国連憲章と先制攻撃・「人道的介入」−アナン事務総長諮問委員会の報告書を読んで− Page.2

2005.02.28

○司会
 どうもありがとうございました。
 詳細なレジュメがありますが、ここで質問等はございますか。
○(質問者A)
 先ほど先生の方からジェノサイドについて、それが実際に生じようとしている、あるいは生じていても、現在の国際社会はそれをきちっと武力によって抑制する力なり秩序なりを許さないのではないかという趣旨の御意見を述べられたわけですけれども、それに対してむしろ経済的な文化的な措置を考えるべきだということのようなんですが、これはどうでしょう、憲法改正の文脈で考えれば、もし私たちがそういうジェノサイドを受けるような事態に立ち至った場合、国際社会に期待できないということになるわけでしょうか。そういった場合、国際社会をあてにしてはいけないと、そういう御意見というふうにお伺いしてよろしいでしょうか。
○浅井
 国際社会に期待できないということではなくて、国際社会がそういう事態に対して武力による対応しか考えないというところにそもそも発想の間違いがあるのではないかという点を強調したいという趣旨です。ジェノサイドが正に起こってしまっている、そういう事態に立ち至ったときに、それに対して救急的に軍事的対応を試みても、私はそれによって問題を解決することはできないと申し上げたいわけです。
 むしろ私たちが考えるべきことは次のことです。つまり、ジェノサイドが起こるに至る状況というのは、かなり前の段階から予見できるわけです。したがって、ジェノサイドが起こりそうなところに、早め早めに手を打ってジェノサイドが起こらないようにする。それを国際社会の取り組みとしてやっていくことが必要だということです。ですから、決して国際社会に期待を寄せてはだめだということではありません。じつは全く反対であって、国際社会は積極的に関心を持ってかかわらなければならない。しかし、そのかかわり方というのは、事件や何かが起こったら、それに付け焼き刃で対応するということではなくて、萌芽の段階から、それに対しての情報収集とかの機能も含めて、そういうことが起こらないようにするための取り組みを本格的にやるということ、それが非軍事的な措置であるということだろうと思います。
 それと、実際にジェノサイドが起こった場合には、それに対してもう手の打ちようはないわけで、私たちが行うべき努力の重点は、ジェノサイドがなるべく早く終わるように、どうしたら当事者たちがそのジェノサイドをやめるか、そのためのインセンティブというものを考えていくということに全力を注ぐべきではないのか、ということであります。
○(A)
 そのインセンティブの中には武力行使は含まないということですか。
○浅井
 はい。武力行使は、むしろ事態を悪化させることに役立つだけであろうと思います。現に今スーダンのダルフールというところでジェノサイドが起こっているわけですけれども、国際世論においては、軍事的対応をやるべきだという議論は出ていますが、現実にはそれはとり得ないでいるのです。それはなぜかといいますと、実効ある成果が期待できるのかということに確信が持てない、というところが本音です。現実的に今議論されているのは、虐殺を免れた難民に対する救援をどうするかとか、あるいはその虐殺の背後にあるスーダン政府が如何にしたら虐殺を行わないようにすることができるかとか、そういう次元での問題になっています。ですから、私が申し上げていることは決して夢物語ではなく、スーダンのダルフールのケースにおいては、現実に国際社会が試みつつあるケースでもあるということです。
○(A)
 それは試みつつあるというふうに評価していいんでしょうか。ただジェノサイドが起こるに任せているということではないんでしょうか。
○浅井
 実際にはジェノサイドが引き続き起こっているという報道を目にしております。けれども、その事態に対してOAUを中心とした国際部隊を送り込むことによって解決するという構想も確かに提案されていますけれども、実現には至っていません。なぜかといえば、ジェノサイドを行っている暴徒たちを鎮圧するだけの強力な国際的な軍事力はとても組織できないということがはっきりしているからだと思います。また、ダルフール問題を本気で解決する意思の一致も、安保理常任理事国である大国の間で生まれないという現実もありますから、そういう意味でも、このケースは明らかに軍事的な解決は答えにならないことが国際的に認識されている、ということではないでしょうか。
○(A)
 しかし、どうなんでしょう、今例に出されたものでもいいんですけれども、経済的、文化的措置をとることを考えるべきだというふうに先生は御提案されたわけですけれども、そういうような検討なり、そういう活動なり、そういう動きなり、国連を初めとする国際社会の中で武力行使のかわりに別のことをやるという動きはあるんでしょうか。
○浅井
 今のところは、残念ながら応急措置の次元にとどまっています。しかし、私が常々申し上げているのは、仮に大国日本がそういう問題について、非軍事的な措置・対応をひっさげて国際的なイニシアチブをとる必要があるということです。ちなみに、日本はこの2月から安保理の非常任理事国にもなるわけでありますから、そのときにそういう経済的な措置あるいは非軍事的な措置のパッケージをもって安保理の審議に臨む。そして国際的なリーダーシップをとるということになれば、私は、私の申し上げたような内容で国際社会が行動をとる可能性が十分に出てくると思います。我々日本人が、大国日本の実力を自分たちで認識していないというところに、実は最大の問題があると思います。私たちがその点を認識すれば、ものすごいことができると思います。
○(A)
 そういう形で積極的に安保理にかかわっていくべきだということなんでしょうけれども、最後の質問なんですが、他国でのジェノサイド等の紛争に介入していく場合の考え方というのはよく理解できたんですが、ジェノサイドの中には当然核兵器によるジェノサイドがあるわけで、例えば現在、北朝鮮及び中国の核弾頭が日本に向けられているわけですが、これによるジェノサイドに対してどのような有効な予防方法があるというふうに先生はお考えなんでしょうか。
○浅井
 この問題については、率直に言って、まず?永弁護士のお考えには、基本的な出発点において、私は誤解があるのではないかと思うのです。すなわち、中国、北朝鮮の核ミサイルが日本に向けられているという前提がおありになるのではないかと思うのです。
 しかし、中国、北朝鮮からすれば、米・日という巨大なライオンとトラが虎視眈々と中国に対し、あるいは北朝鮮に対して先制攻撃の戦争をかけようとしていると映じているに違いありません。中国、北朝鮮は、必死になって自分を守ろうとして身構えているのが、核開発であり、ミサイル開発という形で現れているのだろうと思います。「もしアメリカ(日本)が攻めてくるのであれば、敵わぬまでも核ミサイルで報復するぞ」と言っているのが、私は物事の本質だと思います。
 したがって、アメリカと日本が、中国、北朝鮮に対する敵視政策をやめさえすれば、私は、中国、北朝鮮から核ミサイルが日本に飛んでくるなどということは、およそあり得ないと確信を持って言うことができます。
○(A)
日米安保条約を廃棄することがジェノサイドを回避する道だというお考えでしょうか。
○浅井
 端的に言えばそうです。日米安保条約を廃棄することが、問題の根本的解決になることは間違いありません。しかし、それ以前にも、現在進んでいる、先制攻撃戦略に立脚したブッシュ政権の軍事戦略に巻き込まれる形での日米軍事同盟の再編強化をやめるべきです。そうすれば、中国と北朝鮮は安心しますから、そういうばかな考え方はおよそするはずがないと思います。
○(A)
 日米安保条約を解消して、かつ憲法改正しないで武力を持たない、あるいは武力行使の自由を持たないということが平和への道だというお考えなんですね。
○浅井
 はい。私は、アジアの問題については、仕事の上でかなりかかわってきたこともあって確信を持って言えるのですが、やはり私たちが考えるべき出発点は、日本は加害国であったということです。そして、中国や北朝鮮は被害者であるわけです。私たちはともすれば天動説的発想に陥りやすく、「自分は悪くない、悪いのは相手だ」と思いがちです。けれども、そういう発想は間違いであって、諸悪の元凶は日米軍事同盟にあり、ということが、私は今の国際関係、特にブッシュ政権の危険な先制攻撃戦略を前提にすると、言えると思います。ですから、日本がそのアメリカと軍事的に手を切るということは、アメリカの先制攻撃戦略に対して物すごい打撃になり、それはひいてはブッシュ政権の安全保障戦略に対する根本的再検討を迫る意味も持つということになりますから、私はそういう方向性を日本はとるべきだと思います。
○(質問者B)
 今日はどうもありがとうございました。自分では国連というものに対して期待感なり、そういうふうな楽天的な見方をしてはいけないというふうに思いつつも、改めて今日御専門の立場、そして実際に体験されてきたお立場からお聞きして、国連というものの実態というふうなことを改めて認識させられました。それでもなおかつ御質問させていただきたいのは、大部分におきまして先生と意見は一緒なんですが、ただ国連の人道的介入あるいは予防的措置についての検討の今の実態、お話をお聞かせいただいていると、やはりアメリカの一極主義というものと基本的に同じ方向性というふうな形でのお話だったかと思います。国連内部においてはこのイラク戦争において、非常任国も含めて、フランス、ドイツ、ロシア、中国等が示したような、アメリカの一極主義にある程度抵抗しながらも、なお予防解決あるいは人道的介入という形で紛争を予防的に解決していく、そして国際的なある種警察機構的な組織の中で軍事力の行使や、あるいは圧力も含めて法の支配を貫徹していこうという動きが国際社会の中ではやはりあるんだろうと。そして、それがアメリカの一極主義に対して一定の抵抗力になっていって、模索をしながらも国際秩序を形成していくんじゃないかと。国連が今産みの苦しみというか、そういう形成過程にあるんだろうというふうにある意味期待感も含めて楽観的に物を見ていたんですが、そういうような見方ということについては今日改めて認識を新たにしたんですが、しかしなおそれでも国際社会の中でそういうことを模索し、実際に実践していく機関としては国連しかないと私は思っています。したがって、その国連の中でそういう希望の芽というか、法の支配を貫徹していくというふうな芽が本当にどこにあるのかということについて、先生の今日のお話の論調とは少し逆の方向かもしれませんが、希望が持てるようなお話がもしあればお聞かせいただきたいなと思います。
○浅井
 B先生が何度も法の支配ということをおっしゃいました。私も、この国際社会が民主化される、国際民主主義が広く行き渡るためには、法の支配ということがどの国にも、アメリカも含めて、受け入れられるようにならなければならないと思っています。また、法の支配が確立しなかったら、国際社会はやくざの世界になりますから困るわけです。ですから、法の支配ということは非常に重要な要素だと思います。その点では全く同感です。
 しかし、法の支配をどのように貫くのかというときに、先ほど申し上げましたように、今の国連憲章のもとでは、要するに安保理が国際の平和と安全の問題については一手に引き受けるということになっており、かつその中においても5大常任理事国の拒否権を含む力が圧倒的に強いという現実があるわけです。先ほど湾岸戦争の例を申し上げたように、大国間で野合が進んでしまうと、安保理決議という法的拘束力を持ったことによって、やくざでの論理がまかり通ってしまうという問題が起こるわけです。これは、本当の意味における法の支配とは違う、と私は思います。
 ただし、現実論として、安保理常任理事国に自ら拒否権を放棄する気持ちにさせることが不可能であり、国連憲章の今の安保理の仕組みは変えられないということだと思うのです。しかし、他方で、アナン事務総長に対する諮問委員会の報告書が書いているような、「国際の平和と安全」という言葉は概念が非常にあいまいかつ広義であって、したがってその解釈は安保理の裁量にゆだねられている、と簡単に割り切っている部分が実は問題だと思うのです。
 国際社会が本当に法治社会に近づこうとするのであれば、「国際の平和と安全」という概念を正確に定義する。そしてどういうケースがこの概念に該当するか、該当しないかということを、法的に正確に認定することが不可欠だと思います。ですから、私は今の国連憲章を変えなくても、その認定手続については別個の機関を設け、その機関が安保理に対して諮問的あるいは法律顧問的な役割を果たすようにすることによって、法の支配というものを実体化する、あるいは中身のあるものにすることができていくのではないかと考えます。
 もう一つ申し上げれば、西先生の御指摘の点で私が同感している部分は、アメリカの一極主義に対して、フランス、中国、ロシアなどが反対したことによってイラク戦争を合法化しなかったということは、私は国連の積極面だと考えています。しかし、その後、実際にイラク占領が始まった後できた決議によって、アメリカ軍をはじめとするいわゆる有志連合軍のイラク居座りを容認する決議ができてしまったのですが、それというのも、フランス、ロシア、中国が反対しなかったからです。本来であれば、違法な戦争を行った軍隊が居座ることを認めるということはおかしいわけで、そこで大国間の妥協が行われているというところにおいて、実は問題があるのです。そういう重大な問題があることをフランス以下の国々がやってのけてしまったというところにも、やはり私は大きな問題を感じています。私が申し上げたような法律的な専門的な判断をする機関が別個にあって、そこが決めることが国際的に既判力、拘束力を持つというような仕組みにすれば、大国が勝手な行動をとるということをチェックする機能を持つことができるということだと思います。
 ですから、私は、国連をバイパスするとか、国連はもう役立たずだということを考えているのではなくて、ただいま申し上げたような方向で、つまり、法の支配をより中身のあるようにするための方向で、国連が自己改革をしていくというために、日本が率先して国際的なリーダーシップをとっていくべきではないかと考えています。
○司会
 今の国連が認定する機関というのは、国際司法裁判所とかそれに類したものを考えておられるんですか。
○浅井
 国際司法裁判所に新しい権限を与える国際的な条約を結ぶということで国際的なコンセンサスができるのなら、それはそれでいいだろうと思います。あるいは、安全保障理事会に直属する法律顧問委員会のような組織を設置するということもいいだろうと思います。あるいは、それこそ安保理の影で本当に存在感が薄くなってきた国連総会というものがあるわけですが、この総会はそれこそ全世界の国が集まる国際議会に当たるものですから、その総会が立法的な権限を持つように、国際的な議論を集約していく方向で考えることもできると思います。そういう点は、もっと国際的な議論を尽くして考えていくべきだろうと思います。
 実は、この諮問委員会の報告書の最後の方でも、そういう発想はチラチラとはうかがえるのです。しかし、私とすれば、報告書においては軍事的な部分が圧倒的であって、非常に大切な部分が最後にチラッと顔をのぞかせる程度の扱いしかされていないというのが非常に気に入りません。むしろそれがどんと中心に座って、その後、軍事的な側面はちなみにどうするかということで、諮問委員会は報告書をつくるべきではなかったかと考えます。

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