吾妻スキー場から慶応小屋

 午前中に安達太良山のツアーを終え、私達の休暇は1日半を残していた。午後から気圧の谷が通り、その後は冬型になりそうだったが、どちらかというと太平洋側のこのあたりの山域は、明日は比較的晴れるのではないかという希望的観測から、今日のうちに家形避難小屋もしくは慶応山荘まで入っておけば、明日は高山下りが楽しめるのではないかと思って登山を開始したのでしたが・・。


日時  1999年3月28日(日)〜29(月)

行先  吾妻スキー場から慶応山荘往復(高山下り断念)

日程と記録

 28日(日)

 14:30リフト乗車−−14:50リフト降場−−18:00慶応山荘

 2年前に寡雪のために断念した高山下りに再挑戦することにした。雪の量はまずまずだろう。だが天気はあいにくだ。午前中は束の間の天気に恵まれていたが、午後になると風が強くなり、ガスが巻くようになった。しかし今日はもう数時間の行動しかできず、森林限界付近までがやっとといったところ。樹林帯でルートを失うことはないだろうと考えて出発した。明日のことは明朝の天気次第だが、とりあえずチャンスだけは作っておこうというわけである。

 吾妻スキー場のレストハウスで今日の宿泊地に予定した家形山荘のことを訪ねるが、かつて雪崩で倒壊し、今は避難小屋になっているとのこと。そして登山道から離れていて見つけにくいだろうということだった。「それより、今日だったら慶応山荘に小屋番が入ってるだろうから、そっちにしたら。」とアドバイスされた。なるほど小屋番のいる快適な小屋も悪くない。

 リフトを降りて左へトラバースし、登山道に入る。慶応小屋の蛍光色の布がしっかり付けられており道を失うことはなさそうだ。雪面にはブリザードや、ちらちら舞う雪が徐々に積もって行き、シールの感触は快い。

 ふいにスキーを履いた下山者が我々の前に現れた。通過せずに、驚いたようにこちらを見ている。
「今日はどこまでだ。」と大きな声。
「家形の小屋か、慶応山荘までですが・・・。」と答えると、
「慶応は俺だ。俺が小屋番だ。小屋を締めて降りてきた。」とのこと。
まあ、ツェルトで一晩を過ごすことも出来るのでそんなには驚かなかったが、
「鍵はここにあるが、使うなら使ってくれてもいい。あるいは、入り口を入ってすぐ右手に小さなスペースがあるので、そこなら2人位寝れないことはないが・・・。家形はやめたほうがいいよ。見つけにくいから。」とまで言っていただいた。我々は礼を言い、その小スペースに期待して歩みを続ける。

 慶応山荘は森の奥に静かに建っていた。例の小スペースは物置で、透明なポリで2重に囲まれた明るい空間だった。燃料やバッテリー、食料、ペンギンの置物などいわくありげな物が沢山あった。そして外は雪が舞っていたが、夜の小屋の快適さは言うまでもなく、ツェルトとは違う山の楽しさを味わった。

29日(月)

 5:00起床 7:00出発 〜〜 9:00リフト降場 〜〜 9:30駐車場

 

  一夜が明け、烈風吹き荒れる朝が来た。時折雲間から青空がのぞくこともあるが、寒気と風の強さは我々を逡巡させるのに十分だった。登山道をたどって尾根に出てみるが、とても進めそうにない。しばらくそこで休憩して様子を見るが、ついに下山を決めてシールを外した。もう一日待てば快適な登山が出来るだろうが、これではどうしようもない。

 新雪の積もったルートはなだらかに下り、スピードが出すぎることもなく、また逆にそんなに漕がなければならない場面もなかった。常に若干の浮遊感を味わいつつ樹林のスラロームを繰り返すうちにかなり高度を下げてきた。

 下るほどに薄日が射すような天気になってきたが、もう戻る時間もないし、上部は相変わらずなのに違いない。明日が仕事であることを思えば、早めに引き上げることもいいだろう。今日は吾妻の名湯、高湯で温泉に浸かって疲れを癒すことにするか。


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