ワンダーフォーゲル部夏合宿 裏銀座縦走


 私の勤務する高校のワンゲルの夏合宿。今年は2年生男子ばかり5名と引率2名のパーティーだ。足前が揃っていたので少し長期の山行を企画した。


日程



7月31日(火)アプローチ(夜行列車等)

20:00 出発 =JR新快速等= 21:29大阪 21:42 =JR急行ちくま=

 夕方部室に集合。今回はやや長期の山行になるため生徒達の荷物は18キロから25キロ程度、顧問はなぜか27キロ程度になる (^ ^;)。

1日(水)烏帽子小屋まで

=== 4:14松本4:35 =急行アルプス81= 5:08信濃大町6:00 =ジャンボタクシー= 6:40高瀬ダム

7:00登山開始 --- 7:30ブナ立尾根取付 --- 13:15烏帽子小屋 幕営 --- 15:15烏帽子岳15:25 --- 16:10烏帽子小屋

 10年ほど利用していなかったが、その間にちくま号の車両は特急並に綺麗になっており、シートもリクライニングできて格段に乗り心地がよくなっていた。しかし夜行列車ではいつもながらろくに睡眠がとれない。生徒の中には腹痛と吐き気を訴えるものも出た。正露丸を飲ませる。

 松本駅は朝曇りといった感じの空模様。予約していたジャンボタクシーに7名乗り込み、高瀬ダムへ。

 ブナ立尾根はアルプス三大急登の名に恥じない忍耐の必要な登りだ。生徒の一人が脚が攣ったというので頻繁に、かつ長めの休憩を取ることになった。だが長時間の急登を懸念してゆとりを持って計画していたためか、ほぼ予定の時間で烏帽子小屋に到着。

 このあたりには特に駒草の群生が目立つが、これまで他の山域では滅多にお目に掛からなかったので、その今を盛りと咲き誇るさまがとても珍しかった。テントを設営して烏帽子岳を往復した。途中左手に池があったが、飲み水を1リットル200円で小屋から買うことを思えば、ずいぶん贅沢なオアシスに感じられる。烏帽子岳の北東側にもたくさんの池塘が散在し、独特の景観を作っている。烏帽子岳は立派な岩峰で、頂上には一人立つくらいのスペースしかなかった。

 担いできたビールとシュペトレーゼが旨い夕暮れ。荷物が重かったのはこれのせい?

2日(木)雲ノ平まで

3:00 起床 朝食 5:50 出発 --- 6:45三ツ岳6:55 --- 9:00野口五郎岳9:15 --- 13:40水晶小屋14:00 --- 14:20水晶岳14:30 --- 14:50水晶小屋15:05 --- 15:35岩苔乗越16:00 --- 16:40祖父岳16:50 --- 17:30雲ノ平幕営地 幕営

 今日は超ロングコースなので早めに出たいところだが、生徒のパッキングが案外時間が掛かる。朝の支度もあまり手際がよいとはいえない。パーティーとしての動きもギクシャクしており、まだあまり有機的な行動が出来ていないようだ。県総体でそうしたことすべて経験しているはずなのだが。

 ともあれ、三ツ岳に向けて出発する。時々ガスが流れるが美しい天気だ。その霧の中に、つかの間ブロッケンが現れて我々の目を楽しませてくれた。

 

 三ツ岳からは素晴らしい眺めだ。昨日の烏帽子岳の向こうに立山連峰や後立山連峰が見え、西の方は立山から続く五色ヶ原、越中沢岳、薬師岳と、いつか自分がスキーで辿ったことがある稜線が懐かしく眺められる。東には槍穂高連峰、南には赤牛やこれからたどる稜線。錚々たる名山が連なっている。ここはアルプスのど真ん中なのだ。こんなパノラミックな眺めが楽しめるロケーションはこの裏銀座以外にはないだろう。

 野口五郎岳の登りで雷鳥を見る。ピーカンの真っ昼間に雛を連れて歩き回っているが、ここはあまり敵も居ないのだろうか。のどかなものである。

 のっぺりした野口五郎岳の山頂でくつろぐ。ここまではほぼ予定通りのペースだ。左手前方に槍穂高連峰が近づいてきている。岩の色こそ対照的だが、槍の北鎌尾根と手前の硫黄岳が双子のようにギザギザとした形を並べていて、なんだか可笑しい。

 生徒が一人バテ始めた。シャリバテか。他の生徒の話では体調不良からか、あまり十分食事をとっていないようだ。ペースが落ちる。

 右手前方に水晶岳が見えるが、手前に落ちた二本の尾根の間に長い雪渓が残っているのを見ると、ふと剣岳の源治郎尾根と八ツ峰が長治郎雪渓を挟んで並んでいる様子を思い出してしまうほど、その印象が似ている。勇ましい様子の山だ。

 水晶小屋に着いたのは予定よりも2時間近く遅れてしまっていた。疲労困憊している生徒と、付き添いを申し出た生徒を残して水晶岳を往復する。荷物を下ろした脚の軽さ!飛ぶように山頂に駆け上がると、その間わずか20分だった。これは予定の半分しか掛かっていない。山頂からはこれから辿る雲ノ平までのルートが眼下に眺められたが、祖父岳の山体の意外な大きさが私達を威圧した。

 10分だけ眺めを楽しむと、下りも18分で小屋まで戻った。小屋で休憩していた生徒はそのわずかの間にも行動食と水分を採ってあるていどは疲労を回復したとみえる。案じていたこのあとの行動は比較的順調に進めることが出来た。

  岩苔乗越の水場で水筒を満たし祖父岳の登りに向かう。夕暮れが迫り、少し涼しくなりかけたのが救いだ。一気に山頂まで登る。

 苦しかったのはむしろ雲ノ平への下りだっただろう。テン場はずっと見えているのだが、なかなかそれが近づいてこない。ジグザグを切りながら、時々は右へ左へと回りながらどこまでも続くかと思われるようなルートを少しずつ稼いでゆく。脚が悲鳴を上げそうな頃、やっとテン場に到着した。発動機が轟音を放っている。地下水をポンプアップしているのか、ホースの先からきれいな水がほとばしり出ていた。幸い、雲ノ平小屋の人が居て、その場で幕営手続きをすることが出来た。既に夕暮れは近い。

 水の補給のあと、そのホースの先にビールの缶を転がして置いたら、すぐに冷えた。

3日(金)双六小屋まで

  4:00 起床 朝食 6:30 雲ノ平(散策)8:25 --- 10:10岩苔乗越10:25 --- 12:05鷲羽岳12:15 --- 13:05三俣山荘13:30 --- 14:45三俣蓮華岳14:55 --- 17:30双六小屋 幕営

 今日のコースは多少ゆとりがありそうなので、ゆっくりと起きるが、生徒達はパッキングに手間取って、出立が遅れ気味になる。

 空身で雲ノ平を散策する。今日も素晴らしい天気で、這い松やチングルマの綿毛、そして木道が朝陽に輝いている。パーティーの足取りが軽い。アラスカ庭園まで脚を延ばし、少しゆっくりして引き返した。一帯はのどかで美しく、黒部五郎岳、薬師岳、水晶岳など数枚のスケッチをした。先を急いでいなければいつまでものんびりしていたいものだ。雲ノ平のあちこちにはいろんな国の名前が付いているが、その名前ほどには植生に大きな違いは感じられなかった。もちろんもっと長期にわたって滞在できればその感じ方も変わるのかもしれないが。

 

 幕営地に戻って重荷を担ぐ。いよいよ双六小屋に向けて出発だ。昨日苦労した祖父岳の登りを心配したが、かなりのペースで一気に登る。再び岩苔乗越で水分補給し、鷲羽岳を目指す。

 

 バテた生徒のペースに合わせてゆっくり進む。朝の遅れと合わせて1時間30分遅れで行動している。

 鷲羽岳はワリモ岳の方から見ると確かに鷲が翼を広げたように見える秀峰だ。そしてその山頂直下にある鷲羽池の豊かさ。この槍穂高を望む抜群のロケーションに満々と水をたたえて、それを見る登山者の疲れを一気に吹き飛ばしてくれる。だが、よく見るとなんと今回そこにゴムボートを浮かべるという暴挙に出ている輩がいるのだった。5〜6人のグループだったが、実にうらやましいことをやっている。これをやるべくわざわざこの山深くまでボートを担ぎ上げたのだと思うと、その馬鹿さ加減に拍手を送りたくなった。

 三俣の小屋で長めのトイレ休憩を取り、水分を補給して出発。尾根道とトラバース道の分岐で、どちらを選ぶか、生徒達の希望を聞くが、ある生徒が青息吐息といった風情なので、三俣蓮華は空身で往復し、トラバース道で双六小屋に向かうことになった。

 空身で登る三俣蓮華は10分程度で、やけに近かった。生徒の中には下りを6分で降りたものがあった。

 双六小屋までのトラバースは案外長く感じられた。

4日(土)槍ヶ岳山荘まで

  3:00 起床 朝食 5:30 出発 --- 8:45千丈沢乗越 --- 9:50槍ヶ岳山荘
  休憩10:20 --- 10:50槍ヶ岳11:10 --- 11:40槍ヶ岳山荘 幕営

 夜中の1時頃すぐ側のテントから物音がしたかと思うと、いきなり灯油ストーブらしき轟音が始まった。はじめはウチの生徒達がトチ狂ったかと思ったが、ウチのは静かなガスストーブだし、他のパーティーの動きのようだった。それにしてもこのパーティー、自分たちが真夜中に行動しているのだという自覚がないのか、話し声やパッキングの音など周りに対する配慮が全くなく、傍若無人の振る舞いで、出立までの2時間あまり騒音を放ち続けたのである。テン場で一番の早起きをしたのが誇らしかったのかもしれないが、そこまで存在感をアピールしなくてもいいだろう。同行の顧問T氏によるとR大のパーティーのようだということだが、眠りたいのに眠れない隣人にとってはタマらん一行であった。今日も睡眠不足の生徒がバテないか心配になる。

 天気は曇り、風が強い。しかし樅沢岳、西鎌尾根の登りはとても順調だった。特に千丈沢を過ぎて傾斜がきつくなるあたりではかなり休憩しなくてはいけないのではないかと思っていたら、逆に生徒の一人が便意を催したのにキジを撃つ場所もなく、一刻も早く小屋に着きたいというので、全く休憩せずに一気に登ってしまった。

 幕営の手続きを済ますとすぐにテン場に荷物を置いて槍に向かう。生徒達が割り当てられたテン場は最も大喰岳寄りの崖の突端にあるスリリングな場所だった。ここには6テンが張れるような広いテン場があまりないようだった。それに既に幕営地は結構にぎわっており、あまり到着が遅いと張れなかった可能性もある。まあ今回早く場所を確保することができてラッキーだった。例のR大のパーティーが異常な早立ちをしたのはここの場所取りのためだったのかもしれない。

 槍はよく整備されていて、頂上付近にもここ数年の間にハシゴが追加されており、ほとんど危険を感じないで登ることが出来た。今回の山行では一番ヤバイと思われる場所だったが、杞憂であってよかったと思う。しかし天気は相変わらず悪く、霧の晴れ間に西鎌方面が少し見える程度で、穂高や常念など周囲の山並みはほとんど姿を現さなかった。

 テントを設営して昼食のラーメンを作ろうとする頃、ついに雨がバラバラと落ち始めた。やがて雷鳴が轟き、激しい降りになった。私は今回初めての停滞?のひとときをウクレレをかき鳴らしながら過ごした。

5日(日)上高地に下山

  3:00 起床 朝食 6:20 出発 --- 8:50槍沢ロッジ --- 10:08横尾--- 11:25徳沢園 --- 14:10明神14:40 --- 15:10上高地

  18:15 =タクシー= 19:35 松本駅

 もし槍の頂上からご来光を拝むことが出来たら、生徒達にとってさぞかし思い出深いものになるだろう。しかしテン場や小屋の賑わいを考えると、それは大変な大仕事のように思われた。悪いことに今日は日曜日なのだ。山頂には20人位しか立てないが、そこにどれくらいの人が押し寄せるのか。余程の早立ちでないとその20人のうちに入るのは難しいだろう。それに生徒達も昨日の登頂ですでに満足していたようなので、欲張らずにテン場で夜明けを迎えることにした。あとで槍の穂先でルートの途中にへばりついたまま身動きがとれなくなっている人たちが沢山いるのを見たが、あの人達はそうした状態のまま常に落石や滑落の危険にさらされているわけだ。まったく行かなくてよかったと胸をなで下ろした。 

   

 美しい夜明けだ。笠ヶ岳の向こうの雲に槍の影が映り、常念方面に押し寄せた雲海が波頭を輝かせている。

 下山を開始する。生徒達の体調は良さそうだが、登山道は中高年登山者の長い行列が続いており、それを追い越せないためになかなかペースが上がらない。だが下るほどにその行列も段々まばらになり、それをすり抜けてからはやや飛ばし気味に下った。槍沢ロッジに予定よりも1時間ばかり早めに到着。その後も順調に下り、5時間で徳沢園に到着した。ここでボーナスの大休止だ。登山靴と靴下の束縛を脱ぎ捨て、裸足で踏む草原が心地よい。ハルニレの木陰でラーメンと飯を作って昼食を摂った。

 

 明神池では岩魚と子連れの鴨が優雅に泳いでいるさまを楽しみ、上高地では小梨平のキャンプ場にある浴場で5日間の汗を流す。そして予約したタクシーで松本駅に向かう。

 松本で閉店間際のそば屋を3軒まわって、やっと蕎麦にありつき(駅ビルの蕎麦屋だが、これが結構旨かった)、列車出発の深夜1時前まで5時間あまり、長い一日の終わりをじっと待った。

6日(月)兵庫へ(夜行列車等)

  1:09松本駅 =JR急行ちくま= 7:28大阪 7:47 =JR新快速等= 8:50 着 後片付 解散


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