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3月予算議会の始まりです

(2006年3月1日 水曜日)

<問題山積 下水道会計>

 公共下水道事業特別会計の補正予算と工事請負契約の変更議案が出ています。江川1丁目地内(国道171号線大阪方面に向って右側舗道部分の大藪浄水場から江川住宅へ向う信号付近)で工事延長約29mを追加する工事契約の変更です。650万円弱の工事費が新たに発生しました。問題なのは試掘により初めて水道管とガス管の支障物件の存在が判ったことです。

 実施設計をする前には、埋設物の机上調査・レーダー調査及び現地調査を行っているにも係わらず、公共施設の両管の存在が掘ってみるまで判らなかったとはなんともお粗末なことです。実施設計を受託した業者は地中埋設物の図書を収集しているはずですし、水道管に関しては下水道と同じ部屋で仕事をしている状態なのですから「何をか言わんや!」で、呆れてしまいます。まあ、この工事を「止めろ」とはいえないので全員賛成はしました。しかし2度は許されないですよ。

 次は同会計の補正予算です。前述の工事費追加分も含まれています。本補正で最も問題なのは歳入の大幅な減額です。下水道料金は(水道使用量で算出)使用量の減少で2,200万円の減額。これでも痛いところに、さらに驚く減額がでました。なんと!2005年度当初予算を組む折に“錯誤"により受益者負担金を3倍も多く見積もっていたと言うのです。下水配水管を個人宅から本管に接続する際には1平方メートル当たり448円の負担金を頂く事になっていますが、本来1万8千平方メートルの所を5万6千平方メートルと誤って過大に見積もっていたのです。計画に入っていない地域の分を含めて積算し、最近になって間違いに気付いたと言います。

 あくまでも私の想像ですが、昨年4月の町長選挙を控えて歳入の大幅減は下水道料金の値上げに繋がるものとして、正直に計上できなかったのではないかと思います・・・でもそんな事できるはずはありませんよね。しかし“錯誤により”なんてゼンゼン悪いと思っていないように聞こえませんか。補正予算の大幅な歳入減と新年度予算における一般会計からの借り入れ7千万円(これは初めての借り入れです。従来からのもらいっぱなしの繰入金6億1千万円も歳入計上していますが)とも合わせ、お膳立てが揃い暗に料金値上げの道筋をつけているように私には思えてなりません。


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3月予算議会の始まりです

(2006年3月2日 木曜日)

<町長の2006年度施政方針等に対する会派代表の大綱質疑が行われました>

 2月16日の日記にも書いていますが、今回の代表質問には新年度予算と共に8件もの条例制定及び改正に係る案件がくっついています。大変なボリュームですが、時間制限もあり質問に立った議員は(会派内での順番とはいえ)本当にお疲れ様でした。総ての施策・事業が対象になる予算質疑はどうしても総花的になってしまいますが、多くの会派が取り上げた項目に係り、町長・教育長の答弁からその一部をお伝えします。私自身としては反論もあり、ツッコミのひとつも入れたいところもありますが、先ずは町の考えをお伝えしておきたいと思います。

 会派代表質問は3月1日に岡田議員(公明党)、伊集院議員(緑風純政会)が、翌2日には河野議員(共産党)、平野議員(人びとの新しい歩み=私の会派です)、菅議員(山吹民主クラブ)が行いました。なお今回初めて会派ごとに答弁書(1回目の質疑に対する答えが書いてある文書)が予め配布されました。お互い書いたことを読み上げるのですから当然の事です。以前から求めていたことがやっと実現しました。こういうところは川口町長になって改善された所だと思い、大いに歓迎しています。

 ところがこれには続きがあって、私が全会派の答弁書を正式に委員会資料として要求したところ「資料提出は控えさせていただきます」と、なんとも意味不明な断り書きを出してきました。答弁書は町長が議場で読み上げているのですから堂々の存在を示す資料です。出せないわけはありません。多分議会関係から圧力があったのかも?と、これは私の推理ですが・・・。ほんとに変なの!私もそれならと直ちに情報公開請求を“させていただきました。”これなら提出を“控える”ことは不可能です。それにしても役場は全く余計な仕事を自分達で増やしているよね!

 さて本題に戻ります。答弁の一部、しかも骨だけの概要ですがお知らせします。

* 島本町国民保護計画について

 2006年度中に策定するが概案を委託で作成、その後町長の諮問により島本町国民保護協議会で審議をする。協議会の会議は原則公開とする。計画は議会にも意見を求め、報告も行う。住民へのパブリックコメントも実施。協議会の委員は、会長の町長を初め町職員・関係機関の職員・学識経験者で構成する。関係機関に自衛隊が含まれるかと言う点については、協議会委員は地域防災会議委員と同じで、防災に自衛隊の委員が含まれていることから可能性としては「ある」。まずは町の消防団や自主防災組織の代表者を任命する。

* JR新駅設置事業について

 供用開始時期を諸般の事情から見直し、1年遅れの2008年(平成20年)春以降とした。西側道路(工事の目途も立っていない)、自由通路(工事はH19年度に完了)の供用開始については現時点で答弁できない状況にある。国の交付金対象事業であることから、H20年度末がタイムリミットである。新駅西側の利便性を考えると駅西側からのアクセスはぜひとも必要。用地買収はあくまでも任意買収が基本である。土地収用法の適用は最終手段であり、きわめて慎重な対応が必要と考えている。なお事業に伴う本町支出の負担金・委託料が適正か否かは第三者機関のチェックを受ける事は可能かもしれない。しかしその結果をもってJR西日本と交渉を行う事は困難であると考える。

* ごみ処理問題(清掃工場)について

 一般廃棄物の適正処理は、市町村固有の事務である。当町清掃工場は竣工以来15年を経過し耐用年限(20年)もせまっているが、町単独の建替えは法律上不可能である。今後ともごみ処理の広域化を目指すが現状は困難である。従って多額の費用をかけ整備をしてきた現在の焼却炉等の適正な維持・補修を行いつつ、廃棄物処理事務を継続する努力をしていく。なお清掃工場の補修工事に係る積算チェックについては、前年度の保守点検結果をもとに必要箇所の選定、仕様書・設計書の作成をコンサルと共に行っているのでチェックは適正であると考える。(し尿処理を行う衛生化学処理場も施設の老朽化・近隣住民からの苦情もあり同様の問題をかかえています。解決策は広域化か中間処理施設を設けて下水に放流の選択肢しかありませんが、何れも困難な状況下にあります=これは私のコメントです)

* 介護保険制度について

 昨年改定された施設の食費・居住費の負担増は、低所得者層にはむしろ軽減の状況にある。(改正前との比較において負担増は減の半数に満たない。むしろ負担減が総数の過半数を占めている)当見直しは施設側の収入減をもたらし、影響は施設に大だと考える。4月から始動する地域包括支援センターが行う新予防給付に関するサービスは、保険給付の抑制も目的ではあるが要介護者の残存能力を維持、改善する為のケアマネジメントが重要であると考えている。センターに配置される専門職員が、要介護者の地域・家庭での生活継続に対する一助になるよう努力する。

* 障害者自立支援法に基づくサービスについて

 法の施行が4月より始まる。説明会については今後も地域に出向いて行いたい。現行の福祉サービス利用者には、個別通知・対応を行い具体的な利用料軽減策への周知を図り理解に努めたい。障害程度の区分認定に当っては既に研修等を受講させ、現在大阪府の認定調査員研修受講の調整も行なっているところである。当事者の立場を考えた調査が出来るよう万全の体制を整備していく。また障害程度区分審査会委員の選任については身体・知的・精神障害者の均衡に配慮し、中立・公正な審査を行うため各分野の学識経験者を任命する。10月から始まる地域生活支援事業は相談支援・コミュニケーション支援・日常生活用具・移動支援・地域活動支援センターの5事業が市町村の必須事業となる。当町の具体事業としては手話通訳派遣・通学通所者支援・ガイドヘルパー派遣(支援費制度適応)等の事業がある。現在経費等について国からの提示がない為、情報収集に努めている。

* 子育て・教育問題について

 幼保一元化」については、保育所の定員超過と幼稚園の定数割れ状況のもと、民生部と教育委員会で勉強会をスタートしている。現在審議中の行財政改革推進検討委員会の審議内容にも含まれているため、第三次行財政改革実施計画への答申を踏まえ更なる検討をしていく。「小中一貫教育」については、新年度から2年間、第一中学校・第一小及び第四小学校を指定し、各校に一貫教育の推進者をおき研究を進めていく。「学童保育の延長保育」については、保護者のアンケートによると32%が希望している。4月からの実施に際して、延長保育料の減免は要領の一部改正で対応する(私のコメント=私が2月15日の日記で書いている通り、生活保護世帯と町民税非課税世帯は0円となる事を確認しています)。「少人数学級の推進」については、法では40人の学級編成が基本原則であるが法律の緩和に伴い、大阪府の判断による1年生35人学級、2年生38人学級が新年度から実施される。30人以下の少人数学級の実現には、構造改革の教育特区を取得するなど町単独の事業とする事が必要であり、そのためには教員を町雇用とするなど財政的に非常に厳しいと考える。

 5つの会派代表質疑への答弁書をあちこち見ながら、できるだけ公平に書き出したつもりです。まだまだたくさんの質疑がありますが、これだけでも読んでくださる人は少ないのではないかと思っています。大体こういった内容のものは面白くありません。「だからどうなん?」に答えていないからです。私も頻繁に突っ込みを入れ、ブツブツ言いながらキーを叩いています。一つひとつが大きな課題でありますから、今後の報告は日記に掲載の折には、また続きを読んでください。

 ひとつ気づいた事がありました。総ての答弁書を見ていると、新しい提案をしているのは「共産党」や「人びとの新しい歩み」(私の会派)以外の3会派のほうだと言う事です(ただし提案の中身を云々してはいませんが)。どちらかと言えば前述の2会派は追求型なので、過去や現状を見るほうに重点をおいているのかもしれません。これは私自身も馴染んだ視点の据え所でしたから、気付かずに過ごしてきたのかもしれません。今回他会派と比較する事で、予算に対する姿勢の一端を今更ながら学んだような気がします。

 今回は長文でしたのでお疲れになったと思います。「春の使者」をお届けします。

今春初めて出会ったタンポポ、
私は黄色の花が好きです。
正式名称はこのかわいい花に似合いません。
私は“星の瞳”と呼んでいます。


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水道水水質検査に同行

(2006年3月3日 金曜日)

 私は今期、建設水道常任委員会に所属しています。新年度予算審査の委員会を控えて、担当職員にレクチュアーを受け調査もしていますが、今日は配水系統ごとに毎日行われている水質検査に同行をさせてもらいました。出発に遅れないように、大急ぎで9時前に水道庁舎へ到着、町内数箇所の検査地を車で約1時間半かけて回ります。水質検査は現在再任用職員(定年退職の町職員を選考し2年間雇用する制度の職員)のHさんが行っています。Hさんは現職時代から長い間担当してきたと話してくれました。雪の日の大沢行きは危険で大変だったとも。

採水(大沢)
水質検査

  

 実は水質検査は4月から24時間監視可能な水質監視モニターが計測し、データを送信する自動化が図られます。ですからHさんの2度目の退職と共に、人力による水質検査もまた終了する事となります。当節現地に行って採水して、試薬を混ぜて、計器で測定を人の手で行うのは、確かに時代遅れだと思います。しかし、大沢のように山の中にある施設は倒木や落石等の被害、夏のキャンプシーズン中ならイタズラもあったりするので、人の目が行き届かなくなる心配は残ります。

大沢特設水道施設(気温1度 寒い) UF膜ろ過装置(大沢)

  

 検査場所は広瀬公園〜尺代公民館〜大沢特設水道施設〜上の山公園(桜井台)〜藤ノ木公園(広瀬5丁目)の順番で回りました。10時半水道庁舎に戻り、引き続き水道部と下水道課より予算に係る説明を受けました。午後は役場に戻り、住民福祉審議会の傍聴をしました。

 


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「島本出会いの絵本事業」講演会に参加しました

(2006年3月4日 土曜日)

 出会いの絵本事業は5年目を迎えます。広報しまもと(2月15日号)に本事業が第1面で紹介されています。また私のこの日記(昨年の10月18日)でも見学記を載せていますので、ご参考までにページを繰ってみてください。

 島本町の場合は、3回の乳幼児健診時に絵本の配布と読み聞かせを行っています。事業のスタートに際し予算が計上された時は、当時“野党”の立場にあった共産党・市民派議員は「同じ絵本を押し付ける事は、全体主義にも繋がる危険性があるやも・・・」と反対し、予算の組替え動議が出たほどでした。私は当時傍聴席で聴く立場でしたが「ちょっと的を得ていない指摘だし、動議は不要」と珍しく違和感を覚えたことを思い出します。

 4年間事業は対象の親子にも好評で、他自治体からも評価を貰っています。しかし前述のような厳しい、例え取り越し苦労であっても議会の意見が一部あったればこそ、事業展開への基本視点がより確かなものになったのかもしれないと思ってみたりもしています。

 さて当日の講演会は町長も最後まで参加していましたが、肝心のお客さんがちょっと少なくて残念でした。広報に「妊娠中の方とその夫、1歳未満のお子さんとその保護者」と参加対象を限ってしまったことも一因ではないかしらと思いますがどうでしょうか?疑問符を付けたところで、ついでに言うと妊娠を既婚女性と特定する「その夫」の表記はよくないと思います。「夫」と限定する必要は何もありません。「パートナー」ではどうでしょうか?また祖父母が育児を担う現実も大いにあり、その点からは「その保護者・家族」としたほうがよかったかも・・・。

 肝心の講演内容のご紹介に到りませんでしたが、詳しくは「育休父さんの成長日記」(共著)を読んでみてください。現在大学講師の小崎恭弘さんは、公立保育所勤務時に我が子3児のそれぞれに育児休業を取得しています。国の行動計画では男性の育休率10%を目標にしていますが、現実は1%未満です。

 小崎さんは「男性が育児をする事で、社会が変わる」と言います。小崎さんは保育士としても父親としても絵本との係りはたくさん持ってきました。「“良い絵本”と価値観が定まった絵本なんてないのです」「親の好きな絵本を子どもは好き。だからあなたが好きな本をドンドン子どもに伝えてあげて」と参加者の肩の力を抜いてくれました。

  

 会場のケリヤホールには“出会いの絵本”の展示や赤ちゃんが自由に遊べるスペースも設けられて、アットホームな設えがされていました。限られた公のサービスの中でもちょっとした工夫や心配りが、どれほど親子の助けになるかをよく知っている健康福祉事業室及び図書館職員の努力に、私はいつも拍手を送っています。

 


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パンジーが頑張っています

(2006年3月5日 日曜日)

 春が駆け足でやってきた感があるこの頃の陽気です。とても寒い冬が続いたので、凍ってしまい駄目になった花木が多いです。その中でも冷たい風にフルフルと花びらを震わせながら耐えたパンジーが、いっせいに咲き出しました。猫の額ほどの庭にもうれしい春の訪れです。

 3月議会前半が終わって、少しゆとりが出来たので今日の午後はノンビリとガーデニングです。昨秋に植え付けた球根類で花を咲かせているのは水仙だけで、チューリップやフリージヤはまだ葉の間につぼみを見つけることが出来ません。4〜5ヶ月間土の中で過ごし、春の足音にあわせて芽を出すその正確さには感動してしまいます。ちっちゃな庭ですが、チューリップが咲くともう少し華やかになることでしょう。

 新しく4種類のハーブの苗を植えました。サラダに散らしたり、お茶に浮かべたり、アイスクリームに添えたり、華奢なグリーンの葉っぱは意外に働き者です。ガラスのコップにさしておくと細い白い根が出て、それもまた清々しくて好きです。

 


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予算審査が始まりました。<先ずは総務文教常任委員会から>

(2006年3月6、7日 月、火曜日)

 新年度予算は本会議で各会派の大綱質疑を行った後、総務文教・民生消防・建設水道の3常任委員会に付託されます。総務文教は歳入全部を所管し、今回のように条例制定・改定がたくさん入ると議員は大変です。細かく書くと切りがありませんので、ズッコケのエピソードと議案の採決の状況を少し述べておきます。

 傍聴の私は「あれっ?」と思いましたが、居並ぶ職員はこらえていたのか聴いていなかったのかシラッとしていました。文字にしてしまうと迫力に欠けるのですが、A議員は「過誤納(かごのう)」を「かごおさめ」と発言、B議員は「樹木(じゅもく)」を「じゅき」と言いました。正々堂々とした発語だった為何か新しい事象を表す言葉なのかと思いましたが、間違いだと判りました。チラッとこちらを見た町長の顔が笑っていたので、私は堪えきれずにクックック〜ッとハンカチで顔を覆って、涙が出るほど笑ってしまいました。

 いやいや他人ごとではありません。気をつけなければ。議員の間違いを指摘してくれる人はそういませんから。まあ議場に出てくる職員だってついこの間まで「脆弱(ぜいじゃく)」を「きじゃく」とよく間違えていましたし、「さく井(さくせい)」を「さくい」と読んでいました。我が家の息子も大学生まで青森県の「弘前市」は「ひろまえし」と思い込んでいました。それが判った時どんなに可笑しかったか(勿論トホホの笑いですが)。

 採決で可否同数になり、委員長裁決で可決になってしまった議案が国民保護法に係る2つの対策本部条例及び国民保護協議会の条例です。私はこの2議案は戦争を放棄した平和憲法を侵すものとして、認めるわけにはいかないと思っています。しかし賛成した2会派の議員は「これまでにない緊張の条例」としながらも、武力行使(必要最小限とは言うものの)を認め「今まで国民を保護する法律・条例がなかったほうがおかしい」と討論しました。賛成は公明党杉本議員・山吹民主クラブ山口議員です。反対は人びとの新しい歩み平野議員・共産党河野議員です。そして緑風純政会千頭委員長の裁決が賛成であったため、結局2条例は通ってしまいました。残念です!

 一般会計の採決は賛成が杉本議員と山口議員、反対が平野議員、保留が河野議員でした。反対は「国民保護計画に基づく予算措置があリ、認める事ができない」が大きな理由でした。賛成だけれど注文をつけた意見として「府の互助会返還金を森林保全基金に積み立てるよりは、緊急的施策に使うべき」「使用料・手数料の見直しや税収が見込める方法を考えるべし」等がありました。保留(可否つけられず、採決に加わらない)の意見は「学童保育の時間延長・職員の地域手当が従来の10%で予算計上されていること等を評価するが、更なる検討点として国民保護協議会の人選を慎重に、第二小学校新築校舎耐震構造計算の再点検・屋上壁面緑化を求める、学習状況調査における個人情報の収集に疑問」等でした。

 これらの意見は私のメモから拾い出したもので、極々一部分であり発言者の意思に沿うものではないかもしれませんが、賛否の結果は間違いはありません。結局総務文教常任委員会では総ての議案が可決されました。それにしてもすごいボリュームの案件をよく2日間で終了されたと委員長の手腕に感心する一方、もう1日の日程追加はあっても良かったのではと、少々物足りなく感じたのは私だけでしょうか?

 


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大阪城の梅林見事です

(2006年3月8日 水曜日)

 友人に誘われたのと、ポカポカ陽気が背中を押して大阪城公園の梅を観に行きました。議会の委員会の合間、花を愛でている場合じゃないのですが、グズグズと1日過ごして結局大して勉強できないよりは、思い切って出かけることにしました。

 そもそも大阪城の梅林は、1972年(昭和47年)に北野高校創立75周年を記念し、関係者が880本の梅を寄贈・植樹したことが始まりです。30数年を経た今日、千数百本に増えた梅の木は都心のオアシスとして見事な景観を創りだしてくれています。私の10年後の卒業生達が有意義なメモリアルを残してくれたことに、感心と感謝の気持ちを表したいと思います。これからも何十年いや100年以上だって梅の花は咲き続け、人々を楽しませてくれるでしょう。

 私たちの一生の何倍も生きる木々の凄さに、改めて「かなわへんなぁー、人間なんてちっぽけなもんや」とつくづく思いました。梅林にお城は文句なしに似合いますが、超高層ビルとの相性もなかなかの風景でありました。ランチの後はたくさんおしゃべりして、春めいた楽しい一日はあっと言う間に黄昏てしまいました。

 


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民生消防常任委員会所管の予算審査

(2006年3月9、10日 木、金曜日)

 障害や加齢に伴う生活の質の低下を誰もが恐れています。“生活”とは衣・食・住のみならず、意(思)・職(業)・自(由)が保障され、なおかつその人らしい生活を送ることが出来る日常をさすものと、私は思っています。一人の住民としては「よいサービスをたくさん欲しい、けれど出すお金は少ないほうがいい」と正直思います。しかし限られたパイを分ける時、私より困っている人の空腹を満たすのなら、私は少し我慢をしてもいいと思っているのです。残念ながらお互いが遣り繰りして折り合わなければ、進んでいかないのが日本の福祉の現状です。(当然要求すべきところはしていかねばなりませんが、今ここでは小泉政権への言及まで話は広げないでおきましょう)

 地方自治体の民生費に係る諸事業は国の施策に大きく左右されます。年長者・障害(児)者・一人親家庭・保育・生活保護・保険(国保・介護)等数々の施策は、地方分権の名のもとにドンドン基礎自治体に降りてはきますが、島本町なら島本町だけで完結できる仕組みにはなっていません。なっている事業もありますが、国保も介護保険も小さなわが町は結構しんどい。何よりも財源が心もとない。サービスを利用する人が増え、サービスの質が上がると保険料も上がる仕組みになっています。「嬉し悲し」ですが保険料を払っているだけの人にとっては「悲し悲し」とぼやきたくもなります。しかし大半の人びとがお互い助け合っていることを自覚しているのです。そしていつか我が辿る道だからと、自らを納得させているのだと思います。

 保育行政や保険制度や支援費制度も含めて広い意味での福祉サービスを受ける人びと、またその制度を支える人びとは、前述した私のつたない想いと同じであるかどうかは判りませんが、みんな善意の人びとであるということです。ですから福祉の仕事をする人びとは、その事を胸に刻んで事務を進め事業を執行していって欲しいのです。特に弱い立場の人や制度の谷間にいる人に対しては感性を働かせて欲しいし、ましてや制度に人を当てはめるだけの仕事であってはならないと思います。

 委員会では勿論具体の事業や制度のあり方について審査されているのですが、私は傍聴しながら数字や金額は何故か頭を素通りして、なんだか沸々と胸に湧いてきたこんな想いに囚われていました。民生消防常任委員には共産党議員も市民派議員もいませんので、スムースに全員賛成で総ての議案が可決しました。新年度の事業については、次の機会にでもお知らせいたします。

 


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ありがたいことです。日記の感想を頂きました

(2006年3月11日 土曜日)

 役場への行き帰りに時々お会いし、いつも笑顔と一言お声を掛けてくださる男性の方がいます。私と同年代のようにお見受けしますが、颯爽とした歩き振りからして、もっとお若いのかもしれないと思ったりもしています。後でわかりましたが「ふるさと島本案内ボランティア」として活動されているそうで、軽い足の運びは納得です。先日はご夫婦でお散歩中のところに出会いました。私は丁度プリントアウトした1、2月分の日記を持っていたのでお渡ししました。

 パラパラと1、2ページだけでも見てもらえればうれしいなと思っていましたが、今日「全部読みましたよ」とわざわざ返却に来られました。「私の活動報告集として差し上げたのですから」と伝えましたが「もったいないので、どなたかにまた見てもらってください。これからはネット上で拝見します」と言われ、感想を記したお手紙まで添えてくださいました。うれしくてありがたかったです。(それなのにずっと日記が遅れ遅れになって、申し訳なく小さくなっています)

 感想は2か月分の日記から8日をピックアップして、それぞれの内容に対して述べてくださっています。1月25日分では私の「島本町は歴史と文化の街、その名に恥じない展望と実行ある施策が求められて当然」の意見に対して「町長・教育長ほかトップの意識が問われている」と同感の一文を寄せられています。また「皇国史観に基づくガイドは致しません」ともきっぱりと述べられています。サッ!励ましに応えるためにも元気を出して、1日でも前に進まなくては!

 


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綾部市日曜議会を傍聴しました

(2006年3月12日 日曜日)

 2月10日の日記で、議会運営委員会の一員として綾部市議会視察を行った事をお知らせしました。大変有意義な調査研修でしたから、私は再訪の機会を望んでいました。一生懸命議会運営に当っていたつもりの私ですが、“井の中の蛙”やったんやと少なからぬショックを与えてくださった議会改革特別委員会のS委員長からは、視察後もメールでイロイロ情報を頂いています。12日の日曜議会も15日の予算特別委員会総括質疑(こちらのほうが断然面白いとSさんのお勧めでしたが)も行ってみたかったですが、15日は私の委員会があるため残念ながら諦めます。そこで日曜議会の傍聴に出かけることにしました。

 年に1回今年で8回目の日曜議会ですが、毎回100人を超える市民の傍聴があるとのことです。議場に入れ切れない人は別室にモニターが用意され見ることが出来るようになっていると聞きましたが、私はやはり“生議会”を体感したいと思い、早起きして5時過ぎに家を出ました。特急もなく接続も悪くて約3時間弱かかって綾部に到着です。立派な駅前広場が整備されていますが、お茶を飲む所もなく駅のベンチでパンと缶コーヒーの朝食をとりました。雨が降っていてとても寒むかったです。

 議会は9時30分開会ですが9時前に市役所に着きました。議会事務局の職員さんは既に出勤していて、議場にも入ることが出来ました(もち、私が1番のりでした)。市庁舎の建物は古いですから当然議場もそうなのですが、温かみのあるとても雰囲気のよい議場です。小豆色のカーペットといくつもある大きな窓から流れるように吊るされたペパーミント色のカーテンがよくマッチしています。所々天井にある白熱灯のスポットも柔らかい雰囲気を作っています。勿論正面に日の丸の旗が下がっているなんてことはありません(市章が掲げられていました)。

 ぞくぞくと市民が詰めかけ傍聴席はパイプ椅子も用意されましたが、とても足りず溢れた人は別室のモニターで傍聴します。翌日の新聞では141人の傍聴者があったと伝えていました。島本町議会より30分も早く開会した綾部市議会ですが、先ず私が驚いたのは議長が開口一番傍聴人に対して丁寧なお礼の挨拶をしたことです。傍聴者への労いの言葉はこの後市長からも、質問者からも発言されました。慣例の挨拶となっているのかもしれませんが、私は感動しました。

 残念ながら我が町議会では一度も聞いたことはありません。私も思いはあっても言葉にしたことはなかったのです。私が4年前町長選挙に敗れて、ヘルパー職の傍ら傍聴だけはと無理をして出かけて行っていた折にも「いつも来るのは暇なんか?」とかの嫌味を言われてきました。今も傍聴の友人は“暴言”を投げつけられたと憤慨しています。私は今議会の一般質問の冒頭には、傍聴者に対してお礼の発言を実行すると決めました。居並ぶ役場の職員に対しては「ございますでございます」とか「〜と存じます」を連発の議員もいるのですが・・・傍聴者に丁重な島本町議会とは言い難いと思います。

 私が“カリスマ氏”と称した前述のS議員もトップバッターで会派代表の質問を行いましたが、なんと「本日は大阪の島本町議会から議員さんの傍聴も〜」と最初に紹介をしてくださいました。後刻河野議員も傍聴にこられたので、島本町議会は視察に来た後もしっかり勉強する議会だと、綾部市議会にはよき評価をいただけたのではないかと思います。

 答弁にたった市長もまたカリスマ性大で、原稿を読み上げることなくとうとうたる答弁ぶりでした。議員がよき職員を育て、職員もまたよき議員を育てるということが実感できました。1時間ごとに休憩する当町と違い綾部市議会は30分早く開会したにも係わらず、全く休憩無しで午前の議事を終えました。議長はお昼の休憩前に傍聴人に対して、午後から再びの傍聴をお願いする旨の発言をしました。議場を出ると外には傍聴者が自由に飲める湯茶の準備がしてありました。

 午後からは女性議員一人の質問を傍聴して、私は議場を後にしました。あさってから私の建設水道常任委員会が始まりますので、そうゆっくりとはしておられない気分でした。でも思い切って出かけてきてよかったと思いました。今後の議会運営に係る検討の大いなる参考になりました。当節詳細な情報はインターネットでいくらでも得られます。しかし現場の空気・雰囲気等はやはり現地に身を置くことでしか得られない事が多いです。まさに“百聞は一見にしかず”だと思いました。

 


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3月議会(後半)の議案にかかわる会派説明

(2006年3月13日 月曜日)

 後半議会の案件については、前半議会で各常任委員会に付託された議案の採決が主となります。そして議員の頑張りどころでもある一般質問があります。理事者の説明はすぐに終了しました。しかし私はこの機会に町長初め助役・部長たちに言っておかなければならない事がありました。

 先ずはずっと言い続けてきましたが、アスベスト分析結果の最新情報を行政報告すべきだと求めました。新しい測定値等が出て状況の変化を生じているにも係わらず、未だに昨年11月に出された報告書を、町の広報・ホームページ・文化情報コーナーにおいても更新せず、古いデータを住民に知らせたままにしているのは、全くの怠慢であり許しがたい事務のあり方だと言いました。折角約2億3千万円ものアスベスト除去工事を後年にかけて約束する債務負担行為を行い、大いに評価したにも係わらず、肝心のリアルタイムでの測定結果報告をサボっているようでは何をか言わんやです。また急がれていた庁舎地下の機械室のアスベスト除去工事がもうまもなく終了し、後半議会の開会時には一定の報告も可能になっています。さらには2月10日に実施済みですが、町施設で働く(働いていた)委託業者をも含む総ての職員を対象にした、アスベストに係る肺がん検診の結果も出ています。

 後日談になりますが、これらアスベスト関係については3月23日の後半議会冒頭に町長からの行政報告がやっと実現しました。私にせっつかれて行ったとは決して認めないでしょうが、実態を示して議会の中でしつこく要求していたのは私一人ですから、まっ渋々でも私の言うことを聞いてくれたんだ!ハァ〜ッ、ちょっとヤレヤレです。

 しかしホームページは相変わらず更新していませんね・・・。議会での報告は天下晴れての公式情報であるにも係わらず、何故直ちに住民に公開しないのでしょうか?ホームページという優れた周知伝達の媒体を持ちながらです。多分ホームページに乗っけるまでの事務のあり方が、所謂“お役所”仕事の域を出ないのでしょうか?不可解で、私の怒りは後を引き相変わらず解消されません。

 次に確認したのは、ふれあいセンター年長者バスの件に係わる答弁の中身についてです。この件はまた摩訶不思議な事なのです。3ヶ月も前の話になりますが、12月議会に向けて全会派が本日と同じように議案の説明を受けました。補正予算の債務負担行為の中に町内巡回年長者バスの予算があがっていました。排ガス規制に伴う車両の買い替え600万円と巡回サービスの充実を含んだ運行業務委託料の600万円がありました。これらは2006年度からのスタートを目指した予算案でありました。

 私はバスの乗車対象者が年長者だけでなく障害を持つ人や妊婦の人、検診時の赤ちゃん連れの人等にも拡大される事を希望していたので、この予算を見た時は本当にうれしかったし、行政への評価も随分跳ね上がりました。

 ところが当予算は、実際には議案とならなかったのです。住民から待たれていた巡回バス運行の拡充は影も形もありませんでした。町長の選挙公約実現に対して、またもや横槍が入った模様です。11月には「年長者バスのあり方について」と題した民生部福祉保健課の「増便する」等の文言が述べられた改善案が作成されていたにも係わらずです。担当課も町長初めトップ達も「やろう」と決め、会派に説明まで行った予算が突如消えてしまうのは、これはもう議員筋からのストップがかかったとしか考えられません。

 バス運行の予算が消えた事自体は悔しいけれど、それはありえても当然なのです。まだ「案」であり会派への説明の段階だったのですから、“横槍”も含めて政治的な判断で変化することは無きにしも非ずです。私が言いたいのは先の民生消防常任委員会において、これら一連の事象を全く知らなかったごとく発言した、F議員に対する2人の理事者の答弁についてです。

 民生部長の答弁は「巡回バスについて、会派への説明をおこなったとされる内容は一切知りません」と答弁しました。会派説明に総ての部長が出席している訳ではありませんし、確かに11月28日の説明会に民生部長の姿はありませんでした。

 さて片や助役の答弁ですが「総ての会派に確かに説明を致しました」と明言しました。こちらのほうは現実に私たちが聞いていることなので、「その通り」なのです。では民生部長は虚偽の答弁をしたのでしょうか?さらに今日のこの席で総務部長は「予算を上げるのに担当部長である民生部長とは、当然打ち合わせを行っている」(したがって「知らない」とは考えられない)と言いました。

 まあ何を目論んでF議員が、助役と民生部長の答弁の違いを誘導したのかはわかりませんが、公に残される記録が物語るのは町長以下理事者たちの不協和音です。そして肝心の住民サービス充実の行方は、また振り出しに戻ってしまいました。全く踏んだりけったりの割を食ったのは、いつも権力闘争とは無縁の住民であるという泣きたくなる現実です。

 長々と書いてしまいました。最後に私は「事実はひとつなのに、真っ向から対立する意見が出るとはどういうことでしょうか?この件によって、私たちは理事者をどう信用すればよいのかわからなくなっています」と怒りを込めて伝えましたが、効き目のほどはどうなのでしょうか?いずれにしても誰かが嘘をついているのか、はたまた“忘却の人”と成り果ててしまったのか・・・由々しき事態です。

 


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建設水道常任委員会は私の出番です

(2006年3月14日 火曜日)

 当委員会の所管事項では、多額の予算を伴う主な事業としてJR新駅・第二小学校新校舎建設・清掃工場改修工事等があります。所管部局は主に町施策のハード面を担っていますが、前述のような大事業だけでなく、道路の穴ぼこ直して・近所の騒音が煩い・草を刈って・犬の糞害なんとかして等々日々の生活に密着した住民ニーズ一つひとつに応えなければならない大切な仕事をしています。住民との距離は遠いようで実際は近いのですが、どうも職員のほうが住民を“お客様”と捉えていないことから生じる不具合も少なくありません。

 私は役場の仕事は公平・透明・正確・迅速は言わずもがなで、親切・好印象をお客さんに感じてもらい満足をして頂かなくてはならないと思っています。後者については建設・上下水道担当部局ではやや希薄ではないだろうかと残念に思う事象もあります。そこで私は委員会でも緑地公園住宅(町営住宅)集会所の問合せ電話に係わる失礼千万な応対や、執務室のカウンター上の見苦しい資料散乱状況を指摘しました(昼食の弁当に付いていたインスタントの味噌汁パックが、午後仕事が始まっても来客テーブルの上に食べ零しと共に放置されていた事もありましたっけ)。

 こんな質疑を委員会でする事かと情けなく思わないでもありませんが、公式に指摘をすることが大切なのです。謝罪と「改善する」との答弁は即実行と継続を約束する担保として生きていくのですから。毎議会こんな質問を繰り返して分ったことは、いかに議会が職員を甘やかしてきたかということです。つまりは、いかに議員が一住民の目でチェックを怠ってきたかということなのです。

 委員会の第1日目をこのような中身のみで費やした訳ではありません。明日の日記ではいくつかの事業について、質疑答弁の内容をお伝えします。

 


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JR新駅事業の西側用地買収について私に“逆質問”あり

(2006年3月15日 水曜日)

 新駅の開業は当初予定より1年遅れて2008年春(春以降になるかも?)に変更されています。主な理由は駅西側の用地買収が行えないので、工事に取り掛かる事が出来ないからです。地権者との交渉内容は、プライバシーに係わる事として、面談の可否をも含めて議会にも全く知らされません。一方、国の補助金交付の期限から用地取得についてのタイムリミットは、今年の夏までとなっています。そこで町は「あくまで任意買収を基本に努力する」とは言いつつ、土地収用法の適用を事務的には進めておかなければならない状況下にあります。この件については、先の前半議会での会派代表大綱質疑でも多くの質問がありました。

 私の会派「人びとの新しい歩み」はH議員が質疑を行いましたが、地権者の同意が得られない場合は「駅西口からの供用を中止すべきと考えるが」との提起を行いました。予め提出されていた答弁書には「駅西側からのアクセスはぜひとも必要」とあり、再質問への答弁には次のような発言がありました。「西側からのアクセスはなくても良いのではないか、こういう人びとの新しい歩みのご意見といたしまして、今後説明会があった場合住民の方々にも明確に私どものほうから伝えまして、参考意見とさせていただきます」(この発言はテープ起こしをしています)。

 私は聴いていてなんだか嫌な気分になりました。良いほうに考えれば「あなた方の会派の意見を尊重して、住民にもきちんと披露していきますよ」と取れますが、私にはある種“威圧”のようなニュアンスが感じられました。「多くの住民が西側のアクセスを望んでいるのに、議会のなかに“望まない”会派がある。それは人びとの新しい歩みである」といわれているように感じたのです。私の取り越し苦労であればと思いましたが・・・。本会議の場では私が確認の質問をする訳にはいかないので黙っていました。

 そこで委員会にて、答弁の真意を確かめる質疑をしました。その前に「私は西側アクセスは必要だと考える」と明確に意思表示をしておきました。すると返ってきた答弁が一足飛びの「それでは南部議員は土地収用を掛けることに賛成なのか、質問したい」(正確ではありませんがこのような内容)でした。オット、逆質問だ!私は職員から質問されたり意見を交わす事は一向に構わないですが、委員長から「待った」がかかりました。現会議規則では議員への質問は“想定外”らしく、休憩が取られ「質問」は「確認」の言葉に置き換えられました。この「確認」に対する私の“返事”は質疑が終結した後の討論の中で述べました。

 「・・・私は西側アクセスは必要不可欠な機能と捉えていますが、だからと言って法的執行を容認している訳ではありません。いずれ総ての人が意思表示をしなければならないときが来ると思いますが、それまでは○か×かと単純に言い切れるものではありません。今、誰も泣く人がいないよう考えながらも糸口が見出せず、皆苦しい切ない思いでいるのです。・・・」これが私の討論の一部です。

 担当職員は「収用法をかけて駅西側のアクセスが可能になり事業が完成しても、私自身は“負け”だと思っています」と言いました。その苦しい気持ちを受けて私も討論に思いを込めたつもりです。

 (昨日の日記では「いくつかの事業について」お知らせすると書きましたが、本日も少々長くなりましたので、またの機会にご報告いたします)

 


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介護者家族の会(家族の会)研修会に参加

(2006年3月16日 木曜日)

 「家族の会」の皆さんにお会いすると、たったの2年余ヘルパーとして働いた私なんぞは、吹けば飛ぶよな存在であることをつくづく思い知らされます。家族介護の辛苦を経験されてきた方々と介護・看護のプロとして長い経験を持っている方々が会員の殆どだからです。皆さんの凄いところは介護体験を自己完結の世界で終わらせることなく、ネットワークを広げ強めつつ活動してきた点です。そして粘り強い働きかけで、町や関係機関にその存在を認めさせ「介護者家族の会」を発足するに到りました。

 月1回の“ひといきサロン”や定期的な勉強会・見学会等を開き、私も折々に参加させてもらっています。研修会の講師には役場の職員があたることが多く、今回も高齢福祉課課長と保健福祉事業室の保健師が来て話をしてくれました。制度の概要は何となく解っても、一体我が街島本町の福祉サービス・介護保険等の中身がどうなっていて、どのように利用できるのかが解らない、我が身・我が家族に焦点を絞って教えて欲しい・・・これらが当事者の切実な要望です。

 靴の上から足を掻いているような説明じゃなくて、痒い所に手が届くような役場のサービスが望まれています。従って町職員が講師を務めることは“身近な介護”を求める人々にとって、より「近い道」だと私も思います(余談ですが町長の施政方針では「近道」と「近い道」は違うと述べられています。いろいろ障害があっても真に望むものは「近い道」の選択にこそあり、安易な「近道」を選ぶなかれと言っています)。

 本日のテーマは「地域支援事業について」と「介護予防について」です。当然4月から開設される地域包括支援センター事業の内容が話されました。センターの概要については4月1号広報でも紹介されますし、ふれあいセンター2階の当センターを訪ねてくだされば詳細がわかりますので、ここでは紹介を省きます。

 介護は家族、特に妻や嫁(あえて「嫁」と表現していますが)娘ら女性の手で行うことが当然とされていました(今だってそう変わりがないかも)。その介護実態を法や制度によって少しでも解き放つ、所謂“介護の社会化”と被介護者の人権尊重を目指し、措置制度から保険料を支払い選ぶ権利を謳った契約制度へ大きな転換が図られたのが5年前でした。

 6年目に入るに際し制度の大幅な改正が行われました。高齢社会は拡大の一途を辿り制度の利用もまた増大し、保険者である市町村を初めとする財政基盤を大きく揺るがす事態になっています。そこで保険料の値上げもします(基準保険料は今までより月1千円のアップとなります)。また「予防」に力を注ぎ、介護度の上昇を抑える為の地域包括支援センターを開設します。というのが改正の大きな中身です。

 センターでは高齢者の介護予防に対し町直営で支援を行うのですが、その中のメニューには「地域支援」事業が入っています。そして「介護予防事業を地域でやってちょうだいね」と登場したのが、本日保健師が紹介した「いきいき百歳体操」です。この体操は高知市で考えられた筋力づくり運動です。10段階に調整が可能な重りを手首や足首に付けてゆっくり行います。1回30分程度、週2回で高知市では大変効果をあげているとの報告でした。実際に高知へ研修に行った保健師の指導で、私たちもやってみました。ビデオを見ているよりも「効く〜っ!」が体感できました。

 ちなみに「島本版いきいき百歳体操」は、特産の竹を用いた「竹体操」をプラスしたニューバージョンになるらしいです。サポーターの育成や講座も始まります。私はどちらかと言うと天邪鬼で「みんなと一緒に、さあやりましょう」と掛け声を掛けられるのが嫌な方ですが、この体操は何処ででも誰とでも、また一人でもやれるし、何よりも自分のペースに合わせていいよというのが気に入りました。凄く力んで「ハイ!竹体操始めっ!」「もっともっと、しっかり頑張れ!」なんて号令掛けられると、気持ち引いちゃいそうになりますから・・・。

 


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悔いが残る下水道・水道会計の委員会審査

(2006年3月17日 金曜日)

 一昨日15日で終了する予定であった建設水道常任委員会は本日まで延長されました。少々ノンビリと進行したため、公共下水道事業特別会計と水道事業会計が予定された2日間の委員会日程から残ってしまいました。そこで本日の午前中まで延長することとなりましたが、厳しい持ち時間制限が設けられました。委員会は開会時間を繰り上げて始めましたが、それでも一人わずか30分しか質問時間がありません。しかも答弁の時間も含めてです。困りました。予定していた質問事項は大幅にカットしなくてはなりません。

 しかし両会計には質すべき事項が山積しています。下水道会計はいよいよ苦しくなって、使用料金値上げが公言されている中での予算審査ですから、問題点は山ほどあります。何よりも平成15年度までしか作成されていない財政計画が今議会に及んでも未提出であることに対し、言うべき言葉が見つからないほど呆れてしまいました。片や水道会計は新年度から5年間の事業財政計画が出されましたが、大藪浄水場に係わる約10億円もの支出が明らかになっています。これらの整備計画が、近い将来の浄水場民間委託を見越しているのかいないのかも含めて質疑をする必要がありました。さらには水源である井戸の掘り替えや、鉛管・石綿管の給配水管布設替え等の事業進行も確認しておかなければなりませんでした。

 いずれにしても予定の質疑をバッサリ省略し、走りに走った3日目の委員会審査でした。当日の午後には一般質問の通告締め切りが設定されていたこともあって、涙を呑んでの委員会終了でした。委員会の進行は委員長に任されていますが、今回の事態を招いたのは委員全員の連帯責任でもあります。私も上・下水道会計の審査を不十分に終えなければならなかった自らの悔しさはありますが、今後の委員会運営に大きな課題を残したことを反省しています。また両会計に係わる職員の長時間に渡る待機に対しては申し訳ない思いもあります。

 建設水道常任委員会における私の表決は、一般会計(所管分)・土地取得事業特別会計・大沢地区特設水道施設事業特別会計・水道事業会計は賛成です。しかし下水道事業特別会計については重大な局面を迎えているにも係わらず、会計状況の根拠を示す分析及び将来計画が未提出という事態を容認することは出来ず、反対しました。実沢委員は総て賛成、冨永委員は一般会計と下水道会計に反対しました。皆で日程を確認しあって本日の委員会に臨んだにも係わらず、原野委員は欠席でした。したがって委員会は下水道会計を除き、他の会計は賛成となりました。

 後日の本会議(3月23日)でも、前代未聞!下水道会計は否決されてしまいました。議会の良識が働いたのか、はたまた川口町長への一矢と見るべきなのかはわかりませんが、否決は当然のことでしょう。賛成は緑風純政会の議員のみでした。人びとの新しい歩み・共産党の反対は予想できますが、公明党・山吹民主クラブまでもが反対にまわると理事者は読んでいたのでしょうか。「出して通れば儲けもん」との甘さが露呈した川口町政に、大いなる危機感を覚えた私でした。

 


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図書館講座「本はおいしい!ホンとのはなし」に参加しました

(2006年3月18日 土曜日)

 町立図書館は頑張っていろいろな催しをしています。午後からふれあいセンターで開かれる図書館講座に行ってみました。雨降りで参加者は多くなかったでしたが、ゆったりとした優しい講師さんの話は、ほんのり心を染めてくれたような気がしました。「ほんのり」というと、会場にさりげなく飾られた桜の小枝や母子が本を読んでいる人形などもまた良い雰囲気で、優しさ溢れる設えで私たちを迎えてくれました。

 講師の新井せい子さんは箕面市で文庫を開き、NPO「人と本を紡ぐ会」の代表として活躍されています。私は以前議員であった3期12年間を通して、学校図書館の充実を求めて発言・活動してきました。私が議員になった頃は、学校の図書室は本の倉庫として存在していたと言っても過言ではありません。私は施設整備をはじめ学校司書の配置を求めて、勉強会への参加や先進自治体への調査も頻繁に行いました。本がある所、本の話が聴ける所にはいつも新井さんの姿がありました。

 島本の小・中学校図書館に司書配置は叶いませんでしたが、数年を経て司書教諭が配属されボランティアの係わりも充実し、図書室も見違えるように整備されました。これらは当然教育委員会が大いなる理解を示したことで予算化がされたのですが、先行して素晴らしい町立図書館をめざし努力をしていた図書館職員の大きな先導があったからともいえます。長いか短いか人により評価は違うでしょうが、私は10年を要した島本の図書館の今を改めて噛みしめる気持ちで一杯でした。

 そして島本にも新井さんのように「本はおいしいよ」と子どもたちに伝えていってくれる人がたくさん出てきていることに、これからの10年・20年、もっとずっとずっと先までほんのり明かりがさしているようで、うれしい気持ちで心が満たされています。

 今日の日記の末尾に、きのう提出した一般質問の通告内容を掲載いたします。お目通しください。3月24日(本会議の2日目)に質問の予定です。どうぞ傍聴にお越しください。

一般質問通告書

他市に寄贈された郷土玩具について
 全国的にも有名な郷土玩具資料館「伏偶舎」は島本町にありますが、2004年3月に閉館しました。同年6月には高槻市が2万余点に上る同館の郷土玩具を寄贈されていますが、当町にとっては大変残念なことと思われます。20数年に渡り島本の「地域文化」の一翼を担ってきたともいえる「伏偶舎」の玩具等を何故島本町に頂く事が出来なかったのか、その経緯を伺うと共に当町の文化行政のあり方を問います。
伏見人形を中心とした「伏偶舎」の郷土玩具の価値をどのように認識していましたか。
高槻市が寄贈を受けることは知っていましたか。
当町に受け入れの打診はありましたか。受け入れなかったのは何故ですか。誰が(何処が)受け入れないと決めたのですか。
当町の文化行政のあり方を本件のことのみで判断したくはありませんが、力不足の感は否めませんが見解をうかがいます。また今後の文化推進のあり方を示してください。
学校における体罰事象について
 あってはならない体罰事象が昨年小学校(低学年)で起きました。子どもの言動に腹を立てた担任教師が、クラス全員の前で一児童の顔面を3回平手打ちする暴力行為に及んだものです。体罰は法律で厳しく禁じられています。何故このようなことが起きたのか、今後の対策をも含めて問います。
暴力を受けた児童を初め子どもたちの状態が平常に戻ったのはいつ頃ですか。トラウマにはなっていませんか。また保護者の怒りや心配は継続していませんか。
現在当該教諭はどのような状況にありますか。処分は受けたのですか。
なぜ体罰が起きたのですか。当該教諭の力量や資質のほかに管理職及び教育委員会の指導、教師間での助言や支えあいが希薄だったのではないですか。
本事象の周知はどの範囲まで行われましたか。
本事象の後関係者はどのように反省し、改善への努力を図っていますか。
アドプト(里親)道路・公園の実現について
 島本町は比較的きれいな街だと思いますが、総合計画で謳う全町公園化の到達点にはまだまだの感があります。公園の数を増やし実面積を広げるのはなかなか困難なことですが、道路敷きのわずかな空地を活用した花壇等が設けられれば、街の潤いは随分増すと思います。すでに水無瀬鶴ヶ池線の役場付近では四季の花々が、行き交う住民を楽しませてくれています。町内には永年活動を続けてくださっている団体もありますから、花作りの指導を受けることも可能ではないでしょうか。町が空地の提供と花壇の造作と花苗・種等を配布し、後は近隣のアドプト(里親)に世話をしてもらうようなシステムを考え立ち上げて欲しいと思います。
花壇に供することが可能な空地は町内にどれくらい存在しますか。
上記のような趣旨で住民団体や企業、学校、個人に呼びかけてみてはどうでしょうか。
最初は2、3ヶ所のモデル花壇を設けて、先ずはスタートしてみませんか。
吹田市等近隣の事例を調査してみてはいかがでしょうか。
公園の一角を花壇にしたり、公園自体をアドプトできる住民パワーが育つとよいと思いますがいかがでしょうか。
以 上 


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第三小学校階段天井部分のアスベストは夏休みに撤去予定

(2006年3月19日 日曜日)

 町施設のアスベスト調査結果については新しい情報をお届けしなければと、この日記でも継続してお知らせしているところです。前回の測定値は2月18日の日記に書いていますが、今日は第三小学校の再調査結果とその対策についての方向性が出たのでお伝えします。

新しく検出された箇所

* 北階段4階の天井吹付け材から3.8%のアスベスト(前回は3階の北階段天井からは検出されず)

* 中央階段3階の天井から2.6%(前回は塔屋から2.7%検出)

* 気中濃度は南・中央・北階段共に0.5本/平方メートル未満(前回は北・中央階段で10本/平方メートルを超えた値を検出)

 大きく差が出た気中濃度については、前回は埃等に反応したものと思われるとしています。そうかもしれませんが、私はもう1度気中濃度を測定すべきだと思います。

 さて三小への対策について、町アスベスト対策会議は次のように決めました。

* 北・中央階段天井をビニールで覆う暫定措置を春休み中に行う

* 夏休み中に南階段を含めて総ての除去工事を行う

* 保護者への説明を早急に行う

 以上の内容は3月議会後半日程の一日目23日に、町長から行政報告されます(やれやれ、やっと報告の運びとなりました)。今日からボツボツ議会の準備をしなくてはと思いますが、なかなか思うように捗りません。

 


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最後までよう解からんかった行財政改革推進検討委員会

(2006年3月20日 月曜日)

 午前中の議会運営委員会はすぐに終わりました。一般質問は4名が行いますが、全員女性です。一般質問は年4回の定例議会において町政全般に渡り問うことが出来、議員にとっては発言権を行使できる大切な機会です。それなのに質問者4人はいかにも少ない。5人もいる会派の山吹民主クラブからは誰もやらないし、公明党も無しです。一般質問はあくまでも一議員としての質問なので会派は関係ありませんが、せめて誰か1人くらいは会派から出して当然でしょう。

質問項目は以下の通りです。

* 河野議員

1.財政や保育所問題の説明責任・情報提供を問う〜ここ5年間の経験から

2.名神高速道路拡幅工事によるタケノコ山枯れ・地下水位の低下を問う

* 平野議員

1.町立図書館の民間委託について

2.浄化槽の法定検査などについて

3.住民監査結果の公表について

* 南部

1.他市に寄贈された郷土玩具について(1〜3の内容は19日の日記参照)

2.学校における体罰事象について

3.アドプト(里親)道路・公園の実現について

* 伊集院議員

1.財産の売却における随意契約制度のあり方について

 午後からは今日で最終の行財政改革推進検討委員会を傍聴します。本日の傍聴者は今までで最多の13人でした。住民の方は3人で議員が10人でしたが、議員の半数が遅れてきたのは大変まずいことでした。全くお咎め無しで堂々入室し傍聴しているのですが、これって今後町の会議傍聴は遅刻オッケーということなんですかね?

 さて肝心の会議の中身ですが最後まで“迷走”の感がアリアリの、私にはよくわからない会議内容でした。再検討すべき行政改革実施計画はすでに存在していて「じゃ、これらの実施計画をこのまま生かすのか、変更するのかどっちやねん?変更するならどうすんねん?」が全く見えてこない検討結果が残されました。

 まあ、そもそもこの検討委員会が「意見を頂く場であって、決定していただく場ではありません」ということだとしても、普通は委員会としての意思決定がなされ町長に答申を行うのが筋でしょう。その上で答申内容から外れた意見も両論併記の観点から示しておく形がとられると思っている私が間違っているのかしら?当然委員会の意思決定がそのまま新しい実施計画の内容になるとは限りません。しかしこの「ああでもない、こうでもない」とバラバラの答申を踏まえて、当局は行政としての最終結論を導き出す事が可能なのでしょうか?

 後日3月27日に当委員会会長から町長に対して意見具申が行われていますが、一言で言うと今までの会議の要点録をまとめたものでしかありません。一例をあげれば保育所や幼稚園はどうするのか、委員会としてどうしたいのかが示されていません。また町としては空前のパブリックコメントが寄せられたと聞いていますが、住民の生の声をどうして検討委員会に示さないのか、また委員も何故提出を求めないのかが不思議です。私は5回の全委員会を傍聴してきましたが、こんな委員会も珍しいと思います。しかし求められるがまま、熱心に意見を出されてきた委員各位には「お疲れ様でした」と労をねぎらいたいと思います。

 


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町外に出て「初めて島本の水の美味しさを知った」と次男の電話

(2006年3月21日 火曜日)

 所沢に転勤して約1ヶ月を経た次男が、少し落ち着いたのか珍しく私と長話をしました。便りのないのは良い便りと思っていますから、私から連絡する事はありません(夫は時々メール交信をしているようですが)。私の日記は毎日開いているようですが、なかなか実際の月日に追いつかないので「お母さん、僕でもイライラするねんから早よ追いつきや。メール開いて何時も空振りやったらもう見いひんで」とのっけからのお説教です。返す言葉がありませんので、話題を急いで変えます。

 「今困っている事は何?何か送るものがあったら聞いとくけど」と問いました。次男の話では水がまずいらしいです。日常生活の中でもミネラルウォーターを買って飲み、たまに炊く米飯もペットボトル水を利用していると言います。8年前に府営水が10%ブレンドされて「もう島本の水やない!」と私は今でも残念でなりませんし、なんとか再び地下水100%に戻せないものかとも思っています。実際味が落ちたと言われる人もいますし(味だけに限れば、正直私は違いがあまり良くわからないのですが)何よりも我が町の誇り“名水百選の飲み水”をいただいていると言うアイデンティティーを失ったダメージは拭い去ることは出来ません。

 前述の次男の指摘には「ああやっぱりなー」と、失った価値の大きさに心が痛んできます。次男の話しは続き「街の食堂や飲み屋さんで水の話をすると“名水百選”の言葉はこっちの人もよく知ってるよ」と言います。但し“島本”の名前は認知度0で“サントリーウイスキーの山崎”と言うとみんなが「知っている」と頷き「ヘ〜あんないいところの水を飲んでいたの!」とうらやましがられるそうです。そこで水無瀬神宮の“離宮の水”を柄杓でそのままグイグイ飲んでいた体験等を話すと、さらに評価が高まると次男はうれしそうに伝えました。

 まあ島本の水を送ってやる気はありませんが、生まれ育った島本町の自慢をチョツピリしている次男と、それを受け入れてくれている任地先の人々の情景を想像して、何となくホッとした気持ちになりました。そして「島本はええ街やで」との次男の言葉を噛みしめながら「ホンマに?」をひとつでも多く検証していかなければならないと、改めて思った事でした。

水無瀬神宮 離宮の水を汲む人が絶えません
神宮の枝垂れ桜
離宮の水 そのまま飲めます

 


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「ご苦労さん」は職員が議員に言う言葉?

(2006年3月22日 水曜日)

 明日・あさっては3月議会後半の議会が開かれます。雨も降っているし準備もまだまだ不足なので1日家にいるつもりでしたが、一般質問項目の中で調べなければならない事が気になってしまい役場に向います。二日目の議会閉会時には、議場に出ている理事者の退職挨拶が予定されていますので、既に他の人事異動の内示も出ているのかもしれません。庁舎内には何となくザワッとした空気が流れているように感じました。

 ちなみに退職の理事者については、私たちは議会運営委員会で知らされています。大阪府からの派遣職員2人(大西総務部長・多喜都市環境部理事)が帰任、大阪府教育委員会からの割愛職員の退職(原教育次長・・・後刻第一小学校校長への就任がわかりました)、町職員(下浜議会事務局長・・・今後2年間再任用職員として勤務が決まっています)の定年退職、これら4人の職員が議場で挨拶をすることになっています。皆さんとは議場での激しいやり取りもしましたし、ある時には上手く反論できなくて私自身悔しい思いをした事もあります。いずれにしても4人とも次の仕事が待ち構えているようです。お体大切に、公務員としての更なる使命を果される事を祈念しています。

 勿論この他にも退職者はいますので、役場の機構改革と共に大幅な人事異動が予定されています。私には窺い知る事は出来ませんが、1週間後には町長・助役のお手並み拝見ということになります。しかし本来はあってはならない事ですが、実際問題どの部局にどの職員が就くかによって住民サービスの質が問われる事態はこれまでにもないとはいえません。兎にも角にも職員全体の資質向上が図られ、実効性に富む気持ちよいサービスがスムースに運ぶような人事をお願いします。

 調べ物をした書類を返却に行った私に、担当課の職員が「ご苦労さん」と言って受け取りました。私は別に威張るつもりはサラサラありませんが、私より年下の係長から「さん」はついているものの、目下に対する「ご苦労」の言葉をもらうとは思いもよりませんでした。どうしてもこの類の言葉を使いたいなら、せめて「ご苦労様でした(でございました)」或いは「お疲れ様でした」と、返さなければなりません。あぁ、こんなレベルの問題を人事の問題にリンクして考えてしまう私が変なのでしょうか?職員をアッチやりコッチやり異動しても、このあたりの現実を直視していなければ、住民は良きサービスを受けたとの実感を感じてはくれません。

 まさか住民の皆さんにも「ご苦労さん」と返すのが、正しい接客用語だとは言わないでしょうね!

 


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3月議会の後半日程が開始。下水道会計はやはり否決

(2006年3月23日 木曜日)

 23日の本会議では各常任委員会に付託されていた2006年度予算の採決が行われました。特筆すべきは3月17日の日記末尾にも書きましたが、公共下水道事業特別会計が否決されたことです。多分町議会始まって以来の出来事です。私は否決は当然だと思っています。かつては理事者がどんな議案を出してこようとも、結局は与党多数で賛成してきたのです。やっと議会の姿勢がまともな方向に軌道修正されてきた(かな?とチラリと希望がみえた)記念すべき1日となりました。

 ただ理事者のほうが予算の否決をどれくらい真剣に受け止め反省し、今後早急なる対策を講じて説得性のある予算の中身を示してくるかです。新年度予算が否決されたということは予算執行が出来ない、下水道会計においてビタ一文の支出もまかりならぬとの厳しい現実です。こうなると改めて議会の力って凄いんだ!と思います。

 しかし残念ながら手当の仕方は簡単にあるのです。後日の話ですが3月末日付けで町長は、約7千万円の下水道会計の暫定予算を組み専決処分を行っています。当予算には職員の給与をはじめとする義務的経費(施策に係わる予算でなく、どうしても支出をしなくてはならないもの)が計上されています。専決は仕方がないことでしょうが、私は暫定予算書がいとも簡単に議員の連絡箱に放り込んであることに、大いなる違和感を覚えました。

 私は常々事務の軽減については、議会としても奨励し理解も協力もすべきだと思っています。しかし今回予算が否決されたという事実を理事者が重く受け止めれば、やはり議員全員協議会か少なくとも会派代表者会議の開催を議長に願い出て、その場で説明をさせて欲しいとの意を尽くすべきだったと思うのです。「否決されてケッタクソ悪っ!」との態度が見え隠れしていると感じるのは、私一人の思いでしょうか?今回の町長のやり方はなんとなく雑で、礼儀正しいとはいえないなと残念に思っています。

 


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「アドプト道路・公園への取り組みは検討していきたい」との答弁を得る

(2006年3月24日 金曜日)

 3月議会後半の2日目は議員の頑張りどころ、一般質問が行われます。3月20日の日記でお知らせしました通り、今回4人しか質問者がいないのは残念ですが、それだけにしっかりとやりたいと思っています。一般質問は町政全般に渡る課題について行うことが出来ますが、3月議会は予算審査を終えた後の質問になるため、委員会との重複を避けるとの“しばり”もあり、質問項目の選択にはどの議員も頭を悩まします。私は今質問事項については割合気に入っていますし、どれも長い間情報を集めてきましたので中身についても少々の自信はあります(質問内容については3月18日の日記をご覧下さい)。

 一般質問に限らず“質問”にはストーリーがなければ面白くありません。「えっ!なんで?」とか「それでどうなんのん?」とか聞いている人が興味を示すような内容と展開が出来て、答弁する理事者がグッと詰まるようなら「やったー!」で理想的です。しかし理事者は絶対に「参った」とは言いません。ノラリクラリ言い逃れますし、たまには逆切れもします。狙った答えは得られないし腹も立つしで、私も我が身の力不足を何度嘆いたか知れません。

 しかし幸いなことに、議事録はありのまま記録される公文書です。整合性のない答弁は次回以降の質問のチャンスです。私の3質問のうち「他市に寄贈された郷土玩具について」と「学校における体罰事象について」については今後も質さなければならない答弁が返ってきています。この2項目の質問の内容については、追って掲載していきます。

 今日は残る質問「アドプト(里親)道路・公園の実現について」に対する答弁の概要をお知らせします。珍しく反応の良い答弁が返ってきたので「ホンマに?」と戸惑いながらもうれしく思っています。しかし「アドプト」を道路や公園の清掃のみの目的にするなら、つまりは行政の経費節減のためだけのボランティアとするなら、それは私の質問主旨とは異なります。各地で取り組まれているアドプトプログラムの中には明らかに“お掃除隊”の肩書きを貰っている(押し付けられている)団体等もあります。まあ、双方が納得しているなら何も言う事はありませんが・・・。

歩道沿いの町有地
樋の尻公園の花壇

 私が願っているアドプトプログラムは、道路の脇に残っているような空地(町有地なんぞ良いと思いますが)や公園の一角を活用して、緑や花一杯のポケットパークにしてはどうですか?そしてその維持管理をご近所の住民や希望する団体にアドプト(里親)として活動していただきませんか?との計画です。お花を育てるなどの楽しさを里親さんに持ってもらわなくては成功しません。

 都市環境部長は「JR新駅設置に伴う府道桜井駅前跡線の拡幅に関しては、大阪府に対してアドプト道路についての要望をしていく。役場前の花壇等については“緑と花いっぱいの会”が自主的に緑化活動を継続されているが、今後自治会や企業などのボランティア団体と町が協力しあいながら、この取り組みについては検討していきたい。また町内の児童公園の清掃や緑化などについても、行政をはじめ地元自治会やボランティアが協力し、取り組めるよう検討していく」と答えました。さらには町長の答弁は「アドプトプログラムと言いますのは、住民と行政の協働とか、地域への愛着を身体で覚え、表現する魅力的なプログラムであると思っています。(島本町が)歩いて四季を楽しめるような、そんな町になって欲しいなと思っています」との前向きな答えでした。

役場前花壇

 本日の答弁内容を聞いて、私も前もって吹田市のアダプト道路を見学した甲斐があったと思いました。

吹田市アダプト道路の花壇


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「伏偶舎」の郷土玩具寄贈を逃したのは、やっぱり悔まれます

(2006年3月25日 土曜日)

 昨日の日記に書いていますが、標題に示している件については24日の本会議における一般質問で取り上げた項目です(予め通告し、登壇して行う1回目の質問内容は3月18日の日記をご覧下さい)。答弁の中身を質問者である私の視点でチェックしてみたいと思います。結論を先に言いますと、答弁はもっともらしく聞こえますが箸にも棒にもかかりません。「金使いたくない、面倒くさい事したくない、しんどい事はやり過ごす」が本音ではなかったでしょうか。

 ふ〜っ、これが“歴史と文化を大切にしたまちづくり”のあり様ですか?私は実務を担当していた職員の能力以前の問題として、文化行政をあずかる町長・教育長を始めとするトップのセンスと熱い想いが欠落していた事に大きなショックを受けています。そして失った郷土玩具と住民等の信頼は、もう取り戻せないと歯軋りする想いで一杯です。

 「何をそんなに悔しがっているのん?」と皆さん不可解に思っておられるでしょうか?簡単に言うと、長年町内で私設の郷土玩具館「伏偶舎」を開館されていたAさんが、高齢により保存管理がしんどくなりました。本来なら誰が考えても島本町にご寄付があると思いますが、なんとお隣の高槻市に約2万点の郷土玩具(総額8千万円を上回る価値があるとか。鑑定を取った2千点だけでも3千万円に相当する貴重な品々)が寄贈されてしまい、一昨年「伏偶舎」は閉館に到りました。

閉館した伏偶舎

 これらのことは島本町が知らない間、秘密裏に行われた事ではありません。例え正式に寄贈の申出がなくても、その前に状況把握は可能であったのです。したがって「ぜひとも我が島本町に頂きたい」と誠意と努力を尽くすべきでした。高槻市だって何も横取りした訳ではありません。時の社会教育部長は「私どもとしても、地元さん(島本町)には心苦しいが・・・」と言っているのです。さらには「島本町に寄贈のことを打診されましたか」と最初にAさんに確かめたと言っています。このあたりは議場のやりとりでも、「言った」「聞いていない」で水掛け論的になってしまいましたが、結論は島本町にどうしても寄贈を受けたいとの熱意が欠落していたがゆえに導き出されたものである事は否めない事実です。

 教育次長の答弁は「町として寄託を受けても、保存や管理は無理な状態であったから、先のような結果(高槻市に寄贈)になったのではないかと認識している」さらには「(受け入れには)ある一定の物差し、当然島本町の文化財保護条例を作り、有形無形の文化財の保管の基準を決めなければならない」と言っています。こういう理屈も成り立たない事はありません。しかしこれは如何にも“お役人”の言い訳に過ぎません。

 そこには「郷土玩具を頂く事によってお金も人手も制度も必要になるが、島本町が日本全国でも有数の民俗文化財を有することとなる。その恩恵は多方面に渡り、まちづくりの核となって全国発信の可能性もあるかも知れない。別にそんな大仰に考えなくても、今を生きる私たちが未来の住民に手渡す事が出来る“町の誇り”とは考えられないか・・・」等々私ですら考えを巡らせるのに、役場は目を閉ざし心を閉ざしてやり過ごしてしまった。私は怒りすら感じるし、悔しくてなりません!お金や人手は住民をはじめ多くの機関に呼びかけ、ボチボチでもやっていけたはずです。

郷土玩具「伏見人形」

 トップの意思確認のために答弁を求めた教育長が「今回の高槻市への寄贈は、本当に残念でございました」と言ったのには少し心が静まりました。それにしても「長い付き合い」と言う教育長自身、A氏から何も聞かされていなかったといいます。このこと自体、由々しき事でありまた寂しき事ではないでしょうか。相談や申出をしなかったほうに非があるのではなく、寄贈の申出をしてもらえなかった町にこそ非があることに思い到らなければなりません。

 


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体罰事象には伏線がありました

(2006年3月26日 日曜日)

 24日の日記から今日までの3日間で、一般質問の3項目をお知らせしてきました。今日は「学校における体罰事象について」をお伝えします(1回目の質問は3月18日の日記をご覧下さい)。この質問では法律で禁止され、絶対に許されない「体罰」が当町の小学校で起った現実を踏まえて、教育委員会の見解と反省を確認する目的がありました。さらには教委自身が体罰事象の背景等をどこまで正直に語るのかを確かめる必要がありました。

 私は議会の前に文書処理簿で体罰に係わる書類を見つけました。その中で本体罰に到る4ヶ月前にも、連続して2度にわたり“体罰に類する行為”(教育次長は“体罰”とは違うと言い直しましたが、住民から見れば“体罰”なのです)を同じ教諭が起こしていたことを知りました。3度目に起こした体罰、暴力行為は先の事象と関連していることは明らかです。先の2度の行為が3度目を引き起こしてしまったと私は思っています。

 私は敢えて質問の通告には、体罰に到る2度の行為のことを入れませんでした。教委にその反省があれば、先の行為については自ら語るべきだと思っていたからです。答弁は訊かれたことしか、それも最小限で返されるのが常でしたから期待したほうが間違いでした。私の再質問での指摘で、ようやく伏線となる“体罰に類する行為”を認める答弁がありました。

 いずれにしても教育委員会が「体罰が2度と起こらない為に」取った行為は、校長を呼んで厳しく指導したことと「体罰の厳禁」の通達を出したことでしたが、私はこれでいいのかと違和感を抱いています。しんどさに耐え切れないと感じている教師に、教委はどのような救いの手を差しのべているのだろうか、それは紙切れ1枚で済む話ではないだろうと私は思います。体罰事象が特異な教師によって引き起こされたものだとは、けっして言い切れないと私は感じています。

 


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保育サポート、春休み中は学童保育室まで送ります

(2006年3月27日 月曜日)

 4月には3年生になるAちゃんの保育サポートも3年目に入りました。今日から春休みの間は、小学校内にある学童保育室まで送ります。親が通勤のために家を出る時刻と子どもの登校時刻の間、1時間足らずを保育するのが私の役目です。Aちゃんの家に行って一緒に遊び、時間がくれば集団登校の集合場所まで送っていき、ついでに子どもたちみんなの登校を見届けるといった、特に取り立てて言うほどの事もない保育サポートなのです。しかし毎朝は、時にはしんどいなと思うこともありました。特に議会中(ジタバタしてもしょうがないのですが)明け方まで眠らず仕事をしていたような場合はきつかったです。

 3年前の今頃でしたが、卒園する保育園で保育サポーターのチラシから私の名前を見て連絡してくれたのがAちゃんのお母さんでした。しっかり者のAちゃんでしたが、ある日突然見知らぬおばちゃんがやってくる、それも家の人が誰もいない時間にやってくることに大きな拒否感を表しました。暫くの間はテレビゲームから目を離さずに私を無視していました。知らない大人と二人きりでいる居心地の悪さ、なれない小学校生活への不安感等々でAちゃんの気持ちは大揺れだったと思います。

 私が心がけたことは、私の役目はAちゃんが気分良く学校に行けるよう見守ること、そのためには我が儘も含めて全面的に彼女の要求を肯定することにしました。「あれしちゃ駄目これしちゃ駄目」「早くしよう」「急いで」のような言葉は、忙しいお母さんから多分毎朝聞かされているだろうから絶対に言わないこと、また私からアレコレ提案したり誘い掛けたりすることも極力避けました。Aちゃんが主導権を発揮できる保育状況を心がけました。子どもっておかしなもので、知らん振りをしているとイロイロと大人の気を引くことをしてくるものです。

 この2年間できるだけ“Aちゃんらしく”を尊重してきましたが、それでもけんかしたり私が本気で怒ったこともありました。Aちゃんも私を引っかいたり叩いたりもしました。これらのことは私たちがより親しくなってきた証だと、良いことだと私は思っています。

 背丈も随分大きくなって益々しっかりしてきたAちゃんですが、学童保育室のある第四小学校へ行く間は、なぞなぞをしたりしりとりをしたり田んぼのあぜ道のタンポポを摘んだりして「1年生の時と変わらないなぁー」と愛しい気持ちになります。一方では「おばちゃん、もう一人でいけるから。バイバイ」と伝えられる日がもうすぐやってきそうとの予感もしたりして・・・。

 


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困りました、再教育センターでの研修も“糠に釘”状態らしい

(2006年3月28日 火曜日)

 一昨日の日記で体罰を起こした小学校教諭のことを書きました。この事象だけでも気が重いことですが、今日は指導力不足で再教育中の中学校教諭の話です。昨年の9月末から10月上旬の間は校内研修、10月中旬から12月末までは町の教育センターにおいて、今年の初めから3月末日までは大阪府教育センターでの研修を受けました。しかし約6ヶ月の長きにわたる研修は“糠に釘”状態で効果は見られず、新年度においても府教育センターでの延長が決まりました。

 府の教育センターとは再教育センターの機能を有する所だと思いますが、センターは話題になったテレビドラマ「女王の教室」で一般の人びとにも広く知られるようになりました。ドラマでは随分誇張されていると思いますが、再教育とは言うものの大半が教師を辞めてしまうように追い込まれるのがセンターでの教育だとはテレビの中の話にありました。

 当該教諭の指導力について疑義があると保護者からの訴えがあり、前述の研修に到ったものと思われます。生徒・保護者の不満は多分今回突然に浮上したものではなく、長い間蓄積されてきたのではないでしょうか。ここに到るまでにどのような対策がとられていたのか、学校現場や教育委員会のそれこそ指導力不足が問われるかもしれません。

 いずれにしても悲劇です。当人は勿論保護者・同僚等の関係者にとっても現在の状況はやりきれない思いで一杯なのではないでしょうか。そして一番の被害者である子供たちは、この事態をどう受け止めているのでしょうか。本当に心が痛みます。

 島本はノンビリしていい所、教育関係においてもさしたるトラブルもなく、子どもたちも先生たちもノビノビと毎日を過ごしていると安心していた私の子育て時代とは、明らかに違う状況に到っていることを今更ながらヒシヒシと感じました。私は議員の立場として教育現場における明暗の“暗”ばかりを探っているつもりはサラサラありませんが、現況をしっかりと見据える確かな目を鍛える必要性を、今般の実情を知るにつけ改めて深く感じています。

 


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「ブルーアイリス」が我が家のティーカップに仲間入り

(2006年3月29日 水曜日)

 9時に府庁到着ができるよう、急いで家を出ます。昨年の選挙時に名前だけの後援会ふう団体をつくったのですが、報告書の提出が3月末日なのです。大急ぎでゼロが並ぶ書類(ゼロしかないのが悲しいですが)を作成し、混雑すると聞いていたので一番乗りを目指します。見事に一着で届出は30秒くらいで済みました。府の選挙管理委員会の話では「昨日は100組来られました。今日・明日はもっと多いでしょう」ということです。ヤレヤレ一仕事済みました。

 もう4月が目の前なのに寒くて風も強いです。府庁に行くと立ち寄るお店に入り、温かいコーヒーで一息つきます。近くの刊行物センターに寄り下水道事業会計の本を探しますが、自分自身がまだ当会計についての問題点を把握し切れていないので焦点が定まらず、結局買わずに阪急百貨店へ移動します。阪急でのお目当てはアンティークの家具や雑貨・アクセサリー等で、催し物会場へ直行です。ワクワクうっとりしながらショウケースに張り付いて眺めますが、値札を見てブルッと正気に返ります。お目当てのケースの周りをグルグル、グルグル何度も回って、一大決心!春のジャケット(ちょっと上等の)を諦めてティーカップを1客手に入れました。

 「ブルーアイリス」と名付けられた通り、白磁に青いアイリスが日本画のように繊細なタッチで描かれています。金彩色も控え目で、アンティークに見られがちな「こってりさ」がありません。100年くらい前のイギリスの窯「Shelley」の銘が入っています。それこそ1年に1客買えるか買えないかで、やっと数客を集めました。作られた年代も国も、カップの形も模様もみんな違います。求める共通点はブルーが使われていること、100年を生き抜いてきたことくらいです(これ以上古くなると、私が買えるお値段ではなくなってしまいます)。

 カップを抱えて障害者施策推進協議会の傍聴に直行します。会議の案件は今年度の計画・実績(見込み)と新年度の予定についてでした。支援費制度が導入されて、居宅介護・短期入所・デイサービス・グループホーム・施設訓練等支援のいずれもが大幅な利用率アップとなっています。しかし障害者計画の目標値達成率はショートステイの超・超過を除けばまだまだ鈍い進捗状況です。4月からの障害者自立支援法に基づく障害者福祉サービス開始によって大きく利用の仕組みが変わりますが、少なくとも今年度までのサービス内容が低下することなく、利用率が下降線をたどらないことの保障が欲しいと思います。

 家に帰ると、役場の人事異動一覧が送信されていました。「えーっ?」「ほ〜っ!」と私がため息ついても仕方がありませんが、なかなかのサプライズ人事だと思いました。良くて驚いたのか悪くて驚いたのか・・・まあどちらもありですね。

 


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活況の環境保全審議会と“不”がつく防災会議を傍聴

(2006年3月30日 木曜日)

 今日も寒いです。おまけに昨日よりもさらに強風。例年なら満開の桜が慌てて開きかけのつぼみを閉じてしまいました。でもこの分だと長くお花見を楽しめそうです。人間がすることと違い自然は良きにつけ悪しきにつけ「どこかで必ず帳尻を合わせてくれるよねー」と思います。私も年齢を重ねるにつけ、人力が及ばない場合の帳尻合わせを待つ気持ちのゆとりを、少しは自覚できるようになりました。

 環境保全審議会はいつも通り活発な会議でした。今日は島本町の森林整備の現状について、昨年出された[天王山周辺森林整備構想]をもとに竹林整備・竹材活用を主に意見交換がされました。竹は当町にとって最も身近な植物ですが、もう随分以前から竹の恩恵よりも、その繁茂に手を焼いているのが現況です。会長の冒頭の投げかけは竹林を含め「かってやっていた里山の手入れをどうするか、“里山の知恵”を今次世代にどう伝えるか」について委員の意見を求めるものでした。

 早速農家で竹林を所有する委員からは「竹の侵食を食い止めるには整備のあり方もさることながら竹の利用、しかもいくばくかのお金を生む方法を考えなくては、理想論で終わってしまい“里山の知恵”にも力が入らない」の主旨での発言がありました(私の要約です)。もっともな意見です。

 厳しい現実的な意見に応えてそれぞれの立場から発言が続きました。この審議会のいい所は言いっ放しで終わるのではなく、解決策ではなくても必ず呼応した意見が出されることです。前段の発言に対しても大阪府からの委員が「府では企業40社に集まってもらって協議会を立ち上げ、竹資源の活用を話し合ってもらっている。問題は伐採した竹材の排出コストが高いことである。コンスタントに集めるシステムが整えば企業の利用が可能であろう」と述べました。

 別の委員は「いやいや、竹繊維は従来の綿に替わる素材として既に中国南部の竹林で、大規模な開発が行われている。小さな島本町でどう活用できるのかを探るべきだ」と提起しました。これには「水無瀬川や水路の浄化に竹炭を大規模に利用すればどうか」の発言がありました。「竹炭化するに際しては外部資金の活用が可能ではないか」と質問が出て「資金調達の資料はある」と府の委員の答えにまでつながり、生きた議論の展開を実感しました。

 この後も活発な話し合いが続きました。以前にも書きましたが当審議会では、発言しない人は殆どいません。たくさん意見が出ても一部の人のみという会議が珍しくない中、本当に感心します。傍聴していても身が入るし楽しいです。少し気になるのは役場の職員の反応の薄さ、要するに委員方の“熱”を職員達が受け止めているのかどうか、少々心もとなく感じる場面が多いように思います。最後に、会長から「当審議会が町と住民を繋ぐ役割を果たしましょう」とうれしい提起があって会議が終わりました。

 町から次のようなお知らせがありました。「森林ボランティア講座を6月9日から開講します。12回に渡る講座でグループのリーダーを養成します。募集人数は20名。受講料は1人1万円。5月1日号広報に掲載します」皆さん受講はいかがですか。それにしても12回とは本格的ですね。しかも自腹1万円を払って、講座終了後はボランティアとしての活動を求められるのですから、よほどしっかりとした志の持ち主でないと勤まりませんね。この講座内容を見ると町も本気だなと思っていますが・・・。

 午後から防災会議を傍聴します。こちらの会議は町長が議長になり会議を進行します。関係団体・関係機関・役場の部長級職員、勿論助役・収入役・教育長も含めて全員集合です。おまけに自衛隊員も参加です。関西電力・大阪ガス・阪急電鉄・医師会からも委員が選出されています。

 町長の開会挨拶も居並ぶ大勢の委員を前にして、何時もより随分力が入った長文でした(書いたものを読んでいたのはイマイチでしたが)。立派だったのはこの挨拶だけで、地域防災計画修正案の説明に対する質問も意見も一切なくシ〜ンと静まり返り、すぐに終了してしまいました。こんな発言のない会議が島本町国民保護協議会にスライドして、これから町の国民保護計画の審議に入るなんて、すごく怖いなと心配になりました。

 


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年度末、引越しムード一色の役場内

(2006年3月31日 金曜日)

 2005年度も今日で終わりです。一般職の大幅、というか掻き混ぜのスクランブル人事異動もあって、役場内はお引越しムードで満ちています。機構改革による課ごとの移動や管理職が増えた部局内はレイアウトを大幅変更する作業をしています。1階住民課の窓口業務はいつも通りお客さんに応対していますが、他は殆どが引越し業務に専念の様子です。私も“気を利かせて”今日一日は職員の手を煩わすような事は頼まないようにしています。

 まあ引越しも確かに仕事の中身なのですが、まるで「これが今日一日私の仕事」と胸を張り、住民サービスに直結するような仕事は後回しのような雰囲気は頷けません。こんな合間を縫って、私は退職する職員にお別れと激励を伝えに行きました。

 議会事務局においても事務局長が退職し、民生部長が異動してきます(私が口出しすることではありませんが、この人事は解せない人事の筆頭です)。だからと言って事務局内が特別バタバタしている様子でもありませんが、何時もより落ち着きを欠いているのはわかります。それなのに、何故かA議員が職員の机を占有して仕事をしています。何時もの事と目くじらを立てるほどでもありませんが、今日のような日には職員にいらぬ気を使わせることのないよう、少しは配慮があって当然でしょうに・・・と私は嫌な気分になりました。議員には控え室がありますし、小さな会議室の使用も可能です。

 事務局内には、特に職員の机上には個人情報もあるだろうし庁外秘の文書等も存在するかもしれません。それに現在休暇中の職員もいて、事務局も忙しい時は超忙しいのです。いずれにしても議員の仕事と事務局の仕事は違うし仕事をする場所も違う、このけじめを自覚しておく事が議員に求められています。そりゃぁ、私もコピーをとったりするために事務局室への出入りは頻繁にしています。しかし職員の机や椅子を乗っ取る厚かましさ(が言い過ぎだとすれば、無邪気さとでも表現しましょうか)は未だもってありません。

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