広島一年生の『平和』についての所感 Page.2

2008.06.06

<国際情勢をどう見るか>

最初に、平和を考える国際情勢の基礎ということですが、この2006年、2007年というような、この1、2年の情勢を考えた場合には、明るい材料は残念ながらあるとは言えないと、私は考えています。アメリカのブッシュ政権は、2007年までは任期があるので、とにかく、よほどのことが起こらない限り、来年の終わりまで、彼は政権にあるわけです。ですから、ブッシュ政権の小泉首相に勝るとも劣らない確信犯的な、硬直した発想からすると、私は世の中が好転する可能性はかなり低いのではないか、薄いのではないかと思うわけです。ただし今年の秋にはアメリカ議会の中間選挙もあるので、ブッシュ政権の「死に体」化がますます進むということはあり得ます。しかし、そのことが何か積極的要素を生むということも考えにくいということです。

核に関わらせて言いますと、私たちがすぐ思いつくだけでも、北朝鮮の核開発問題、イランの核開発問題、そして盛んに国内のマスコミが宣伝する中国の核戦力の増強という問題、あるいは本家本元のアメリカのブッシュ政権の攻撃的な核戦略問題という問題があります。これらの問題につきましても、ブッシュ政権がよれよれの状態になれば、イラクという泥沼にはまっているのに、さらに北朝鮮、イランを相手に戦端を開くということは、なかなか難しいだろうし、米中間の緊張が軍事的な衝突まで進むことも考えにくい。それから、ブッシュ政権の危険な核政策、すなわち「使える核兵器」を盛んに言っているわけですけれども、核兵器を使うことも、この2年間に起こるかというと、これもなかなか考えにくい。ただし、ブッシュ政権がイランとか北朝鮮を相手に何をやるか分からないということは常に考えておかなければいけないことです。ブッシュ政権は、とにかく軍事強攻策をやりかねません。しかし、イラクにおける泥沼の現状では、北朝鮮に対する攻撃、イランに対する攻撃も二の足を踏まざるを得ない。しかし、良い方向に向かう要素はないということが、まず一点です。

他方、21世紀の国際社会の大きな流れを考える場合、私はかなり楽観的であります。それはどういうことかというと、20世紀までの国際社会には確実な成果が現れているということであります。第一は、人間の尊厳を承認する、その具体的な現れとして基本的人権を尊重する、国際人道法の発展、あるいは、その政治的経済的社会的発展としての民主主義。そういうものを普遍的価値として認めるという大きな流れが、確実に起こってきているということです。そしてそれが国連憲章という形で確認されているということは、人類の歴史において決して否定できない、非常に大きな前進、成果であると、私は考えています。

もう一つは、先ほど「国家」ということの重要性を話しましたが、これもまた国連憲章において、国家と国家の関係は民主的でなければいけない、民主的国際関係という原則的関係を定めています。具体的には、独立国家の主権は尊重しなければいけない。国家関係は対等平等でなければいけない。国家の主権を尊重しなければいけないのだから、内政に干渉してはいけない。内政不干渉である。あるいは、戦争を禁止する。紛争は平和的に解決しなければいけないというような原則が定められました。これは非常に大きな成果です。

勿論、こういう国連憲章で定められた諸々の価値、民主的国際関係というものが、現在アメリカのブッシュ政権によって重大な挑戦に直面していることはあります。しかし、それによって、この国連憲章が摩滅して、中身がなくなるということではない。ブッシュ政権、アメリカの強権政治を押さえ込むことができるならば、再び国連憲章が国際社会の関係のあり方を規定する主軸の地位を回復することができる。そういう基礎を得ているということであります。

それからもう一つ大きな事は、戦争、核兵器を使用するということが、国際的に違法化されたということも、20世紀の大きな成果です。核兵器使用の違法化ということについては、私は国際司法裁判所の勧告的意見(1996年7月8日)に着目して言っているわけです。これも大きなものです。

今ひとつ、私は20世紀の国際社会の大きな成果として、ある国家が孤立して存在することはできない、交通・通信・運輸等々の発展によって国際的相互依存がしっかりと根を下ろしたということも、私たちにとっては積極的に考えるべきことであろうと思っています。

以上のいくつかの重要な要素を考えると、これらが20世紀に達成されたということは、私たちが21世紀の国際社会を展望する上で、非常に大きな基礎条件ができているということだと思います。いかに乱暴なブッシュ政権といえども、これらの達成物を根底から覆すことはできないだろう。むしろ大きな流れとしては、こちらが国際関係をリードしていくだろう、支配していくだろうと、私は考えています。

ただし、21世紀の国際社会が全くバラ色かというと、そうではなくて、私は、大きな問題として、二つのことを考えています。ひとつは地球環境の問題です。このまま温暖化が進んだりすると、人類の生存そのものが危機に瀕するという状況が生まれていることは間違いありません。もうひとつは新自由主義。グローバリゼーションという主張、現象が進んでいますが、これは民主主義という普遍的価値を根底から崩しかねない、危険な要素を孕んでいる問題であります。したがって、私たちは手放しで楽観できるわけではありません。しかし、大きな流れとしては、先ほど申し上げた積極的な成果、達成物が私たちの手にある限り、国際社会の将来展望というのは明るいと考えて良いのではないか。そういうふうに国際情勢を展望した上で、具体的な問題に入りたいと思います。

<核兵器廃絶問題>

まず、核兵器廃絶の展望ということですが、これを具体的にどう考えればよいのかと私は模索している最中ですが、要するに、ヒロシマ・ナガサキをホロコーストと同じように「人類共通の負の遺産」として国際的な共通認識を実現することが、その答えであろうと思っています。「負の遺産」というのは繰り返してはならないという点で、みんなの認識が一致する、そういう意味での遺産ということであります。

そういう「負の遺産」となるための客観的条件はあるかと考えますと、これは明確にあります。そこで私は二つの普遍的要素として考えるのが、ヒロシマ・ナガサキは「大量無差別殺戮」、あるいは今日的に言えば、ジェノサイドとかそういうもの、ホロコーストもまさに「大量無差別殺戮」の典型でありますが、そういう点において非常に際だった特徴を持っているということであります。「大量無差別殺戮」は許されないことであることについては、よほどのものでない限り同意するという説得力を持っています。

それからヒロシマ・ナガサキの場合は、もう一つ普遍性を持っています。それが「被ばく」ということであります。よく私たちは「唯一の被爆国」とか「唯一の被爆都市」とか安易に言いますが、実は「被ばく」という問題は、既にヒロシマ・ナガサキだけの問題でなく、チェルノブイリとかネバダとかセミパラチンスク、マーシャル群島とか、学問的には証明されていないという主張もありますが、「劣化ウラン弾」の問題とか、そういう問題で被ばくの恐ろしさということについては、国際的に認識が深まってきています。

そういう点で、ヒロシマ・ナガサキは「人類共通の負の遺産」となるべき要素を二つ持っているということです。このような二つの要素を兼ね備えているという点で、ヒロシマ・ナガサキは非常に国際的にも際だっているということができます。勿論、チェルノブイリ、ネバダ、セミパラチンスク、マーシャル群島、そして劣化ウラン弾は、「被ばく」ということには直結しますけれど、「大量無差別殺戮」、ジェノサイドという範疇にはなかなかはまらない。他方、ジェノサイドとして知られている、例えばルワンダの大量虐殺とか旧ユーゴにおける大虐殺という問題は、ジェノサイドという点で、ヒロシマ・ナガサキと共通しています。従ってヒロシマ・ナガサキの場合には、二つの普遍的な負の遺産を一身に背負っているということにおいて、ホロコーストと同じように、人類共通の負の遺産として認識されるべき要素を持っていることを申し上げたいのです。

ちなみに栗原貞子さんは、1980年に書いた 「太平洋諸島の被爆者たち」とか、79年に書いた「原爆体験」というところで、日本が唯一の被爆国というのはおかしいと言っています。やはり私たちは、太平洋諸島の問題とか、そういうものを視野に収めなければいけないと言っているのです。あるいは、唯一の被爆国というときに、実は広島・長崎において強制連行されてきていた多くの朝鮮人が数万の規模で亡くなっているということを視野に収めなければおかしいとも指摘しています。

そういうふうに、ヒロシマ・ナガサキは、ホロコーストと同じように人類共通の負の遺産となるのにふさわしい内容があるのですが、実はホロコーストについては「人類共通の負の遺産」として国際的に認識が確立しているけれども、ヒロシマ・ナガサキはそうなっていないという現実があります。そうすると、何故ヒロシマ・ナガサキが「人類共通の負の遺産」として確立しないのかということを考えなければならないと思うのです。その時に、私はいろいろ考えているうちに、既に「人類共通の負の遺産」として国際的に認識が確立しているホロコーストと比較することによって、何かが見えてくるのかなと考えるようになりまして、今からご紹介するのは、その問題整理であります。

一つは、ホロコーストの張本人であるドイツのホロコーストに対する取り組み方と、ヒロシマ・ナガサキに関する日本国の取り組み方とを比較することです。そうすると、たちどころに明らかになることは、ドイツの場合はホロコーストという問題について国を挙げて取り組んでいるということがあります。それに対して、日本の場合はどうかというと、唯一の被爆国、非核三原則と言いながら、その日本はアメリカの核の傘に依存することを公然と行っている国であります。アメリカの核の傘に依存しながら非核三原則を言うのは、これは完全な「精神分裂」です。こんなことは国際的には物笑いになることはあっても、まともに取り扱ってもらえることではありません。外務省にいた時、外国で意見交換している時に、「唯一の被爆国」として核廃絶を主張したいと言うと、「あなたの所は、核抑止力に依存しているではないか」、「それがどうして核廃絶と言えるの」と言われると、それで議論が終わりなのです。日本はそれほどの矛盾をかかえている国であります。しかも日本国政府がヒロシマ・ナガサキを世界に対して声高に主張するかというと、そうではありません。私の過去の実務体験を振り返ってみても、それはありません。要するに、ヒロシマ・ナガサキは特殊な存在なのです。以上からわかることは、国を挙げて取り組むドイツと、口先だけの日本という違いであります。国際的に見れば、決定的に大きな違いです。日本は核廃絶に本気であるとはとても思えないということです。本気でない日本がいくら「唯一の被爆国」と言っても、それは口先だけのことで、説得力を持ちません。それが一点です。

それからもう一つの大きな問題は、ドイツの場合は、ホロコーストの対象となった諸民族、人びと、そして国々との間に、そのホロコーストについて共通認識をつくるために必死の努力をしてきているということです。そして、そのことによって、確実に成果を上げています。それに対して、日本はどうか。そのことを、ここでさらに細かく分けていくと、アメリカとの関係、アジアとの関係ということが出てきます。

まず、アメリカとの関係ですが、本当にヒロシマ・ナガサキを国際的な「人類共通の負の遺産」とするつもりならば、アメリカの核抑止力に依存するということを清算するのみならず、それと同時に、アメリカの核抑止力肯定論にも、これを克服するための働きかけをしなければならないと思います。その際に、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下を正当化するアメリカの主張を、私たちは克服する必要がある。あるいは、国際司法裁判所の勧告的意見である程度認められているように、核兵器の反人道性、あるいはそれを使用することの国際法上の違法性が認められているのにもかかわらず、アメリカがそれを受け入れることを拒んでいることを、何とかしなければならない。アメリカが世界最大の核兵器保有国でありますから、そのアメリカが核兵器を肯定する立場を貫く限り、ヒロシマ・ナガサキを「人類共通の負の遺産」として認めさせることは、「夢のまた夢」とならざるを得ないという問題があるのです。

それからアジア諸国との関係では、やはり、ヒロシマ・ナガサキに関して共通の認識を形成する必要があるように思います。実は、最近も、広島の原水協が韓国からの代表団を招いた時、私も伺わせていただいたのですが、その準備の過程で、やはりヒロシマ・ナガサキについて韓国や中国と共通認識を得ることは非常に難しいということを、原水協の方から伺いました。中国勤務も長かった私にしてみれば、いまだに国内的に、この問題で道筋がつけられないでいることは、奇異な感じが正直いたしました。その場合に、これは栗原貞子さんも指摘していることですが、やはり日本の原水爆禁止運動の中には、過去の侵略戦争の歴史に対する視点が曖昧であるという問題がやはり一つの大きな問題になっていると思います。勿論、日本の侵略戦争を批判する点で、原水協に躊躇があるとかということでは全くありません。しかしヒロシマ・ナガサキを語る段階において、侵略戦争を持ち出すことが何となくはばかられる雰囲気があるところが、私は実は非常に大きな問題があるのではないかと思います。

私の単純な発想から言えば、侵略戦争・植民地支配に起因する15年戦争の結果としてヒロシマ・ナガサキに対する原爆投下があったということを、歴史的事実として認めるしかないと思うのです。そういうことを認める私たちであれば、韓国や中国の人たちは、素直に納得するわけです。そういう共通認識を前提とした上であれば、核兵器というものの反人道性、国際法違反性といったことについて、中国・韓国も認めるでしょう。そういうふうに私たちが問題を整理して提起すれば、韓国・中国の人たちは決して違和感を持たないことを、私は自分自身で体験しております。

特に、韓国の場合は、民主化が進んでおりまして、そういう過程の中で、近年におきましては、韓国人被爆者問題についても、韓国の中でも非常に大きな問題意識が出ています。日本にいたために被爆した人たちが1万数千人という規模において韓国でまだ生きておられる。その彼ら自身及び支援者が、韓国の解放を早めてくれたから原爆は良かったのだというような議論ですむのかという問題意識を語りはじめています。

それから中国につきましては、核兵器保有国の中では、唯一核兵器廃絶の可能性に言及する柔軟性を持った核戦略を唱えている国です。彼らは、核兵器の先制使用はしない。自衛のためだけにしか使わない。全面的核廃絶ということも、彼らの主張の中において、繰り返して言っているわけです。ですからアメリカが核兵器を廃棄すれば中国は核兵器を持つ必要はないと、非常に明確に言っています。

ですから、そういう国を相手にした場合、私たちは侵略戦争の結果としてヒロシマ・ナガサキがあったという歴史的事実と、核兵器自体の不当性ということとを分けて論じるということをすれば、共通認識を達成することは、アメリカの核固執論を克服するよりもはるかに有利な条件があるということを申し上げておきたいと思います。いずれにしても、こういう問題を私たちが整理し、克服しない限りは、ヒロシマ・ナガサキをホロコーストに並ぶ「人類共通の負の遺産」として国際的に確立させるということは、なかなか望みがたいことです。しかし、こういう条件を克服しさえすれば、ヒロシマ・ナガサキを「人類共通の負の遺産」として確立することもできるということでもあります。

それから、もう一つ別の次元でヒロシマ・ナガサキを「人類共通の負の遺産」とすることを難しくしている問題があります。それは、広島の人びとが「一つの声」で核廃絶を言っているのかということです。私はこの一年間の滞在という限られた期間でありますけども、そんなに事は単純ではないなと考えざるを得なくなっています。広島の中に、ヒロシマを「人類共通の負の遺産」とすることを妨げる主体的な要因があるのではないかということです。

このことについては、私の自身の思い込みかなと思っていたのですが、実は、栗原貞子さんのいろいろな議論の中に、私の感じていることが決して根拠のないものではないことを指摘している所があります。例えば、彼女は、「被爆者が自分の個人的な体験に固執してとじこもり、体験しない人が被爆者に対してうしろめたさや引け目を感じるという現状では、ほんとうの連帯をつくり出していくわけにはいかないであろう。」というようなことを、1968年に言っております。1976年には「(ヒロシマ・ナガサキは)全人類にかかわる問題でありますが、原爆投下による圧倒的な事実のため、被爆者は個人的な体験から抜け出ることが出来ないで、文化面でも原爆自閉症や原爆ローカリズム、被爆ナショナリズムがつきまとい、このため、朝鮮人被爆者や外国人被爆者の問題が表面化したのは1965年の頃」というようなことも言っています。要するに、広島が一枚岩ではないということを鋭く指摘しています。

あるいは、山代巴さんの『この世界の片隅で』という、1965年に出された岩波新書を読んでも、そのことがわかります。はじめ、『この世界の片隅で』という題は何のことかと思ったのですが、結局そこで描かれている様々な被爆者を言っているわけです。それがどういう人たちであるかというと、在日朝鮮人であり、部落の人であり、胎内被爆・小頭症の人であり、原爆孤児、孤老の人であり、沖縄の被爆者であると、そういうことですけども、そういう人たちが被爆者の中でもまた差別され、区別されている状況があるというようなこともあります。栗原貞子さんの先に引用した文章でもわかりますように、被爆者と非被爆者との間にも微妙なずれがあるというようなこと。そういうことを考えていきますと、やはり国としての日本自体が、ヒロシマ・ナガサキに対して、決してほめられるような一貫した政策を持っていないのみならず、この広島の中においても、広島をいかに位置づけるのかということにおいて、必ずしも統一された意思が形成されているわけではないことを感じざるをえない。勿論、私はこれからもさらにこの点については勉強していかなければいけないと思っていますけれども、そういう問題を私たちが直視し、解決するために主体的に取り組んでいかないと、ノー・モア・ヒロシマ、ノー・モア・ナガサキといくら言っても、きつい言葉で言えば「白々しい」という印象を与えかねないと思います。そういう問題を申し上げておきたいと思います。

それから私は、核廃絶を目指す立場に立つ者にとって、やはり二つの問題を指摘しておきたいと思います。それは先ほども紹介のところで言いましたが、戦争禁止という大きな展望の中で核廃絶問題を位置づける課題があるのではないかということです。核廃絶については、アメリカの中で「力による平和観」を持っている人の中でも、核兵器はいらないと言っている人もいるのです。「核兵器は廃絶しましょう」「ああ、いいよ」「だけどアメリカは世界最強の軍事力を持ち続ける」という話しになってしまう。そうなった時に、それに対して、私たちは一体どうするのか。私たちは憲法第九条の「力によらない平和観」を堅持する立場から言えば、そういう「つまみ食い」をされる時に、一体私たちはどうするのかという問題が出てきます。そういうことを、やはり考えなければいけないのではないかということです。

これについても栗原貞子さんは鋭く問題を指摘しています。例えば、「原水爆反対だけが強調されているうちに、反原爆は反戦につながらないという現実が生まれてきた」という指摘をしていますし、彼女の積極的姿勢からは、8月6日と8月15日は切り離して考えるのではなく、連続した反原爆と反戦として考え、行動すべきであるという主張が出てくる、ということです。こういうところも私たちとして考えるべきところがあるのではないでしょうか。

ちょっと立ち止まって考えれば、私たちはノー・モア・ヒロシマ、ノー・モア・ナガサキ、ノー・モア・ウォーというわけです。原点において、私たちは反戦と反原爆、核廃絶とを結びつけて理解しているからこそ、ノー・モア・ヒロシマ、ノー・モア・ウォーを一括りにして言っていたはずなのです。ところが、いつの間にか、そのスローガンが形骸化して、反核、核廃絶のみが強調されて、ノー・モア・ウォーというところが思想化されないという問題が出てきた。ここはやはり、私たちがこれから核廃絶運動に取り組む上で、私たちにおける主体的問題として、考えていかなければいけない問題だと思います。

それからもう一つの大きな問題は、平和憲法を核兵器廃絶と結びつけてとらえるという視点です。ここでも実は栗原貞子さんが、1976年に「日本の平和憲法は、戦争と原爆の悲惨な国民体験から生まれたものであることを忘れてはならないと思います。」とはっきり言っています。そしてまた1947年の広島市の平和宣言を見ても、核兵器の登場が世界を変えたのだととらえる認識を示しています。憲法との直接的なつながりを言っているわけではないのですが、明らかに核兵器、ヒロシマ・ナガサキの登場によって、世の中の安全・平和に関する根本的な考え方が変わったという思想はあるわけです。このように、反核と反戦が太くつながれていたわけですが、それが、いつの間にか日本が日米安保条約を当たり前にする、アメリカの核抑止力に依存することをいつの間にかしょうがないと思うようになってくる。その中で核と平和憲法の結びつきという議論が表面から消えてしまってきた。私たちは、もう一度その結びつきを示す議論を展開する必要があるのではないかと考えています。

<私たちの主体的問題:戦争責任>

それから次に、平和の問題を考える上でしっかりさせておかなければならない私たち自身の主体的な条件・問題として、時間がありませんので、「普遍の意識」の問題、「他者感覚」の問題、「天動説」の問題は省略せざるをえないので、「戦争責任」の問題だけ考えたいと思います。ここでもやはり戦争責任問題を巡っての、ドイツの対応と日本の対応の違いは何故生まれたのかということから考えていくと、いろいろ背景が分かるのです。

例えばドイツは、アメリカだけでなく、ドイツに痛めつけられたソ連、イギリス、フランスという国も占領行政に加わったことによって、アメリカが思いどおりにドイツを取り仕切ることができなかったという事実があります。それに対して、日本はアメリカの単独占領に置かれたがために、アメリカの意向次第でいかようにも国のあり方を変えさせられてきたという問題があります。その中に「戦争責任」の問題も含まれるのです。

具体的には、日本とドイツの戦争遂行の最高責任者・指導者の戦争責任に対する問い方に非常に大きな違いがあります。ドイツにおいては、徹底的にナチスが裁かれたのに対して、日本では昭和天皇の免責に代表されるように、戦争責任の問い方が非常に不徹底でした。さらに言えば、そういう戦犯のほとんどが釈放されて、政治的経済的に復権することによって、日本においては戦前の指導者と戦後の指導者の間に人的・思想的・組織的に連続性があるという問題があります。それに対して、ドイツにおいては、曖昧さは残りますが、日本に比べればはるかに明確に過去との断絶を行ったということもあります。

さらに言えば、そのドイツも1950年代においては、それほどほめられるような状況ではなかったと言われていますけれども、それでも60年代後半以降においては、ナチスの戦争責任に対する向き合い方が徹底的になってきたのに対して、日本は逆に年を経るにつれて戦争責任を曖昧にする、あるいは戦争責任を否定するという動きが強まってきた客観的な流れがあると思います。

そういう客観的な国のありようという問題に加えて、さらに私は、そういう状況を許してきた日本人の私たちの中にもいろいろな問題があるのではないかと考えております。そういう点で、「戦争責任」に向き合えない日本人という問題が確実にあるのではないでしょうか。勿論、この会場におられる方はそうではないと思いますけれども。非常に多くの日本人が過去と向き合おうとしないということは否定できない事実であります。

そういう点で、私が今関心を持って見ていることの一つに、原爆投下に関する昭和天皇の責任問題があります。これを直視することを避ける日本、そしてヒロシマという問題を考えます。そして、そういう問題意識を私がもつことが必ずしも的はずれではないということについてもやはり、栗原貞子さんの論述からわかるわけです。あるいは山代巴さんの『原爆に生きて』にもこの問題を考える材料を提供している一節があります。

ここでは山代さんの本の一節を読み上げます。1947年12月に天皇が広島に巡幸、つまり訪問しました。その際、山代さんの友人が勤めていた三菱重工業三原車両製作所は、天皇がこの工場を訪れるという時に、組合大会で満場一致で「会う必要なし」と決めたというのです。ところが天皇が来た当日における状況についての山代さんの文章を読み上げます。「『バンザーイ』のどよめきが聞こえる。窓から見下ろすと何千という組合員が、沿道に整列し、…三百を超す細胞員(注:細胞員というのは共産党員)まで、日の丸の小旗を振って熱狂していた。彼は負けたと思った。」と書いております。

当時の広島市長であった浜井信三氏の『原爆市長』という本にも、その時の光景が出てきます。一節を読みます。「沿道は切れ目のない奉迎の列であった。わけもなくほとばしる『バンザイ』『バンザイ』という歓声が、お車を包んで、宮島街道を、潮騒のように、また遠雷のように東へ走った。」と書いてあります。広島をあげて天皇を歓迎したわけです。実は必ずしも歓迎する人たちばかりでないということは、別の資料で見つけることもできました。要するに天皇を許すことはできないという気持ちを持った人が、広島の中にもいたことは、文献的に確かめていますけれども、しかし圧倒的に多数の広島市民が原爆投下の二年後に、これだけの熱狂をもって天皇を迎えたこと、この天皇に対する認識、昭和天皇に対するこの甘さが、やはり私たちの戦争責任に対する問題意識を非常に鈍らせることに大きく働いているのではないかと思います。

もうひとつ例を挙げます。戦争責任という時に、アジア諸国に対して誠意を持った対応ができない日本があるということは、ご存知だと思います。それについても、栗原貞子さんの『ヒロシマという時』という詩があります。その一節を読みます。「〈ヒロシマ〉といえば〈パールハーバー〉/〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉/〈ヒロシマ〉といえば女や子どもを/壕の中に閉じこめ/ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑/〈ヒロシマ〉といえば/血と炎のこだまが返って来るのだ」。要するに、私たちが「ヒロシマ、ヒロシマ」と叫んでも、日本のアジアに対する戦争責任を正面から認めない私たちであるならば、そのヒロシマをアジア諸国は許さないということです。そういうところを考えなければならない。この詩の最後の所で、「〈ヒロシマ〉といえば/〈あゝヒロシマ〉と/やさしい答えが返ってくるためには/私たちは/私たちの汚れた手を/きよめねばならない」とありますように、私たちは戦争責任に正面から向きあう気持ちを我がものにすることが求められていると思います。

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