涸沢岳西尾根から涸沢岳、奥穂高岳往復

 天候に恵まれて山の美しさを存分に味わった反面、氷化した雪壁の不慣れな登下降で初めて身の危険を感じた登山だった。


日 時  1987年4月2日〜5日

行 先  新穂高温泉より涸沢岳西尾根、涸沢岳、奥穂高岳往復

日程と記録

3日

 新穂高温泉は移動性高気圧でよく晴れており幸先が良い。あたり一面真っ白な穂高牧場ののどかさよ。

 

 すっかり暗くなった頃、標高2400mのベースキャンプ予定地点付近にたどりついた。

 ここが幕営適地かと思われる樹林の中でザックを下ろして、さらに上部を偵察する事にした。だがしばらく彷徨った後、元の場所に戻ろうとした時に、ふいに何かに躓いて斜面の下側に落ちるように転倒してしまったのだ。実はそのとき持っていたピッケルのピックが、一瞬のことだが私の腹に突き立つように下敷きになり、私はその上に勢いよく倒れ込んでしまったのだった。幸いピックが刺さったヤッケのポケットにはたまたま分厚い目出し帽が入っており、これが緩衝材になったのと、下が柔らかい積雪であったので、被害はヤッケを少々破くだけで済んだ。しかし・・・これらの偶然がなかったらと考えると冷や汗が出るのを禁じ得ない。

4日

 稜線に出ると同時に樹林が無くなり、急に風が強くなって、ザラメが顔に吹き付ける。

     

 蒲田富士のプラトー付近はまるでヒマラヤのような趣で、非常に純化された山岳美がある。

  

 急斜面のトラバースでロープを出す。朝からの陽気で雪はゆるみきって不安定だ。

 かと思えばその後に続く雪壁の登りはテラテラのブルーアイスになっている。アイゼンは前爪2本しか掛かっていない。ピッケルの石突きの刺さりも浅く、左手は氷を撫でるだけで全く手がかりはない。振り返って見る沢はどこまでも遮る物のないジョウゴ状の氷だ。ここで足を滑らせたらあの世まで一直線だろう。しかし私たちはここではロープを使わなかった・・・。技術的にはそれほど困難ではなく、上部の岩場まで数十メートルで到達できると思ったからだ。

 まさかのその斜面で、どういう拍子からか私は一瞬バランスを崩してしまったのだ!

 荷物に引かれるように後ろに倒れそうになり、両手が虚空を舞った。サッと額が冷たくなって、目の前が暗くなる。だが再び氷を捉えた脚に渾身の力を込めて、斜面から離れまいと必死に念じた・・・。ゆっくりと氷壁が近づいてきて、あたりがまた明るくなった。ピッケルが氷を捉えた・・・。

 あのまま踏ん張りが効かずに氷上を落ちていたら私は自分を停めるすべもなく、一瞬でこの世に別れを告げることになっていたに違いない。幸い遭難には至らなかったが、些細なバランスで、私はこの世に留まっただけなのだ。あのいやな感覚は二度と味わいたくない。もっと積極的にロープを出すべきだったろう。

 

 ガスが巻く滝谷は幽玄の趣だ。

 

 涸沢岳に登頂する。さわやかな気分だ。ここで既に2時。しばらく仲間と相談するが、奥穂へのアタックを続けることにする。

 

 涸沢岳からの下りでも、アイゼンの爪がスパッツに引っかかってしまい、転倒しそうになる。が、これも幸い大事には至らなかった。春山の雪は冬よりも一層様々な表情を見せて、コンディションが一定ではない。その時その場所の状態を良く見きわめて足を運ぶことが大切だと痛感した。

 奥穂への登りは急斜面にもかかわらずフカフカの軟雪だった。ロープを出すが、ホールドも頼りなく、不安定な状態にあるアンカーもどうも信用できない。ダマしダマし雪の上を這う。

 

 緊張感の中で極めた頂は、のどかな春の一日らしく静かでとても穏やかだった。ジャンダルムは黒々とそのボリウムを見せつけ、槍へと続く穂高の稜線は白く輝き、美しい陰影を作っていた。この美的体験のためにここまで来たのだ。かけがえのない一瞬。下山の困難を考えると、これがこの世の見納めではないかという不安が脳裏をよぎり、山々は一層の輝きを帯びて見えた。

  

 やはり緊張を強いられる下山となったが、心なしか雪は安定し始めており、懸念とは裏腹に、比較的スムーズに白出のコルまで下ることが出来た。

 涸沢岳を下る頃には既に日は傾き、山々は紅く染まり始めていた。そのため例のトラバースも気温低下のために雪が締まっており、ずっと通過しやすくなっていた。ハイペースで下る。ヘッドライトでベースキャンプを探し出す。

    

5日

 ベースキャンプを撤収し下山を開始する。今日ものどかな日和になりそうだ。途中、滝谷出会いで仰ぎ見る西穂は真っ白に輝いている。

 

 林道脇の樹々の根元の雪が融け、その穴の配置がリズミカルだ。稜線付近の冬の様相とはまた違う春らしい風景に心が和む。

  

 新穂高温泉に到着した。陽光と湯気の揺らめく露天風呂につかり、三日間の疲れを癒す。だがその湯から眺める焼岳は、再び雪山への想いをかき立てるのだった。


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