第8ステージ(2020/3/10-3/13)

第32日(2020/3/10)宿毛から松尾峠、40番観自在寺

三月になって暖かくなってきた、それに今年は暖冬で桜も早そうだ。
世間は新型コロナウイルスのニューズばかり、不用な外出は控えてくださいとテレビは言ってるが濃厚接触のないお遍路ならいいだろう。
幸いなことに新幹線もすいているようだ。

高知県の西部の週間天気予報を見ていたら11日から三日間が晴れ模様なので行くことにした。
前回の最後の宿毛駅までは、新幹線、土讃線、土佐くろしお鉄道で宿毛までの六時間。
宿毛駅は終点、レールがここで終わっている。


車内に三人の子ども連れのお母さんがいた、出迎えの人を見てコロナ学童疎開のように見えた。

時刻は午後の四時、駅前のホテルにチェックインする。
居酒屋の開店時間まで寝て明日からの英気をたくわえよう。








第33日(2020/3/11)高知県から愛媛県、松尾峠を越えて観自在寺

6時半に朝飯、7時20分に歩き始める。
最初はお遍路ガイドの地図から離れて港のほうまで歩いて、ファミリーマートで昼飯を買ってから北に。
そうすると四国の道の案内標識があった。
松尾峠までは3km。


最初は集落の中の道をあるく。
歩いていると小学生、高学年の子どもたちから声をかけられた。
「おはようございます、松尾峠にいくんですか」
私も挨拶をして、松尾峠を越えると言って
「登ったことがある?」と聞くと、
「きついところがありました、がんばってください」
「ありがとう」。
学校の行事で松尾峠に登るとのことだった。










人なつっこい小学生と別れて柑橘類の畑の横を通り、それが途切れると山道となった。

ところで昨年までは、お遍路に行く前は30km近くの道を歩いたり、自転車でもっと走ったりしていた。
ところが今回は、「しんどいからなぁぁぁぁぁぁ」とさぼっていた。
まあ歩いたらなんとかなるやろ・・・と。

その代わり、一日の距離を25kmぐらいにしておこう、新型コロナウイルスもあるしなと・・・
わかったようなわからない理屈だ。
その練習のなさからか、しんどいわ。
途中で宿毛湾を見晴らす展望台にきた。肉眼で見たらもっときれいなんですが。


ほどなく松尾峠についた。

ここよりは、愛媛県。昭和初期まで松尾峠は、大事な街道で人どおりも多かったらしい。
石碑の写真もあったのだが、きれいに映っていなかった。
碑には、「従是西宇和島藩支配地」とあった。

愛媛県は、整備が進んでいて道が国の史跡となっていると、出会った史跡保護の委員の方が話されていた。
なんでも四カ月ごとに、ここを歩いてチェックしてるのだと。


整備されているせいか愛媛県側の道は、高知県側と違って歩きやすい。
下ってくと愛媛県の集落が見えてきた。

この道を下りきったら舗装道路となって松尾大師。
一本松からは国道56号、道端から離れたところでコンビニおにぎりと6Pチーズの昼飯。
国道はバイパスが作られており、まっすぐの道、まっすぐに上がる道が見える。
こんな道は歩くのは嫌なので旧の国道、人家のある道を歩こう。
幸い旧道といっても、それほど古くもないので舗装がいたんでいるということもない。
天気もいい、上着をぬいでも寒くなく歩いていて楽しい。


より道して深浦港を通ってみる、これも旧国道。

観自在寺はもうすぐ、時刻は12時過ぎ。のんびり歩こう。
ぶらぶらと歩いていたら街の中に入り、川を渡って40番の札所の観自在寺に着きました。



久しぶりの納経。全然うまくならないわ。

今日の泊まりは、ここからすぐのサンパールというホテル。
晩飯は、目の前のコンビニで買ったウィンナー、鯖の缶詰、ポケットサイズのウィスキー、角のハイボールという不健康な食事でありました。
大浴場の温泉があったので、のんびりと足を伸ばして気持ちがよかった。

この日の歩きは、24kmぐらいでした。

第34日(2020/3/12)山道を越えて、小説てんやわんや

国道56号を行く、今日もいいお天気ではある。20℃くらいになるらしい。
朝方は寒かったので雨具を着ていたが、すぐに脱いでしまった。
歩いていたら、無人の直売所ではっさくを200円でかった。椎茸もあったが、大きかった。欲しかったが。


はっさくは美味しかった。柑橘類の中でははっさくのほどよい酸味と苦みが好きだ。
最近はなんでも甘いのが美味しいとされるが、甘かったらいいというものではないと思う。
テレビで食べ物を「甘いですねぇ~」と言ってたら、私はテレビに「そんなに甘いのが好きなら、ご飯に砂糖かけたらええやん」と言ってしまう。



集落と集落の間には峠がある、峠からは海がのぞめる、峠のたびに海の風景がかわる。

柏という集落でお遍路さんの休憩所、ここでひと休みとトイレ休憩。

ありがたく休ませてもらおう。まだ九時すぎ。

ここからは海岸沿いの国道とお遍路道の旧道の分岐となる。
時間も早いので、旧道の山道をとることにした。

休憩所ではっさくをいただいて出発。

入る道がわからなかったので、聞いたら親切に教えてもらった、ありがとうございます。





集落が切れたら、山道のお遍路道となった。


事前の練習を怠っていた身には、この登りは結構しんどい。
登る事一時間ぐらいで、柳水大師に着いた。ここで昼飯。
実は最後の集落の柏で食料調達を考えていたが、なんなもなかった。

食料は、はっさく、6Pチーズ、金のミルクキャンディー、出し昆布、おーいお茶、水。


これだけあればじゅうぶんだ、休憩をかねて40分くらい休む。

歩き再開しても、まだ登り。






一昨年の台風か豪雨か?
道が荒れている。歩く人が少ないのかもしれない。
















ようやく人里に出て、ほどなく国道56号。
もう今日の泊まりも近い、3時くらいか。

後ろに気配がして振り向くと、お遍路さんが。私と同じ年ぐらいかな。えらく早いな。
毎年の二月から三月を通して歩いているとの事だった。泊まるのは、すぐ先の津島町。

その人が言うのは、「漫才師のてんや・わんやは、この町の出身だ」とのこと。
私は、何か違うと思った。
読んだことはないのだが、獅子文六の小説「てんやわんや」は愛媛県が舞台であることぐらいは知っている。

しかし、漫才師のてんや・わんやだって、ここ出身かもしれないとも思った。
いやいや何かの思い違いだろうが、ここは「へーそうなんですか」と言っておいた。

津島町の街に入る橋の手前で、泊まる宿が違うので別れた。
その場所がコンビニの前だったので、さっそくビールを買い求める。
ちんたらと飲みながら歩いて、4時前。
宿についた。
宿の名前は大畑旅館、前日にネットでご飯が美味しいとのクチコミで決めた宿だった。

話は代わって、私の友達に名古屋のNさんがいて、一緒に酒を飲みラインの友達でもある。
その彼に部屋の写真を送ったのだ。

そうすると返信があって「岩松川でしょう」と。
そのあとに「大畑旅館?」。

どうしてわかるんだろう。彼の奥様が宇和島出身だから詳しいのかな?

この旅館は獅子文六が滞在して、小説「てんやわんや」を書きあげた宿だとわかった。
次の日にわかったことだが、私が泊るこの部屋が獅子文六の泊まった部屋であった。

そんなことをまったく知らずに宿を予約していた。


料理旅館らして美味しくいただきました。
本当は高いけれど、お遍路価格で安くしていただました。
これもお接待、ありがとうございます。


獅子文六の全集が本棚に置いてあったので、部屋に戻って読み始めたのだが、いつしか寝てしまった。
おやすみなさい。

本日の歩きは、26kmぐらいだった。





第35日(2020/3/13)道を間違えて宇和島、そして・・・

宿の前が川、そして川を挟んで消防署がある。
そこの放送のせいなのか、結構うるさい。
田んぼが火事の放送があり。類焼の危険はないと放送。それにしても目をさます。

そして朝の6時に防災無線のスピーカーから流れるのは鉄道唱歌のメロディー。
なんで、鉄道唱歌なのか・・・その謎は後でわかるが、鉄道もないこの町になぜ鉄道唱歌なのかとその時に思った。

朝の6時に食事。これも美味しかったです。

宿の主人に獅子文六の話をいろいろと聞いてました。
小説を読んでみよう。



ここから国道を行けば早いのだが、松尾トンネルがある。
長さが1710m、そんなとこは歩きたくないと、お遍路道が用意してある。

松尾トンネルの入口まで歩いていくと、左手にお遍路小屋があり道が山につづいている。


ここからが大変だった。最初は標識があったのだが・・・

もはやどこが道やら・・・迷ったみたいだ。


こういうときは、上を目指すのが鉄則。実は踏み跡があり同じく迷った人がいるようだ。その人も上を目指している。
歩きにくい竹藪の急坂を這い上がって、ようやく尾根にたどり着いた。

ところがこの尾根道がこわい。
写真がそうだが、道幅が1mもない、怖いのは崩れやすそうで両側が切り立ってる。

端をあるくと滑りそうだ。

それでも行くしかない、上に上に。

そうすると工事の小屋みたいのが見えてきた。
人工の工作物がこれほどありがたいものかと思う。



土砂の採掘現場のようだ。
そこの新設なおじさんに道を聞くと、お遍路さんが道に迷ってよくここに来るらしい。

旧道を教えてもらった。

道を間違えるのは疲れているせいかなと思う。疲れると視線が下に落ちて標識を見逃すからだ。
お遍路道の分岐を見つけると、標識があった。ほっとした。お遍路小屋でひと休み。「わんや」という小屋。


ところが、ここからの道も間違えてしまう。
しばらくして、道が藪でおおわれて「おかしいな」と引き返したら標識を見落としていた。これはいかんなあ。

小屋でもうひとやすみして、下に下に。
宇和島市のクリーンセンターらしき建物、採石場現場にきた。
ここまで来れば、もう大丈夫。旧国道を歩いていくと町らしくなってくる。
途中のお遍路休憩所で休んでいたら、お接待でコーヒーとお菓子を御馳走になった。ありがとうございます。

すっかりと街の中、宇和島城が見えてきた。南側から城にはいってみよう。

この城の天守は当時から現存するものらしい。天守の中を見学。
また創建当時は、三方が海に面していたとの事、今は周辺の埋め立てに周りは陸地だ。

この城をあとにして、JR宇和島駅に。

さて切符を買おうとしてみどりの窓口。
ここで鉄道唱歌の歌詞を作ったのは、宇和島出身の人であることがわかった。
今、これを書きながらわかったことは、市町村合併で津島町が宇和島市と一緒になり、
その時に、防災無線のメロディーが鉄道唱歌になったこと。
それで、朝の旅館で流れていたのは・・・。

今回のお遍路はここまでです。
次回はここの宇和島駅から。


もう少し歩けば、41番の龍光寺もあるのに、ここで止めるのは?

実は今回のお遍路旅行には、もう一つの目的があった。

それはJR予土線に乗ること。お遍路のほかに鉄道趣味で全線制覇もめざしているのだ。

次のお遍路は、四月に入ってからになりそうです。

今日の歩きは20kmちょい、時刻は二時前。じゃこてんで酒を飲むぞ。予土線の列車はまだまだ時間がある。

JR予土線で新幹線ひかり号


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