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平野議員と戸田議員のブログで感じたこと

(2011年1月3日 月曜日)

 明けましておめでとうございます。2011年が始まりました。今年はどのような一年になるのでしょうか?国政を始め地方政治にも叱咤激励が必要な昨今ですが、私たち庶民も小さくても出来ることを地道に繋げ広げていくことが求められています。私もボ〜ッとしているばかりではいけないですよねぇ。

 さて暮れから昨日までは東京・横浜に滞在し、家族3人でお正月を迎えました。帰宅後直ぐに、大津市と島本町の議員方のブログを訪問しました。記事には久しぶりに肩の力を抜いたお正月の様子や新しい一年の抱負が述べられていて、微笑ましかったり頼もしく感じたりしました。アクセスした中で宮尾大津市議の連作ブログは、力作で読み応えがありました。私も選ぶ立場で、改めて「議員の仕事とはなんぞや」と考えさせられました。

 興味を引かれたブログは、平野議員と戸田議員の文章です。日ごろ町行政や議会の諸問題を詳細に報告してくれている2議員のブログは、私にとっては唯一島本町に係る情報入手ツールです(ちなみに役場や議会のホームページは乏しい中身ですし、更新のタイミングを逸している場合も少なくありません・・・この際苦言を呈しておきます)。

 平野議員のブログ初めは1月3日付、戸田議員は1月1日付です。それぞれ一部分ですが、紹介します。

 平野さんは家族団らんのお正月の様子を述べた後、「〜政治も経済も信頼されることこそ大事です。地方議会も同じですね。力を尽くしたいと思います」と書いています。短く平易な言葉ですが、すっと胸に入り安心感を覚えました。

 一方、戸田議員のブログは「〜住民のみなさんに活動の内容を知っていただく努力を惜しむわけではありませんが、確実に『仕事力』を培える一年にしたいと考えています」に続いて、次のような文章が書かれています。「〜『夢』『ビジョン』『ひらめき』を通して『高次の知識』に、学問の力を借りて橋をかけるよう努めます」。う〜ん!きっと選び抜かれた言葉なのでしょうね。さすが戸田さん!格調高いです。

 まっ「2議員の文章のいずれが優れているか?」なんてことではなく、これは受け手の“好み”によるところが大でしょうね。敢えて言うなら、私は平野さんの表現が好みです(今回は)。戸田さんの言う「高次の知識」とは「次元の高いこと、程度や水準の高いこと」を指していると思われますが、続いて「学問の力」とくれば・・・お〜っ、もうノツノツ(勘弁してぇ〜)って感じがしないでもありません。

 長い間、澤嶋議員のブログ更新がなく物足りない感じですが、まあいずれにせよ今年も三者三様、個性を生かした幅広い市民派女性議員の活躍を期待しています。もちろん大津市議の皆さんにも、頑張って頂くことをお願いいたします。かくいう私、大きな口を叩いていますが、全てわが身を省みず言い散らしていることは良くわかっています・・・スミマセン。

 では、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

ジャスコの初売りで、安くなった小さなランの鉢を求めました。
晴れやかなお正月気分をチョッピリ味わっています

 


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柳が崎湖畔公園の第2期整備工事が進んでいます

(2011年1月8日 土曜日)

 お正月休みも明けて厳しい寒さの中、再び柳が崎湖畔公園の整備工事が始まりました。今回の工事は、3年次に分けられた2期目の計画です。昨年度は1期目の工事として、湖畔の砂浜回復と柳川の整備工事が行われました。今工事「みずべ・ゆとり・うるおいゾーン」の主たる内容は、侵食され失われた湖岸を作り出し回遊の機能を復活させることです。

 この回遊路が出来れば、我がマンション前の砂浜から湖岸に沿ってびわ湖大津館・イングリッシュガーデンに繋がる散策が可能となります。工事現場は湖水上で、作業はなかなか大変そうです。護岸はコンクリート打ちではなく、自然石を積んで作られます。湖面に設置した大きな筏にクレーン車を乗せ、デッカイ石を1個づつ吊り上げて水辺に運びます。ダイバースーツの作業員が水に浸かりながら、石を適切な位置に置くための調整をしています。

 比叡おろしがビュービュー吹き渡り、凍える寒さの中で働く皆さんに感謝です。工事は3月末に完成します。次年度は我家の真下にある空き地を、湖畔に通じるエントランスパークに整備する最終の計画が予定されています(但し事業全体に係る予算が残っていればということらしいですが)。

 こうして近隣の環境整備が進んでいくのは、本当にありがたくうれしいことです。しかし工事にはたくさんの税金が使われています。しっかりと活用し少しでも費用対効果を上げながら、美しい湖畔を保持する努力も微力ながら果たしていきたいと思います。ちなみに柳が崎湖畔公園は、「日本の歴史公園100選」にも選ばれているそうですよ(実際は250公園。滋賀県内では4公園が選ばれ、大津市は2ヵ所で柳が崎と膳所城跡公園)。

イングリッシュガーデンの裏手一帯に護岸の
復元を行い、散策道を設ける工事です
雪の日も作業は続きます
(後方に見えるのっぽビルは大津プリンスホテル)

 


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「磯部ろうそく店」が全焼

(2011年1月11日 火曜日)

 昨秋香嵐渓で紅葉狩りを楽しんだ際に、足助屋敷で絵ろうそく(愛知県の伝統工芸品に指定されています)をお土産に買いました。岡崎市で3百年続く「磯部ろうそく店」の9代目店主から、丁寧で熱のこもった説明を受けたことを覚えています。今日ネットで、このお店の火災を知りビックリしました。火事の原因は漏電とのことですが、けが人が出なかったのは不幸中の幸いでしょうか。

 和ろうそくはハゼの実から抽出し精製した蝋を溶かし、手のひらで幾重にも蝋を掛ける作業を続けます。完成には熟練した職人技が必要です。形あるものは全て焼失したこのたびの災難ですが、店主の技は失われてはいません。店主はさぞ気落ちされていることでしょうが、未だ40歳半ば・・・若いです!何とか伝統の火を絶やさずに、頑張って再建してほしいと願っています。

 私はきれいな絵付けのろうそくに惹かれ買い求めた一観光客に過ぎませんが、おかげさまで燭光の揺らめきに心和むひと時を味わうことができました。ですから現在全国で20数軒しかない和ろうそく店の中で、「磯部ろうそく店」が消えて欲しくないのです。私が体験したように親切な店主の勧めで、和ろうそくの魅力に出会える人が少しでも増えるといいなぁと思います。

季節を先取りして、今日は桜の絵付けをした和ろうそくを。
燭台は古いものできれいじゃないですが、
桜の透かし模様が入っています

 


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ごみ袋の価格、4倍に値上げされるかも

(2011年1月12日 水曜日)

 今日の朝刊に、標題の記事が掲載されていました。市の諮問を受けた廃棄物減量等推進審議会が2年余の議論を経て、「ごみ1リットル当たり1円の手数料を市民が負担することで、ごみ減量を促す」との答申を目方市長に提出しました。具体的には現在のごみ袋価格10円〜13円(1枚)を45円に値上げすることで、ごみ処理費の一部を市民に負担してもらう内容となっています。

 大津市に引っ越して来て、可燃・不燃ごみ共に指定の市販袋に入れて排出しなければならないことを知りました。これは“ごみの有料化”だと私は思いましたが、役所は「ごみ袋の作成に係る経費のみを価格に反映しているもので、市が行うごみの処理費には充てていません。従って有料化ではありません」と繰り返し答えていました。

 でも市民からすれば有料の指定袋を使用しなければ収集してもらえないのだから、金額の多少に係らずごみを出す(=当然処理してもらうことも含めて)ことは“有料”だと思っても当たり前だと思います。廃棄物減量推進課とは何度かやりとりしましたが、(この私でさえ?!)いつか諦めの境地で役所の仰せには“従順”に従うようになってしまいました。

 さてさて今般、名実共に(!)有料化が打ち出されようとしているわけですが、未だ本決まりではありません。審議会の答申を受けた市長はパブリックコメントを精査する必要がありますし、最終的には議会の審議に耐え得る議案の中身でなければならないからです。次の議会(大津では2月議会)に上程されれば、各議員の表決が4月に行われる市会議員選挙の判断材料になると思うのですが・・・どうなるでしょうか?

 ところで、そもそも何故有料化をするのかということですが、市も審議会も「ごみ減量を目指すため」と言います。しかしごみの排出量が減少傾向にある中で、有料化=減量は短絡的で説得力に欠けると思われます。今回(昨年7月)いつになく数多くのパブコメが寄せられました。多数の市民が有料化への反対意見を述べていることからも、大津市のごみ問題に対する根本的な視点が問われていると思います。

 まっ市長の本音は、有料化によって得られる2億円を年間38億円のごみ処理費に充てたいということでしょう。市長が安定的な財源の確保を求めるのは当然ですが、そのためには市民が納得できる根拠と説明責任が必要です。結論を言うと、私は「ごみ処理の有料化は、断じてまかりならん」と主張するつもりはありません。

 今、週2回の収集で1ヶ月8枚の袋を使用しているので、104円の支出です。値上げになると、360円になります。ごみ減量への工夫をして、袋は後1枚や2枚減らすことも可能でしょう。私たちは夫婦ともども年金生活者ですが、1ヶ月約200円の出費増が生活を揺るがすとは思われません。従って、ごみ処理に係る現状と未来像を分かり易く市民に示し、更なる行政努力を果たしてくれるなら受け入れるつもりです。

 ただし私がもしも議員の立場であったなら、当然とことん調査し値上げの整合性を追及しなければならないでしょう。市民に対して「みなさん、それは受忍の範囲でしょう」と、安易には決して言えませんものね。議員の仕事の大変さと辛い立場も解りますが、だからこそ議会には市民の理解がより一層深まるような真摯で活発な議論を期待しています。

唐崎神社、遅まきながら近隣の寺社に
初詣をしています。
JRでは一駅ですが、歩くと結構な距離です
神社の「みたらし祭り」に因んだユニークなお札、
みたらし団子を模した可愛らしい飾りがついています

 


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やっと新聞発表、「びわこ競輪場駐車場跡地に平和堂が出店計画」

(2011年1月25日 火曜日)

 本日の本当の日付は、2月8日(火)です。このところ寒さも緩んで、随分楽になりました。このまま春になって欲しいなぁ〜と願っていますが、まだまだ一回や二回の寒波は覚悟しておかないといけないでしょうね。さて昨日は、澤嶋さんのお見舞いに京都へ出かけました(暖かくて助かりました)。

 今回は入院から短期間で、しかも大きな手術でしたから心配しました。2,3日は何をしていても頭から離れずソワソワしていましたが、一昨日澤嶋さんから「無事終わったよ」と電話をもらってホッとしました。お見舞いに行っても役に立つことは何も無いし、かえって疲れさせるだけかもと思いましたが、ヤッパリ直接顔を見て「よかったね!頑張ったね!」と伝えずにはいられませんでした。

 面会は15分と決めていましたが、澤嶋さんの「もうちょっと」に引かれて30分を超えてしまいました(反省です)。澤嶋さんは「今日は議会改革に係る調査研修で、みんな伊賀市へ視察に行っているはず」と残念そうでした。今までもこのような悔しい場面は沢山あったし、これからも続いていくことでしょう。

 澤嶋さんは「とりあえず3月議会(2月25日から始まります)への出席を目指して、回復に努めたい」と言いました。私は澤嶋さんの気持ちは痛いほど解るし、議員としては当然の決意なので受け止めなけれならないとも思いました。しかし完治への道は、これからの治療や養生にかかっています。口には出しませんでしたが、友人としては「どうかもう無理を重ねないで」との祈る気持ちが正直大きいです。

 お節介、出しゃばり・・・等々どのような誹りを受けようとも、3月議会が終わるまでにはこの気持ちを伝えなければならないと思ったり、いやいや澤嶋さん自身の気づきと決断を待たなければならないと思ったり、私は私で悶々としています。3月議会が閉会すると、町議会は任期の後半に移る“折り返し点”を迎えます。どうか、この機を“完治への絶好の機会”と捉えてもらいたいと、私はただひたすら願っています。

大阪へ出る機会があり、
中の島界隈のライトアップを楽しみました
ちょうど100年目を迎えた中央公会堂
(今や国の重要文化財)。改修前の公会堂には、
学びの場としての思い出が沢山あります

 さて、標題の日記に移ります。平和堂の出店については、日記でも何度か書きました。私の問い合わせに対して平和堂は出店計画を認めていましたが、大津市は一切答えませんでした。今般初めて新聞報道がされたということは、市として何らかの届け出を受けたためでしょう。

 我家のマンションの真向かいには、国道を挟んで「びわ湖大津競輪場」(3月末で廃止)があります。競輪場の北側には民間より借地の駐車場が設けられていますが、その約3分の1(8千6百平方メートル)に平和堂がスーパーを建設するという計画です。建物は4月ごろに着工して10月ごろに完成する予定ですが、詳細は未だ明らかにされていません。

 残る駐車場(1万7千平方メートル)も競輪場廃止後には地権者に返還されますが、今後は民と民の交渉になりますから跡地がどうなるのかは分かりません。駐車場跡地が放置され荒廃するよりは秩序ある美しい街並みを望みますが、きっと地権者は各々バラバラに土地を売るでしょうから・・・心配です。

 一方今後は、競輪場(県所有)の広大な敷地(6万4千5百平方メートル)をどのように活用していくかとの大きな課題が浮上してきます。新聞には「大津市が今後の活用方法を検討している」とありました。これから検討に入るなら広く市民に声を聴くべきですし、何よりも目の前の私たち住民に対しては後手にならない情報提供と説明責任を果たしてもらわなければなりません。

遅まきながらの初詣第2弾、三尾神社は
園城寺(三井寺)の隣にある小さな神社。
卯年生まれの守護神として、
今年は参拝者が多いです。
拝殿にかかる紫の幕には、神紋である
「真向かいの兎」が描かれています
狛犬ならぬ“狛兎”。
年男の次男のために、
「縁結び」と「交通安全」の
お守りを求めました

 


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ひとまずホッ!見つかったカモは高病原性インフルに感染していませんでした

(2011年1月27日 木曜日)

 26日の夜、オカヨシガモ1羽の死骸が堂の川で見つかりました。堂の川は、西武百貨店や湖畔の高層マンションが立ち並ぶ市内の“一等地”を流れています。6時台のNHK(滋賀)で、「簡易検査により鳥インフルエンザの陽性反応が出た」と報道され心配していました。

 琵琶湖は、全国有数の水鳥の飛来地です。1年で最も渡り鳥が多いこの時期は、約14万羽を超える鳥が生息しています。滋賀県下で初めて、しかも人里はなれた川や山中ではない街中で鳥インフルの感染事例が発生したことで、関係者の緊張は一挙に高まったと報じられています。

 27日の未明には遺伝子検査の結果が「陰性」と判明し、高病原性インフルエンザウイルスには感染していないことが判りました。ひとまず安堵しましたが、野鳥を介した感染の拡大を封じるための有効な決め手はありません。県内の養鶏農家は、戦々恐々の日々を過ごしていると聞いています。

 県のホームページを見ると、鳥インフル関連の情報が多数アップされています。現在は「レベル2」で対応しているようです。「レベル2」ではカモ・サギ・タカ・ハクチョウのいずれか1羽、それ以外の鳥では10羽以上の死骸が見つかれば、回収し検査を行わなければならないとされています。

 今回滋賀は幸いにも感染を免れましたが、被害が発生している各地も何とかこのまま沈静化して欲しいものです。それにしても新しく強力なウイルスが次々と出現してくるのは、地球環境の未来を予言しているようで怖いです。

だらだら続く初詣。
今日は園城寺(三井寺)、
千年の歴史を刻んだ堂々の山門

 


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1月の終わりは臨時市議会の傍聴

(2011年1月31日 金曜日)

 本日の本当の日付は、2月14日(月)です。数日間日記の更新が滞っていて、(毎度のことながら)申し訳ありません。10日から高山・長野の雪景色を楽しんできました。お目当ては白川郷の合掌造り・松代の雪祭り・善光寺の灯明祭り・須坂の雛飾り等々です。雪また雪の風景に接してその清らかさに心が洗われると共に、雪国の厳しい暮らしに思いを馳せた小旅行でもありました。

飛騨白川郷の合掌造り民家
ライトアップされると、一層迫力が増します

 家に帰ってすぐに、澤嶋さんから「退院したよ」とのうれしい電話が入りました。元気の良い声だったので、術後の経過は順調だと分かり安堵しました。一年余りの間、数々の困難に負けず頑張ってきた澤嶋さんです。今回も大きな山を無事乗り越えました。しかしながら、これから先も根本的な治療再開が迫っています。今は良く食べ良く寝て体力の回復に努め、次の“闘い”に備えて欲しいと願っています。

秋神温泉、氷点下10度の森には
カマクラがあちこちに
同じく森の中の氷瀑。
写真で見るよりブルーの
色合いが濃くて、本当にきれいです

 さて、標題の日記に移ります。今日(1月31日)は、大津市議会臨時会が11時から開かれるため傍聴に出掛けました。「えらい中途半端な時間に開会するのね」と思いながら議場に着くと、何故か議場内は空っぽです。議会事務局に問い合わせると、「会派の代表幹事長会が開かれていますので」としか答えてくれません。ちょうど小松明美議員が通りかかって「副議長から急遽辞任の申し出があったので、役選のことで話し合っている」と教えてくれました。

 結局、議会は40分遅れて開会しました。冒頭に全員起立で「市民憲章」の斉唱が行われましたが、実際に目の当たりにしたのは初めてです。議員も職員も「憲章」を念頭において仕事に励むという姿勢に異議はありませんが、私には少し違和感を覚えたセレモニーでした。続いて佐藤健司副議長(湖誠会)の辞任が、賛成多数で可決されました。

 佐藤副議長の辞任の挨拶がありましたが、通り一遍の文言で「何で辞めるのか?」は全く分かりませんでした。挨拶中に「苦渋の決断」との言葉がありましたし、野次が飛んだことからも健康上の理由ではなさそうです。わずか8ヶ月の在任、しかも市議選まであと3ヶ月足らずです。佐藤市議が再選を目指すなら「前副議長」の肩書きは邪魔にはなりません。にも拘らず、辞任するのは何故でしょう?

 私の勝手な“推理”では、「佐藤議員は多分県議選に出馬するのかなぁ〜?」と思っています。県議選は4月10日・市議選は24日が投票日ですから、“受け皿あり”の挑戦が可能です。続いて新副議長の選挙が行われました。安田晴彦議員(市民ネット21)32票・八木修議員(共産党)6票・無効1票で、安田副議長が誕生しました。新副議長の挨拶(これまた紋切り型)後、1時まで休憩となりました。

 やれやれ!宮尾孝三郎議員の質疑を聴きに来たのに、議案審議は午後からになってしまいました。職員食堂で狸そば(久しぶり!安くてウマイ)を食べ、三井寺周辺を散歩して時間を潰しました。ところで今臨時会の議案は、国の地域活性化交付金を活用した11事業にかかわる補正予算です。うち1事業に宮尾議員が質問通告している「子宮頸がん予防ワクチン接種事業」があります。

 なお今回議場での通告者は、宮尾議員ただ一人(清正会を代表して)です。ちなみに大津市議会では、議場での質疑・討論は通告制です。但し委員会主義なので補正予算は4つの常任委員会に付託し審査され、議場で委員長報告を受けた後討論・採決となります。一方島本町議会は本会議主義ですから、通常の補正予算は議場で審議・討論・採決となります。それぞれ一長一短ありますが、住民の立場から言うと分かり易いのは島本町議会だと今も思います。

 宮尾議員の質疑内容は、答弁も含めた“宮尾版会議録”が速攻でブログにアップされています(いつもながら凄い!)。従って詳細はアクセスして頂くとして、私の日記の続きはまたの機会に回します。用事があったので委員会審査はパスして、後日録画中継(1週間もすれば見ることが可能です)で討論・採決を確認しました。討論は宮尾議員一人(会派を代表して)が短く行い、採決結果は全員賛成で補正予算(10億2千7百万円の増額補正)は可決されました。

 さて遅れ遅れ途切れ途切れの1月分日記が、やっと終わりました。わが身の怠慢はさておいて、大津市議会・島本町議会議員方のブログは欠かさずチェックする毎日です。市議会ではマイペースの小松議員を除いて、宮尾・谷・山本議員(4議員共に会派「清正会」」は毎日更新です。

 方や町議会では、今や戸田靖子議員が更新・内容共に“ブログの女王”(?!)と言えましょう。少し滞っていた平野議員や伊集院議員も、近々復活しました。平野さんの過不足ない手堅い内容は役に立ちますし、伊集院さんの“独特”の文脈も慣れれば理解できます。また伊集院議員のブログでは、他の議員には見られない訪問者のコメントが多く寄せられています。時々突っ込みながら、伊集院さんの返事と共に楽しんで見ています。


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特定健康診査の結果を訊きに行きました

(2011年2月1日 火曜日)

 本日の本当の日付は、2月18日(金)です。グズグズしている間に、早くも2月の後半に入ってしまいました。この時期はどこの議会も今年度最後の開会日程が決まり、議員方は本番の質問・質疑に向けて準備に余念がないことと思います。大津市議会は週明けの21日から、島本町議会は1週間後の25日から始まります(ちなみに滋賀県議会は15日に開会しています)。

 島本町議会の一般質問通告者と質問項目が、ホームページに載りました。質問者は高山・東田・藤原・戸田・河野・冨永・平野・外村・清水議員の9人です。質問しない議員は、岡田・川嶋・伊集院・平井・澤嶋・山口議員(監査委員だから毎回パスしちゃうの?)の6人と菅議長(議長は質問できません)です。

 伊集院議員は自身のブログでアレコレ言い訳していましたが、要は「会派代表の大綱質疑で目一杯で、一般質問にまで力が及びません」ってことでしょうか。でも戸田議員と共産党3議員のうち一議員は両方やりますよ〜。ところで公明党2議員は、いずれも一般質問をしませんが何故でしょうか?(新人の川嶋議員は頑張らなくちゃ)。

 そして澤嶋議員ですが、今回の一般質問はとうとう見送ったのですね。継続してきた一般質問が途切れてしまって本当に残念ですが、体調の回復に重きを置かざるを得なかったのでしょう。一番悔しい思いをしているのは澤嶋さんだと、私には痛いほど良くわかります。しかしこのような事態が今後も繰り返されるとすれば、私の答えはただ一つ、“辛い決断”しか選択肢はありません。

「世界の人形博物館」の壁面三方を埋め尽くす雛飾り
古い民家のガラス越しに観るお雛さんも趣があります

 さて、標題の日記に移ります。12月初めから五月雨式に受けてきた健康診査ですが、特定検診と大腸がん検診の結果をやっと訊くことが出来ました。特定検診はいわゆるメタボリックシンドロームの判定を目的とした検診ですが、無事「非該当」の印字がありました。但し血中脂質は判定値を少々超えるものもありました。

 掛かりつけの医師は「これくらいは問題ありません」と言ってくれましたが、今後の食生活・運動量に油断は禁物といったところでしょうか。大腸がんは問題なしでした。ちなみに数日〜1週間で葉書が届いた乳がん・子宮頸がん検診に比べて、肺がん・大腸がん・特定検診の結果が随分遅いと私はヤキモキしていました。その後肺がんは1ヶ月、大腸がんと特定検診は2ヶ月経ってやっと結果を知ることが出来ました。

 大津市保健所健康推進課の職員に何度か問い合わせをしましたが、堂々巡りで明快な答えをしてくれる人がいなくてイライラしました。どうやら、検診を委託している医療機関に対し、市の担当者が「結果が出る予定月日を、検診終了後必ず受診者に伝えること。受診者は電話等で確認のうえ来院し結果を聞くように」の2点を徹底していなかったことが分かりました。

 まあ特定検診で2ヶ月後の結果は特段遅れているとも言えないのですが、私の掛かりつけ医は「何時ごろ結果を訊きにいらっしゃい」とは一言も言わなかったです。私が何度か「未だ結果は出ていませんか?」と催促の問い合わせをして、やっと本日知ることとなりました。

 健康推進課は「これからは医療機関への伝達を徹底します」とは答えてくれましたが、委託内容はどうなっているのかしら?ちなみに「結果を知らせる大まかな月日を、受診時に伝えることを義務付ける委託内容としている」と答えた他自治体もありましたけれど。

 さてあと残す検診は、2月中旬の胃がん検診のみとなりました。もちろん健康診査ですから詳細な検査をしていないわけで、病気が隠れている可能性も無きにしも非ずです。でも確信(!)を持っていた「メタボ」はセーフでしたし、がんの懼れも払拭できたし、オマケに検診は全て無料だったし、ホントよかったです。

長野善光寺の灯明祭り、
ライトアップされた寺院と参道の灯ろうが幻想的です

 


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凄いですね!自治会パワーで若山台のスーパー出店を実現

(2011年2月2日 水曜日)

 本日の本当の日付は、2月24日(木)です。いよいよ明日から、島本町議会が開会します。平野かおる議員のブログでは、先日一般質問通告者と質問項目が掲載されました。また戸田靖子議員のブログでは、ご自身の質問内容を知らせてくれています。

 戸田さんが事前に通告書の全文を掲載するのは、今回が初めてではないでしょうか。傍聴していても通告書が手元にあると解かりやすいですし、また傍聴が叶わない人に対しては尚更必要な情報提供と言えましょう。まあ当たり前のことですが、良いことですから今後も是非続けてもらいたいと思います。

 平野さんの質問内容は未だ明らかではありませんが、多分両議員共に2問目以降の質問には自信ある“隠し玉を”仕込んでいることでしょう。楽しみです。質問の順番は、戸田議員(4番目)は25日の午後2時くらいからでしょうか。平野議員(7番目)は、その日のラストか3月1日の10時からだと思います。

 3月半ばまで続く長い会期の議会ですが、島本町へは何回くらい傍聴に行けるでしょうか。出来れば術後間のない澤嶋議員へのエールを込めて町議会優先としたいところですが、殆ど同日程の大津市議会にも大いに関心がありますから迷うことになりそうです。いずれにしても、どちらの議会にも応援したい議員方がいるのはうれしいことです。

 なお、戸田・平野議員の一般質問通告項目は次の通りです。

戸田議員

1.JR島本駅西側の農空間保全 土地区画整理事業 地権者主体の組合施行の是非を問う

2.福祉ふれあいバス運行の課題を問う 技術者・事業者・住民参画の検討会を!

平野議員

1.農薬飛散による被害の発生を防ぐために環境省マニュアルの周知徹底を

2.「島本らしさ」を守るために、合併より広域行政の推進を!

 ところで戸田さんのブログには、「これからは新聞朝刊の配達の音を聴く毎日が始まります」とも書かれていました。毎議会土壇場で慌てふためきつつ徹夜の連続であった私とは違い、戸田さんは(勿論平野さんも)準備万端整え余裕を持って議会に臨んでいると思っていたので意外でした。

 でも前述のような文章に出会うと、何だかグッと親近感が湧いてきます。机上はもとより床一面に積み上げた資料のページを繰っていたりパソコンのキーを叩いている最中に、朝刊が郵便受けに差し込まれるコトッという音は私も忘れられません。16年間遮二無二時を刻んだ日々を忘れることはありませんが、でももう・・・遥か遠い日の出来事となりました。

室内で冬眠していたグリーンも、
窓際の陽ざしに招かれて枝葉を伸ばし始めました

 さて、標題の日記に移ります。ちょっと調べたいことがあって経済産業省のホームページを検索していたら、思いがけず「島本町」の名称を見つけました。平成22年度の補正予算における「地域商業活性化補助事業」中の「買い物弱者対策支援事業」に、島本町の(株)大国屋(事業者として)と若山台自治会連合会(連携事業者として)が掲載されていたのです。

 当該事業は公募によるもので、全国から180件の応募があったそうです。外部有識者による審査委員会を経て、今年の1月半ばに48件が補助対象に選ばれました(かなりの倍率です)。ホームページには事業内容が簡単に書かれていますが、島本町の欄には「地元自治会の協力を得て、旧公団住宅地内で、撤退したスーパー跡地にミニスーパーを出店するとともに、それを拠点に宅配を実施する事業」と記されています。

 若山台団地のバスターミナル(都市再生機構=URが開発した第1から第4団地のほぼ中央)には当初からスーパーマーケットがあったのですが、代替わりをした店舗が閉店してからは長い間借り手がありませんでした。以降、車を運転しない高齢者等いわゆる“買い物弱者”と称される人びとは食料品等日常の買い物にバスを利用するか、或いはかなりの距離を徒歩で往復するしかありませんでした。

 このことは当然団地内住民の間で、また第1〜第4の各自治会及び4団地をまとめた若山台自治会連合会でも積年の懸案事項でありました。議会においても何度も質問に取り上げられてきましたが、今日まで実現はしませんでした。実は後付で聞いたことですが、当該補助事業のメニューを探し出してきたのは若山台自治会の役員であったということです。

 経済産業省が公募をかけた昨年11月24日から締切日の12月15日まで僅か20日の間に、自治会の皆さんは申請書類を整えプレゼンテーションをもクリアしたということです。いやはや、凄いことです!大津に住む私には若山台団地内の現状把握はできていませんが、団地では以前から買い物弱者支援への取り組みは進められていたようです。

 それらの取り組みが今回の事業採択によって、益々活性化すると期待されます。正式名称は失念しましたが支援を強化するプロジェクトチームも立ち上がり、賛同する大勢の住民が集まりました。単にスーパーマーケットが来て便利になれば良いということではなく、若山台の皆さんにはこの機に更なる互助・共助の絆を育てたいとの意識が高まっているようです。

 地域商業活性化補助金の総額は3億円で、1事業につき上限1億円から下限100万円とされています。4月に開店予定のミニスーパー「にぎわい市場」(大国屋が最低5年間は事業を続ける)には、約1千万円の補助金がつくと聞いています(金額の確認は取っていません)。いずれにしても難関を突破して得た補助金ですから、住民への効果が最大限もたらされる事業として根付いてもらわなければなりません。

 自治会は役場にも種々相談に乗ってもらったようです。島本町としても若山台が抱える長年の課題解決に向けて良い展開が期待されるわけですから、今後の協力を惜しまないで欲しいと思います。それにしても当該補助金の公募について、役場からの情報はもたらされなかったのでしょうか?議会では当事業に関係する認識や発言はあったのでしょうか(まっ、私が聞き漏らしているだけのことかもしれませんが)?

 ちなみに補助金採択が叶ったのは、大阪府内では島本町の大国屋・若山台自治会連合会と堺市の中百舌鳥駅前商店街振興組合の2事業体のみでした。私が住む滋賀県では、甲賀市の?事業だけです。また自治会を連携事業者としているのは、全国で3ヶ所のみでした。愛媛県大洲市の豊茂自治会と沖縄県伊平屋村の宇野甫自治会、そして若山台自治会(連合会)です。

 経済産業省は、当補助金制度の目的を次のように述べています。「〜買い物弱者の増加等の問題を解決するためには、流通事業者や地方自治体等の地域の多様な主体が連携して事業を実施することが重要である。よって国が事業費用の一部を助成し、買い物弱者等の利便性を高めることを目的に公募を行う」(文言は一部整理しています)。若山台自治会連合会が前述の目的に適う、正に“地域の多様な主体”として今般努力されたことに元町民としては本当にうれしく誇りに思います。

 なおスーパーマーケットに隣接して、デイサービスの施設も開所するようです。つまり元々のスーパーマーケット面積の3分の1をミニスーパー「にぎわい市場」が使い、3分の2をデイサービス施設が使うということらしいです(施設の件は情報不足なので、また判ればお知らせしたいと思います)。

 さてさて当団地の試みが府内の、いやいや日本中で同じ悩みを抱える地域のモデルケースになるかもしれませんね。そうなると「島本町」も、なんだか有名になっちゃったりして・・・。

長男夫婦が夫に贈ってくれたバレンタインチョコ
(私が半分頂きましたが)

 


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赤十字(大津)病院で乳がん検診を受けました

(2011年2月3日 水曜日)

 本日の本当の日付は、3月4日(金)です。今日は島本町議会で新年度施策・予算に対する各会派の代表質問が行われます。傍聴、特に会派「人びとの新しい歩み」を代表して戸田靖子議員が行う大綱質疑を傍聴する予定でいましたが、何となく興味が失せて結局家でダラダラ過ごしてしまいました(反省です)。

 まあ本音を言うと、過日の傍聴時に走り読みをした川口町長の施政方針にあまり魅力を感じなかったことと、代表質問は質疑も答弁も殆ど原稿を読み上げることに終始するため、“面白くない時間”を強いられるのは「しんどいなぁ〜」と“怠け心”の方がまさってしまった訳です。

 私が知りたい島本町の最大関心事は「高槻市との合併問題」と「JR島本駅西側農地の開発問題」ですが、会期の冒頭に行われた一般質問では問題の根幹に係る見解が示されることはありませんでした。従って代表質問に対する答弁が、一般質問終了時から数日で急展開することも無いだろうと思ったのです。

 但し3月議会の後半日程(3月28日予定)では、もしかして合併問題に言及した「高槻・島本広域行政勉強会」の中間報告が明らかにされるかもしれません。一般質問における中間報告がらみの答弁では町長・総合政策部長が「現在高槻市・島本町・大阪府の三者で協議中あり、最終集約に向けて進めている」、また「中間報告は合併財政収支シミュレーションを含めて、年度内を視野に入れて作業を進めている」と発言しているからです。

 本来なら2010年中に出される中間報告でしたが、随分遅れています。島本町を離れた私が無責任に言うべきことではないと重々分かっていますが、「高槻市との合併は無いのでは」と感じています。私なりに理由はいくつか有りますが、まっ!今は単なる“感じ”ということだけで・・・。

ベランダの鉢植も随分大きくなりました。
今年はシックな色合いでまとめました

 標題の日記に移ります。今日(2月3日)は、大津市の乳がん検診を受けるため赤十字病院に行きました。居住地近くの市民センターで受けることも可能でしたが、日時が合わなかったのと狭い検診車での受診を敬遠しているうちに、日赤ほかの病院でしか受けられなくなってしまいました。

大津市には結構大きな病院が複数あって(滋賀医大・市民病院・日赤等)、勿論全てのがん検診が可能です。検診日が一番間近なのと自宅から一番近いので、市の総合保健センターから日赤に申し込みをしてもらいました。病院へは散歩を兼ね徒歩で行ったので往復1時間くらいかかりましたが、広々とした撮影室と診察室で待つことも無くゆったりの検診でした。

 検診は以前のマンモグラフィー撮影から数年を経ていましたし、たまに左胸上部がシクシク痛むこともあって心配しつつ受けました。触診の医師は撮影したフイルムを見ながら「問題ありませんよ」と言いましたが、結果表が届くまでは落ちつきませんでした。数日後郵送されてきた報告内容は、「精検不要」でヤレヤレ一先ず不安は消えました。

赤十字病院
病院に程近い「叶匠寿庵総本店」、
有名な和菓子店もこんな小さな店舗から始まりました

 


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強烈パンチ!の「アール・ブリュット・ジャポネ」凱旋展

(2011年2月4日 金曜日)

 本日の本当の日付は、3月5日(土)です。午後から島本町へ出かけました。「島本おはなしの会」の皆さんが、本日初めて“語り”を披露されるので楽しみにしていたのです。1年前まで共に活動していた朗読グループのNさんから、今日の案内を頂きました。「島本おはなしの会」は、学校・園で読み聞かせのボランティアをしていた方々が集まり作られたと聞いています。

 「会」に係る町立図書館の役割は詳しく知りませんが、いずれにしてもNさんたちの頑張りに図書館のサポートがあって新しい活動が始まったのでしょう。とても素晴らしいことだと思います。会場はふれあいセンター4階の展示室でした。図書館の館長・職員さんとも、またお客さんの中にも久しぶりにお会いした人たちがいてうれしかったです。

 趣のある布を掛けた丸いテーブルには、これから語られる絵本などがレイアウトされていました。その横には椅子が一脚置かれています。お客さんはその周りを三日月型に囲む形で座ります。10人の語り手が一人ずつ登場し、民話や昔話等を聴かせてくれました。元図書館職員のSさんは一番手で登場、ただ一人の男性Mさんにも注目が集まりました。

 語り手の皆さんが、大仰な抑揚や仕草をすることは殆どありません。むしろ聞き耳を立てるくらい静かな声なのですが、情感溢れる物語にホロッとしたりユーモラスな光景を想像してクスッとしたりで、すっかり語りの魅力に引き込まれてしまいました。友人のNさんは、日本の昔話から「たかにさらわれた子」を聴かせてくれました。物語を十二分に咀嚼し、忠実に且つ伸びやかに言葉を紡いでいくNさんの力量に感動しました。

 私には到底真似できそうにもありません。先ずは物語を覚えられないでしょう。例え覚えたとしても、自在に語れる技量がありません。実は20数年前大阪ボランティア協会に出入りしていた頃、「なにわ語り部の会」という講座があって受講したことがあるのです。発表会があることを知って、講座途中で早々に逃げ出したカッコ悪い思い出が甦ります。

 ところで転居後に島本を訪れるのは、殆どが議会の傍聴時のみになりました。いつもセカセカと大津と島本を往復しています。でも今日は「おはなし会」だけ、約2時間の島本滞在でした。お天気も良く暖かいので、「ふれあいセンター」に通じる小道をゆっくりと歩きました。「春になると、この家のお庭にはこんな花が咲いて」とか「こちらのお宅の郵便受けは裏手にあって」とか・・・何でもない事が次々と思い出されます。甦った日々の余韻を懐かしみつつ、島本町を後にしました。

JR島本駅東広場に隣接する史跡「桜井駅跡」。
緑豊なこの史跡が駅の“品格”を随分高めています
駅西側の農地。駅前でありながら、農空間が
広がるこの伸びやかさもまた島本町の魅力です。
環境保全のために、みんなで考え知恵を
出し合って欲しいと思います

 

 さて、標題の日記に移ります。今日(2月4日)は、「アール・ブリュット・ジャポネ 凱旋展〜パリに行った作家たち〜」を観に行きました。後日知りましたが、戸田さんも6日に訪れたことをブログに書いていました。日が違っていたので仕方がありませんが、折角大津に来られていたのなら「お茶でもご一緒したかったなぁ」と残念に思いました。

 自宅と会場の大津プリンスホテル間は、運動のため徒歩で往復しました。湖畔のウオーキングは気持ちが良いものですが、6駅(京阪皇子山〜膳所駅まで)×2はさすがに厳しかったです。特に帰り道は作品から受けた強烈な印象が醒めやらず、何だか疲れて途中びわ湖ホール前のベンチで休憩してしまいました。

 今回の展覧会は、パリのアル・サン・ピエール美術館で「異例の大成功」を収めた「アール・ブリュット・ジャポネ」展の凱旋展です。無数の小さな牛の頭を貼り付けたオブジェや全面をトゲトゲの角で覆った陶芸作品は、第一印象は気味が悪いです。でもじっと見ていると、なんとも不思議で尚且つユーモラスです。もっと見ていると、無数の突起が神々しくもあり何だか目眩がしてきました。絵画やコラージュ、刺繍、工作等すべての作品が観る人の心を捉えて離しませんでした。

 「アール・ブリュット」を日本語に訳すと「生(なま)の芸術、生(き)の芸術」となるでしょうか。「専門的な美術教育を受けていない人が、伝統や流行に左右されずに自身の内側から湧きあがる衝動のまま表現した芸術」と言えます。「生きていくうえで、作らずにはいられない」という本能のようなもので、その作為のなさが「生(なま・き)の芸術」と呼ばれる由縁でしょう(滋賀県の広報紙より一部を抜粋しました)。

 滋賀県は来年度予算に初めて「アール・ブリュット推進事業」として2,620万円を計上しています。「パリへ行った作家たち」がもたらした“功績”でしょうか。嘉田知事は事業の目的を「障害者によるアート展を開催するなどして芸術活動への参加や発表の機会を増やすほか、アール・ブリュット作品の調査や保管、企画展開催を支援する」としています。

アール・ブリュット展の会場は、
滋賀でノッポ1位の大津プリンスホテル
残念ながら当展覧会の図録は発行されておらず、
代わりに求めた冊子は2年前に滋賀で開かれた
全国障害者芸術・文化祭の図録集です。
522人の作品が掲載され、もちろん今回の
作家たちの作品も収められています

 


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島本町議会を傍聴、澤嶋議員が初めての欠席

(2011年3月28日 月曜日)

 今年度最終の町議会を傍聴するため、(10時の開会に間に合うように)島本へ急ぎました。冒頭に「澤嶋議員より、病気のため欠席する旨の届けが出ています」との事務局長の報告がありました。私は昨日(27日)某大学病院へお見舞いに行ったところでしたから、澤嶋さんが今日の本会議には出席できないことは分かっていました。

 澤嶋さんは一昨年の暮からの体調不良を何とかやりくりしながら、本会議や委員会は休むことなく公務を果たしてきました(よく頑張っていたと褒めてあげたいですが、そのことが良かったのかどうかは・・・分かりません)。昨日病室で「欠席するのは悔しい」と呟いた澤嶋さんの顔を思い出しながら、私もつらい気持ちで空の議席を見つめました。

 実は3月10日に、私は澤嶋さんと話しています。話し合ったというよりは、私からの一方的な申し入れでしたが。私は単刀直入、「今は治療に全精力を注ぐべきだと思う。今議会中に辞意をかためて、本会議最終日(つまり今日)の議案として上程され、可決を経て退任することを願っている」と伝えました。「元気になれば、再び議員にチャレンジできるのだから」とも繰り返し言いましたが、受け止めてもらえたかどうか・・・。

 私がここまで踏み込んで言えたのは、揺ぎ無い澤嶋さんとの関係を信じていたからです。また少しだけ先を歩いた議会人として、「議員たる者かく有るべき」の意を伝えたかったからです。でも澤嶋さんにとっては、決して気分の良い話ではなかったでしょう。一番励まして応援してくれていると思っていた私から、引退の“引導”を渡されたのですから。

 結局澤嶋さんの返事は聞けずに、今日の日を迎えてしまいました。まあ、それでもよいのです。自分のことは自分で決めるしか仕方がありませんものね。でも「議員の進退」云々に係らず、澤嶋さんは長い間活動を共にした“同士”であり、これからも大切な友人であり続けることはいささかも変わりません。

島本町役場に向かう歩道の花壇は、いつも季節の花で飾られています

 さて本日の議会では議事に入る前に、3月11日に起こった「東北地方太平洋沖地震」で被災された方々への黙祷が行われました。勿論傍聴席の私たちも倣いました。続いて川口町長が行政報告を行い、島本町が果たした具体的な支援が報告されました。また議会からは、災害対策に対する決議が全会一致で採択されました。

 その後各常任委員会に付託されていた請願、新年度施策に係る条例の制定や改正及び予算の採決と今年度最終の補正予算の審議・採決が行われました。討論・採決が延々と続きましたが、私は新年度予算の討論まで聴いて4時半に退出しました。最後に行われる退職職員の挨拶を聞きたかったのですが、叶いませんでした。夜に町長のブログを見ると午後7時半に閉会したと書かれていましたから、いずれにしても無理だったようです。

 今年度退職の部長は、小西都市環境部長と長谷川教育次長と聞いています。両部長とはアレコレとぶつかった思い出も沢山ありますが、どちらも仕事が良くできる“実力派”の職員だと思います。長い間、本当にお疲れ様でした。まっ私より7歳もお若いのだから、お元気でこれからも益々活躍されることでしょう。

 さてさて、実に長い間日記をサボっていました。申しわけありません。大地震・大津波・原発の大事故に襲われた日から2週間以上経ちました。私はテレビやネットにかじりつき、ただただボ〜ッと放心状態の日々が続いていました。28日現在亡くなられた方は1万1千人を超え、行方不明者を合わせると2万8千3百余人に上ります。被災地の復旧は遅々として進みませんし、原発事故は拡大の一途をたどるばかりです。

 被災地はこれからどうなるのでしょう?原発事故が終息に向かわなければ、日本の国自体もどうなってしまうのか心配です。未曾有の災害の中で、私が出来ることは何なのでしょう?今は未だ義援金を送ることしか思いつきません。15日には大津市役所で18日には島本町役場で、8万円と2万円を日本赤十字社へ寄付しました。ささやかな金額ですが、頂いている議員年金の一部を充てました。これからも当年金からの寄付を続けていくつもりです。

島本町(上)と大津市(下)の日本赤十字社義援金領収書

 


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3月のカレンダーを思い出しながら・・・その1(上旬の出来事から)

(2011年3月29日 火曜日)

 2月の日記は、わずか四日間分をアップしたのみで終わりました。そして3月もまた、28日一日分の日記しか書いていません。なのに本日の本当の日付は、あ〜ぁ・・・既に4月7日ではありませんか!もうこのままズルズルと、日記をポシャってしまおうかとも思いました。毎日30〜40人の訪問を頂いているにも拘らず、あまりの怠慢ぶりに恥ずかしく我ながら情けなくなります。

 さて3月11日に発生した東日本大震災では激甚の地震と津波による天災被害に、更なる追い討ちをかけた“人災”(であると言い切らざるを得ない)の原発事故が重なってしまいました。東北の被災各地はもとより日本中に世界中に悲しみと不安と憤りが満ちています。新聞・テレビ・ネット等で報じられる被災地の情報が、表層的なものであることを踏まえても涙が溢れる毎日です。

 日に何度も「私に何が出来るか?」と問いかけています。毎月の議員報酬を1年に亘り全額寄付出来た阪神淡路大震災の時とは違い、年金暮らしの今は多額の義援金もままなりません。また、被災地に赴いて直ちに役立つ特別の技能を有しているわけでもありません。しかし「何も出来ない」と嘆く前に、「せめて今までやってきたことの一つでも」と遅まきながら気づきました。

 その一つが選挙に係ることです。県議会議員候補Sさんの選挙運動に飛び入りをすることにしました。大津に越してからは、もう今後一切選挙に携わらないと決めていました。しかしこの度の大災害に接して、特に高浜・美浜原発の立地自治体に接している滋賀県としては、防災のあり方を根本的に問い直すべきだと思いました。S候補の被災弱者に対するフォローとケアの視点と、「脱原発」に繋がる主張は私にとって大いに共感できるものでした。

 選挙カーでの“ウグイス”や“お手振り”をはじめ、朝の駅頭挨拶も一生懸命やっています。ちなみに候補者と選対の皆さんからは、「よく通る声やねぇ〜」と及第点を頂いています。候補者がスポット街宣をする時は、ニッコリ一声掛けながらビラの手渡しも行っています。これまで県議会議員の大半が、S議員の行う原子力災害関連の質問を「鼻であしらってきた」と聞くと尚更力が入ります。

 S候補を支援し再び県議会で活動してもらうことが、ひいては東日本大震災の復興にも原発依存からの脱却にも繋がると信じています。そして、こうした私の行動や気持ちをお伝え出来るこの日記も細々続けることで「少しは誰かの、何かのお役に立つのかもしれないなぁ」と思っていますが・・・どうなのでしょうね?

澤嶋さんが入院している某大学病院のしだれ桜(早咲きです)

 それでは、標題の日記に移ります。別に今更ご報告するような内容でもありませんが、3月上旬(1日〜10日)の出来事を箇条的にお伝えいたします。私のささやかな活動(?)記録にお目通しいただければ幸いです。

 3月1日(火曜日)は、大津市議会を傍聴しました。

 宮尾議員と谷議員の一般質問を聴くため、午後から出かけました。いつもより傍聴者が多かったのですが、皆さん「幸福の科学学園」建設に係る請願を出された方々のようでした。勿論請願審査は委員会付託されているのですが、本日宮尾議員が一般質問でも取り上げるため議場に駆けつけられたようです。

 「幸福の科学」が都市再生機構より仰木の里の土地(7万9千平方メートル)を購入し中高一貫の学園を建設する計画が明らかになりましたが、近隣住民が知ったのは新聞報道であったとされています。宮尾議員の質問で、市長は昨秋「幸福の科学」側と面談し説明を受けたにも拘らず、関係部局に対して何らの指示も出していないことが明らかになりました。

 また宮尾議員は「仰木の里支所(大津市では小学校区ごとに支所が設置されています)が果たすべき職務において、事務分掌上住民への周知が不十分だったのではないか」「学園及び都市再生機構との説明会に参加できたのは自治連合会関連の住民のみで、連合会に入っていない自治会住民は役所から何のアクセスもなかった」「住民は情報が無いから、不安に思っている」と訴えました。

 これらは至極当たり前の意見だと思いましたが、対する役所の答弁は「学校建設は県の所管。請願が採択されれば、願意の趣旨に応じた対応を取る」との素っ気無いものでした。宮尾議員が行った他の質問からは市民病院職員の着服事件に関して大津市が被害届を提出していないこと、更には返済された2430万円が予算委計上されていないこと等も判りました。また自治基本条例の位置づけと総合計画基本構想との関連を問う質問もありました。私の理解力は不十分ながら、興味深い一般質問だったと思いました。

 続いて行われた谷議員の質問は、病害虫防除に係る薬剤散布におけるガイドラインの運用に係る内容でした。「樹林に使用する薬剤のガイドラインと公共施設等に使用する際の化学物質対策ガイドラインを連携させることで、校庭の樹木と校舎内への薬剤使用が子どもたちにとってより安全になるのではないか」と質しました。答弁は「新年度より、2つのガイドラインを一体的に運用する」と、谷議員の求めに応じました。

 その他の質問は、谷議員が継続して追及してきた「塩漬け土地」問題と「土地利用に関する基本条例」に係るものでした。ちなみに大津市の塩漬け土地は13ヶ所もあり、内わずか3ヶ所のみが解決しているに過ぎません。市の財政にも大きな負担を生じさせているこれらの土地について、綿密な調査を踏まえ鋭く質し続ける谷議員の次期活躍を期待したいと思います。勿論、宮尾議員・山本議員におかれても再びの登場を信じてやみません(会派「清正会」の4議員のうち、残念ながら小松議員は今期で退任されます)。

 3月2日(水曜日)は、島本町議会を傍聴しました。

 3月3日(木曜日)は、大津市議会を傍聴しました。

 3月5日(土曜日)は、「島本おはなし会」のお話を聴きに行きました。

 3月6日(日曜日)は、びわ湖毎日マラソンの応援に参加しました。

 3月7日(月曜日)は、澤嶋さんのお見舞いに行きました。

 3月8・9・10日(火〜木曜日)は、島本町町議会の総務文教常任委員会を傍聴しました。

 3月上旬の日記は以上です。この間は市議会や町議会が開催されていてお伝えしたいことも多々あるのですが、大事なことはそれぞれの議員方から既に報告されていますので、申しわけありませんが私は端折らせて頂きます。

びわ湖毎日マラソン、スタートする選手たち

 


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今更ながらですが、3月のカレンダー(中旬編)です

(2011年3月30日 日曜日)

 本日の本当の日付は、4月12日(火曜日)です。好天気が続き桜も満開ですが、気分は一向に晴れません。連続して起きる大きな余震は被災地の人々を苦しめ、やっと踏み出した復旧・復興の一歩をも阻んでいます。さらには福島第一原発の大事故が、チェルノブイリ原発事故と同レベルの「7」であると本日明らかにされました。「レベル7」は福島県はじめ日本中の人びとを更なる恐怖に陥れ、世界中の信用失墜を招いています。

 「どうすればいいのか?教えて!助けて!」と渦巻く声(“声なき声”が大半です)に応えなければならない政治の行方は、10日に投票が行われた統一地方選を経てなお一層の混迷度を深めています。大震災・原発大事故に対する菅政権への批判は、民主党の敗北という形で現れました。しかし原発の存在に係る都民の審判は、推進を表明している石原東京都知事に圧勝をもたらしました。

 一方身近な選挙では、大阪府議会議員選挙において「脱原発」を訴えていた小沢福子府議が落選しました(残念でなりません!)。また滋賀県議会では、少なくとも自公民(みんなの党も含めて)の原発政策に物申していた共産党が全滅(改選前の3議席がゼロに)してしまいました。多分これらの現象は、大小の差はあれ全国的に現れた結果ではないでしょうか。

 あぁ・・・なんだか情けないです。自らの非力さを嘆きつつも、「“民意”って一体なんだろう?」と堂々巡りで考える毎日です。まあ私が落ち込んでいても何の役にも立たないので、気分を変えて午後からは澤嶋さんのお見舞いに出かけました。いつもは15分くらいで「じゃ、またね」と握手をしてから帰るのですが、今日(4月12日)は洗濯をしてきました。

 勿論病院の洗濯機が200円でやってくれるのですが、澤嶋さんはランドリー室に行くのも大儀なようで私が引き受けました。チョッと役に立ててうれしかったです。お昼ごはんが手付かずのまま残っていましたが、私がシュークリームを食べるのにあわせて澤嶋さんも一口二口お腹におさめて・・・これもまたうれしいことでした。澤嶋さんの体調は当然のことながら調子の良い時とそうでない時との差はありますが、暫くは病院暮らしが続くのでしょうね。

三井寺の山麓一帯は桜で霞がかかったよう
琵琶湖疏水の両岸は見事な桜のトンネル
(今年はライトアップが中止となりました)

 さて標題の日記に移ります。3月11日〜18日の出来事を簡単に記すのみですが、お許しください。

 3月11日(金曜日) 東日本大震災が起きました。

 地震・津波・原発事故がもたらした大災害を、決して忘れてはなりません。息の長い支援が必要です。ただ私たち世代の寿命が尽きる前に、どれほどの復興が進んでいるのか・・・と苦慮せざるを得ないほどの深い傷を広範囲な被災地に刻み付けた災害です。次代に亘り、苦しみと痛みを背負わせてしまうことになりました。申し訳なさと若き世代へ託す希望を信じて、ただただ祈る日々です。

 3月12日(土曜日) 楽しみに予定していた催し物の中止が相次ぎます。

 「びわ湖開き」も「ヨシ松明焼き」も琵琶湖に春を呼ぶ行事で、私は参加を楽しみにしていましたが中止になりました。夜は沢田県議会議員の来訪を受けました。少し前に、島本町での議員活動を支援してくださっていた方から沢田さんへの応援依頼を受けていました。でももう選挙には係らないと思っていたので、お返事を躊躇していました。

 しかし沢田さんが一人で訪ねて来られ、誠意ある説明を受けたことで少し心が動かされました。そして何よりも昨日の大災害に接して、「今ほど政治の力が求められている時はない」との思いが募りました。脱原発への願いが共有出来たのだから、沢田たか子さんを応援しなくてはならないと私は決めました。

 3月15日(火曜日) 大震災への寄付を行うため、大津市役所を訪れました。

 市役所に行った私ですが、どこの部局が日赤の義援金を受け付けてくれる窓口なのか全く分かりません。受付で訊いても「はぁ〜?」と首を傾げるので、多分福祉関係だと思い窓口で問いました。「あぁ、それは2階の総務課です」と教えられました。ところが総務課の入り口のどこを見渡しても、「義援金受付」の表示はありません。

 寄付の手続きを終えて、私は事務を行った職員に対して「ありがとう」と伝えました。職員は「はい」と返したきりで、席を立ってしまいました。私は「すみませんが、少し意見を言わせてください」と職員を呼び止めました。「私の方が『ありがとう』と礼を言ったのは、逆でしたね。金額の大小に係らず、私をはじめ皆さん心を痛めて寄付に駆けつけているのです。日赤の事務を取り扱うあなたから先に、『ありがとうございます』と返していただきたかったですね」。

 職員は素直に「そうでした」と認め、お礼の言葉を述べました。続けて私は「このたびの大災害には一人でも多くの市民に寄付をお願いしなければならないと思いますが、実は庁舎の外にも内にも義援金の案内が一切ありません。震災から4日も経っているのに、何故でしょう?」と問いました。

 職員は「ホームページで案内していますので」と答えました。私は頭にきました。ホームページを見れない人もいるんだよ!「とにかく紙切れ1枚の掲示でもよいから、出来るだけ多くの場所に案内を出すべきだと思います」とお願いをして市役所を後にしました。私は驚きましたし、怒ってもいました。未曾有の大災害に対するこの“感度不良”、こんなんで大津市役所ホンマに大丈夫か・・・と。

 帰宅後すぐに、日赤の滋賀県支部へ電話をしました。「市役所の案内不備は、日赤からのお願いが行き届いていないからではないですか。市役所と連携を取って、早急に改善すべきではありませんか」と苦言を呈しておきました。私の意見が功を奏したのかどうか、或いはたまたまそういうタイミングだったのかは分かりませんが、18日には見事に案内がなされていました。

 立看板は複数個所に、ポスターは受け付け始め多くの場所に見られました。そして勿論、総務課の出入り口にも立派な吊り看板が掛かっていました。私は先日応対してくれた職員に、心を込めて「ありがとう」と伝えておきました。彼は「はい、ご意見をいただきましたお陰で」と、外交辞令かもしれませんが返してくれました。ヤレヤレです。

 3月17日(木曜日) 島本町議会の建設水道常任委員会を傍聴しました。

 当委員会には澤嶋さんが所属しているので、応援の意を込めて傍聴に来ています。澤嶋さんは一見元気そうですが、委員会は明日もあるのでパワーが持続できるか心配です。相変わらず澤嶋さんの発言は長いです。「調べたことを全部喋ろうとしないで」「質疑は一つひとつ区切ってするほうが、分かり易いし体力も消耗しないよ」等々呟きながら、私はハラハラしつつ聴いていました。

 3月18日(金曜日) 午前は町議会の委員会を傍聴、午後は市議会を傍聴しました。

 昨日に続き島本町へ出かけます。建設水道常任委員会の2日目を傍聴します。澤嶋さんは今日も頑張っていました(疲れで、あとが心配・・・)。質疑の中には、私が以前書いた若山台の買い物弱者支援事業もありました。情報提供というのもおこがましいですが、私の日記も少しは役に立ったかなとうれしく思いました。お昼休みには、島本町役場での日赤義援金に協力をしました。

 午後からは大津市議会を傍聴するため、大急ぎで引き返します。市議会は本日が定例会の最終日で、議員は今任期最後の議会となります。引退される小松明美議員に、「お疲れ様でした」のエールを込めて傍聴席に座りました。私が応援している会派「清正会」の皆さんは、全員(小松・山本・谷・宮尾議員)が発言しました。また同会派からは一般会計予算に対する修正案も提出されました。

 議事日程の最後に、今期で引退する5議員の挨拶がありました。小松議員は合併前の旧志賀町の議員から合併後の大津市議をあわせて、9年間の議員活動を終えます。環境問題への取り組みに力を注ぎ、旧志賀町では産業廃棄物処理施設の建設反対を掲げて議員になられたようです。また大きな市に吸収合併される小さな町の不安や課題に向き合われ、さぞ激動の議員活動であったろうと察します。

 小松議員はもう直ぐ62歳ですが、まだまだ今後の活躍が期待できる人です。しかし、残念ながら引退を決意されました。小松議員は「体力・知力・持続力・集中力も衰えてきました。これ以上議員を続けるべきではないと決心しました。今後は森と対話をする時間を大切にしながら『人は森に生かされている』との実感から、日本の森の豊かさ美しさを次代に繋げていかねばと思っています」と挨拶を締めくくりました。小松さんらしい最後の発言に、傍聴席の私も精一杯の拍手をしました。

大津市役所玄関ピロティーの立て看板(他にも数ヶ所)
市庁舎内総務課のドア横に掲げられた吊り看板

 


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小さな声で「3月の日記、やっと終わりました」・・・3月下旬の出来事

(2011年3月31日 木曜日)

 本日の本当の日付は、4月18日(月)です。午後から澤嶋さんのお見舞いに出かけました。JR湖西線に乗り京都駅で奈良線に乗り換え、更に京阪電車に乗り換えて某大学病院へ到着です。往復3時間弱かかりますが、澤嶋さんと会っているのはせいぜい10〜15分くらいです。病人さんを疲れさせないでサッと帰るのが、家族ではない私の立場だと心得ています。今日は遠方のご親戚がいらしていたので、尚更のこと気をつけて数分後には握手を交わし病室を後にしました。

 澤嶋さんの具合は、前回に比べると随分良さそうでホッとしました。久しぶりにベッドから離れて、歩行のリハビリも始めるようです。治療の根幹に係ることは未だ定まっていないようですが、私からアレコレ聞き出すことは遠慮しなければなりません。澤嶋さんが話したい事だけを、ベッドのそばで頷きながら聴いています。

 さて先日の日記にも書きましたが、私は3月10日に澤嶋さんと話し「治療に専念するためには、議員の職を辞すべき」と促しました。澤嶋さんの命を未来に繋げるためには、疎まれても謗られても私が“引導”を渡すしかないと思っていました。ただ、私はこの日(3月10日)を最後にして、議員辞職に係る一切の文言を澤嶋さんに発信してはいません。“重い言葉”は、伝える方も受け取る方も一度きりだと心に決めていたからです。

 仮に今、澤嶋さんが辞職を見送ったとしても治療のためには長期間を要します。澤嶋さんは休み続け公務が果たせない議員でも良いと、自らを許すことができるでしょうか?働けない議員でありながら報酬を貰い続けることに苦しむのは、他ならぬ澤嶋さん自身なのです。闘病と議員の仕事を秤にかけながらやっていけるかも・・・澤嶋さんの淡い望みは、誰が見てももう限界だと映っていました。

 議員全員協議会(略して「全協」)の前日(4月14日)に、澤嶋さんから「決心しました。明日の全協で、平野議員から辞職の意を伝えてもらいます」との電話がありました。翌15日、伊集院議員のブログでは「本日の全協において、澤嶋議員が4月30日付けで辞職する旨の申し出がありました」と報告されています。ブログの内容については共感できる所もできない所もありますが、伊集院議員のいち早い情報伝達は評価したいと思います。

我がマンション近くの道路は、桜のトンネルです
大きな桜の木々が満開の様は、本当に見事です

 標題の日記に移ります。3月21日から31日までを、箇条的に記します。

 3月21日(月) 歌舞伎を鑑賞しました。

 介護ヘルパーとして働いていた3人の仲間と、南座で「獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)」を観ました。京都では28年ぶりの演目ということですが、化け猫が十二単をまとって宙を飛ぶ「宙乗り」をはじめ十五役の早替り等々、ダイナミックな猿之助歌舞伎の面白さを堪能しました。被り付きで観る見得や、長唄や義太夫節の迫力にも圧倒されました。 

 大震災・原発事故からずっと気が滅入っていて、正直なところ「お芝居なんて」と乗り気にはなれませんでした。でもキャンセルしなくてよかったです。春休みにイタリア・パリに旅行した友人の話を聴いたりして(お土産も貰いましたよ)、気分も晴れ楽しく過ごすことができました。幕間の美味しいお弁当や久しぶりに「鍵善」の葛きりも味わえて、幸せな京の一日でした。

 3月22日(火) 人間ドックの検診後、食指導を受ける夫に同行し日赤病院へ行きました。

 3月24日(木) 島本町の議員全員協議会(全協)と議会運営委員会を傍聴しました。

 高槻市・島本町広域行政勉強会の中間報告書が、やっと出ました。本日の全協で報告書の中身を議員全員に説明すると言うので、傍聴に出かけました。町自らが「喫緊の課題」と繰り返してきた「し尿処理の広域化」をはじめ、広域行政全般に係る一定の方向性が本報告書で示されると期待していました。

 しかしながら、町長の発言「今後どうするのかについては、この勉強会で様々な内容が判明した。例えば高槻市の唐崎クリーンセンターの老朽化の状況等であるとか・・・。今後はこの中間報告を元に具体的な話が進んでいき、良い形で広域行政が進んで行けばよいと思う」に示される如く、全く“子どもの使いやあらへんで”と嘆きたくなるお粗末さで驚きました。

 ところが「広域行政と合併問題はリンクしない」と言い続けてきたにも拘らず、報告書には「合併を重要な課題と認識しており」との踏み込んだ表記がされているではありませんか!更には「合併シミュレーション」を行ったとしているものの、当のシミュレーションは示されていません。また合併効果額を「5〜20億円」と明記してはいますが、町はその積算根拠を一切答えることができませんでした。

 この「中間報告」をもって住民説明会を開く予定らしいですが、ことの賛否に係らず先ずもって無理と言わざるを得ませんね。まあ町外の私が愚痴っても仕方がありませんが、期待すべきは市民派議員たちが開いている学習会やブログでの情報発信でしょうね。本日の中間報告についても、平野・戸田議員のブログ(戸田議員:3月24日付・平野議員:26日付)で詳しい説明がされています。

 3月27日(日) 澤嶋さんのお見舞いに行きました。

 24日の全協終了後澤嶋さんの体調が思わしくなく、これまで受診していた病院から大学病院への入院となりました。連絡を受けて直ぐにすっ飛んでいきましたが、夫さんも付き添っておられ落ち着いていたので一安心しました。澤嶋さんは、明日の本会議を欠席せざるを得ないことを何度も嘆いていました。

 3月28日(月) 今年度最後の島本町議会を傍聴しました。

 3月31日(木) 澤嶋さんのお見舞いに行きました。

三井寺に近い長等(ながら)神社の八重紅しだれ桜
神社近辺の桜も堪能しました

 


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4月上旬の出来事

(2011年4月10日 日曜日)

 本日の本当の日付は4月29日(金)です。大型連休が始まりました。皆さん、盛り沢山な楽しい予定をお持ちのことでしょう。大震災・原発大事故に被災した人びとへの思いを馳せながら今私たちが出来るのは、ささやかな庶民の楽しみを封印せず元気に暮らしていくことではないかしらと思います。行く春を惜しみ、迎える新緑の季節に心弾ませたいですね。

 と言いつつも、私は実のところ気持ちが晴れません。澤嶋さんのことが、ずっと気にかかっています。澤嶋さんは某大学病院に3度目の転院をして1ヶ月経ちましたが、治療の効果が上がっている様には思えないのです。転院時に「やっとここで腰を据えて総合的に先進的な医療を受け、早期の日常生活に復帰できる」と希望を託したのも束の間で、病院が示した結論は澤嶋さんが目指した目標を叶える内容ではなかったようです。

 私は昨日(28日)もお見舞いに行ったのですが、「新しい治療のために他医療機関へのアプローチに着手するかもしれない」と聞きました。澤嶋さんはこれまでも積極的にインフォームド・コンセントを求めてきた“自立した患者”ですから、納得して次の治療に立ち向かってくれると信じています。4月末日をもって議員を辞職し重責からもやっと解き放たれて、これからは治療に専念できるのですから・・・ゆったりと焦らず頑張って欲しいと願っています。

 余談ですが、28日のお見舞い時には島本町を離れて久しい友人(Oさん)にも出会うことが出来ました。25年前に起きたチェルノブイリ原発事故をきっかけに、澤嶋さんとOさんは知り合いました。二人は子育ての不安の中で一緒に力になってくれる人を探し、私に出会ったと言います。私が力になれたかどうかは分かりませんが、以来お互いに大切な友人であることは揺るぎません。

大津びわ湖館の雪柳が見事。後方は我家のマンションです

 さて標題の日記に移ります。4月の日記も今まで全くの手付かずで申し訳ないことですが、実際のカレンダーに少しでも追いつくために3月同様、上・中・下旬に分けた簡単な記録とさせて頂きます。

 4月1日(金) 滋賀県議会議員選挙がスタート、沢田たか子候補の“ウグイス”を務めました。

 唐橋駅前の選挙事務所で行われた出発式のあと、直ぐに選挙カーに乗り込みます。沢田さん以外誰も私を知らないので、リラックスしてアナウンス出来ました。途中でトイレ休憩は取りますが、6時間ぶっ通しの乗車です。顔は全開の窓から吹き付ける風でバリバリ、振り続ける左腕も凝り凝りでイタタ・・・!久しぶりに、なかなかのハードワークです。街角で行う沢田さんの演説に心打たれ聞き惚れながら、あっという間に夜8時の終了時間となりました。

 4月2日(土) 義兄の3回忌法要で、夫と共に大阪に行きました。

 4月4日(月) 沢田候補の選挙カーで“ウグイス”を務めました。

 7時過ぎに膳所駅前に行き、一列に並んで通勤の人びとにご挨拶をします。私、生声は自信あります(他陣営を圧していたと思います)。さっ!8時になりました。アナウンス開始です。本日は14時までの乗車です。比叡山坂本駅でのバトンタッチまで、頑張ります!選挙カーを見る道行く人々の反応がとても良いです。沢田さんへの温かい声援を目の当たりにして、私たちもうれしい気持ちで一杯になります。

 4月5日(火) 澤嶋さんのお見舞いに行きました。

 4月8日(金) 雨中の選挙カー、霧と闇の比叡平もこなして石山駅で終了です。

 本日はあいにくの雨ですが、沢田さんは精力的にスポット街宣を行います。私は沢田さんが演説する時にビニール傘を手渡し、終わると受け取る役割をしていました。沢田さんは傘のやり取りの都度、私に対して必ずお礼を言うのです。「ありがとう」が欠けたことは一度もありませんでした。沢田さんは「どうも」というような端折った言葉も使いませんでした。私はその度に、「素敵な人だなぁ」と思いました。

 夕方6時に大津京駅前でご挨拶をする沢田さんを降ろして、選挙カーは高台のあちこちを街宣して回りました。南北に長い大津市は選挙運動が広範囲に亘り大変ですが、比叡山麓一帯へのアクセスにも労を要します。今夜は“極めつけの高台”である比叡平の住宅地に入りました。山中越えの峠付近を開発した大規模な高級住宅地ですが、年月を経て高齢世帯の暮らしにはどのような対策がとられているのかしら?等々少々心配になりました。

 霧と闇の比叡平を無事に下って、市内の繁華街を流しつつ石山駅で終了です。寒い顔で雨に濡れたクシャクシャの頭で随分みすぼらしい姿だったと思いますが、気分は上々で京阪電車に心地よく揺られ帰りました。相棒の“ウグイスさん”運転手さん、本当にお疲れ様でした。選挙運動もあと一日ですが、私のささやかなお手伝いは本日でお仕舞いです。沢田さんはじめ応援の皆さん、明日は存分に弾けて有終の美を飾ってくださいね。

 4月10日(日) 投票日です。深夜の開票結果で、沢田さん当選!おめでとうございます。

大津京駅前で演説する沢田たか子さん


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4月中旬の出来事

(2011年4月20日 水曜日)

 本日の本当の日付は、5月8日(日)です。年中連休の我家にとっては、ゴールデンウイークも変化なく過ぎ去ってしまいました。衣と住の初夏への模様替えやベランダ園芸などにチマチマと時間を費やし、あとは気ままに琵琶湖のほとりや新緑の寺社を散策する毎日でした。大津から出たのは唯一大阪への墓参くらいで、長男夫婦・姉・親戚たちと共にひと時を過ごしました。

食事のあとは、皆でリストランテの近くにある東北地方の物産館に立ち寄りました。被災地から遠く離れた私たちが出来るささやかな支援の一つだと思い、いつもよりウ〜ンと気張って買い物をしました。東北地方には美味しいものが一杯あります。大きな段ボール箱一杯の食品を、それぞれが宅配便で自宅へ送ることとなりました。

心斎橋近くにある東北3県の物産館、福島県は東京店のみで残念でした

 さて収束への工程が進んでいるのかいないのか、マスコミの情報だけでは良く解らない福島原発内部の状況です。一方ストロンチュウム90が検出された大地や海の深刻な汚染状況も次々と明らかになってきています。校庭等の土壌汚染や食物連鎖により濃縮された放射性物質の摂取等々、日々の暮らしにのしかかる身近な危険に私たちはどのように向き合えばよいのでしょうか?本当に心配です。

不安で押しつぶされそうになる毎日ですが、一昨日は“朗報”に接することが出来ました。菅首相が「浜岡原発の全炉停止を中部電力に要請した」というニュースです。中部電力は明日(5月9日)にも受諾の結論を出すようです。重大な決断を迫られている中部電力ですが、まっとうな道を選択してくれそうで安堵しています。

今後同社のエリアにおける電力供給が支障なく行われれば同原発の全炉廃止へと繋がるでしょうし、他社の原発見直し検討へも波及することが期待できます(ところが、こんな望みは甘かった甘かった!なんと9日の朝刊には、菅首相が「原発停止要請は浜岡のみ」と明言したとの大見出しが載りました)。

まあ今は浜岡原発に限ったとしても、「この期に及んで足引張りをしている場合か!」と言いたくなるような停止懸念の声が政財界はもとより多方面から噴出しました。弱腰の菅政権がこれらのバッシングを回避するためか、或いは国の未来を(浜岡を除く)他原発に依存していくと心底考えているのか・・・残念ながら後者なのでしょうね。

しかし驚いたのは、立地自治体の御前崎市長が停止への異議を表していたことです。(交付金で潤っている)市の財政も原発関連企業への市民の就労も、大事でないとは言いません。しかし“フクシマ”に遭遇してしまった今、市長は「守るべきは市民の命である」と宣言して当然だと思うのです。

エネルギー源の確保については原子力発電を含め、国民の間でも様々な意見があります。しかし福島原発の大事故後、大多数の国民が福島の人びとの痛みを“我がこととして”受け止め始めているのではないでしょうか。何もかも捨て去った挙句故郷にも戻れない、尚且つ一過性で終わらない負の遺産を次代に負わせる原発事故の恐ろしさを日本中・世界中が目の当りにしたのです。

本当は「今すぐ全ての原発を一斉に止めて」と声を大にして訴えたいです。でもそうはいかない現実も、少なからず存在することは事実です。従って「せめて最も懸念されている浜岡原発だけは止める」と言った首相の判断を、今は歓迎すべきだと思います。菅首相の政治姿勢や手法に対しては、いろいろと不満もあります。しかし「浜岡を止める」、この点だけは評価しなければならないと私は思っています。

私たちは、もはや“原発の安全神話”が崩壊したことを肝に銘じなければなりません。国におけるエネルギー施策の再構築・転換が図られると共に、私たち一人ひとりが暮らしのあり方を問い直す分岐点に立っています。このたびの大震災・大津波・原発の大事故で失われた幾多の人命と甚大な被害を被った人びとに対し、決して忘れない決して繰り返さないと固く約束して誤りなき道を歩んでいかなければならないと思います。

自動車が入らない住宅地の細街路、
よく手入れされた花壇を拝見しながらの
散歩は楽しい
花壇を覆う芝桜と勿忘草、
小さな水色の花が好きです

 さて、標題の日記に移ります。近況の前文が長くなりましたので、4月中旬の出来事は箇条書きで少々のコメントを添え簡単に終えます。

 4月11日(月) 滋賀県議選、沢田さんおめでとう!大阪府議選、小沢さんお疲れ様でした。

統一地方選挙前半の結果が、昨夜から本日未明にかけて判明しました。滋賀県議に当選した沢田たか子さんの選挙運動には(過日の日記でも書きましたが)、微力ながら係らせてもらったので嬉しさも格別です。良い結果を待っていたのは沢田さんともう一人、大阪府議選の小沢福子さんです。

大津市に越してくる前に住んでいた島本町では、私は小沢福子府議と共に歩む町議会議員でした。小沢さんは熱い魂を持った底力のある有能な議員です。また一市民としても気取りの無い、実に面白い魅力的な女性です。今回は4期目の挑戦が実らず、本当に惜しくて悔しくてなりません。

「クヨクヨせんとき、どってことないわ」と、反対に小沢さんからド〜ンと背中を叩かれそうな気がしますが、高槻・島本を始め府内市町村の市民派議員は誰もが小沢府議から有形無形の力をもらっていたと思います。島本町議の平野・戸田議員も小沢さんへの支援を表明していただけに、それぞれのブログからは残念な気持ちが感じ取れました。2議員とも選挙運動には力の限りを尽くしたことでしょうから、心から「お疲れ様でした」と労いたいと思います(澤嶋議員は療養中であり係れませんでした)。

巷の分析によれば小沢さんの当選を阻んだのは、第一には「大阪維新の会」の新人候補である池下さんが4万7千余の得票を得た影響によるものとされているようです。公明党の林さんただ一人が前回より票数を伸ばしましたが、あとは自民の吉田さん・民主の吉田さん・共産の宮原さん・社民の小沢さんに至る皆さんが票を減らしました。

一番得票数の少なかった小沢さんがはじき出されたと言う理由は成り立つと思いますが、それにしてもあまりの得票減には首を傾げてしまいます。小沢さんは橋下知事が提唱する「大阪都構想」を批判し、知事が立ち上げた「維新の会」候補とは対極にある候補者なのです。従って維新の候補に票が流れたとしても、自民・公明の候補者からの流失票に比べれば遥かに影響は少ないはずなのです。

小沢さんは前回19,475票(内島本町:1,780票)で、今回は9,709票(内島本町:966票)です。なんと、得た票数より減らした票数(9,766票)のほうが多いとは・・・!勿論小沢さんの場合は計ったように正確な得票数が読める某政党のようにはいきませんが、島本町に限っても市民派3議員(平野・戸田・澤嶋議員)への支持が有効的に小沢票へ結びつかなかったと言わざるを得ません。その要因が何であるかは、もはや町外の私には分かりません。平野議員或いは戸田議員からの分析が出されるでしょうから、それを待ちたいと思います。

4月12日(火) 澤嶋さんのお見舞いに行きました。

4月13日(水) 市役所に訊きました。「湖岸の遊歩道が通れないのは何で?」

柳が崎湖畔公園の第2期整備工事では、我家のマンション前に広がる湖畔(第1期工事できれいな砂浜が甦りました)とびわ湖大津館間の周遊が可能な遊歩道が2010年度末に完成するはずでした。新年度に入ったので回遊の散歩にと出かけましたが、出入り口が封鎖されていて通り抜けることが出来ません。「危険につき」の札がぶら下がっていますが、何が危険なのかは分かりません。当然予算は年度内に完成すべき工事費を計上していたのですから、何か理由があるはずだと公園緑地課に問い合わせをしてみました。

勿論工事を持ち越すことも有り得るわけで、その場合は事故繰越等のしかるべき措置が行われていなければなりません。担当職員の説明では「『危険』は回遊路に柵の設置が出来ていないため、危険ということです」と言いました。「なるほど確かに危険ですね。でも私が訊きたいのは柵の設置を含めての2010年度予算だと思っていたので、何故設置に至らなかったのかその説明をして欲しいのです。なおかつ会計上の措置が適切に行われたのかを、確認したいと思っています」と私は重ねて問いました。

職員は一瞬黙ってしまいましたが、「はあ、何故そういうことを訊かれるのでしょうか」と逆に訊き返しました。このような切り返しをする職員は適切な説明をすることが出来ないと、経験上分かっている私は「私の税金がちゃんとルールに則って使われているかを知るのは当然だと思いますが」とだけ言って電話を切りました。

湖畔公園の整備事業は今年度の第3期工事(我家のベランダ真下の空地をエントランス・パークに整備する)をもって終了します。本来第2期工事で周遊が可能となったはずの散策道は柵の設置を第3期工事とあわせて行うため、供用開始は結局一年間先送りとなりました。こういうのって如何にも“お役所仕事”じゃないですか?柵の工事は一日も早く行ってよ!来年の3月末に完成するエントランス・パークとは切り離して、2010年度に残してしまった工事はサッサと完了させるべし!と私は少々怒っています。

4月15日(金) 子ども歌舞伎で有名な、長浜の曳山まつりを楽しみました。

曳山の前部は舞台で後部は楽屋、
楽屋の上層は亭(ちん)と呼ばれ入り組んだ
屋根造りになっています
長浜八幡宮で演じられた曳山狂言、
役者は3歳から小学6年生までの男児です

4月17日(日) 大津市議選が始まりました。

4月18日(月) 澤嶋さんのお見舞いに行きました。


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長い間メソメソしていました。ごめんなさい

(2011年6月13日 月曜日)

 澤嶋真紀子さんが5月23日に逝かれて、既に20日が過ぎました。早すぎるお別れは日を追うごとに悲しく悔しく、私は長い間とりとめもなく澤嶋さんとのことを思い出していました。甦った思い出は、美しく輝いたものばかりではありません。澤嶋さんと私の20数年間は、当たり障り無く穏やかな“女友達”の関係なんかじゃなかったからです。

 (微力でも)“権力”には屈しない思いを共有していた私たちでしたが、思考の過程や折々の行動には当然差異が生じることも数多くありました。絶えず情報を交換し議論する中で、泣いたり愚痴ったり(これは大抵澤嶋さんの方)、怒っては諦めたり(こちらは大抵私だったかな?)・・・何回も何回も喧嘩して仲直りして、支え支えられた私たちの日々でした。

 メゾン水無瀬の我家に缶ビール持参で「チョッと話に行ってもいい?」とやって来る澤嶋さん、大抵深夜2時3時までお喋りしました。恒例のバザー用パウンドケーキを3日間、二人で朝から夜まで焼き続けたこと、沖縄で基地を包囲する“人間の鎖“に参加したこと、島本町の府営水導入に反対して東京の志木市へ勉強に行ったこと、丸木美術館で“原爆の図”に出会ったこと、裁判“闘争”も2件(共に島本町に勝訴しました)・・・そうそうタイランドにも一緒に旅行したよね。

 あぁ、これからまだまだ一緒に歩めたはずなのに・・・急いで逝ってしまった澤嶋さん。悔しくて苦しくて、地団駄踏む思いです。

 長い間パソコンに向かわない日が続いたにも拘らず、懲りずに日記を開いてくださっていた皆様本当に申しわけありませんでした。久しぶりの再開ですが、たったの一日でまたまた更新が途絶えます。明日から夫と10日間のイタリア旅行(金魚の糞のツアーですが)に出かけます。7月には70歳になる夫へのプレゼントを込めて、往復ビジネスクラスにしました。お財布はかなり辛いですが、13時間の飛行も辛いだろうな〜ぁ。

 ただ今午前2時、4時間後には起床です。日記を打っている時刻ではないのですが、ここが“グウタラ山”を乗り越えるラストチャンスだと思います。先に荷造りを終えましたが、パスポートを入れたウエストポーチに笑っている澤嶋さんの写真を入れました。息子さんがイタリア留学している時に「行きたいよ」と言っていたのに果たせなかったでしょ。澤嶋さん、勝手に連れて行くけどいいよね。

止まぬ雨、薄明かりの部屋で鈍く光るガラスの器に癒されます

 


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