖村先生からご紹介いただきましたように、去年の4月1日から広島平和研究所という所にお世話になって、今日で丁度1年であります。先ほども、森田先生に申し上げていたのでありますが、仕事の上では、いらないことで悩むことが多いものの、個人的に申しますと、すごい刺激を受けながら、この一年間過ぎたなという実感を強く味わっております。大学の世界に入ってからでは、かつてない程に充実した一年、頭が活動した一年でした。この一年の間、最初の四分の三というものは、本当に見るもの聞くこと全てが新鮮で、その残りの四分の一くらいになって、やっと頭も少しずつ落ち着いてきて、自分でも資料を漁りながら、広島についての考え方を深めることができるようになり始めたと思うようになっています。

特に現在、私は、「生ましめんかな」という詩であまりにも有名な、栗原貞子さんの評論関連の本を集中的に読んでいます。残念ながら、1969年に出ました『ドキュメントヒロシマ24年』と1992年に出された『問われるヒロシマ』というタイトルの本は、所在は突き止めているのですが、まだ読んでおりません(浅井注:その後2冊とも読むことができました)。この69年と92年の間に、さらに3冊ほど出ておりまして、『広島の原風景を抱いて』、これが1975年。それから『核・天皇・被爆者』というタイトルのものが1978年。1982年には『核時代に生きる』という3冊目の本が出ております。これらのものを集中的に読んでいる最中であります。

今日のお話では、随所で、この栗原さんの書いている文章を引用紹介させていただくという形もとりながら、お話を進めて行けたらなと思っています。ちなみに今、中央図書館で「栗原貞子展」という企画展が開かれています。4月27日までですので、まだ行かれれば見ることができます。その栗原貞子さんをどう評価するかという点に関しては、私は必ずしも十分に理解しているわけではありません。この前、彼女についての講演会がありまして、それに出席して講師の方のお話を伺っているときに、彼女はご主人の思想をかなり濃厚に受け入れていたとお聞きしました。講師の方の言葉の中には、戦前戦時中のご主人はアナキスト的な傾向があるという紹介もありました。そのせいかどうかは分かりませんが、私も、この3冊の本を読んでいる中で、時々「あれ」と思って、ちょっと波長が合わないと思ったりするところもあります。

ですから、私は今の段階で、栗原貞子さんの思想に全面的に共感しているというわけでは必ずしもないことをはじめにお断りしておきます。しかし他方におきまして、私はこの1年間広島に腰を落ち着けている中で温めた問題意識とか、それから、これはこういうふうに考えるのかなと思うようなことについて、非常に多くの点で、栗原貞子さんが、この3冊が対象とする1970年代を中心とする広島をめぐる状況について、非常に鋭い指摘をしているという強い印象も受けております。私が今、広島にいて感じる問題意識の多くの部分を、栗原貞子さんがすでに1970年代に指摘しているということ、このこと自体が非常に意味のあることではないかと思うのであります。要するに、70年代に栗原さんが問題点として鋭く指摘したことが、私も同じように感じるということは、この30年間というものは何だったのかということになるわけです。そういうことで、栗原さんの指摘した内容も、随所でご紹介したいと思っています。

(レジュメの紹介)

まず私が今日お話ししたい内容の構成を、かいつまんで申し上げます。基本的には、広島に来る前から温めている「平和」という問題についてのいろいろな視点を整理してみたものです。それは5つの柱からなっております。

最初の問題は、「平和」ということを考える基礎として、国際情勢をどのように認識すべきなのかということについて、私の考えていることをご紹介するということです。結論的に言えば、この2006年の1年間という短い時間の幅で見れば、情勢は非常に厳しいと言わざるをえません。しかし中長期的に見れば、すなわち5年、10年、20年という時間的な間隔を取って、流れとして国際情勢を展望するならば、事態は正しい方向に向かって、緩慢であるかもしれませんが、着実な足取りを示しているということを申しあげたいと思います。ということで、短期的な2006年の国際情勢と、中・長期的な21世紀の国際情勢の趨勢ということで、整理してみようということです。

最初に申し上げるべきでしたが、少し補足させていただきます。今日の演題の「『平和』についての所感」において、「平和」と言うときには当然定義が必要です。私の今日のお話では、「戦争と平和」というようにいった場合の「平和」という限定した意味で考えています。しかし、単に「戦争のない状態」という消極的な意味ではなく、「戦争をさせない」、「戦争を封じ込める」、そういう意志、私たちの側における積極的な働きというものも込めた意味で使うということをお断りしておきたいと思います。

話を元に戻しまして、国際情勢の見通しを 1番目に取り扱った後に、以上の意味における「平和」を考える場合に取り上げるべき問題点として、核兵器廃絶の展望という問題を考えます。被爆地・広島における最も切実で、広島が主体的に取り組まなければならない最重要の「平和」にかかわる課題が核兵器廃絶であることは改めて申し上げるまでもないことであります。その課題を実現する条件があるのか、私はこの条件があると思うのですが、その課題を実現するために取り組むことが求められている問題はどういうものがあるか、どのように取り組むことが求められているかについて考えてみるということであります。

しかし、核兵器廃絶だけが問題のすべてではありません。核兵器廃絶問題は、戦争そのものを廃絶するという大きな枠組みの中での重要な一部であるという位置づけが私にはありまして、核兵器廃絶と戦争反対というテーマを切り離して考えることには非常に問題があるということを、私たちは常に忘れてはならないということを申し上げたいと思います。

国際情勢及び核兵器廃絶問題を考えた上で、次の問題として、そういう問題を考え、取り組むにあたって、私たち日本人は十分な問題意識を備えているか、また、こういう課題に取り組むに足る主体性をもう既に獲得しているのかという点についてお話ししたいと考えます。私は、広島に来る前からずっとこの問題について考えているわけでありますけれども、そういう点におきまして、私は今の日本人には非常に多くの足りないものがあるのではないかと思っています。

すなわち、どういうものがあるかというと、まず取り上げなければいけないものとして、いわゆる戦争責任の問題があります。そして、私自身は丸山眞男から多くを学んでいるのですが、より根本的な問題として、日本人には普遍性、普遍的なものに関する意識がない。欠落している。日本人の思想には「普遍」というものがないという指摘に、私は多くの示唆を得ています。「普遍」というもの、普遍性のあるものについての認識に欠けることが、実は多くの問題を生むことの底辺にあるのではないか。要するに、普遍性のあるものをしっかりと頭の中に収めていると、物事を判断する時のモノサシが頭の中に備わることになります。しかし、その普遍的なモノサシがないと、問題ごとに、その時、その時で判断が違ってしまう。非常に「ぶれ」が大きくなるという問題があると思うのです。その「普遍」の意識の欠如ということを考えたいと思います。

それからもう一つ、日本人の足りなさということを考えるとき、丸山眞男の所説の中で示唆に富む指摘は、彼の言うところの「他者感覚」という問題です。他者。他人ですね。他者に対する感覚。日本人に他者感覚が欠落していることが、極めて大きな問題です。例えば、私たち日本人に他者感覚が備わっていないために、日中関係とか日朝・日韓関係が、今、非常に悪化しています。私たちに他者感覚があれば、「自分が中国人だったら今の日中関係をどう見るか」とか、「自分が韓国人だったら今の日韓関係をどう見るか」とかいう視点を、すぐ考えることができるはずなのです。ところが、他者感覚がないものですから、常に日本人の自己中心的な立場でしか日中関係が見られないし、日韓関係が見られないという問題があるわけです。これは、私が外務省にいた時の実務体験にも裏打ちされています。私の意識と日本において大きな流れをつくっている意識とのギャップに、大きな違和感を覚えたのですけれど、丸山眞男を読んでいるうちに、他者感覚の有無ということで、その違和感の原因を理解したということです。

それからもう一つは、これは私の造語ですが、日本人の国際観というのはすぐれて「天動説」だということです。これは他者感覚がないということが国際問題を見るときにどういう形を取るかということですが、常に自分を中心にしてしか世界を見ることができない。ですから天動説なのです。しかし、もし私たちに他者感覚があれば、地動説で世の中を見ることができる。そうすれば、本当に国際問題を見る視点というものが変わってくるし、私たちとしてはバランスのとれた見方ができると思うのですけれども、そういうものもない。

まとめて言いますと、「戦争責任」、「普遍の意識」、「他者感覚」と「天動説の国際観」というような問題を、「平和」を考える場合の基礎条件としてとらえていなければいけない、ということになります。

そして3番目の柱。私が最近、集中的に考えている問題なのですが、『戦争する国 しない国』という本を書いたときに、私の造語として出しているわけですけれども、要するに平和観、平和に関する見方というときに、大きく分けて二つの見方があると思います。それは、一つは「力によらない平和観」。もう一つは「力による平和観」です。典型的に言えば、日本国憲法第九条は「力によらない平和観」を徹底して示していることになりますし、「力による平和観」を代表するものとしては、たとえばアメリカという国を考えてみていただければよいということになります。私たちは、「平和、平和」と言うわけですけども、実は、戦後のこの60年を通じて、憲法が出来てからはまだ60年に満たないわけですが、第九条の「力によらない平和観」が、いつの間にか空洞化され、私たちは現実に妥協した平和観に染まってきているのではないかということ。日本人の平和観の曖昧さという問題を考えなければならないということです。

そして4番目の問題として、私たちには国家観がないということが致命的な問題になっていることを強調したいと考えています。

この国家観というものが何故大事なのか、何故私が強調するのかというと、要するに21世紀の国際社会でも、国家からなる国際社会という構図はおそらく大きく変わらない。そういう点で、私たちは国家についての正確なイメージ認識を持っていなかったら、国際情勢を正確に認識することは不可能であると思います。もっと直截的にいえば、私たちは日本人である、日本に住む者であるということで、私たちが国際社会に関わる際には、日本という国家を通じて関わることが圧倒的に多いということです。勿論、私もNGOやNPO、国際機関の重要性を認めるのにやぶさかではありませんけれども、圧倒的に多くの問題は、国家関係として、国家間の交流として行われることが大きいわけです。従って、私たちが国家に対して正しい認識をもたなければ、私たちが国際社会と密に関わることにも問題が生じることになります。

現実には、多くの日本人が、国家についてまともに考えようとしていない。むしろ、いわゆる「平和愛好勢力」と言われる人たちの中には、「国家」というものを、いわば薄汚い存在、忌むべき存在、そういうふうにみなすことが非常に強かった。私がいろいろな所に伺うと、国家のことはもう議論しないでくれと、感情的に反発されてしまうことがあります。しかし現実には、日本がイラク問題にどう関わるのかといった時に、日本がどう関わるかといった問題が問われているのであって、私たち一人ひとりの人間がイラク問題にどう関わるかということは、国際的に問われていない。厳密には、「問われている」のですが、それよりも、日本人は日本という国家をしてイラク問題にどう関わらせようとしているのかということのほうが強く問われているのです。その時に、私たちに「国家」というイメージがなければ、答えを出すことはできない。そういう意味で、国家観というのは、私たちの側においてこそ、正確な考え方を持つ必要があると思っているわけです。その上で、日本国憲法がどういう国家観・平和観を体しているのか、どういう国家観・平和観をわがものにすることを求めているのかということを、考えたいと思います。

それから最後に、今日のタイトルにありますように、私はこの一年間広島におりまして、大きなギャップを覚えていることがあるわけです。それは、私が勝手に思いこんできたのが悪いと言われればそれまでですが、実は私には、被爆地・ヒロシマだから平和憲法に対する思い入れが深いはずだという勝手な思い込みがありました。しかし、それが必ずしもそうではないということに、やがて気付きました。そして、それは、私をして次のように思わせるに至ったということなのです。つまり、なぜ被爆体験が平和憲法への思いと結びつかないのかということです。その点について、栗原貞子さんの三冊の本を読んでいると、そういうことがあったのかということを思い出させてくれる、いろいろな指摘があります。勿論、栗原貞子さんものだけ読んでいると、私の頭もおかしくなりますので、山代巴さんの『原爆に生きて』や『この世界の片隅で』、そういうものも読みながら、バランスをとろうと思っています。

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