双六岳から槍ヶ岳、飛騨沢

 90年に立山から槍ヶ岳までツアーを計画したが、台風接近の関係で双六小屋から新穂高温泉に下山した。それ以来このルートの続きである西鎌尾根をたどって槍ヶ岳に登頂出来ていないことが心残りだった。西鎌尾根はスキーの利用ということでは不利であるが、槍からは槍沢や飛騨沢の気持ちのよい滑降が楽しめそうだったので、あえて計画したのだった。


日 時  1992年5月3日〜6日

行 先  新穂高温泉から双六岳、西鎌尾根、槍ガ岳、飛騨沢をスキー滑降

記 録

3日

 新穂高温泉に車を停め、蒲田川左俣谷を小池新道に向けて歩き出す。木々の新芽が眼に心地よい。

 下抜戸沢出合の橋から見上げる弓折岳方面は真っ白だ。流れる雲の影がまるで虎の縞のような模様を雪面に描いている。ここから林道を離れ小池新道をたどる。積雪が安定したtころでスキーにシールを付けて登行を開始する。右手にはすでに槍穂が姿を見せているが、上部にはガスがかかり始めている。今回は鏡平経由で弓折岳に登ることとし、ルートが分岐する標高2000m付近で大休止をとった。だいぶ雲の影が増えてきた。

 弓折岳山頂付近には1時頃到着。稜線はかなりの風が吹いていた。どうやら天気は下り坂らしい。

 滑っては登ることを繰り返し、樅沢岳山腹を双六小屋に向けてトラバースする。小屋のある鞍部はすさまじいブリザードで、あたりの雪面全体が動いているような様子だ。

 

 小屋到着は3時30分。宿泊の手続きをし、カイコだなの一角に陣取ると、すぐに一寝入りする。元気のいい笑い声で目を覚ますと、通路では他のパーティーが円陣を組んで、山談義に花を咲かせていた。

4日

 朝から悪天候が続く。一旦は出発しようと出口に積もった雪を掻き除けて外に出るが、強風に加えて雪が降り続いており、ガスも深いので、すぐに沈殿を決めた。小屋の中をスケッチしながら過ごす。後にニュースで聞いたところによると、この日悪天のためいくつかの山域で滑落などの遭難事故が起こったようだ。

 夕方から少し霧がはれるようになったので、一人で双六岳に登ってみた。相変わらず風はきつく、時折雪煙が舞う。2811mの台地付近では既に数名のパーティーが登っているのを見かけた。あたりは再びガスに包まれる。

 僕は更に尾根沿いに東北東に進み、双六岳のピークを踏んだ。あたりには人影はない。

 ここでシールを外し、ほぼ来たルートを戻る形で滑降を始めた。ホワイトアウトしないうちに小屋に戻らなくてはならない。しかし視界は悪く、ついつい右側に寄りすぎて、いつのまにか急斜面のトラバースをしている自分に気が付いた。危ない危ない・・・。少し階段登行で登り直し、スピードを殺して稜線上をたどる。先程の台地からは比較的視界もよくなり、気持ちのよい滑降が待っていた。

5日

 日は差しているが、風は強い。吹き付けるザラメ雪のブリザードで顔が痛くて仕方がない。眼鏡にもすぐに雪が付いてゆく。そんな中で支度をして6時頃から樅沢岳方面に向かって100mほど高度を上げるが、あまりに風が強いので、安全に西鎌の痩尾根を通過出来るか危惧し、一旦小屋に戻って様子を見ることにした。双六岳や鷲羽岳、そして樅沢岳のいたるところを這いまわるブリザードが雪面に幻想的な陰影を描いている。その美しさに時々足を止めながら小屋へと下った。

    

 2時間様子を見て、再び樅沢岳に向かう。先程とあまり様子は変わっておらずかなりの強風だが、今日中に槍の肩の小屋に着くためにはもうタイムリミットだ。少し強引な気もするが、今度は躊躇しなかった。

 樅沢岳のピークに立つ直前、雪壁の向こうから、槍穂高の秀麗な姿が、僕の動きに合わせてニュッと天を刺すように現れた。雪をまとったその姿は岩肌の立体感が一層際立って、鋭利な刃物のように見えた。

 

 11時頃、硫黄乗越あたりまで来ると、風はあまり強くなく日差しは暖かで、むしろ平和な稜線だった。最初に出発したときに無理にでもこのあたりまで来ていれば、西鎌尾根そのものはそんなに不安を感じないで縦走できたかもしれないが、既にロスしてしまった時間は戻ってこない。そういえば双六の小屋あたりは鞍部であり、丁度風が集まるような地形になっているのだ。今もきっと強風が吹き荒れているに違いない。

 

 雪がゆるんで、アイゼン団子が凄い。5〜6歩に一度くらい叩き落としてやらなくてはならない所もあり、急斜面のへつりなどで肝を冷やすこともあった。尾根は段々痩せてゆき、そしてそれは小刻みなジグザグを切りながら槍の穂へと続いている。高度感を感じながら、その尾根筋を忠実にたどって登下降を繰り返す。

 

 千丈沢乗越手前で一息つく。眼下の飛騨沢を滑っている数名のスキーヤーがある。

 小屋までの最後のアプローチは飛騨沢側の雪壁をややトラバース気味に登ってゆくことになる。雪はかなり硬く、一歩一歩慎重に蹴り込んでゆく。パートナーはやや遅れ気味だ。

 

 登り着いたところは小屋のやや槍の穂側に寄ったところだった。4時30分頃のことだ。パートナーが到着するまでの間に宿の手続きを済ます。夕闇が迫ってくる。

6日

 曇天気味で、あまり美しいモルゲンロートは拝めなかったが、気を取り直して槍の穂先に登る。頂上で会った登山者の話では、昨夜もやはり風が強く、テントがはためいてろくに眠れなかったとのことだった。視界は良好。2度目の積雪期登頂だが、やはりここからの眺めは素晴らしい。間近には穂高連峰、その左手には蝶・常念から表銀座の山々、右手から背後へは笠抜戸から黒部周辺の山々へと大パノラマを形作っている。

   

 9時30分、いよいよ滑降だ。計画段階では槍沢を滑降して上高地に下るはずだったのだが、一日沈殿していたために、車を回収しに戻る余裕が無くなっている。直接新穂高に戻るルートをとるしか手はないだろう。つまり飛騨沢を下ることだ。さてそれには大喰岳との鞍部から滑ってもいいのだが、昨日登り着いた地点がまさに槍の肩であり、ここからの滑降が最も高高度でより面白いことに感じられた。荷物を背負うと小屋から少し登り返してスキーを装着した。

 飛騨沢側を覗き込むとやはりなかなか急斜面だ。雪面はまっさらで滑らかだが、西向きである飛騨沢は日陰になっているため、表面は硬くクラストしており、スキーで踏むとガリリと音を立てる。実のところもう数時間待っていればよかったのだろう。しかし途中には岩も出ておらず、下部になるほど傾斜が緩くなるはずなので、慎重にそちらにスキーを踏み出した。

 まずパートナーが斜面に飛び込み、数回ターンを決めるが、あれっと思う間に転倒してそのまま右岸に向かって落ちてゆく。スキーのエッジがカリカリ・・と音を立てているが、ほとんど効いていないようだ。そのまま止まらなかったら右の崖から向こうに落下してしまうのではないかという直前に、吹き溜まった積雪があって、そこで派手な雪煙を立てて止まった。そこはやや傾斜も緩くなっていた。

 

 僕は彼の所まで慎重に滑った。すでに彼も立ち上がって苦笑いしている。小屋の方をふり返ると、こちらの方を見ている人があるのに気が付いた。僕は更にそこから数回ターンし、再び斜度がきつくなった大斜面に飛び込んでいった。

 他人の失敗からは学べないものだ。僕自身も何度目かのターンを終え、減速しようとしたときに、突然スキーのエッジが大きくズレはじめたのだ。そしてついにスキーのコントロールが効かなくなって、僕はそのままエッジに乗って何百mかを滑落していったのである。エッジがカッカッカッカッとリズミカルに雪面から弾かれている。それはとても長い時間だったようにも一瞬のことのようにも感じられる。エッジを立てようと踏ん張る脚が弱ってきて、いよいよもうダメだと諦めかけたころ、やや傾斜が緩くなり雪質もゆるんで、突然グッとスキーに力を感じた。と同時に僕は斜面から跳ねとばされたのだった。顔面に衝撃を感じ、一回転して止まったときには、眼鏡は割れて既にあたりになく、ボンヤリした眼がストックとスキーと眼鏡の破片が下の方に流されてゆくのを捉えた。口の中にしょっぱいものを感じたので唾を吐くと、雪面に赤い飛沫が飛び散った。その中に小さな肉片も混じっている。

 僕は必死に自分を取り巻く状況を確かめようとした。兼用靴のバックルが一部どこかに飛んでしまっていた。首からぶら下げていたビデオカメラの防水ケースも壊れていた。これが顔に当たったのだ。口の中の出血は止まったようだ。だが右側のこめかみから頬にかけてが妙にはれぼったい。鏡がないのでどうなっているのかよくわからないが、出血はないようだ。それにどうやら他に怪我はないらしい。

 上方からパートナーが声をかけてくれる。彼もターンして降りてこようとするが、これまたたちまち滑落しはじめた。ストックで滑落停止を試み、ある程度は制動に成功したが、やはり止まりきれずに僕の居るところまで落ちてきた。

 僕のスキーは途中で止まっていたが、ビンディングは壊れており、またストックはどこに行ったものか見つけることが出来なかった。幸いビデオカメラは作動しているようだ。靴とビンディングを針金で応急修理して滑降を再開した。

 大滑降というにはすでに斜度が緩すぎるが、雪はいい具合にゆるんでいる。もう何の不安もない。

 

 ゆるやかな起伏を楽しみながら木々をスラロームしてゆく。流れ去ってゆく近景との対比で、左側の穂高連峰が僕たちと一緒に滑っているように見える。とても楽しい谷間の滑降だ。

 

 高度を下げるに連れて季節が進み、やがて水が現れ雪も切れて、春の芽吹きの中をスキーを担いで新穂高に下った。


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