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今の役場では“がんばった者が報われる”ことになっていないんだ!?

(2006年4月1日 土曜日)

 新年度施政方針・予算に対する会派の大綱質疑の中で山吹民主クラブのS議員は、勤務評定制度の今年度策定を求めました。答弁はその必要性を認めつつ「職員理解が不可欠」を理由に、今年度の導入を明言しませんでした。むしろ「勤務評価制度を構築・実施後の新たな人事評価制度導入は、逆に混乱を招くのではないか」と言った見解を示しました。“職員の理解”とは具体的に何をさすのかはわかりませんが、2つの組合の合意のみでない事は明らかです。

 評価する側・される側双方が本町の勤務評定制度(まだ制度も出来ていませんし)を理解・熟知してこそ、実効ある・納得できる評価に繋がるものと私も思います。従って急がせるS議員に「ハイ、今年度導入します」と返さなかったのは賢明な答弁でした。実は昨年行った管理職研修では、しょっぱなに担当課から「制度導入は2006年度に行う」との発言があったようです。

 ただ実際に研修を受けてみると“公平・公正”な評価を行うことに、殆どの管理職が困難さを感じた状況が明確になりました。私は全受講者の報告書を入手していますが、中にはなかなか読み応えのある報告もあります。私は前述の山吹民主クラブS議員への答弁がトーンダウンしたのは、研修受講者の声が反映されたものと考えていますし、それで当たり前だとも思っています。

 しかし一方、町長の答弁には「(現状の)年功的な人事管理から、がんばった者が報われる、より公平・公正な勤務評定制度の導入は、不可欠であると考える」と職員の指揮を高め意識改革を図るツールとしての勤務評定制度導入は必要で、国の制度構築時には直ちに対応できる為の準備を進めていることも示しているので、近い将来の導入は“想定内”なのでしょう。

 ところで、前述に示した答弁の言葉尻を捉えるようですが「やっぱり役場の人事は、今までも今も公平で公正とは言いがたいんだ。がんばっても報われない者がいるんだ、逆に言うとがんばらなくても報われている者がいるってこと」が明らかで、町長・助役も認めているわけです。勿論全部が全部そうだとの暴論を吐くつもりはありません。今回の人事異動において誰から見てもよくがんばっている、特に若い職員の昇進は十分に頷けるものです。でもまあ、外野にいる私からから見ても「え〜っ!なんで〜っ?」と思わず声が出る人事もありました。

 新年度の始まりの今日は土曜日ですから、4月3日月曜日から役場は新しい人事体制でスタートです。しかし住民の生活は3月も4月も、昨日も今日も連綿と続いているのです。私は職員の方々には「新しい部署なので、良くわかりません」を言い訳に使うことなく、住民サービスの向上に精進してもらうよう求めています。

 


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第三次島本町行政改革「実施計画」見直しのパブリックコメント収集方法に異議あり

(2006年4月2日 日曜日)

 私は「パブリックコメント」の手法そのものに異議を唱えるものではありません。川口町長が進める“住民の顔が見える住民の声を聞く町政”、その姿勢は評価すべきものと思っています。2週間で、なんと119件もの意見が寄せられました。たくさんの住民の方々が、現在及び近い未来の町施策に大いなる関心を持って下さったことは事実です。しかし、今回の意見収集のやり方には非常に問題があります。パブリックコメントでは、この点をほとんどの方が指摘し、怒りを表しています。

 3月1日号の広報しまもとに行革の実施計画の何たるかも示さずに、意見募集の小さな記事が出たのみです。しかもわずか15日間で締め切るというのです。実施計画の中身について知りたければ「自分で見てちょうだい」とホームページのアドレスが書いてあります。これでは万人に対する公平な情報提供ではありません。「役場の情報コーナーで現物を備え付けています」といっても、日中働いて土曜・日曜日は役場が閉庁となると閲覧も無理です。なんと言っても、わずか15日間で役場の都合に合わせた意見提出など土台無理な話です。これでは寄せられた意見にもある「アリバイ作りの手法」と言っても過言ではありません。

 そもそもパブリックコメントを求める前段に「行財政改革とは何ぞや?」「なぜ行革が必要なのか?」「第三次行革の見直しが検討委員会で進められていることも、その内容についてもわからない」「見直しに私の意見はどのように生かされるのか?」「見直した計画は第四次行革実施計画になるのか?」「第四次の計画は国が求めている集中改革プランになるのか?(つまりは保育所運営等に対する国の補助金のあり方に大きく影響します)」等々疑問が渦巻いています。これら一部の疑問だけ見ても、当意見収集方法は“行政の説明責任”を果たしていないことが明らかで、非常に問題です。

 総合政策部長の話では集中改革プラン(島本町第四次行政改革実施計画のなかみです)の国への提出は6月か7月になるため、その頃に一定住民説明は必要だろうと考えているということです。しかし完成した実施計画を示すのではなく、今策定の検討過程であっても(本来なら検討前にこそ住民への説明が必要です)住民への説明会を開くべきだと思います。口先だけでなく住民をパートナーと考えているなら、町長!急がば回れですよ。最初から丁寧に説明していけば住民の納得を得られる事もあるのではないでしょうか?

 パブリックコメントに寄せられた意見は、圧倒的に保育所の民間委託について疑問視する内容が多かったです。意見の総てが「民間委託の計画を知らなかった」と言っています。実施計画を見てさらに「今年度実施」の表記に目を疑ったわけです。短期間にも係わらず島本町始まって以来の意見が寄せられたのは、まさに保育所の民間委託に対する危機感で、住民のお尻に火がついたからだと思います。私は切実な保護者の声が書かれた文書を一枚一枚読ませてもらいました。行政もこれらの声を踏みにじって、2園の内1園の民間委託強行はできないだろうと思います。保育所のほかには図書館の民間委託検討についても反対の意見が寄せられています。十二分に頷ける意見です。

* 有料になっても利用するかには、週1〜2回が22人(年長)と26人(年少)で突発的な用事のときは15人(年長)と42人(年少)

 

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教育次長席は衝立の中

(2006年4月3日 月曜日)

 今日から役場は新年度の仕事がスタートします。女子職員の制服着用が廃止されたようで(制服支給の経費節減です)殆どの人が私服で勤務しています。庁舎内はまだ片づけが完全に終わっていなくて、ゴミ袋を廊下に出したままのところもあります。各部局をチラチラ覗きながら庁舎内を一回りします。部長クラスの職員は殆ど在席していません。皆挨拶回りに出かけているようです。

 教育委員会内はすっかり模様替えされています。今回事務局の教育次長が代わり、第二小学校の藤内校長が新教育次長として着任しました。教育次長は事務方のトップで、町長部局の部長級にあたります。私も我が家の息子達も、藤内教育次長を良く知っています(正しくは先生だった藤内さんを知っているということになりますが)。これからは議場で質疑応答を交わすことになりますが、どんな答弁が返ってくるのか私はとても楽しみです。

 わずかな時間でしたが、教育次長と面談する事ができました。その場では言いませんでしたが、少し気になったことがあります。教育次長席がパーテーション(衝立)で遮られていることです。今まではずっとオープンでしたし、他部局の部長席も(消防長と上下水道部長を除いて)衝立で目隠しをしているところはありません。好きにされていいようなものの、私は「もったいないな」と思うのです。姿を隠してしまっていると、職員や訪れる住民の様子が判らなくなります。同じように職員や住民からも教育次長の様子が判りません。職員との意思疎通を図り、住民に親しみを持ってもらえる教育行政を進めるためには、教育次長に“目隠し”は必要ないのではないでしょうか。

 


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“幼稚園「預かり保育」は好評”とアンケート結果が示しています

(2006年4月4日 火曜日)

 私は2月14日に第二幼稚園での預かり保育(試行)「おひさまクラブ」を訪れました。その時の見学記は同日の日記にも記しています。また試行していない第一幼稚園の保護者からは「ぜひ両園での実施を」との声を頂いています。私も一緒に遊んだりおやつを頂いたりして、子どもたちと直接係わり楽しかった見学から、預かり保育を高く評価しています。

 1ヵ月半の施行期間終了後保護者に行ったアンケート結果を、私は情報公開請求していましたが今日閲覧ができました。保育の対象は年長組のこどものみでしたが、アンケートは年少組にも答えてもらっています。保護者の皆さんの結論は、年少組も含めての早期本格実施が願いです。具体の方法については「受付け」についてたくさんの意見がありました。試行では申込の締め切りを、前日の朝までとしていましたが「当日受付」を願う声が多数ありました。また人員オーバーの時は抽選よりも優先順位をつけて欲しいの意見も見られました。また「利用料」については金額を示した設問がなかったためか、回答はほとんどありませんでした。

 う〜ん「チョット我がままと違う?」と感じる意見もありますが、正直に回答されているのでしょう。教育委員会は責任ある預かり保育事業として「最大限ここまではできるけれど、それ以上はできない」ときちんと根拠を示したうえで、保護者を始め住民に明らかにしなければなりません。そして何度でも言いますが、1日でも早い本格実施に努力して欲しいです。

 アンケート結果を抜粋してお知らせします。

* 預かり保育の利用者は、58人中50人で約86パーセントの保護者が利用している。

* 利用回数は、11〜15日の人が19人で最多。続いて6〜10日が14人、16〜20日が13人。

* こどもの様子は、楽しそうだったが43人で圧倒的に多い。

* 利用の目的は、

1 家庭の用事をするためが38人

2 趣味や気分転換をするためが17人

3 保護者同士のコミュニケーションのためが14人

4 仕事をするためが10人

5 その他では子どもが友達と遊ぶためが10人で、ほかにも数項目あり


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お芝居の“女”も美術展の“女”も闘っていました

(2006年4月6日 木曜日)

 


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道路補修の要望は「自治会を通さないといけない」って決まりはありません

(2006年4月5日 水曜日)

 雨の中、午後から役場へ出かけます。マートキムラからメゾン水無瀬の西側を通り青葉二・三丁目へ続く道路(青葉水無瀬1号幹線)が私の通行路ですが、ここの道路が実にひどいです。亀裂・陥没・傾斜・マンホールの蓋も浮き上がり等々、つまずきそうになったり転びそうになったり注意して歩かないと危険です。今日のように雨が降っていると、車が跳ね上げる泥水にも気をつけなければならず、全く困った道路です。私でも通行に不自由さを感じていますから、お年寄りの方や障がいを持っている方、乳母車の赤ちゃん、それに自転車の通行人は日常どれほど怖い思いをしているでしょうか。

 私も放ってきたわけではなく、議員じゃない間も何度も町の担当課に苦言を呈してきました。答えはいつも「自治会を通してください」で終わりました。勿論自治会は個別の地域の意思を代表する団体として尊重されなければならないと思っています。しかし役場は個々の住民の訴えにも聞く耳を持たなければなりません。訴えの現状が確認された場合は対応への努力をすべきだと、なぜ道路の補修に関しては自治会の“お墨付き”がなければ動かないのかは本当に不可解でした。

 私が再び議員になって益々理不尽だと感じたのは、他の道路の補修に係る事業執行がわかるようになったからです。住民が不利益を蒙っている道路について、補修の優先順位から見ると、明らかにこの青葉水無瀬1号幹線より劣化度が低く通行量も少ない、例えば町道とはいえ、田んぼの中のあぜ道のような道路を何故か先に工事しています。実地検分をしたと言うけれど記録がない、写真の1枚も残していない、根拠は自治会の要望書のみといった事例を見てきたからです。

 私がメゾン水無瀬の一住人として自治会にお願いをすることはやぶさかではありません。自治会もまた当1号幹線の現状を熟知している訳ですから、要望書をあげることには異論はないと思います。しかも役場は「そのようにしてくれれば事はスムースに運びますよ」と言っています。しかし、私は要望・苦情を何処が誰が出したかによって訴えの中身、本質を曲げて判断するような役場であってはならないと思っているのです。

 実は以前にも個人で「私の声」(役場の投書箱)に「この危険な道路を直してください」と訴えた方がいました。乳母車を使用している母親からの匿名の投書でした。私は年間を通して要望・苦情の文書を入手していますが、この投書はその中のひとつでした。私は勇気を奮って意見を書いたこのような住民の声を無駄にしてはならないと思いました。もし彼女が記名し回答を求めたとしても、役場は「あなたの所の自治会を通してください」と応えるのみだったと思います。私は投書を見てからは、見知らぬ彼女の分まで意志を負うべきだと感じていました。

 私は昨年7月の委員会で助役から「〜また一個人でありましても、その要望が現場等、或いは状況等を確認して速やかに是正すべきものについてはやっていくべきだと、基本的にはそのように考えております」の答弁を引き出しました。その上でこの答弁を元に南部由美子個人名で「青葉水無瀬1号幹線の改修に係る要望書」を提出し回答を求めました(勿論現状の写真添付で)。

 そして今年の2月下旬に回答がきました。おおっ!やっと個人の要望に対して「舗装改修をする方向で検討を進めています」と役場は応じたのです。それから1ヶ月後2006年度予算審査に際して、道路工事の箇所付けに青葉水無瀬1号幹線が示されていることを私は確認しました。それにしてもまどろっこしく、長くかかりました。でもこれで少なくとも道路の補修については一個人の訴えが「自治会に言うてください」で片づけられる事はなくなりました。この事は道路のみにとどまらず、住民の様々な要望に対する島本町の姿勢に繋がっていくのです。

 新年度が始まりましたが、私は担当者の顔を見るたびに「どうですか、進んでいますか?」と煩がられながらも訊いています。「(改修は)やりますよ、やります。しかし工事の前に近隣自治会さんとの協議も必要ですので・・・」と職員は返します。「工事に関して自治会さんとの連携は当然です。だからこそ早く協議に入ってください」と私は続けます。これからは要望する目的が絞られるので、職員のお尻も叩きやすくなりました。ホント!よろしくお願いしますね。

 


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菜の花摘みと町内桜めぐりで、やっと春満喫

(2006年4月7日 金曜日)

 桜井山側の田畑で1日から菜の花園が開放されています。菜の花畑の黄色い絨毯を思い描いて行ってみたら、アララお菜っ葉畑の合間にポツポツと小さな菜の花のつぼみが隠れています。そりゃそうでした。花が咲いたら食用にはなりません。つぼみの固い葉の先を摘み取ります。柔らかい菜の花は昼食と夕食には十分すぎるほどの量で、しかもわずかの御代で頂いてありがたいです。何よりも食材を自分の手で摘み取ることの楽しさと贅沢さが味わえていいですね。

 菜の花に春を感じたついでに、町内の桜を巡るミニ散策に出かけることにしました。例年なら3月末から4月の初めにかけて満開になる桜が、続く寒さで“冷蔵保存”状態のまま開花をじらしていましたが、町内の桜もやっと八部咲きの見ごろになってきました。今日はお天気もよく、雨や強い風が吹く前に見ておくチャンスかもしれません。桜ってなんだか人を急かせる、そんなところがありますね。

 花の咲く木は一杯あるのに、桜だけは「私の人生80年なら後19回しか見られへんなー、70年やったらわずか9回のお花見や」なんて私のようながさつ者にまでしみじみと思わせる、そんな力(魔力と言ってもいいかも)があります。ネット上の桜なんて本物の足元にも及びませんが、町内一度にお花見ができますよ。どうぞご覧下さい。

ふれあいセンター
若山神社
尺代(諏訪神社)
第二中学校前
水無瀬川沿い
JR沿い(体育館付近)

 午後からは役場へ行きます。文化情報コーナーで調べものをしていると、町長が声を掛けてきました。川口町長の良い所は会釈や挨拶の言葉だけでなく、必ず会話をしていくことです。15日に迫っている「ことしの予算」の説明会のことや、箕面市で藤沢市長に出された不信任決議のこと等を話題にしました。私は予算の説明会はとても良いことだと評価を伝えましたが、PRが乏しいのではないかとの心配も一言添えました。「町長自ら駅頭ビラ配布などすれば、大きな宣伝効果がありますよ」とも言いましたが、町長はどうするでしょうか?

 


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長男の住まう名張市を訪問

(2006年4月8〜9日 土〜日曜日)

 長男は“事務屋”ではありませんので、なかなかカレンダー通りの休みが取れません。2月の末に所沢に転勤になった次男、私と夫、3人のスケジュールと訪問先の長男の予定が珍しく一致しました。名張市は別に取り立てて全国的に名を馳せている訳でもありませんが、地元三重県津市をはじめ大阪や奈良のベッドタウンであり、かつ藤堂氏(藤堂高虎が有名)の城下町として昔のたたずまいを残している人口8万2千人の町です。人口規模は違いますが、島本町との共通点を私は長男の話から感じていて興味を持っていた町です。

藤堂家 造り酒屋

 名張市の観光スポット赤目四十八滝で「寒〜っ」と震えながらマイナスイオンを胸いっぱい吸い込んだ後は、早々に街中へ戻りました。やっぱり水辺は夏になってからがいいです。長男の住まいは余りに狭いワンルームマンションなので、私たちは駅前のシティホテルに一泊しました。翌日半日は街中をぶらぶらします。旅ともいえないミニ遠出といった今回の家族再会ですが、私はいろんな名所旧跡を巡るよりも、ここ名張の町で長男が仕事以外どんな日常を過ごしているのかに興味がありました。

造り酒屋の行灯

 良く行く図書館や、晩酌の地酒を買う造り酒屋、狭いバスルームからたまにはゆったり手足を伸ばしに行く風呂屋、時々はお土産に買ってくる栗羊羹(150年間同じ製法で作っているとか)を作っている老舗の和菓子屋、閉店前の値引きを狙って夕食のおかずを買いに行くスーパーマーケット、顔なじみになって注文しなくても揚げたて熱々のカレーコロッケ3個を用意してくれる肉屋さん、給料が入った時たまに散財するイタリアンレストラン等々、独身男性といえども会社以外の暮らしのスポットは以外にあるものです。街なかを巡りながら長男の生活の一端が垣間見られて面白かったです。何処で暮らしても庶民の暮しって大して変わらないし、人間の日常の営みのささやかさになんだか愛しい気持ちを感じました。

和菓子屋(栗羊羹が名物)
市立図書館 町中のトイレ

 議会や行政が守るべき住民の生活の原点は、安心して穏やかに過ごせる日常の生活の継続にあることなのだと、今回の小さな旅でまたひとつ気がついたように思います。

 


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久しぶりの入学式・・・壇上の日の丸に対抗か?元気溢れる生徒の絵画掲示

(2006年4月10日 月曜日)

 町内中学校の入学式は朝から雨です。5年ぶりの式典参加は第一中学校に行きました。受付を通ると議員は来賓席に案内されますので、私は知らん顔して直接保護者席の末席に座ります。会場を見渡すと、確か数年前には床に置いた三脚に立ててあった日の丸の旗が(体育館の舞台)壇上に掲げられています。そして入学式の始まりには起立を求められ、君が代斉唱が促されました。私は勿論起立はしなかったし、口は言うまでもなく耳も閉ざしました。20年前我が子の入学式で初めて体育館屋外のポールに掲げられた日の丸に対して、震えながら「止めてください」と校長先生に訴えた私自身の姿が思い出され、同時に「ああここまできているのか」と落胆の思いしきりでした。

 日の丸・君が代の強制にもう異議を唱える教職員も保護者もいなくなったのでしょうか?私はそうではないと思います。異議を唱える事が出来にくい、それどころか教職員なら異議申立が即ち処分に繋がる可能性があること、保護者なら“おかしな人、煩い人”扱いされるおそれがあること、子ども自身ならなお更でしょう。私はこの旗や歌に好き嫌いがあって当然だと思っています。

 推進派はスポーツの例を出します。最近ならアテネオリンピックの荒川静香選手の金メダル、ワールドベースボールクラシック(WBC)の日本チーム優勝時の日の丸・君が代を「素晴らしい、だからいいじゃないか」と言います。これらの結果は私も本当に良かったと思います。うれしくて感動しました。確かに彼らは競技のシステムとしては日本を代表して出場したのです。しかし優れた成果を生み出したのは、自分自身の努力や周りの人々の協力であり旗や歌がもたらしたものではありません。百歩譲って日の丸・君が代の為に頑張ったと言う人がいても、その事と中学生になった子どもたちをおめでとうと祝福をする為に日の丸・君が代が必要なのだという事とは全く関係がありません。

 私は嫌だと思う人に迷惑をかけない範囲で、この歌と旗を愛でる人たちがいてもそれはそれ、好みの問題だと思います。しかし様々な考えを持つ保護者や子どもたち、教職員に対して一つの価値を上意下達で強制する、しかも服従しなければ処分を伴う、いわば恐怖心でいう事を効かせる、このことがどうして教育の場で行われるのか疑問でなりません。だって子どもたちへの教育は、お互いを尊重し認め合って初めて成り立つものでしょう?多様な価値観の存在を前提にして、初めて学問の自由が保障されるのでしょう?人の内心の自由を侵してまで成就しなければならない事ってなんなのでしょう?歴史が証明するその事は、ただひとつ“戦争を認めること、戦争をする”ことです。だからどうしても、私はこの旗と歌を強制させられるのは嫌だと言い続けているのです。

 入学式が行われた体育館の壁面に、新一年生を見守るような形で子どもたちの背景に巨大な壁画がカラフルな色彩で描かれて吊るされていました。自由で喜びに満ちた中学校生活を表している内容です。まるでガチガチに押し付けられた壇上の日の丸なんてぶっ飛ばすような元気で楽しさに溢れた壁画です。製作した子どもたちは、私が思いを込めて見上げた気持ちなどには全く執着しなかったと思いますが、私はやっぱり少し涙ぐんで見つめました。そして希望と勇気を貰った気持ちになりました。

 


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公共工事に住民の意見を頂き、参考にするシステムがあればいいのに

(2006年4月11日 火曜日)

 公開請求をした情報の閲覧をする為に水道庁舎(上下水道部)を訪れます。3月議会で下水道会計は認定されませんでした。根拠を示さず値上げを示唆する新年度予算に対して、今まで予算を否決をしたことがないさすがの議会も認めることが出来なかったのです。もっとも値上げ如何にかかわらず下水道会計の経営努力の具体は絶えず問われなければなりませんが、改めて工事費におけるコスト削減がどのように図られているのかを知る必要があると考え、私は情報を求めていました。

 実際の工事にかかわりコスト削減は当たり前の範囲でやられてはいるようです。情報公開では下水道事業関係団体の分厚い資料も出ましたが、島本町で実際に行われているのはマンホールの小型化・塩ビ桝の小型化・道路の仮復旧時に再生材を使用することぐらいでしょうか。当町の下水道課長は知識も永年の経験もあり良く頑張っていると思いますが、小さな自治体として下水道事業の専門集団としての力はありません。したがって根本的なところはどうしてもコンサルタントや工事業者任せにならざるを得ないのが現状ではないでしょうか。

 しかしこれでは拙いです。下水道事業に係らず公共工事に係るチェック機関、第三者機関がぜひとも必要です。清掃工場の焼却炉・衛生化学処理場のし尿処理施設等の補修に係ってもコンサル任せが実態です。また、新駅設置工事や学校等公的施設の建設・補修工事でも同様なことがいえます。議会においてもチェックを受ける機関の必要性はあがっていますが、実際の適応はされていません。まあ、耐震構造偽装事件の例をみるまでもなく、第三者機関そのものが不正を働いていたりするとどうしょうもありませんが。

 私は先ずは住民の眼でチェックをかけるのはどうだろうかと思います。専門的な知識をもつ住民の方は案外おられるのではないでしょうか。チェックと言うよりは設計図書等を見てもらって自由に意見を述べてもらう、役場の担当職員にヒントを与えるような投げかけを行っていただく、そんなステップを一つ設けてみてはどうかと思うのです。ある程度のランク以上の公共工事について、住民からオープンな場で指摘や知恵を頂くのです(町はこれらの意見に拘束されることはありませんが、出た意見の記録はとっておくことにします)。最近町は様々な「計画」策定に関して、パブリックコメントを住民の皆さんに求めています。住民の意見は種々の「計画」だけでなく、公共工事に対しても取り入れていいと思います。無償でプラスアルファの意見を頂くことに何か支障がありますでしょうか?

町の花 山吹
浄水場内の蘆刈コーナー
非常時用給水タンクと
チューリップ

 訪れた水道庁舎の大藪浄水場は職員が植えた花々がきれいに咲き誇っていて、とてもいい感じです。これもまた施設管理上の小さなプラスアルファの魅力と言えばいえるかも・・・。

 


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町営住宅の構造計算は府の“お墨付き”を貰いましたが・・・

(2006年4月12日 水曜日)

 居を定めるのに最も大切な安全性が一挙に崩壊した一連の耐震構造偽装事件ですが、当町の公的施設、特に町民への住居を供している町営住宅に対する再チェックが求められていました。3月13日付け大阪府建築都市部建築指導室審査指導課長名で「町営緑地公園住宅(構造計算書)の審査について」の報告がされていることが、情報公開請求で判りました。結論は「問題は認められませんでした」とごくあっさりとした文面です。

 膨大な計算書が添付されており、町営住宅の耐震構造計算の電算結果と設計図面を比較して鉄筋本数や径の太さによる検定値を出しています。計算より図面の値はいずれも大きく「必要量は十分に満足しております」と書かれています。「はぁ、そうですか」大阪府が言っているのだから安心していいのだと思いますが、私には良く解かりません。役場の担当職員はどうなのでしょうか?住民に解かるように説明できるのかしら?もちろん出来なきゃ駄目なのですが、一度訊いて見なければと思います。

 昨日の日記にも書きましたが、このような資料を見るについても住民の中にはきっと専門性を有しておられる方がいらっしゃると思うのです。そのような方々が力を貸してくだされば、私たちも役場も大いに助かるのではないかしらと思います。

 家に帰ると5階にお住まいの方から、きれいなメッセージカードが届いていました。「お庭が美しく、毎日上階から楽しませて頂いています。ありがとうございます。」と書かれていました。猫の額ほどの小さな庭に統一性もないままアレコレ植え込んだだけですが、思いがけない所からぽっと芽を出す草花があったり、ひょろひょろの幹がいつの間にか逞しくなって地面を覆い尽くしているさまを見ると、花たちの懸命さに心打たれる気持ちです。フェンスの外側からの見栄えを気にすることはあっても、まさか上階の方にも言葉を掛けていただくとは思いませんでした。とてもうれしかったので、摘み取った花で小さなブーケを作りお届けしました。


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「地方議会の活性化」セミナーに参加しました

(2006年4月13〜14日 木〜金曜日)

 全国市町村振興協会の研修所(全国市町村国際文化研修所)は大津市の唐崎にあります。日帰り楽々の距離ですが、1万円で一泊4食付きは安いし施設内容も充実していそうなので宿泊をすることにしました。研修所は広大な敷地に立派な建物が建っています。運営費も維持管理費も相当な支出を伴っているのだろうと思います。多分島本町からのお金も回りまわって使われているのでしょう。

 講師陣には、昨年度の議員研修時に講義をしていただいた同志社大学の新川達郎教授もおられます。その時は職員の勤務評価等の話が主でしたので、私は少々物足りない思いを残していました。地方分権の掛け声の大きさと進まない財源移譲に代表される中央集権の現状の乖離の中で、地方自治のあり方を考える時、私は今こそ議会人として「議会の活性化をどう図っていくか」に積極性を発揮しなければならないと思っています。そこで今セミナーでは新川さんの講演、私の期待そのものずばりの「地方議会の活性化について」をとてもを楽しみに参加しました。

 ところが失礼を承知で言わせて貰えば、新川教授も佐藤成城大学名誉教授の講演も受講生の心に響くには少し遠い、いわゆる“学者さんの話”でしかなかったように感じました。北海道から沖縄まで全国から集まった議員は、自らの思想信条も議員活動内容もそれぞれが異なっています。しかし日々住民と接している中で「このままぬるま湯のような議会でいいわけがない」と議会改革の必要性に皆が差し迫った気持でいるのです。中には関西方面のお花見を兼ねて繰り出した議員たちもいるかもしれませんが、私が話した議員さん達からは熱い思いを感じました。

 したがって今回のセミナーで皆が身を乗り出し聴いたのは、シンポジウムのパネラーである北海道福島町議会溝部議長と千葉県栄町議会松島副議長の話でした。私にとっても“目からウロコ”がボタボタ落下、いかに島本町議会が“井の中の蛙”であるかを思い知った数々の改革事例の紹介がなされました。過日の日記でも紹介しましたが、京都府綾部市の改革の内容も併せると「よその議会はもうここまで進んでいる。そしてこれらの改革はもう珍しいことではなくなりつつある」と実感しました。

 大都市にはさまれた都市型の小さな街として当町が全国的にスポットを浴びていたのは、20年前「情報公開条例」等住民参加の道を先駆的に開いたあの頃のことであって、今はほどほどかそれより以下の元気のない状況にあるのではないかと思います。私は何も当町が華々しく再びの評価を得るべきだとは思っていません。問題なのは行政にも議会にも“昔の名前で出ています”の片鱗を感じてしまうことです。未だに当町行政・議会で前例や先例主義で新しい芽を摘んでいることはないでしょうか?

 首長や議長が保守か革新か(まあこれも古い表現ですが)に関係なく、また自治体の規模が大きいか小さいか、都市型か農・漁村型か・・・そんな既成の概念に左右されない地道な改革への取り組みが、活気に満ちた自治体や議会をどんどん育てていっています。このような市町村での共通のキーワードは“住民”です。議会や行政が住民に対して十二分に開かれているか、住民の声が反映され、住民に還元されているか・・・これらについて私たちの議会は正直遅れています。

 今回のセミナーで即実効したい事例もたくさんありましたが、ここで一度に列挙してみなさんに(うらやましい)ショック?!を感じさせるよりも、これからの議会運営等検討委員会での私の発言等も踏まえて少しずつご紹介していきたいと思います。島本町議会からは私一人の参加だったのが残念でしたが、大変有意義な研修させていただきました。研修費も交通費も皆さんの税金から頂いている私の議員報酬の中から支出しています。「ありがとうございました」とお礼と感謝をお伝えいたします。

 


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初めての住民説明会「今年の予算」なのにガラガラ

(2006年4月15日 土曜日)

 川口町長2年目のスタートにあたり“顔の見える行政”実現の目玉として打ち出されてきた「今年の予算」説明会ですが、残念ながらお客さんの入りはよくなかったです。私は定員250人ほどのケリヤホールは満席で入れないかもしれないと覚悟しながら、ふれあいセンターに急ぎました。雨が降っていたせいかもしれませんが、それにしても議員や職員を含めても50人程度の参加者で客席はガラガラです。私は宣伝不足の町にも、文句倒れ?の住民にも両方に腹が立ちました。少なくともしょっぱなは大盛況で“大入り満員”、それだけで盛り上がらなければならないはずなのにとがっかりしてしまいました。

 まあ、しかしこじんまりとはしていましたが参加住民からの意見は、なるほどと頷く質問が相次ぎました。一方答える町長はじめ部長たちも目新しい回答はありませんでしたが、丁寧な答弁を返していたと思います。またこういった集会にはえてして妨害等を目的に入場するような者も無きにしも非ずですが、混乱は一切なく無事終了しました。私はもう少し熱気ムンムンを期待していただけに、如何にも島本らしいサラリとしたお上品さを物足りなく感じながら帰宅しました。秋には「去年の決算」説明会が予定されています。町は今回の宣伝不足を認識した上で、効果的なPRをやっていかなければなりません。私たち議会議員も同様です。

 住民から出された意見を箇条的に書き出してみます。なお発言者の総てが、本説明会の実施を歓迎し評価していたことはうれしく大事な成果だと思いました。

* 住民票・年金相談の業務について職員は一生懸命やっているように思うが、時間がかかりすぎる(住民票を貰うのに30分は長い)。

* 土曜開庁、コンビニ利用の時間外サービスをして欲しい。

* 借入金返済の長期計画を知らせるべき。

* JR新駅はコロコロと計画が変更されるが、現場付近に完成予想の模型(パース)や写真を展示できないか。→歴史資料館にパース設置は可能と考える。

* 新駅設置にかかわる事業費の最終支出額を示して欲しい。

* 阪急水無瀬駅周辺バリヤフリー計画はエレベータかエスカレータ設置の計画も含んでいるのか。→エレベータの方向性は考えている。

* 新駅開業は間違いなく平成20年春か。

* 新駅関係の工事で道路が狭くなり生活に不便が生じている。

* ふれあいセンター近くの土道を舗装して欲しい。→早急に対応していく。

* 「議会だより」に議員の名前を載せるべきである。

* 予算を作る前に自治会単位で出向き住民の声を聞いて欲しい。

* 今回の会議録を公表して欲しい。来年も行うためには今年の内容を知る必要がある。

* 残土置場を若山台27棟付近に移設する予算は、何故予算を立てる前に近隣への説明を行わないのか。

* 公共下水道の予算が否決されたことは、この場で明らかにすべきではないか。

* 若山台の公共下水道管の布設(1億円)は隣接の調整池をつぶして行うのか。そうであれば大雨に対応できるのか。また全町的な説明が必要ではないか。→調整池をつぶすわけではない。(⇒後日1億円の下水管布設工事は取りやめになりました)

* 企業の下水排水量は計器設置を行っていないのではないか。また8年ごとの量水器取替えも行っていないと思う。→地下水くみ上げ企業についてはきちんとした条例対応をしていく。

* 水道会計にかかわり、15トンの汚泥を地下水で希釈(150トン)するのは水の無駄使いではないか。

* 府営水を使用していない井戸に注入して地下に涵養し、再び地下水として汲み上げる方法はとれないのか。→調査研究していく。

* 当町の自然は量的には豊かだが質はきわめて問題である。緑は病んでいるが、どのような方策をとるのか。→環境保全審議会で近々方向性が示される。その報告を待って行政として考えていく。

* 自然環境に対する基礎データの整備が行われていない。そもそも町には基礎データが全く存在しない。また町民で自然環境に係る専門性を持つアマチュアの活用を提言してきたが、未だに全く実行していない。

* 本日の資料は難しい。

* 議会における資料提供も遅い。

* 公募委員に専門家の登用が少ない。

* 行財政改革見直しに関するパブリックコメント募集のあり方に問題がある。→今回の内容を十分反省材料としたい。

* 教育基本法改定について「愛国心」についての見解を問う。→改定内容は与党検討会での結論であり、今後国会に上程される。総ての国民が大いに議論すべきであると考える。

* 行革推進委員会に意見を提出した。安易な民間委託を示していないか。町立保育所2ヶ所の内1ヶ所の民間委託が出されているが、その内容が示されていない。→119件のパブリックコメントをいただいているが、現段階では何も決定していない。委託のメリット・デメリットも検討し説明会も開催していきたい。

 町側の回答は総ての質問等に対してありましたが、私の日記等で既にお伝えしているものもあり取捨選択をさせていただきました。ところで本日の記録については、後日町の広報紙等で当日の内容が知らされると私は思っていましたが、どうも録音や筆記の記録を一切採っていないようなのです。確認した時は係長より上司にあたる職員が不在であったため、確証は取れていません。でももしも記録をとっていないことが本当なら、これは大きな問題です。役場の仕事で行った、しかも内々の話ではない住民参加の町政にかかわる説明会です。私はきつねにつままれたような気分で「記録はありません」と職員が返す言葉を聞いていました。

 


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“桜まつり”の竹灯ろう、ほのかに揺れて

(2006年4月16日 日曜日)

 お昼から私の居住するメゾン水無瀬自治会の総会に出席します。自治会役員は1年任期で順番です。総会では新旧役員が揃うので、今年は一会員の私も「お役目ご苦労様です」の意を込めて出席させてもらいます。本人や家庭の事情は無しで公平に回ってくるので、役員を務めるのがしんどい人もたくさんいます。今回の自治会長さんも、お父さんの代理を務められる若い女性の方です。挨拶に立たれた可憐な姿に「頑張ってね」と心の中で大きなエールを送りました。

 夕方薄暗くなって、ふれあいセンターの夜桜見物に出かけます。今夜が最終日で昨日の雨で延期になった“竹灯ろうの夕べ”があります。センターの散策路には切った竹筒に水を張り、ろうそくを浮かべた竹灯ろうが並べられて私たちをさくらの小径へといざないます。雨こそ上がりましたが、今日はとても風が強くろうそくの火がすぐに消えてしまいます。着火器具を片手にお世話役さんが走り回って点火している姿に、ここでも「お役目ご苦労様です」と私はつぶやきました。ちなみに桜まつりの主催者は「ふれあいセンター運営協議会」で協賛は“かぐや姫の夕べ”でもお馴染みの「島本竹工房」です。

 ふれあいセンターが完成した時の担当部長が「桜の木をたくさん植えましたから数年経てばセンターでの花見ができますよ。桜は遅咲きの種を選んであるので、ここで春の名残を思い切り楽しんでもらえればいいなと思っています」と私に話したことを思い出します。部長は町外在住の人でしたから、自らはお花見を楽しむことなく定年退職しました。桜の植栽については反対する人もいますが、私は後年こうして近くで夜桜を愛でる機会を得ていることをうれしく思っています。缶ビール片手のグループも見られましたが、皆さん穏やかに集っておられました。そろそろ今年の桜もおしまいです。時折ビューンと吹く風が春を連れ去っていきました。

 


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町立第二保育所で夜間侵入事件発生

(2006年4月17日 月曜日)

 本日標記の事件が民生部長名で議長に報告されています。夕方私たち議員には議長名で同文書がファックスされてきました。事件は土曜日の15日午後11時30分頃に発生。職員室と保育室に侵入し、被害物品は「一部封書」で、保護者へは本日お知らせを配布予定と簡単に記されています。私はこれはとりあえず急ぎの第一報だと思いました。これだけの内容では良くわかりません。私は担当課長に第二報を早急に出すように求めておきました。

 2月5日に第一幼稚園へドロボーが入って、その後公共施設の防犯対策は点検・強化されているはずなのに、再びの不審者侵入が起きたのはまずいです。まんが悪かったで済む話ではないと私は思いました。ところが1週間後の読売新聞で盗まれた「一部封書」の中身が明らかになりました。施設管理上の問題のほかに、さらにもうひとつ良くない事実が報道によって広く知られてしまうことになってしまいました。

 盗まれた「封書」とは保育料未納の督促状14通だったのです。督促状には保護者の氏名・住所・3月までの未払い分の保育料の金額が記入されていました。これらは全て個人情報であり、さらには他人に知られたくない情報の最たる内容、保育料未納の状況も含まれており個人情報保護の観点からしても誠に由々しき事態です。

 さらにはこれら督促状のうち6通が路上に捨てられており、情報の流出どころか拡散までもが現に起きてしまいました。残る8通は未だ発見されておらず、当該保護者にとってはなんともいえない不安感が募っていると思います。町は保護者に謝罪をしたようですが、行政への信頼は大きく揺らぎました。

 また、議会に対する行政からの続報も滞ったままです。新聞記事のコピーさえ議会に示してはいません。町は不審者侵入による盗難も個人情報の流出に対しても再発防止を言っているようですが、その内容は議会にも住民にもわからないし見えてすらいません。先ずは5月1日号広報紙で、謝罪記事を掲載すべきだと私は強く言いたいです。

 


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「“今年の予算”の記録は作成します」と総合政策部が回答・・・当ったり前で〜す!

(2006年4月18日 火曜日)

 4月15日に行われた「今年の予算」説明会の内容がわかる記録が録音も筆記も残されていない、そもそも初めから要点録を作成するつもりではなかったとの政策推進課職員の言葉があったことを15日の日記で書きました。「狐につままれたみたい」と表現しましたが、そのお粗末な仕事ぶりには、まさに「はあ〜っ?」としか言いようがありませんでした。作成しない理由は成立しないので、私は「絶対に作らなければなりません。部長や次長・課長と相談しなさい」とだけ言い残しておきました(私はいつもは礼儀正しく職員と話しますが、こんな場合は職員に対してヘラヘラ優しくは言いません。あんまりな時は、ビシッ!とが基本です)。

 後刻次長から「担当部長や政策推進課の職員のメモ等より要点録を作成します」と連絡があり、本件は一件落着です。しかしまあ、住民の方々の生の声を聴く機会、しかも初めての試みを行政はいとも軽く捉えていたことがこれでわかりました。表向きのパフォーマンスにばかり気を取られていてはいけないと、私自身への戒めにもなりました。それにしても一参加者のこの私ですら、殆ど一言一句もらさず記録していたというのに・・・。念には念を入れて当日の内部スケジュールの中身も確認しておきましたが、やっぱり「記録係」の記載はありませんでした。ヤレヤレ、こんな当たり前のことまで、議員が面倒みなあかんのん?!

 午後から役場に行って議会事務局を訪れると、職員の机上に私の日記をプリントアウトした紙が載っていました。「あっ、私のホームページ見てくれているんだ」と横目で見届けながら知らん振りしておきました。A議員が相変わらず職員の机を占有してしているのも見届けておきました(私は過日の日記で、事務局職員の仕事場と議員の仕事場は違うことのけじめが必要だと書きました。ましてや長時間職員の机を、例え本人が不在であっても使用するのは好ましくないと思っています)。職員と馴れ合っちゃうと住民にとっていい仕事はできないよ、A議員!

 


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「議会だより」や常任委員会会議録に議員の氏名や役場職員の役職名が掲載されない謎

(2006年4月19日 水曜日)

 議会広報紙に載せる3月議会一般質問等の原稿を提出します。約1時間行われる質疑答弁をわずか500字にも満たない文章にまとめるのは、至難の業です。いつも四苦八苦しますが、何回も何回も議事録(未校正の反訳原稿)を読み返すことになるので、「議会だより」に取り上げた質問はしっかりと頭の中に入ります。今回私が記事にする為に選んだ項目は、島本町の文化財保護体制の脆弱さと文化財に対するトップ職員の価値観と情熱の欠落を質した「他市(高槻市)に寄贈された郷土玩具について」の質問です(内容は3月18日、25日の日記を参照してください)。

 編集委員は各会派から1名が出て広報紙作りにたづさわっています。長い間議会事務局の職員におんぶに抱っこの状態から、昨今は編集委員が分担して記事をまとめる作業にも取り組みが進んでいます。委員がたの苦労がしのばれますが、全員の合意を得ない事項については先に進めないため、住民から見れば「何で?」と思われるような意識のズレも多々あります。住民が長きに渡って最も求めているのは、一般質問を行った議員名がなぜ「議会だより」に掲載されないのか、というごく当たり前の要求です。議員という公職の身で、議場という公の場で行った一般質問は全てが明らかになって当然なのです。もちろん質問議員の氏名は言わずもがなの公開となります。

 それなのに何故未だに誰がした質問なのかわからないように、氏名記載をしていないのが現状です。掲載反対派の本音は「質問した議員の名前だけが住民に認知され浸透していく。よって質問をしない議員にとっては不利になる」というものだと思われます。これらの議員は「ホンマにあほらし!恥ずかしい屁理屈やなあ」と住民の皆さんに笑われているのを知っているのでしょうか?しかしすったもんだしながらも、やっと6月1日に発行の議会だよりに「議員名公開を検討中」との小さな記事が載ります。「今年の予算」説明会でも、掲載を求める意見がありましたので、これらの後押し効果も期待できそうですね。

 一方常任委員会の会議録は全文筆記で作成されていますが、ここでも発言の議員名・職員の役職名は掲載されておらず[問][答]としか示されていません。委員会の会議録を見る住民は、全戸配布される「議会だより」を見る住民よりはるかに少ないためその声はまだ小さいですが、こちらも大いに問題です。大阪府内の状況を見ても、当町のような非公開ぶりは殆ど見られません。私は数年前(議員復帰前)に全ての議会に電話取材をしましたが「ヘ〜っ!未だに[問・答]としか記載していないとは恥ずかしいんじゃないですか」と、ある議会事務局に返されてしまったほどです。

 私は「議会だより」「常任委員会会議録」これらの氏名等記載については、もちろん議会運営等検討委員会には検討項目として出していますが、結論は一体いつになるのやら・・・。

 


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「なんぶニュース」を書き始めます

(2006年4月20日 木曜日)

 今日は朗読ボランティアグループの集まりがありますが、無理を言ってお休みします。1週間後に吹き込むテープ雑誌の記事選択と担当を決めるのですが、「なんぶニュース」を書き始めているのと印刷屋さんとの打ち合わせも入っているので、今回はニュースを優先します。朗読は大津市から来る人や長岡京市の人もいて、遠方のメンバーには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。快く休みをくれたグループの皆さんに感謝です。来週の吹き込みの日には、出来立てホヤホヤの「なんぶニュース」を渡せるよう、ここ数日は気合を入れてニュースを書くぞ!

 B4版二つ折りの紙面は読む人からすればピラリ1枚で、ものの1分もかからないでしょう。なのに大げさに“気合を入れる”なんてと笑われるかもしれません。でも私としては結構こだわりの紙面づくりに力を注いでいるつもりです。今どき手書き!もその一例ですが、記事はひとくちサイズに短く収め、そのかわり記事のメニューは多種多様に用意します。そして見出しだけでも中身が判るように言葉を選びます。正確に伝えることは大事ですが、同じニュースでも議員の立場で捉えるのと住民の皆さんが捉えるのとは異なります。私はくどくどと説明するよりも(何よりも紙面のスペースが足りません)ニュースの切り口はスパッと、まず最初に結論を示します。それも“私の結論”が優先します。議決結果なら後日「議会だより」が知らせてくれますから。

 私はニュースを通してみなさんに“なま”の南部を見て欲しいと願っています。私に対しては批判も好き嫌いもあるでしょうが、要するに「生(なま)なんぶニュース」を見ることで、みなさんが議会へ興味を持ってくだされば「いいなあ」と思っているのです。それだけで十分に目的達成です。お行儀良いニュースや議事録丸写しの正確なニュースよりも、私は断然“面白いニュース”がいいですし好きです。まっ私の理想はこんなものですが、えらそうにいっても理想と現実の狭間で四苦八苦するのが毎度の姿です。これから暫くはニュース完成のささやかな喜びを想像しつつ、一文字ずつシコシコと紙面を埋める日々にどっぷりつかることになります。ホンマこんなニュースでもしんどい〜〜〜よ!

 


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建設水道常任委員会で下水道会計の勉強会をしました

(2006年4月21日 金曜日)

 3月議会で前代未聞!当初予算が否決された公共下水道事業特別会計ですが、現在は暫定予算で経常的な経費の予算執行がおこなわれています。しかし早急に改めての本予算提出がされなければなりません。私は臨時議会を開かなければならないほどの緊急・重要なことだと思っていますが町長はどうやら次の定例会(6月議会)まで延ばすようです。

 こういうところが私には理解できません。“予算を否決された”事態に動揺するとか反省するとか、再提出に向けて必死の努力をしながら一日でも早い臨時議会を願い出てくるとかとにかく「申し訳ない」ふうの姿勢が見られません。もし反対に自信をもって組んだ予算なら「何で否決するのか!」との反論や反発があるだろうし・・・。まあ自信があって出した予算でないことは、議会の否決という結果から証明されているのでそれはないでしょう。

 だから私は正直いって大変気分が悪いです。町長の施政方針で今年度に下水道料金の値上げを公言しておいて、予算審議の中でその根拠や将来の見通し等を何ひとつ示さないでいてもそれでも議会は多分予算を通すだろうと、タカを括った町長たちに怒っているのです。これほんとにわずかの差でもって可決されていたら多分理事者は“甘〜い議会”をあざ笑っていたことでしょう。

 しかし腹を立ててばかりでいるわけにはいきません。私は特に今度は議会も再提出される予算に対して、改めてしっかりと準備をしなくてはならないと考えています。所管の委員会としては、何よりも先ず事前に準備されるべき中長期の財政計画の提出と説明を求めるべきだと思いました。幸い私の意も汲んでくれた菅委員長が議長や下水道部に対し積極的に働きかけてくれて、本日の勉強会が実現しました。このあたり菅議員は誠実でなかなかの実力者であります。ただ勉強会は他委員会の議員の傍聴は可能でしたが、一般住民に公開されなかったのは少々残念でした。

 「やればできるやん!」と褒めるまでもなく当たり前のことですが、今後5年間の「収支見通し表」等最小限の資料が提出されました。改めて「こんなのなんで3月議会に出せなかったの?」と溜息が出ます。

 下水道会計を一口で言うと“借金会計”です。公共下水道事業の環境保全・整備への先行投資の性格上借金で事業費を手当てするのは仕方がないのですが、いままでの借金である町債の現在高は約85億円に上っています。したがって毎年7億数千万円の借金を返済しなければなりません。返済に充てる公債費は歳出の60%以上を占めています。一方歳入では2005年度の決算見込みでは使用料等“純粋”に皆さんから頂くお金は約3億3千万円です。しかし出て行くお金は11億円あります。約8億以上の足らず分をどうにかしなくてはなりません。

 国からの補助金や新たな借金(町債)により入ってくるお金を除いた約6億円余りを、一般会計から貰って(繰入れ)帳尻をあわしています。この一般会計からの繰り入れもこれ以上は無理と今年度からは6千万円を借り入れることになっています。当然貰ってしまう繰入金と違い借入金は一般会計に返済していかなくてはなりません。このお金を料金値上げでしのごうというのが今年度の下水道会計の方向です。

 しかしこのまま「そうですか、解りました」とはいきません。無駄はないか?工夫はできないか?気を引き締めてあらゆる角度から厳しい再点検が必要です。昨年度の下水道料金未徴収問題発覚当たりから、立て続けに下水道会計における不備事項が出ているように思います。また下水道事業は住民からはみえにくい事業ですが、だからこそより丁寧なわかりやすい説明が行われて当然です。これらへの努力はまだまだ精一杯行われているとはいえません。

 本日の勉強会でも新たな資料の請求や職員への宿題も出て、第2回目を持つことになりました。

 


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「春ですょ〜」桜井の里にレンゲ畑が今年も開園

(2006年4月22日 土曜日)

 お昼前に開園式が行われました。私は式には初めて参加しましたが、まだレンゲはポツポツで花の数よりも人の数のほうが多いような気もしました。大阪府からも来賓があり町からは議長・町長・助役・収入役・教育長と各部長・次長らの出席がありました。「ちょっとおおげさかな?」と私は思いましたが、まあ、こういうことに人が集まるのは“平和”な光景ともいえましょう。

 レンゲ育成連絡会の皆さんの努力も今年の気まぐれな気候にはかなわず、開園後の日々も例年のように見事なレンゲの絨毯はかないませんでした。でも花の多少にかかわらず緑の山を背景に泳ぐ鯉のぼりのもと、のびやかな田畑が広がる桜井の里は素敵です。ずっと大切にしたいと願う島本の原風景だと、訪れた多くの人びとが感じられたのではないでしょうか。

 私は開園式後も2、3度行ってみましたが、大きなパラソルのもと連絡会の皆さんが交代で詰めておられました。本当にご苦労様なことと感謝しながら大分咲きそろった花々を愛で子どもたちの描いたレンゲ畑の絵も鑑賞しました。開花の最盛期を狙ったつもりの私の写真をどうぞご覧下さい。

 
4月25日に撮影

 写真といえば4月15日号広報「しまもと」第1面の大きな写真は昨年のレンゲ畑の風景ですがとても良い写真ですね。思わず微笑んでしまう小さな子どもの可愛らしい仕草と、見守る若い両親の気持ちが温かく伝わってきます。小さく映っているもう一組の親子連れも印象的です。白い帽子の女性が両の手で大事そうに抱えているのは、きっとまだ小さな赤ちゃんなのでしょうね?

 
今年はレンゲの花が少なかったようです 第三小学校児童の絵(現三年生)

 


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YY(ワイワイ)ワールドすごいね!22回目だって

(2006年4月23日 日曜日)

 「なんぶニュース」を書き始めて家にこもりがちですが、やっぱりYYワールドはチョットでものぞいてこようかなと会場の水無瀬川緑地公園へ向います。もう22回も開催している長寿イベントです。我が家の息子たちも初回から参加していましたが、今は2人とも町外に出ているため参加はできません。ワイワイには小・中・高を通して深い係わりを持ち、「こらこら」と思うほど情熱を傾けていました。

 学校で上手くいかないことがあっても、自分の存在を認めてくれる仲間がいて居場所があってと・・・ワイワイの参加母体である「遊創塾」(塾はだいぶ前になくなりましたが)に子どもたちは随分救われていたのではないかと思います。異年齢間の係りも楽しかったようです。数年前のワイワイからは、かつての遊創塾生の2世も登場し始めました。親子で参加できる息の長いYYワールドが、これからも続いていって欲しいと思います。

   
会場の水無瀬川緑地公園
メキシカンダンス 今年も完璧なゴミの分別


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第三小学校のアスベスト応急処置を確認

(2006年4月24日 月曜日)

 午後からの総務文教委員会“勉強会”を傍聴します。総文委では過日、小学校区ごとに作成された「安全マップ」に沿い現地確認調査を行っています。本日の勉強会は調査結果に基づいて再検討箇所を出し合い、教育委員会と話し合うとの目的で開かれました。各地で子どもが被害にあう事件が頻発していることを受け止めれば島本町も人ごとではないはずで実地検分を含んだ今回の勉強会は、的を得たものと評価したいと思います。しかし折角の良い試み、傍聴者が私一人だったのは残念でした。(私もたまたま議会以外他所からの情報で知り、傍聴できましたが)

 勉強会の後、ふれあいセンター2階の地域包括支援センターを覗いてみます。4月に立ち上がったばかりの支援センターはまだ本格始動にいたっておらず、民間から派遣の職員がPRのためのパネル製作に取り掛かっているところでした。

 次に向ったのは第三小学校です。校舎内の階段裏にアスベストの含有が明らかになりましたが夏休みに行う除去工事までの間はビニールシートによる応急処置がとられています。教頭先生が案内をしてくださいました。普通の半透明のビニールで覆いガムテープで止めただけのなんということも無い簡単な被覆状況で、私は「こんなんで大丈夫かなー?」と思ってしまいました。

吹付けアスベスト封じ込め応急処置

 ついでにイタリアンカラーの内装できれいになったトイレも拝見。教育委員会では数年をかけて3Kトイレ(くさい・きたない・くらい)追放の抜本的改修を継続してきています。私は議会で要求してきた立場から、トイレ改修事業への取り組みを高く評価しています。ですから何処の学校を訪問してもトイレは必ず見ることにしています。私が少々気になっているのはいずれの学校も床がきれいでない点です。ドライ方式なのは良いのですが、リノリューム材(多分そうだと思いますが)の床は汚れが目立ちます。床材の再考が必要ではないでしょうか?

カラフルなトイレ入口

 校舎を出てプレハブの学童保育室と蛍の飼育ハウスも覗いてみました。各学校・園をはじめ学童保育室への正式訪問はもう少し日を経てからお願いすることにして(新年度スタート時は担当職員もバタバタと落ち着かずかわいそう、というよりも訊かれたことに十分な答えが返ってこない可能性が高いので)、三小を辞しました。

花壇とプレハブ学童保育室


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要望から5ヶ月も経って出た回答書「尺代桐が原の住宅開発について」

(2006年4月25日 火曜日)

 1月11日の日記を見ていただければ標題の尺代自治会から出された要望内容はお分かりになると思いますが、昨年10月24日付の要望書は「尺代の過疎対策と活性化のため桐が原地区に住宅開発を」求めるものです。「桐が原」は尺代の集落に隣接した里山でしたが、売却され開発業者はゴルフ練習場にする計画に着手しました。しかし計画は頓挫し、現在は放置されたままの状態になっています。

 町の回答が出ましたが、日付を見て驚きました。なんと5ヵ月後の今年3月28日です。ことの性格上、通常の事務処理期間である15日間でというわけにはならなかったのでしょう。回答までには自治会との話し合いも何度か行われたようですから、やっと出た回答は町からの一方的なものでなく、双方の合意を持って出された内容だといえます。それだけに町がどう答えているのかが気になります。

 わずか20行足らずの回答文には「桐が原の住宅開発はまちづくりの指針である島本町総合計画に合致しないので、要望を叶えるためには総合計画の変更が必要です。現計画は平成24年までの策定ですが、計画の見直しは必要に応じて行うことになっています」とごく当たり前のことが書かれています(桐が原は市街化調整区域なので、現行のままで住宅開発はできません)。

 しかし最後に少々気になる数行がありました。「JR新駅の開業に伴う土地利用の見直しが予測されるが、桐が原地区の住宅開発についても新駅の開業に合わせて検討を進めていく」と答えている内容です。新駅の西側、田畑が広がる一帯は市街化調整区域ですが、駅設置に併せて市街化区域になり、住宅が建ち並ぶただの駅前に開発されることを私たちは恐れています。私は駅西側の農地は保存して欲しいと願っています。

 


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「チェルノブイリ」を忘れない

(2006年4月26日 水曜日)

 20年前の今日、(その頃はソ連)ウクライナのキエフ北130キロのチェルノブイリ原発で大爆発事故が起きました。広島型原爆10個分に相当する5千万キュリーの放射能が人びとを、動物を、そして大地も水も緑も・・・全ての生態と自然が汚染されました。今も立ち入り禁止区域が設けられ、住民は消えることのない後遺症に苦しめられています。癌患者の多発でWHOは「事故による死者は9千人にのぼる」と発表しています。私たちも原発大国日本(現在55基の原発がある)に暮らすことを改めて問わねばならないとせめて今日一日は深く認識しなければと思います。

 当時私が出していた家族新聞(新聞と言うと大げさですが)を見るとチェルノブイリ原発事故への驚きと恐れ、そしてチェルノブイリ原発事故を契機に反(脱)原発運動への私なりの係りが深まっていく様子が紙面によく表れています。一方、原発に対する心配をそれぞれの胸に抱えていた人びととの新しい出会いが生まれました。この人たちとの共通の思いと活動がやがて私の町議会議員選挙へと結びついていきました。

 さて、夜は明日の朗読ボランティアで行うテープづくりの準備と、朝一番で印刷屋さんに出す「なんぶニュース」の原稿を完成しなければなりません。テープのB面45分を吹き込むのはなかなか神経を使うしんどい作業です。おまけにA面の「町内の話題」の記事も書かなければなりません。ふ〜っ、今夜は完璧の徹夜になりそうです。

 


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我が怠慢のせいとはいえ、きつ〜い夜が明け朝もバタバタと・・・

(2006年4月27日 木曜日)

 とうとう一睡もしませんでしたが、なんとかやらなければならないことだけは仕上げました。全く誉められた話ではありませんが、一気に全開できるパワーは、まだ辛うじて残っておりました。毎度下手くそながら朗読ボランティアのB面テープ吹込み完了、A面の記事原稿も過去の日記を参考になんとか仕上げ(この日記が記録として、こんな時にも役に立っています)そしてなんといっても一番の“あ〜やれやれ”達成感は「なんぶニュース」の第2面の原稿完成です。

 しかし最もホッとするのは印刷屋さんでしょう。だって昼には一部刷り上げて、搬入をして欲しいとの無理な要求を出されているのですから。それには今朝原稿を入手しなければどうしょうもないからです。私は先週無理を言って朗読の集まりを休み、ニュースに取り掛かり始めたので、刷り上りホヤホヤの「なんぶニュース」は朗読の仲間に真っ先に渡したかったのです。しかし町外に住んでいるメンバーがいるため、吹き込みが終了して散会するお昼にはニュースを届けてもらわないと間に合いません。

 時計の針が7時をさしています。ちょっとだけ横になりたいとの誘惑に負けそうになりますが保育サポートの時間が迫っています。我慢がまんでひどい顔のまま「オハヨッ!」とサポート宅へ。待ち構えていた子どものハイテンションパワーにかろうじて対応。集団登校を見届けてからコーヒーで一息つき、ふれあいセンターへ出かけます。吹き込みを終え、さてニュースは間に合うかドキドキでしたが、結果は無理を承知の要求に見事!印刷屋さんは神業的早業で応じてくれました。ありがとう!本当に感謝です。1万1千部全世帯への配布分は明日搬入です。

 2時からは議会の会派代表者会議を傍聴します。案件は今年度の議会日程と議員研修の内容についてでした。私は議会運営等検討委員会の一員として検討の歩みが遅々としているように感じているので、議員各人の“改革意識”を喚起する意味からも、今年度は議会改革について先進的な取り組みを行っている議会より講師を招いて学びたいと意見を出していました。例えばこの日記でも紹介しましたが「綾部市議会はどうでしょうか」と具体の案も添えました。私の意見は会派代表者から伝えてもらい、共産党の会派も同意見を出してくれました。この日は綾部市への打診も必要なので結論は出ませんでした。

(後日“実現不可”との結果になりました)

 


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傍聴しがいのある文化推進委員会

(2006年4月28日 金曜日)

 10時からの会議を傍聴します。できたばかりの「島本町文化推進計画」を前に、のっけから会長の檄が飛びました。1987年から当委員会にかかわってこられた会長の弁を、私なりに聞き取りますと「文化行政についての、特に文化財についての町の取り組みは“風呂の釜”(湯ばかり)つまり言うだけで殆ど何もできていない。途中で馬鹿らしくなってやめていった住民もいたほどだ。一つでも二つでも何か実効していくことを示して欲しい」との内容でした。私も大いに同感です。ただ少しだけ行政をフォローすれば、そういう状況だからこそ「文化推進計画」を策定したともいえるのではないでしょうか。

 新しい教育次長をはじめ生涯学習課の担当職員は、冒頭の会長発言はもとより本日活発に交わされた委員方の意見を肝に銘じて、今後の文化行政にあたって欲しいと思います。そうでなければ「計画」は絵に描いた餅になってしまいますし、やっと設置された歴史文化資料館も展示の機能しか発揮できなくなってしまいます。さらには住民の参画についても、いつまでも行政主導で事業が進められていく形から脱することができない状態が継続していくことになります。

 これらは私の取り越し苦労だけではありません。会議の中で多くの委員が町の発奮を促すがゆえの心配と期待を込めた発言をされていました。私は教育予算を握っている町長・助役らが一度このような会議に出てじかに委員の意見を聞いてみることが必要ではないかと思っています。順不同で箇条的にいくつかの発言を記載してみました。先ずはこれらの意見に呼応する感性が行政に求められています。

* 「待宵小侍従の碑」等史跡の維持管理については住民と共に行っていくために、ボランティアの育成が必要。

* 身近な文化財(例えば楠公焼や古曽部焼等)については、収集されている住民から情報や知識の提供を積極的に受け入れる体制・システム作りが必要。

* 子どもたちが文化財に興味をもつような史跡等を訪ねる試みをしてはどうか。高槻市では小学3年生で「お地蔵さんってなに」をテーマに地蔵巡りを実施したと聞いている。

* 歴史文化資料館の活用は昔の農機具等の展示で終わらせるのでなく、地域文化の発信基地・情報発信基地として機能させる。

* 館に無料自転車ブースを設け、町内の散策利用に提供する。

* 他府県、他市町村と連携を深めジョイントイベントを館で開催する。

* 庁内他部局との連携を密にし、町全体のイメージアップを図る中で、あらゆる町関係の  広告媒体を活用し、文化行政への取り組みをはじめ資料館の存在をPRする。

* 資料館に行けば何か得して帰ってくる、そんな館になればよいと思う。

* 大阪市内から尺代に来ていた釣り人が「ここは緑の匂いがする。こんな所に住みたいな」といっていた。住民も町の職員も島本町の良さを感じて欲しい。自然と文化の係りを考えてみることが必要。

* 諏訪神社(尺代)の「弓取り式」は寂れていく一方だ。町は関心を持って欲しいと思う。今年の正月も大阪府からは職員の出席があったが、島本町からは誰も参加しなかった。

 文化推進委員会の傍聴を終えて役場の中庭を通り庁舎に入りました。写真は中庭の“島”の花壇です。私は春の初めに職員が花苗を植えているのを見ていました。住民の方から「役場の周りがきたない」とのお叱りがきていますが、折角の花々が生きるようなきれいな環境の保持に、職員各自が努力して欲しいと思います。

役場中庭花壇   職員が植えました


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長男のニュース配布手伝いは高くつきました

(2006年4月29日 土曜日)

 ゴールデンウイークの間は、役場が閉庁しているし公務は入りません。よし!この連休がニュース配布のチャンスです。先ずはとにかく配布しやすい集合住宅だけでも配っておかないと、前々回・前回のニュースのように全世帯の3分の1が未配布で時機を逸してしまうといった、申し訳ない事態になってしまいます。幸い長男が車で帰宅しました。「僕は手伝えへんで、車でニュースと一緒に目的地には落としてあげるけれど(私は荷物なみ?)」と言います。

 しかしユニライフ・ユニハイムの配布時には珍しく手伝ってくれました。その後近くのサントリーの工場に立ち寄ったのが間違いでした。よく考えてみるとこの地域だけ手伝ってくれたのはわけありだったのかも。もちろん車ですからバーカウンターで水だけ飲んでから売店を一回り。ずらりと並ぶウイスキーの瓶を丹念に眺めていた長男は「これこれ!1986年もの欲しかってん」とうれしそうに手にとっています。

  

 私より2倍の給料を貰っている、しかも独身(貴族ではありませんが)で生活費もそうかからない息子に、なんで思わず言ってしまったのか・・・。長男は「手伝ってくれたお礼にかってあげようかな?」の最後の「な?」を聞かなかったふりをして、間髪入れずに「ありがとう!」を返してきました。あ〜ぁ、高くついた手伝いになってしまいました。

 


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「日記」の冊子作成にかかっています。

(2006年4月30日 日曜日)

 「なんぶニュース103号」の印刷があがって、配布の日々が始まりました。と同時にこの日記の1・2・3月分をまとめて冊子に仕上げる作業に入っています。もちろん印刷・製本等はいつもお願いしている印刷屋さんに出すわけですが、写真の選択やレイアウト、校正等私がしなくてはならない作業も多いです。カラー写真が入ると印刷代がぐ〜んと跳ね上がるので、ホームページ上の写真をバッサリ削っていかなければなりません。A4版97ページ、所々カラー印刷のページを入れて300冊の発注です。

 印刷屋さんの見積もり額は・・・う〜ん、たいした支出になります。金額はここには書きません。半ば押し付けでお配りしている冊子です。値段を聞いて受け取ったことを負担に思われると申し訳ないと思うからです。興味のない人には何の役にも立たない冊子ですが、ホームページにアクセスしてくださる人ばかりではありませんし、お手元にあればパラパラ開いて、興味引かれるページがあれば読んでいただけるかもしれないと、少し期待を込めての作成です。これからも年に一度は2、3か月分をまとめたこのような冊子を一部の皆様のみになりますが、発行を続けていきたいと思っています。

 午後から訪ねた友人宅の近所、水無瀬神宮横の町立プールに面した町有空地の花壇がきれいだったのでカメラでパチリ!私は町内のあちこちで見られる小さな公共空地でアドプト(養子にするという意味ですが、近隣の住民が道路や公の花壇を世話するボランティア活動の意味に使われています)活動が広がればいいなと思っていますので、この花壇にも注目していました。

 まだ寒い時期に第一中学校の生徒さんがパンジーの苗を植え込んでいるのに出会いました。私は学校の外へ飛び出して、活発な地域活動をしている子どもたちを「頼もしいなー」といつも眩しく眺めています。植え付けた当初はとても「犬」には見えなかったのですが、今日の花壇には見事に“パンジーワンちゃん”たちがいきいきとした姿を見せてくれていました。

 

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 森光子のあの若さはなんなんでしょう?年齢はとうに十分すぎるほど“老人”に達しているにもかかわらず、容姿のきれいさも頭の明晰さも体力・気力の充実度も誰もが脱帽の女優さんです。若さを保っているから女優でいられるのか、女優だから若さが保たれるのか、多分後者でしょうね。あっぱれだと思います。友人と森光子の“おもろい女”を観劇しました。

 森光子は主人公の漫才師ミスワカナと時代を共有しており、共通する芸風も漂わせて自在にワカナ役を演じていました。観客の殆ど100パーセント近くが森光子より年下だった筈ですが、皆それぞれの励ましをもらって家路に着いたのではないでしょうか。ワカナの闘いは36歳で矢折れましたが、私たちにはそれ以上に、女優森光子の闘いと挑戦を感じ取った舞台でもありました。

 観劇後は大丸ミュージアムで「ニキ・ド・サンファル展」を観賞しました。私はニキのことを全く知らなかったのですが、1930年生まれで没後4年の仏女性芸術家です。30代には本物のライフルで射撃し、絵の具を飛び散らせて描く等パワフルな表現で有名になりました。巨大で鮮やかな色使いで造形された女性像ナナは“解放された女神”を象徴し、ニキ自身の内面を投影しています。私は作品を見て思わず「岡本太郎や」と呟いてしまいました。単純幼稚な感想に対して、ニキが怒るか太郎が怒るかわかりませんが“時代の良識”に対抗する確かな闘いの姿勢を、二人の共通点として感じることができました。(芸術評論上は間違っているかもしれませんが・・・まあいいでしょう?)