猿倉から白馬岳、   
   雪倉岳、蓮華温泉へ

 一人で登った白馬岳。他に誰のシュプールもなく清らかな春の山でした。今から考えるとかなりリスキーな登山だったように思いますが。


日 時  1990年4月3日〜5日

行 先  猿倉より白馬岳、雪倉岳、蓮華温泉、木地屋部落へ

日程と記録

3日

 早朝白馬駅で下車し、タクシーで二股まで入る。ここからは除雪されておらず歩きとなった。ゴールデンウィークには猿倉まで開通することを思うと、これはつらいアルバイトだった。

 

 幸い好天に恵まれ、大雪渓は真っ白だった。所々デブリが出ているが、ヤバイ場所ははっきりしており、そうした所を遠巻きにしながら高度を稼いでいく。山中にたった一人の静寂の中に、ビンディングのカチャカチャいう音だけが響く。雪面から反射する光の中に滴り落ちる汗を拭いながら、段々きつくなってゆく斜面を見上げる。

 天狗菱にはすでに夕陽が当たっていた。雪面は堅くなりかける。体力もかなり減退しかけている。そしてこれからさらに傾斜は急になってゆくのだ。スキーは担ぎ、ツボ脚に切り替えるが、これがまたつらく、数十歩登っては、同じくらいの時間息を継ぐことを繰り返す。

 雪渓の傾斜は一定の割合で増してゆき、雪は氷のように堅くなって、かなり危険を感じるようになる。そこは一様な急傾斜で、もう安全にアイゼンを着ける場所さえ無くなっていた。ピッケルをアンカーにして確保し、やっとアイゼンを装着する。空には星が輝き始めた。

 村営白馬山荘に着いたのはもう8時をまわっていた。屋外階段の下に急いでツェルトを張る。きつい一日だったが、安らかな夜が迎えられそうだ。

4日

  目を覚ますと、もう既に明るくなりかけていた。陽光はあたりをバラ色に染めている。今日も天気は良さそうだ。だるい体を起こし、朝食をとると、荷物を柳又谷源頭部にデポして白馬山頂を目指した。雪面は堅いがシールはよく効く。稜線の信州側には雪庇が発達している。

 白馬山頂からの眺望は素晴らしかった。杓子・鑓も陰影深く、黒部峡谷を隔てて剣も白く輝いている。これからたどる雪倉・朝日方面も真っ白だ。しばらくそれらに見とれていたが、記念撮影をして滑降にかかった。文字どおりの山頂からの滑降だった。

 

 

 荷物を回収して柳又谷を滑降する。他に誰のシュプールもないまっさらの雪面だ。その白さとスケールの大きさに胸が躍る。雪面に反射する陽光が眩しい。何度も立ち止まりながらその美しさを心のカメラに焼き付けた。あまり高度を下げすぎないうちに鉢ヶ岳の鞍部を目指してトラバースする。

 

 

 鉢ヶ岳の鞍部では数羽の雷鳥が這い松をついばんでいた。僕もそれに混じって腰を下ろす。おそらく今この山域に入山しているのは僕だけだろう。静かな山だ。至福のひとときを味わう。

 雪倉の避難小屋は開放されていた。ここでしばらく休憩を取った後雪倉の登りにかかる。

  雪倉の山頂からは北東の斜面を滑ったが、かなり急傾斜の部分があり緊張させられた。雪崩や滑落の心配をしたが、幸い何事もなく谷のまっただ中に滑り込むことが出来た。この谷もスケールが大きく気持ちがよい。そしてやはり誰のシュプールもない。雪質はやがて適度のザラメになっていった。あたりはさながら岩と雪の伽藍で、真っ白い凹面鏡に陽光が降り注ぎ、それが全て僕の上に焦点を結ぶかのようにように眩しい。そして岳樺が雪面に落とす影が美しく伸びる。僕は名残を惜しみながら白河内沢の清冽な流れに向かって高度を下げていった。

 

 白高地沢の右岸を下り、鉄橋にたっぷり積もった雪の上を越えて対岸を登るが、深雪の急登で、足下から崩れるので難渋させられる。ひと汗かいて岸を登り終えた。そして兵馬の平をたどり、蓮華温泉に着いたのはもう夕方になっていた。今日はここに宿泊だ。暖かい夜を過ごした。

 

5日

 同室になった青年と一緒に木地屋へのツアーコースをたどることになった。彼は雪倉を目指して昨日天狗原から蓮華温泉に入ったが、天候悪化のために潔く木地屋へ下山するという。心強いのは彼がこのコースの経験が二回目だということ。角小屋峠からのルートファインディングなど的確で、木地屋までロングルートを稼ぐ楽しいツアーをすることが出来た。


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