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大津市議たちに、“前歴”がバレちゃいました

(2009年10月2日 金曜日)

 本日より大津市議会の決算特別委員会が始まりました。午後から傍聴に出かけましたが、市役所について先ずはお目当ての食堂に直行です。アラッ!「清正会・杣」のK議員と目が合ってしまいました。近づいてきたK議員は「委員会の傍聴にも来てくださったのですね。ありがとうございます。ところで、(南部さんは)議員をしておられたのではないですか?」と、ズバッと訊ねました。

 唐突に訊ねられたのと嘘をつくこともできないので、私は思わず「はあ、まあやっていました」と答えてしまいました。K議員は「やっぱりそうでしたね。先日の会派報告会の場で、議場の質疑は『一問一答』にすべしとの意見をもらいました。後で会派の議員たちと話したのですが、『一問一答』って言葉は一般の人が余り口にしないと思ったものですから・・・」と言いました。

 私は新しい地では、気楽に気儘に“わが街”の政治に関心を持っていきたいと願っていました。そのためにも古い肩書は邪魔ですし、特に人に知られることは避けたいと思っていました。でもやっぱり、なんか私の言動が胡散臭かったのでしょうか?それとも大津市議さんたちの勘が勝ったのでしょうか?いずれにしても、早くも“前歴”がバレちゃいました。う〜ん、これはマズイです!

 夜にはK議員からメールをいただきました。「南部さんのホームページにたどり着きました。頼もしい方が大津市民になってくださったなあ。私もしっかりしなくちゃ、そう思っています」と書かれていました。たどり着かれちゃいましたか!商いを止めてもダラダラ店を開けているような私のホームページに、早速アクセスされてしまうとは・・・気分は全くのトホホ状態です。ただ一方では「私の方こそしっかり(日記の更新を)しなくちゃ」と、お尻を叩いてもらったことは確かです。

3日から始まった「大津まちなか食と灯りの祭」
の湖面イルミネーション
水面に映った琵琶湖ホテルの灯がきれい

 


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グリグリえぐってこそ決算審査

(2009年10月5日 月曜日)

 日記の本文に入る前に、おわびと訂正をしなければなりません。大津市議会の会派である「清正会・杣」(しんせいかい・そま)の文字を間違えて、今までの日記では「清政会・杣」と書いていました。「政」を「正」の文字に訂正し、会派の皆さんに深くお詫びいたします。そして誤りを指摘してくださったMさんに感謝です。

 さて10月2日に続いて、本日も大津市議会決算特別委員会(一般会計分)を傍聴しました。大津市における昨年度の施策もよく知らないので、個々の事業についてコメントすることはできません。従ってあくまでも私の感想ということです。つまり傍聴で私が感じたことを少し書きます。

 まず、大津市議会は定数40人ですが、うち18議員が決算特別委員会に所属しています。私が応援しょうかなぁ〜と思っている会派「清正会・杣」からは、宮尾議員と小松議員が出ています(谷議員と山本議員は特別会計・企業会計の決算特別委員会に所属しています)。

 委員会が開かれる場所は、庁舎新館7階の大会議室です。ここは議会専用の委員会室ではないようで、多目的なスペースを議会も利用しているのでしょう。人口33万人の中核市市議会としては、独自のでっかい委員会室を有しているのかと想像していましたが、庁舎諸室の有効活用は当然ですから良いことだと思いました。

 当会議室の開け放たれた窓からは、皇子山から三井寺山麓に連なる豊かな緑が手に取るように間近です。隣の大津商業高校のクラブ活動でしょうか、トランペットの練習音が聞こえてきたりもして、時折何ともユル〜イ雰囲気が漂います。まあ、外の環境ばかりではなく委員会審査自体の内容も、私にとっては慣れ親しんだ島本町議会の委員会とはかなり違うなぁ〜と感じました。

 初めての傍聴で失礼な感想を言うのはよろしくないですね、ごめんなさい。現に後日の宮尾議員の日記によると「各会派共に活発な質疑が展開された」と評価されていましたから、私の受け止め方が間違っているのかもしれません。しかし、どう贔屓目にみても大半の議員が、標題につけた“グリグリ度”には程遠い追求ではなかったかしらと思います。

 「グリグリ」って表現は変ですが、ようするに理事者が答弁に窮するようなギリギリの攻めをするってことと解してください。調査力を駆使して「グウ」の音も出ないほど攻める・・・攻めるけれども最後の一歩手前で含みをもたせて終える、「参った」「わかった」「改善する」等々理事者に思わせるようなテクニックが大事だと、議員を辞めてからは特にそう思うようになりました(はぁ、もう遅いって?ホントそうですよね)。

 まっ、所帯が大きい自治体の決算はこのようなもので当然なのかもしれません。なんせ決算説明書をはじめ、決算資料等のカサ高さは島本町の倍ほどはありますし、1日で3〜4の部局に係る決算審査を4日間行い(特別・企業会計はまた別途の日程)ます。特に質問の持ち時間制を敷かなくても、委員の皆さんお互い阿吽の呼吸で引き際が判っておられるようです。これって大津市議会議員が“おとなしい人”ばかりだからなのかしら?或いは長年の慣例なのでしょうか?

 正直言うと私には物足りなかったです。その中でも、いいところまで追求してくれたのは、やはり私のお眼鏡にかなった会派「清正会・杣」の2議員でした。膨大な資料を調査分析し,着眼した事業は「大」がつかなくとも普遍性のある継続事業(例えば、黒塗り公用車の活用状況・管理職を含めた超過勤務の実態・小額随意契約のあり方等)です。

 重箱の隅を突付くことが目的ではなく“針の穴から象を視る”その手法は堅実であり、尚且つ一過性で終わらない質疑は、市政の根幹を問うものであり将来的にも経費削減に繋がる内容だと評価できました。長い間私も島本町議会で努力し、苦悩しつつ目指していた“議員の在るべき”姿と一致するものを感じて心強く、しみじみうれしい気持になりました。

10月4日には、大津祭の鉾立てが
街の角々で行われました。
雨よけに覆いが掛けられて残念ですが、
9・10日には華麗な山車が見られます
350年前から続く平井酒造にも
大津祭のご神灯が。
この界隈は風情の在る老舗が多いです

 


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今日からは島本町議会の傍聴です

(2009年10月6日 火曜日)

 本日から島本町議会の9月議会後半日程が始まります。大津市議会の決算委員会(一般会計分)も今日・明日とあと2日間残っているので、どちらの傍聴を選ぶか迷いましたが、今のところはやっぱり未だ島本を選んでしまいます。傍聴は午後からになりましたが、議場に入ると下水道会計の討論が行われている最中でした。

 同会計の決算は過日の日記でも書きましたが、委員会では否決されています。最終の表決が気になるところでしたが、やはり否決されてしまいました。これで3年(確かそうだと思います)連続して決算が認められないという、由々しき事態に陥りました。反対したのは「人びとの新しい歩み」・「日本共産党島本町会議員団」・「公明党」・会派に属していない議員の計9名、賛成は「山吹民主クラブ」・「自由民主党クラブ」の計6人でした。

 注目は「公明党」の2議員が反対したことです。いつもいろいろ苦言を呈しても、結局は賛成のパターンが多い「公明党」ですが、今回はきっぱりと不認定の意志を示しました。反対討論の骨子は、職員の未接続とそれを許している町長の指導力欠如を指摘する内容で、大いに頷ける討論であったと思います。

 それにしても島本町の民主党4議員(議長を除く)=「山吹民主クラブ」は、相変わらず行政ベッタリの判断しかできないなぁ〜とガッカリしました。政権交代を実現し、国政においては矢継ぎ早に改革の姿勢を打ち出している民主党と、島本の民主党が同じ政党だとは思えないですね(国会議員と町会議員の差を割り引いたとしても)。おまけに同会派のH議員(若い方)は、議席でペットボトルの水をラッパ飲みしているし・・・。

 決算最後の採決は水道事業会計でした。「人びとの新しい歩み」と「共産党」が否決しましたが、他は全て賛成で可決しました。この後は清掃工場のごみ処理施設補修工事にかかわる議案の審議が行われました。同施設は稼動後18年を経ていますが、現行法では新施設に建替えることを許可されません。それゆえ、毎年1億円近い工事費を投入して補修を行っています。今年度はついに1億円を超える巨額の予算(1億1970万円)が計上されました。

 財源は町単費ですが、今回は「地域活性化・経済危機対策臨時交付金」の3,700万円が充当されます(当交付金の性格と清掃工場の補修費が一致するとも思えないのですが)。工事請負業者は工場スタート時にプラントを納め、以降全ての年度において補修工事を行っているユニチカ(株)環境事業本部です。

 工事業者の決定については平成15年度より指名競争入札を導入し、平成20年度からは総合評価方式を施行しています。町は業者決定の透明性・公平性を図ってきたと言いますが、結果は変わらず「ユニチカ」オンリーできています。都市環境部長は「応札がユニチカ1社であったのは結果論であって、入札は適切である。5社に見積を依頼し、応じたのは2社。そのうちの1社が入札を辞退したのは、予定価格との落差があったからだと思われる」と答弁しました。

 当議案については長時間に亘って多くの議員が質疑を行い、ごみ処理の広域化等清掃行政の根幹に触れる提起もありました。日記が長くなりそうなので、続きは次回に送ります。

創業160年の漬物屋「八百与」
提灯屋さん(だったかな?)、
どちらも浜大津の商店街に在るレトロなお店

 


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町のごみ処理、ユニチカの言いなりになるの?高槻市の言いなりになるの?

(2009年10月7日 水曜日)

 昨日の議会で清掃工場補修工事にかかわる質疑が相次いだと書きました。処理施設の更新が叶わない中、清掃工場の老朽化は進行し巨額の補修を重ねてきている状況下にあります。いつまで補修が繰り返せるのか、もう先は見えてきています。施設の耐用年数は20年とされ、現在18年を経過していますから、近い将来の選択肢は限られています。

 議会での論点も標題の2つに絞られてきています(「言いなりになるの?」は、議論で出た文言ではありません。私の勝手なコメントです)。一つはプラントメーカであるユニチカに、入札を行わず随意契約で補修工事をやらせる。但し工事費減の交渉はシビアに行うという方法です。さらにはユニチカに工事のみならず、運転管理等を含めた包括的な委託を視野に入れた提起もされています。

 「(現状は)偽装競争入札ではないか。きっぱり随意契約なり、包括的民営化に移行したほうが良い」と発言したT議員。「ユニチカに随意契約で任せるべし。もう検討している時期ではない。毎回同じ議論を行っているではないか」と従来からの持論で迫ったS議員。都市環境部長は「(両議員が提起した)そういう手法も考えている。但し包括的委託を行なうなら、委託先の候補はコンサルタントで新たに検討しなければならない。来年度に検討の予算を計上したい。検討の結果がユニチカであれば、それはその時だ。」と答弁しました。

 論点のもう一つは、ごみ処理の広域化です。「高槻市のごみ処理施設更新時期を考えると、今しかない。逃がせば20年間(次の施設整備まで)交渉はできなくなる。(高槻市と島本町の)平等な交渉を、今からすべきだ。」と質したのはH議員(女性)です。町長の答弁は「高槻市のガードは固い。高槻市とのギブアンドテイクのあり方を、全部局でリストアップさせている。大阪府知事にも広域化の必要性を訴え、府の市町村課にもコーディネイトをお願いしている」という内容でした。

 町長の答弁は、先の建設水道常任委員会における決算審査時の答弁と全く変わらず、今議会と委員会の間に高槻市への面談の道筋をつけようとした様子もありません。また2007・2008・2009年度においても、町長は高槻市を一度も訪れていません。つまり町のトップには、危機感が著しく欠如していると言わざるを得ません。

 また例え町長が重い腰を上げたとしても、「高槻市とのギブアンドテイク」ってなんですか?実態は「あれもこれも高槻市のおっしゃるとおりにいたします」なんてことに、ならないでしょうね。私はあくまでも、ごみ処理単価で交渉すべきだと思います。ただ高槻市には確かに無理をお願いすることになりますから、処理単価の上乗せは必要かもしれません。いずれにしても面談・協議・交渉には、副町長をよう置かないのなら“特命”にふさわしい職員を選抜して欲しいと思います。

いずれも大津祭の曳山飾り

 


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風雨の中、町議会の傍聴に出かけました

(2009年10月8日 木曜日)

 島本町議会は3日目の日程に入りましたが、本日の会議は台風の影響を考慮して午後1時からの開会予定とされていました。大津の自宅を出る時には、台風の中心は随分北上していましたが、それでも傘がしなるほどの風雨でした。島本駅到着は1時間ほど遅れました。遅参は台風のせいでJRのダイヤが乱れていたことも原因ですが、私がボーッとしていたことも一因です。

 実は大津京駅で乗車する際に、傘をホームのベンチに置いてきてしまったのです。乗り換えの京都駅で気が付きました。引き返すと大幅に時間をとられるため、忘れ物の届出をした後に伊勢丹で傘を購入しました。あ〜ぁ、本日の島本行は3,500円高くついてしまいました。まあ、こんなグチはどうでもいいのですが・・・。

 さて議場では昨日に引き続き、総合計画基本構想の質疑が続いていました。基本構想の内容については町のホームページで見ることができますし、何人かの議員が自身のブログで問題点を指摘しています。従って質疑・答弁の詳細は割愛しますが、議論が最も集中した将来人口推計についてのみ少し紹介します。

 基本構想では10年後の人口を32,000人としています。会派「人々の新しい歩み」の戸田議員は採決に際し、「人口推計は29,000人が妥当」と保留の討論で述べました。同じ会派の澤嶋・平野議員は討論を行わず、というより“行えなかった”が正しいでしょう。議長の意図的で性急な議事進行により、両議員は討論の機会を逸してしまいました。2議員の表決は「反対」でしたが、当局が示す人口設定を戸田議員と同様に過大と認識していると感じました。

 一方「共産党」(略称)の表決は「保留」でした。高山議員は「各種計画の人口推計が基本構想と異なっていて良いのか、庁内統一を図るべきだ」と述べ、河野議員は「次世代育成計画における人口推計は基本構想より少数だ。このことが結果的には、32,000人をキャパとしない保育所整備を行っていくことではないか」と質しました。

 町長は「各種計画の人口設定にルールは存在しない。人口設定数は努力目標だ」と答弁しました。また総合政策部長は「介護保険計画では保険料の上昇を避けるため、より実数に近い人口推計を行う」と答え、民生部長は「上位計画は総合計画である」としつつも、「次世代育成計画では人口設定を30,608人、介護保険事業計画では29,079人と設定している」と答弁しました。

 総合計画基本構想については自公民(清水・伊集院=自由民主党クラブ、岡田・川嶋=公明党、平井・藤原・山口・東田議員=山吹民主クラブ)が賛成、反対が平野・澤嶋議員(人びとの新しい歩み)、保留が共産党(高山・河野・冨永議員)と戸田議員(人びとの新しい歩み)及び外村議員(会派に属さない議員)で、議案は可決しました。

 なお採決に入る前に共産党の議員から「本議案である基本構想を委員会に付託し、議論を深める」旨の動議が出されています。賛成少数で動議は否決されましたが、またもや議長の議事整理に大きな問題が残りました。議長は議会運営委員会での議論もないまま「本案に対する質疑・討論を省略する」と、突如“勝手”な判断で議員の発言を封じてしまいました。

 このような横暴は、過去における議事進行の中でも経験したことはありません。私は傍聴席で唖然としました。発言をすべく準備していた議員たちの驚きと怒りはいかばかりでしたでしょう。議席からの抗議にも全く耳を貸さない菅議長!一体どうなっちゃったの?議長がこのような行動をとることを黙認したか、或いはむしろ議長を扇動する議員たちがいたのか、いずれにしても島本町議会は誠に由々しき事態に落ち入っていると言わざるを得ません。

浜大津の街路樹を彩る光のオブジェ
じっと見ていると不思議の世界に引き込まれそう

 


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大津市議会の競輪事業会計に興味はあったけれど、やっぱり島本町議会に来ちゃいました

(2009年10月9日 金曜日)

 島本町議会は4日目、9月議会後半日程の最終日です。一方、大津市議会でも特別会計・企業会計の決算特別委員会が今日から始まります。本日審査される特別会計の中で、私の興味を引いたのは競輪事業特別会計です。当事業の2008年度決算は2億4千万円の赤字決算で、平成16年度よりの累積赤字は14億円に達しています。「改善計画」が進行していますが、果たして計画通りに3年後は単年度黒字に転じるのでしょうか?

 競輪場は国道161号線を挟んで、自宅マンションの西側に位置しています。ベランダから見る競輪場は広大な敷地の中に在りますが、月にわずか数日の開催日にも人が溢れている様子は見たことがありません。従ってマンション購入に際して心配した騒音やギャンブラーの無作法さ(?)といったものは、全く杞憂に過ぎませんでした。はっきり言って大津市営の競輪事業は、素人目から見ても盛況とは言い難い状況なのです(それでも売上金は185億5千万円・・・凄い!)。

 競輪場が思っていたより“迷惑施設”でなかったのは幸いでしたが、当該事業の決算状況を知ると別な心配が湧いてきます。特別会計ですから自己完結で帳尻を合わせなければなりませんが、果たして住民の税金で補填するような事態にはならないと確信していいのかしら?またもしも事業廃止に陥った時、隣接する跡地がどのように利用されるのかしら・・・等々も心配なわけです。

 競輪事業に係る心配ごとの諸々を本日の傍聴で確認できればと思ったのですが、私の足はやっぱり島本町議会へ向いたのでした。本日町議会の議事日程は一般質問(冨永議員が体調不良で早退し、質問者は7名になりました)ですが、私が傍聴できたのは平野・澤嶋・河野議員の質問です。一般質問については又機会があれば書きたいと思いますが、今回の質問項目で大きく興味を引くものはありませんでした。

 私は傍聴時にはいつもノートを取っているのですが、失礼ながら拝聴できた3議員の質問も記録を残すほどの内容ではありませんでした。まあそれでも、3議員の真摯な姿勢はしっかりと伝わってきました。平野議員はいつものように誠実に手堅く質問を展開しましたし、澤嶋議員は体調不良にもかかわらず頑張って時間内に納めることができました。また河野議員の弁舌には益々磨きがかかって、議員の中では最も理路整然とした質問ができていると感心しました。

 さて欲を言うと(お身内のご不幸という大きな事情があったにせよ)、戸田議員にはやっぱり一般質問をして欲しかったです。質問項目提出の通告日から実際の質問日までは、1週間もあったのですから残念です。戸田さんは町政に対する問題意識が旺盛で、日常温めている課題の一つや二つから質問を構成できる能力を十分に備えている議員です。プライベートでの辛さを乗り越えて議員の使命をまっとうする、そんな戸田議員に共感と賞賛の拍手を送りたかったのは私だけではなかったと思います。

 さて、やっと島本町議会の9月議会が終わりました。議員の皆さんも職員の皆さんもヤレヤレというところでしょうか。でもアッという間に12月議会がやって来ますし、来年度予算への取り組みも始まります。国政が激動する中、地方自治体もその変化に対応を迫られています。島本町のような小さな自治体ほど多方面にかかわり負担が大きくなりがちですが、住民・議会・行政の距離感の近さを生かすことで力を合わせられるのではないかと思います。

 いつも言っていることですが、島本町から大津市に転居して痛感するのが行政域の広さがもたらす様々な影響です。島本町より優れた大津市の住民サービスはありますが(中核市として、むしろ機構的には島本を上回っているところが多々あります)、やっぱり一人ひとりの住民と役所の関係は“薄味”です。まあ薄味だからこそ、これから自分の暮らしに心地よい“味つけ”をしていくことが可能なのだろうとも思います。私はそのためにも島本町を離れたのですから、ボチボチ大津の地に軸足を下ろさなければならないと感じています。

 ところで今、私が入手できる島本町の情報は町のホームページからが大半です。住民ではないため、情報公開請求もできなくなりました。自ら情報の掘り起こしを行う行動は、もう殆ど不可能なのです。島本がドンドン遠くなる・・・ちょっと切ないなぁと、正直思います。という気持もあって、今週は頑張って連続4日間の島本町議会傍聴でした。ちなみに先週と月曜日の大津市議会(決算委員会)を加えると、この1週間は“傍聴三昧”の日々でありました。

市政100周年に設置した(市役所前)
タイムカプセル。扉が開くのは
130周年の2028年ですが、
私は生きているのかなぁ〜
最近は市役所まで徒歩で行きます(25分くらい)。
歩いていると道端の花々(写真は秋明菊)にも出会えます

 


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(仮称)町道尺代5号線(尺代緊急避難道路)整備に、市民派議員の表決は分かれました

(2009年10月10日 土曜日)

 本日の本当の日付は10月24日です。モタモタと2週間前の記事を書いていることに、我ながら嫌気がさしてきています。日記を訪問くださっている皆さんのイライラ度はいかばかりかと、申し訳なさで小さくなっています。でも、こんな日記にも未だに毎日60人ほどの方々がアクセスしてくださっています。本当にありがたいことです。

 皆さんをお待たせしないためにもサッサと日付を飛ばしていけばリアルタイムの日記になるのですが、今回連続4日間の島本町議会傍聴記の最後には、ヤッパリ外せない事業である「(仮称)町道尺代5号線整備」について少し触れておきたいと思います。事業の中身については、平野議員や戸田議員のブログをご参照下さればよくわかるので省略します。

 2議員の日記のほかにも少々古いですが、私の日記(2006年6月25日付け)も併せて読んでもらえれば、事業の経緯を分かっていただけると思います。当初計画からすれば、約1億円の事業費縮小がされていますが、それでも2億5千万円の大型公共工事です。特定財源で総事業費の約二分の一を充当できるとしていますが、国交省が財政削減の先頭に立っている状況下で、果たして確かな財源と言えるのかどうか不安です。

 まあ、町単費1億円で尺代住民の不満(?)を解消できるのなら、尺代の特に“エライさん”たちの町長や都市環境部長への“覚え目出度さ”も低下せず、議員は議員で次期選挙時には尺代住民のプレッシャーから逃れられるメリットもあり、土木・建設業者は仕事にあり付けると・・・?そんなことで貴重な税金が使われてはならないと懸念しています。

 “積年の約束”(18年前の清掃工場建設時に、尺代自治会と交わした「覚書」に緊急避難道路建設が記されています)の履行という大義名分は確かに存在していますが、社会情勢も生活環境も大きく変化している中、道路建設でしか約束は果せないのでしょうか?もっと尺代の人びとに寄与する履行の形があるのではないかと思います。これは、本事業に反対した平野・澤嶋議員も同じことを述べています。

 採決の結果は反対が前述の2議員のみ、賛成は13人(ほ〜っ!共産党もですか)で本事業を含む補正予算は可決しました。ところで会派「人びとの新しい歩み」の表決は分かれました。3議員のうち戸田議員のみが賛成しました。私は戸田さんが出した結論を意外に感じましたが、市民派議員の判断に会派の縛りは何もありません。各々が調査やヒアリングを経て、尚且つ自身の信念に従って出した結論です。尊重しなければなりません。

 多分、戸田さんは採決に際し大いに悩んだことでしょう。会派仲間であり先輩議員でもある平野・澤嶋議員と違っているわけですから、迷って当然です。私が唯一つ心配しているのは、傍聴席に居並ぶ尺代住民に、戸田さん自身の最終判断を惑わされてはいないかということです。“圧力(的なもの)”に屈せず、外因に左右されていない表決なら、それで何も言うことはありません。あとは賛成議員として、今後(仮)町道尺代5号線整備事業のチェックを怠らぬことと、住民への説明責任を果すことが求められるでしょう。

古い町並みの辻々で大吊り提灯が揺れます
今夜(10月10日)は大津祭の宵山に出かけました
曳山もお囃子も、祭の表は男衆だけが関わります

  


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だんだん大津が好きになってきました

(2009年10月11日 日曜日)

 10日の宵山に続いて、今日も大津祭(本祭)を楽しみました。間近で見上げる13基の曳山は、どれも豪華で立派です。町筋の巡行もメインストリートでの全曳山揃ってのカラクリ披露も、身近で鑑賞することができました。大津祭は初めてで、私はとても楽しみにしていました。好ましく、期待を裏切らないお祭りでした。コンチキチンのお囃子に乗せられたのか、2日間で「アイラブ・大津」の気持が急上昇しました。だんだんこの町が好きになってきた気がします。

 こんなことを言うとお祭りの関係者や大津市民の先輩たちに叱られるかもしれませんが、私が大津祭を好ましく思ったのは、例えていうと祇園祭のように“巨大”なお祭りではない点です。うん十万の群集が京都の街中を埋め尽くす祇園祭は、正直疲れてしまいます(実はもう長い間行っていませんが)。大津祭は見物人をあまり疲れさせない、“心地良い”祭りです。うまく表現できないのですが、ローカル(だと言っては失礼かも)なやさしさと親しみを感じることができるお祭だと感じました。

 と勝手なことを並べているのは、私が無責任な見物人だからでしょうね。祭りの当事者たち、つまり“町衆”である天孫神社の氏子さんたちは、折々の神事を経て大変な時間と労力を費やしていると聞きました。実は昨日(10月10日)の日記で写真のコメントを入れたあと、よくわからないで文言を付したことが気にかかりました。そこで「大津祭曳山展示館」に問い合せをしました。館に常駐しているボランティアさんが、氏子の誇りや苦労も話してくれました。

 私の問合せは、前回日記の写真に3人の男性がそれぞれ“長襦袢”様のものを羽織っていることについてです。写真ではよくわかりませんが、背中にはそれぞれの曳山にちなんだ絵柄が入れられています。私は「これは何と言う衣装なのか」を知りたかったのです。

 ボランティアさんは「『着流し』と言います。江戸時代になって町衆が粋や威勢を示すために、祭りの晴れ舞台で着るようになりました」「宵山と本祭の午後は着流しです。本祭の当日天孫神社への参拝時は紋付袴、参拝後曳山巡行開始までは絣の着物を着ます。祭の参加者は、子どもも大人も3通りの衣装を用意しなければならないので、大変だと言われています」と説明してくれました。

 また、宵山で曳山を照らす提灯の“竿灯”状のものは、「大吊り提灯」と称します。写真のコメントが適切ではなかったので、訂正をいたします。

町筋を巡行する曳山
着流しを翻す囃子かた
子どもたちの着流し姿
勢揃いした曳山がカラクリを披露

 


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大津市の公営企業会計決算審査を傍聴しました

(2009年10月13日 火曜日)

 島本町議会の本会議は当初予定より大幅に延長し、私も4日間連続の傍聴となりました。そのため殆ど日程が重なってしまった大津市決算特別委員会(特別会計と公営企業会計の決算)は、最終日の公営企業会計のみが傍聴できました。ただし水道会計には間に合わず、ガス事業・病院事業・介護老人保健施設事業の3会計を傍聴しました。特別会計の国民健康保険・介護保険・下水道・競輪事業会計等にも興味があったのですが、島本町議会を優先したため傍聴が叶わず残念でした。

 ところで今回の特別委員会ですが、先に終了している一般会計決算も含めて、私以外には誰も傍聴に来ていませんでした。島本町の10倍以上の人口を有する大津市で、傍聴者がたった一人とは考えられないです。全委員会終了後に議会事務局へ確認したので間違いありませんが、請願審査等で当該市民らの傍聴がある場合は別として、通常は予算(予算審査は常任委員会)・決算(特別委員会)にかかわる傍聴者は皆無とのことでした。

 ああ、それで!道理で私の傍聴入室時、「何で傍聴に来るのだろう?」という何ともいえない反応の訳が分かったような気がしました。しかし、さすがに私が注目している会派「清正会・杣」の議員方は違いましたね。私に気付くと議員傍聴席から目礼をされたり、委員である議員は休憩中に挨拶くださったりして、市民の傍聴を歓迎している様子がよくわかりました。うれしいことです。

 翻って島本町議会を見てみれば、本会議はもとより委員会も常時傍聴者はいます。これって島本では当たり前に捉えていますが、中核市の大津市議会を超える住民意識の表れと思うと、なかなか凄いことなのです。島本町の行政域や人口規模が“小粒”である理由もありますが、やはり住民が議会との距離感を近いと認識しているからだと思います。すでに離れた町とはいえ、これもまた私にとってはうれしいことです。

 さて肝心の決算内容については、正直余りよくわからないというのが本音です。傍聴した3つの会計は島本町には存在しない会計ですが、病院や老人施設(市民病院に併設されている「ケアセンターおおつ」)は事業の中身の予想はつきます。しかしガス事業が大津市自前の企業であることには、少々驚きました(関西なら大阪ガスしかない、と思っていた私は浅はかでした)。

 しかも、大津市ガス事業は平成20年度決算で純利益約9億5千万円を上げているのです(総収益163億1千万円、総費用153億6千万円です)。連結決算上でも他会計の足を引っ張ることなく、公営企業の経営健全化の一翼を担っているといえます。従って質疑は、財政面よりも事務執行のあり方に重点が置かれていたように思いました。会派「清正会・杣」の山本議員と谷議員は工事や委託料の高い落札率を質し、また大津市のみならず市外県外の業者指名を参入させるよう求めました。2議員のガス事業決算は不認定でしたが、賛成多数で可決されました(ちなみに決算の全ては可決されました)。

春に“薔薇の君”から贈られた
ホワイト・マザーズ・ディーが、
再び楚々と咲きました
湖の砂浜に咲く小さな花(名前が分かりません)を、
食卓に飾って楽しんでいます

 


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島本町議会の会派代表者会議を傍聴しました

(2009年10月15日 木曜日)

 本日は島本町で3つの用事があります。先ず1つ目は、10時からの(町議会)会派代表者会議の傍聴です。案件から想定して本日の傍聴は微妙だなと思いました(特に町外在住の私が傍聴者という点で)。しかし会議開始より3分遅れの申し出にもかかわらず、何ら支障なく傍聴は認められました。「許可して当り前やん」と突っ張るつもりは更々なく、議長はじめ会派代表の皆さんには素直に感謝です。

 会議の出席議員は菅議長・平野(人びとの新しい歩み)・河野(共産党)・平井(山吹民主クラブ)・岡田(公明党)・伊集院(自由民主党クラブ)議員です。伊集院議員は会派代表の清水議員の代理で出席です。傍聴者は議員が川嶋(公明党)・外村(会派に所属しない議員)・澤嶋議員の3人です。住民の傍聴者は言うまでもなく私一人でした

 案件は

(1) まちづくり基本条例に議会の条項を設けるかどうか

(2) 議会基本条例制定に向けて、機関の設置を行うかどうか

(3) 2010年度の予算編成について

(4) 議会ホームページの充実について

 の4件(正式な案件名ではありませんが、大体このような内容だったと思う)でした。

 (1)については、当然のことながら「議会」の章立ては必要です。この点については、私が現役時代から口を酸っぱくして訴えてきたことです。「まちづくり」には、住民の皆さんと行政と議会の3つの力が必要です。別途議会基本条例が既に制定されている、或いはこれから制定する予定である、のいずれであっても「まちづくり基本条例」で「議会の章」を省いてはいけないのです。

 (2)については、前期からの申し送りである特別委員会の設置が改めて確認されました。問題はその構成内容です。人びとの新しい歩みと共産党は「全議員が委員になり、議論を行うべし」との意見を出しました。特別委員会を設置するためには、全員協議会での決定を踏まえて本会議での議決を経なければなりません。いずれにせよ議会改革は待ったなしですから、早く実際の検討に入れるように態勢を整える必要があります。議会がチンタラしていると、行政への示しがつきません。

 (3)については、来年度の議会費予算に係る会派ごとの予算要求書の提出期限が定められました。参考資料として、町長が各部局長に通達した「平成22年度予算編成について」の文書が配布されました。当文書は毎年出されているもので、内容的にも別に目新しさはありません。町長は相変わらず、財政は厳しいと嘆いています。2008年度決算では財政の硬直化を示す経常収支比率は、改善途上にあるとはいえ100を超えていますし、当初予算の初っ端から基金を取り崩して財源不足を補っています。それで辛うじて赤字を出さない決算を打っているということです。

 従って、議会費も自ら身を削る覚悟が求められるのは言うまでもありません。期末手当の役職加算は、議員への支給根拠が希薄です。条例改正を行うべきです。私は在任中に改正を訴えていましたが、叶いませんでした。仕方なく退任後に、役職加算の該当金額を町に寄付(返納)しました。あっそうそう、またぞろ政務調査費なんぞ出してくる会派はないでしょうね?心配・・・です。

 (4)については、議会の情報提供を充実させることは当然です。改善されたとはいえ、他市町と比較してもまだまだ努力の余地があります。折角の議会ホームページですから、惜しみない情報を掲載・更新すべきです。事務局長の「現状は情報不足と認める、拡充したい」との答弁に「やっと気付いてくれたか!」と少し希望が持てました。私は「“抵抗勢力”に負けるなよ」と、局長に向って呟きました。

 以上の会議内容は、私の視点でまとめたものです。ところで本日の本当の日付は11月3日ですが、この日記以降にも会派代表者会議(10月29日)が開かれています。いつも会議の日程を知らせてくれるS議員のファックスが届かなかったので、私は29日の会派代表者会議は傍聴を逃がしてしまいました。従って報告することが叶いません。しかし平野議員のブログを見て下されば、両日の議論の中身が分かると思います。

 今日は島本で3つの用事があったと最初に述べましたが、1つ目の用事(傍聴)しか書けませんでした。2つ目の用事は、○○課に対して請求をしていた情報の閲覧でした。3つ目は、澤嶋議員と支持者のKさんと3人で話し合いをしたことでした。これらの結果については、いつか掲載をしたいと思います。

浜大津港に停泊中の琵琶湖周遊船ミシガン。
背景の真ん中が我家のマンション
京都の人々に命の水を運ぶ琵琶湖疎水。
春には桜のトンネルが見事らしいです
三井寺近く、趣のある大津絵のお店

 


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老化は正直!ついに“お膝もと”へやってきました

(2009年10月16日 金曜日)

 ここしばらく、左足の腿や膝が硬直しているような違和感を覚えていました。正座がしにくいし、立ち上がりには「よっこらしょ」のかけ声が必要でした。新しい地に来て、ちょっとウオーキングに張り切りすぎたかな?くらいに思っていたのです。ところが遂に昨夜、就寝中に左膝が痛くてたまらなくなりました。そこで今朝は、自宅から一番近い整形外科医院に飛び込みました。

 「はい、立派な(!?)変形性膝関節症です。俗に言うお皿に水が溜まっている状態です」と、お医者さんは軽やかに宣告しました。レントゲンを取った後、超音波で溜まった液の層をモニターの画面で、私にも確認させてくれました。太い注射器で吸い取った“お水”は、レモン水のような薄黄色をしていました。痛み止めの薬とシップを処方してもらって、様子を見ることになりました。

 一つの動作のたびに「イタタ、イタッ」と思わず声が出ますが、お医者さんは全然気にしている様子はありません。「心配せんでも老化、老化現象です。腿の筋肉を鍛えましょう。痛みが引いたら散歩は大いに結構です」と言いました。65歳になったとたんに「老化」を否応なく自覚させられ、私は大いにショックを受けました。これからは整形外科とのお付き合いが始まるのだと、覚悟しなければならないことにも溜息が出ました。

 帰宅すると“膝イタ”の先輩である夫が「ほれ見てみ、痛なって初めてわかるやろ」と、なんだか威張っています。いや〜ほんまに、そうだと実感しました。外出時に、今迄何気なく昇り降りしていた階段が実に辛い!のです。バリアフリーの必要性とありがたさが身にしみます。

 数日後には痛みは大分軽減しましたが、今度は膝に直接薬を注入しました。お医者さんに駆け込んで2週間後には(現在11月5日です)平常どおりの動作に戻りましたが、油断すると老化は隙あらば忍び寄ってきます。近くのスイミングスクールを横目で見ながら、取りあえずは夕方の散歩を励行することで再スタートです。あ〜ぁ・・・と呟いても仕方がありませんが、長男曰く「老化もやけど、肥満も膝には大敵やで」。言われなくても分かってますって!

往復40分くらいの近江神宮が、
定番のウオーキングコースです。
広大な敷地内は森林浴の効果もありますよ
前々回の日記で「花の名前が分からない」
と書いたところ、タデ科の「ミゾソバ(溝蕎麦)」と
教えていただきました。
散歩の折に、湖岸や河原で摘んでいます

 


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“山中越え”で下鴨神社近くの家具屋さんへ

(2009年10月17日 土曜日)

 週末パラサイトの長男が、久しぶりに三重から車で帰ってきました。「待ってました!」と、京都のアンティーク家具店へ連れて行ってもらいました。下鴨大津線は通称“山中越え”と呼ばれるクネクネ道(一応県道)ですが、山一つ越えると京都(北白川)へ20分くらいで行くことができます。

 お目当ての家具店「浜野」には、とても素敵なアンティークの家具・カーペット・食器・小物類が揃っていました。残念ながら、捜しているサイズに合うチェストは見つかりませんでした。「月末から始まるフェア用に、新しく入荷する家具があります。その中から見つかるかもしれません」とのお店の言葉に望みを託して、本日は“目のお正月”のみで我慢しました。

 昼食は「浜野」の数件隣の「花折」で、鯖寿司をいただきました。写真の通り一桶に3切れで1,600円でしたから、1切れ500余円です(「いづう」より高〜い!)。でも納得のおいしさで大満足しました。近くの下鴨神社にお参り後、糺の森を少し散策しました(このあたり一帯は「世界遺産」だそうです)。糺の森には4つの小川が流れています。御手洗川・泉川・奈良の小川・瀬見の小川ですが、写真に撮った川の名前は特定できていません。

 京都から帰り、夜は琵琶湖ホテルに行きました。「ホテルのディナーバイキングがいいよ」と聞いていたので、長男がご馳走してくれました。驚いたのは、ホテルの車で自宅への送迎をサービスしてくれることです。時間の指定も勿論可能、私たち3人のために車が用意されるのです。いろいろときめ細かいサービスをしなければ、当節はお客を呼び込むことがシンドイ状況なのでしょうね。

 食後はなぎさ公園をブラブラと、湖面のイルミネーションや野外コンサートに時を過しました。今日は楽しさとおいしさで、満腹の一日でした。たまにはこんな日があってもいいですよねぇ〜?それにしても議員をしていた頃、体も気持も四六時中せわしなくバタバタしていたのは、一体なんだったのかしらと不思議に思ってしまいます。そのギャップを今は、うれしくありがたく味わっています。

値打ちあります、花折の鯖寿司
下鴨神社境内
糺の森を流れる小川

 


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大津市民になって始めての情報公開請求をしました

(2009年10月19日 月曜日)

 我家のマンションが建つ南側に、湖水に繋がる空き地があります。住居を購入する際に最も気になったのは、この空き地が将来的にどのような土地利用をされるのかという点でした。マンションの売主である東京建物は、当該地が都市計画された公園になるとの説明をしました。都市計画公園の件については、当然私も住居の売買契約の前に市役所で確認をしました。しかし何時からどんな公園整備が始まるのは、全く知ることができませんでした。

 道路でも公園でも都市計画を打ってはいるけれど、長い年月ほったらかしと言う例は珍しくありません。そこで今後の進展を懸念しつつ、何か手掛りになる情報がないか市政情報課を訪れました。そこで見つけたのが、「今年度予算の主要事業」です。当資料は住民の持ち帰りオッケーで、情報提供されています。その中に“隣の空き地”の事業があげられていました。

 「緑化重点地区整備事業(柳が崎湖畔公園)」が事業の名称でした。今年度から3年間を掛けて、原っぱになっている現状を公園に整備していく計画です。事業の目的は「琵琶湖の自然環境及び景観の保全」「琵琶湖の自然と調和したリクリエーションの場の形成」としています。今年度の予算は、湖畔ゾーン整備費として3,600万円が計上されています。

 ヤレヤレ、これで一先ずは安心です。しかし未だ事業の全体像は見えません。情報課の職員に、担当課である公園緑地課の職員を呼んでもらいました。ところが「原課は空っぽ」だというのです。「空っぽと答えたのは誰?」と訊ねると、「原課の課長」というではありませんか。私は「では課長さんにお願いします」と返して待っていました。

 資料を抱えて公園緑地課の課長がやってきました。チラチラ資料を見せてくれるので、私は「公園の完成予想図くらいは提供してくれませんか」と頼んでみました。課長の答えは「ノー」でしたから、私は「じゃ、情報公開の制度を利用し請求をします」と告げ、手続を行いました。これが大津市民となって初めての情報公開請求です。

 これからは島本町にいた時のように仕事でたくさんの請求を行うことはありませんが、身の回りのことで本当に知りたいことは、ヤッパリこの制度を使っていきたいと思いました。市政情報課の職員さんが情報公開請求のイロハから教えてくれましたが、「申し訳ないけれど、あなたよりも良く分かっています」とは言えないので黙って聴いていました。

 最後に、大津市の文書目録で驚いたことがあります。島本町では月初めに前月分の文書処理簿が、全課から自治防災課に提出されています。私たちは請求したい情報を、これら処理簿の目録中から選択します。大津市においても当然文書処理簿が置かれていると思っていたのですが、なんと前年度の目録しか置かれていなかったのです。

 「これでは現在、どのような情報が在るのか分からないではありませんか」と問うと、「請求したいお目当ての情報は、担当課に聞いたほうが的確に請求できますよ」と答えました。確かにそれはそうなのですが、一方では役所の情報隠し(都合の悪い文書の存在を教えない)等が行われないとの保証もないということです。へ〜っ!“所変われば”で、情報公開請求のやり方もいろいろなのだと改めて実感しました。私は島本町のやり方のほうが、絶対に良いと思っていますが、どうなのでしょう?

市政情報課の室内、情報公開請求は
島本町より少ないようです
(人口は10倍以上なのに)
これが文書目録
ただし前年度分しか置かれていません
(信じられない!)

 


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「湖都大津〜社寺の名宝」展を鑑賞しました

(2009年10月24日 土曜日)

 本日の本当の日付は11月14日です。ただでさえ日記の更新がずい分と遅れていますのに、のんびりと4日間も留守をしてしまいました。栃木県から千葉県(船橋市)に転勤した次男宅を、夫と共に訪れていました。空振りのアクセスを繰り返された皆さんには、大変申し訳ないことでした。それでも見放さずに毎日50人くらいの方々が訪問してくださっていました。本当に有難うございます。

 千葉へは別に用事があったわけではなく、珍しく連続して休暇が取れた次男に合わせての訪問でした。次男宅到着後私たちが一番に取り掛かったのは、まだ引越しのダンボールが積み上げてある部屋の掃除(徹底的に!)でした。掃除の後は、電気製品や日用品の補充にスーパーマーケットへ買出しです。放っときゃいいようなものですが、“薄給”で首都圏内に暮らす厳しさは相当なものであろうと・・・ついつい。

 遊びに行ったのは、東京の美術館と海を見に(狙いは獲れたての魚料理)銚子へドライブしたくらいです。旅行と言うほどの中身ではなかったのですが、私たちの訪問が新しい地で生活を始めた次男へのエールとなっていればうれしく思います。さて、それでは日記の日付に戻ることに致します。10月分の日記をいい加減に終わらなければと思うのですが、後2〜3日分のお付き合いをお願いいたします。

 大津市の歴史博物館を訪れるのは、8月の「戦争と平和展」以来2回目です。博物館の場所は自宅から歩いて20分くらい、市役所の少し山手にあります。散歩には程よい距離です。今回鑑賞したのは、大津市内にある有名社寺の仏像・神像約100点です。企画展「湖都大津〜社寺の名宝」には、10社寺から国宝や重要文化財が数多く出展されています。これらの社寺は「信湖会」と称する団体を組織し、50年にわたる活動は今日の大津観光の礎を築いたといわれています。

 加盟社寺は、延暦寺・園城寺(三井寺)・石山寺・近江神宮・日吉大社・西教寺・岩間山正法寺・満月寺(浮御堂)・建部大社・立木山安養寺(立木観音)の10社寺です。私がまだ行ったことがない社寺が半数あります。今回の企画展を契機に、これからはボチボチと現地を訪れていく楽しみが増えました。

 展示は釈迦・如来・菩薩・観音・明王(不動明王や愛染明王など)・天部(帝釈天や毘沙門天など)・神像(男神女神や熊野権現など)で構成され、一体ごとに解りやすいイラスト付の説明が添えられていました。またガラスのケースに収めた像は殆どなく、迫力ある鮮明な像を観ることができました。私をはじめ、訪れた多くの人たちの期待に十二分応える今回の“名宝”展であったと思います。

豊かな緑を背景に建つ歴史博物館
館内のロビー、もったいないくらい立派です

 


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やっと水草の回収に来てくれました

(2009年10月26日 月曜日)

 我家のマンションは琵琶湖畔に建っています。護岸ブロックやよう壁が設けられた湖岸ではなく、湖水が打ち寄せる砂浜に面している建物です。この様な周辺環境は魅力的な宣伝コピーとなって、多くの住人に購入を決心させた理由にもなっています。勿論我家も例外ではありませんでした。私たちは8月の中ほどに引越しをしてきたのですが、早速毎朝毎夕の湖岸散歩を楽しんでいました。

 ところが暑さが少し和らいだ9月中旬頃になると、砂浜に打ち上げられ蓄積した水草が臭気を発していることに気付きました。天候や風向きによっては、臭気が湖岸に面していない我家のベランダにまで漂ってくることが度々発生しました。え〜っ!これはまずいです。3メートルあるワイドなベランダはお茶を楽しんだり、読書をしたりして多目的に活用しているのです。くつろぎタイムが台無しです。快適なはずのマンションライフで、例え一時期であってもトイレ臭が漂うとは・・・。

 原因が湖岸に打ち上がった水草であることは、はっきりしています。しかし多量の水草を除去することは、個人の力ではどうにもなりません。困った時は市役所に電話です。最初に出たのが、環境政策課でした。職員は「琵琶湖の水草は、滋賀県が定期的に刈り取りを行っています。ただしあくまでも水中に生息している水草のみであって、湖岸に打ち上げられた水草は市町村が処分すべき対象物となります」と言いました。

 私は「だからどうなん?私は臭い水草を取り除いてほしいのよ」と心の中で苛立ちながら、「なんとかならないでしょうか」と何度も言いました。「う〜ん、そうですね。琵琶湖は滋賀県の所有ですが、マンション前の砂浜は大津市の土地だと思います。それでは公園緑地課に電話を回します」と職員は、やっと本命の担当課に繋いでくれました。

 公園緑地課の職員は、とても分かりやすく丁寧に答えてくれました。「水草の回収担当は私です。9月初めにも現地確認を行ったところです。回収は業者に委託するので、作業に取り掛かる前にもう一度確認を行います。従って、いま少し待っていただきたいと思います」。私は「よろしくお願いいたします」と電話を切りました。ちなみに、市役所へ初めて電話をしたのは10月2日でした。

 最初の電話から数日後に、市議会傍聴のため市役所を訪れました。傍聴の合間には、勿論公園緑地課に出向きました。湖岸に打ち上げられた水草が、グチュグチュの塊になって堆積している写真を数枚持参しました。そして除去作業の日程と、撤去に係る予算の確認を行いました。当初に予算がついていないものは、よほどの重大性・緊急性がない限り先ず実現の見込みがないからです。引越して来て間もない住民に、その場しのぎで都合のよい返事をしておく・・・なんてことは、役所では無きにしも非ずですから(ごめんなさい、私の思い込みかもしれませんが)。

 予算は確かに60万円の計上がされていました。しかも「柳が崎湖畔」と場所も特定されています。先ずは一安心です。次は撤去作業を、いつ行ってくれるのかということです。この時点では、まだ現地確認は行われていませんでした。再び「よろしくお願いいたします」と伝えて、公園緑地課を辞しました。駄目押しに来るなんて予想外といった職員の様子がおかしかったですが、お願いをするのですから当り前ですよね。

 撤去作業は、これで間もなく実施してもらえると安心したのです。ところが10月8日にやってきた台風によって思わぬ事態が発生し、またまた先送りになってしまいました。新聞にも掲載されたように、台風の影響で浜大津の護岸に大量の水草が押し寄せたのです。浜大津のなぎさ公園一帯は中心市街地に位置し、琵琶湖観光の重要な場所です。人手もお金も、早急な対応が迫られたことは言うまでもありません。

 「あ〜ぁ、これで“我が”柳が崎湖畔の水草撤去は絶望的になった」と、私は思いました。仕方がないかもと諦めの境地にも陥りました。ところがなんと!台風後20日足らずを経た10月25日、公園緑地課から電話が入りました。「明日、明後日と作業を行います」と。良かったです!「市民の方からの声は大事ですから。私たちは言っていただいて作業の必要性をより確認できるのです」と、担当職員は言いました。

 なんだか、久しぶりにうれしい気持になりました。というわけで前置きばかりの本日の日記ですが、この見上げた職員を初めとして、私の“しつこさ”(粘り強さと言わせてください)を含めた事の経緯を知っていただきたかったのです。今朝はあいにくの雨降りでしたが、私もちゃんと浜に出て回収業者さんを“激励“しました。作業は4人で、2日間とも夕方まで行うようです。アララ!トラックの車輪が砂にはまり込んで、動けなくなっていました。気の毒に、お疲れ様で〜す。

打ち上げられた水草が帯状に連なっています。
後ろの建物が我がマンション
雨の中、水草撤去を行う委託業者の作業員

 


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水草回収作業が終わりました

(2009年10月27日 火曜日)

 今日はお天気になってよかった!水草の回収作業2日目です。作業は朝9時から、午後3時か4時ごろには終わると聞いていました。そこで初めと終わりの時間を見計らって、私は浜に行きました。朝の開始時には「お早うございます。今日もご苦労様です」、午後の終了時には「きれいになってうれしいです。ありがとうございました」と、委託業者の作業員さんに挨拶しました。

 業者はお金を貰って仕事をしているのですから当り前とも言えますが、ヤッパリきつい仕事です。住民から「よろしくお願いします」、「ありがとう」とねぎらいの言葉を送るのは当然です。特に今回の水草回収は、私がヤイノヤイノとせっついて実現したようなものですから、ちゃんと見届けるのが礼儀だと思いました。勿論市役所には直接御礼の電話をしました。

 後日の話ですが、マンションの住人の方も喜んでいたと夫から聞きました。夫が管理組合の場で、他の役員さんが話しているのを伝えてくれました。ちなみに我家は1号室なので、初っ端に管理組合のお役が回ってきたのです。夫は「そうですね」と返しましたが、私が水草回収に微力を尽くしたことは知らない振りをしていたそうです。

 やれやれこれでやっと、水草の堆積した見苦しい湖畔の情景と臭気から開放されました。しかし実のところ、反省点もあります。打ち上げられた水草は、10月も末になるとそう臭わないのです。水分を含んだ水草が蒸れた状態(この時が強烈に臭う)になるような気温に達しないからです。従って来年はもっと早い時期の6月頃(今年はまだ引越して来る前だったのでよくわかりませんが、梅雨の頃を目途に)と9月頃に、回収時期を設定しなければならないことがわかりました。

 水草“騒動”の終わりに、私の夢をちょっとお伝えしましょうか。できることなら“柳が崎・なぎさのお掃除隊“みたいなボランティアグループができればいいなと思っているのです。大掛かりなことは無理でも、「気持よく散歩がしたいね」くらいを目標に湖畔の清掃をちょこちょこ行うっていうのはどうかしら?まっ、仲間を頼りにする前に先ずは自分がやってみることだということも、よく分かっているのですが・・・。

水草は重たい!手前が集めた水草の山
きれいになった湖岸

 


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澤嶋議員の情報発信をサポートしたいと思ったのですが・・・

(2009年10月31日 土曜日)

 澤嶋さんは4月の選挙で、私が託した市民派議員のバトンをしっかりと受取ってくれた仲間の一人です。感性豊かで何事にも一生懸命な人ですから、私は勿論多くの人たちが澤嶋議員の活動を大いに期待しています。しかし夏以降、澤嶋さんの体調は芳しくありません。それでも本会議や委員会等の公務に穴を開けることなく、かなりしんどい状況の中でも議員の務めを果してきています。

 しかし残念ながら殆どの住民の皆さんには、澤嶋議員の活動が全くといってよいほど分かりません。澤嶋さんに一票を投じた支援者はもとより、議会や議員或いは町政全般に関心を持つ人たちにとって、澤嶋議員からの情報発信は未だ無きに等しいからです。議会活動ニュースの創刊号を初め、6月中旬から更新がないブログも発行を待っている人は大勢います。

 澤嶋さんは議員活動を決して蔑ろにしているわけではないのですが、半年間の“沈黙”は誤解を招き、澤嶋議員への厳しい評価に繋がりかねません。私にはこれら懸念される様々な状況が手に取るように予測できます。したがって良くない事態に至るのは、なんとしても避けなければなりません。そうでなければ、今任期中の活動はもとより次の選挙も非常にやりにくくなります。

 私は島本町を離れましたから、物理的には町議会とも澤嶋議員とも遠くなりました。しかし澤嶋さんは20年来の友人であり、私が議員の職にある間は最も頼りがいのある支援者でもありました。従って今までもこれからも「私は澤嶋さんの一番近い所にいるよ」との気持を持ち続けていきたいと思っています。

 そこで「私ができる澤嶋さんへのサポートって、何なんやろ」と、いろいろ考えました。澤嶋さんの体のしんどさを代わってあげることは不可能なのですから・・・。澤嶋議員に今一番求められているもので、私にも出来ることがあるはず。そう!それは情報の発信です。しかし、澤嶋議員が自ら発行する議会活動ニュースやブログを、私が代筆するわけにはいきません。

 後援会ニュース的な“勝手連”通信ならええんとちがう?よぉ〜し、これでいこう!と、澤嶋さんと支援者代表のKさん同席で、過日話をしました。澤嶋さんの意思は、実にあっさりと「ノー」でした。私は正直びっくりしました。住民からのイエローカードがレッドカードになりそうなこの期に及んで、何を躊躇することがあるのか?と言いたくなりましたが、いえいえ澤嶋さん本人の意思が第一義です。

 一生懸命プランニングした提案だっただけに残念で仕方ありませんが、まあ澤嶋さんの意欲を引き出すには効果があったはずと、その点のみ期待しつつ引っ込めざるを得ませんでした。「いらぬおせっかいを言われて、たまらないわ」と思うのも当り前かもしれませんね。ではその後、発奮した澤嶋議員の情報発信は、進んだのでしょうか?今日に至るまで答えは「ノー」というのが、はぁ・・・悲しいです。

コリウスも盛りを過ぎた琵琶湖大津館前庭の花壇
小春日和の湖にヨットもゆったり

 


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