歩いていこう熊野古道 その3
第三日目(2022年10月1日) 東岸和田から和泉鳥取まで
参考にしているのは、大阪府の歴史街道ウォーキングマップです。
https://www.pref.osaka.lg.jp/doroseibi/kakusyusesaku/rekishikaidou.html#kumano
久米田駅~泉佐野駅
泉佐野駅~山中渓駅
この熊野古道歩き、春で歩いてから暑い夏そして秋になったので再開することにした。
でも、この日は10月ではあったものの暑かった。
7時前の紀州路快速にのって環状線から阪和線。
前回からの続きで、東岸和田駅に8時頃に着いた。
さすがにだんじりの街、駅の入り口の屋根もだんじりをモチーフにしているようだ。
東岸和田駅から南に歩く。この道は小栗街道ともいい熊野街道ともいう。
車の多い道をさけて旧道ほ行くと池が。
この街道の案内板があり、石には「小栗街道」とほってある。
なんで小栗か、知りたい人は小栗判官照手姫の人形浄瑠璃を見てほしい。
これは大阪府の指定遺跡で、熊野海道半田一里塚と看板にはある。
道標は、かなり古いもので貴重なものらしい。
ここから歩いていくと水間鉄道の線路を超えていく。
貝塚に入ったようだ。
熊野古道には、王子という駅のような存在がある。
今回で言えば、浅字川王子、鞍持王子、近木王子・・・とあるはずなのだが、碑がたっているわけではない。お寺や神社があって昔はここに王子があったのだろうとされるされている。
もっともあったとしても、「行き過ぎたみたいやで・・」、「まあ、ええか」で歩いている。
さて年寄りの二人が歩いているせいか、トイレが近い。
イオンモールがあるようなので、そこで「ホッ!」。
建物の反対側が熊野古道のようなので、出入口に・・・・・。
扉に王子という地名がはいっている。この先が貝塚市王子町という地名。
碑はないが、地名として残っている。
南近義(みなみこぎ)神社に立ち寄る。
これは近木王子と推定されていた熊野神社、それが南近義神社に合祀されたとのこと。
神社の清めの水の手水舎。丸い穴を盃状穴と言うらしいとはもまだまだくんに教えてもらった。
電気ドリルの先端に研磨するものをつければ、簡単だろうが人力では大変だと思う。
比較的よく見られるから、探してみたらいいです。
そのあと加支多(かきた)神社に、あっちか・・・こっちか・・・と探していく。
つぎの鶴原王子がこの神社との説もあるようだ。
歩いていると建物のたたずまいお地蔵さんなど昔の道だなの雰囲気が伝わる。
王子の碑が残っているのが佐野王子。
もう泉佐野の駅の近く、腹も減ってきたので飯が食えそうな道路のほうを歩いて得得うどんに入って昼飯。
昼飯のあとに歩きだして旧道らしいところを歩いていく
やがて籾井王子の跡、だがそれらしきものが見当たらずに塙団右衛門の五輪塔というのがあった。
なんでも大阪夏の陣で豊臣側で奮戦して戦死した武将の墓らしい。
このあたりはその時の古戦場で、塙団右衛門は紀州方面からきた浅野の軍勢と戦ったそうな。
熊野古道から少し外れたところにある厩戸王子。
国道に入ってから迂回するようなルートにあり、碑がたっている。
再び街道にもどる。
昔の本陣跡の前をとおり、信達王子に。
疲れと暑さでファミリーマートで、冷たいものを食べて休むことにする。
今日は、これぐらいでと思い阪和線の和泉鳥取駅に向かう。
駅の近くに立派な鳥居があった。
鳥居の向こう側に本殿があったと思うが、今は鳥居のみになったんだろうな。
今回は和泉鳥取駅で帰ります。
次回は、ここからということで。
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