剣山登山

 四国は過去2回の旅しか経験していない私にとって未知の部分が多い。山腹にリフトが掛かり、夏には多くの観光登山者を集める剣山。しかし冬季にしか見せない神聖な表情があるはずで、積雪も多く山域にスキー場さえ抱える剣山の素顔に触れたくて出掛けた。明石海峡大橋の開通とともにグッと身近になった西日本最高峰へ。                               


日時  2001年1月4日(木)

行先  夫婦池から見の越を経て剣山往復

日程と記録

  8:00起床 9:30夫婦池 --- 10:00 見の越 10:10 --- 10:46 西島11:10 --- 11:50 剣山12:50 --- 10:46 見の越 13:35 --- 14:10 夫婦池 琴平へ移動、金比羅さん参拝

 昨夜から降り続いた雪は、一夜を明かした車のボンネットに10cm位積もっている。出立準備をする私たちに、風にあおられた雪が渦を巻くように舞いながら降りかかる。昨夜1台の車がいたが、夫婦池の駐車場に停めた車は我々の四駆だけだ。

 日帰り登山の心と荷の軽さよ。新雪の地面を踏みしめて山に向かう。見の越までは林道歩きだ。先ほど駐車場を覗いた車がこのよく整備された林道に轍をつけていた。さらに数台の車が我々を追い越してゆく。何とも興ざめだが、見の越などの地元の車であろうか。我々もそこまで車を入れても良かったかもしれないが、それではあまりにお手軽すぎる気がした。

 見の越は剣神社があり、土産物屋も数軒並んだ登山基地である。神社には宿泊施設も用意されている。ここで朝のお勤めをさせていただいた。神社の庭には透明な板状のモニュメントがあって、キレンゲショウマの写真と曾野綾子さんの文章が埋め込まれていた。ここは「天涯の花」という文学作品の舞台なのだ。私も以前に松たか子が好演した舞台をテレビで見た記憶があった。

 ここから登山道に入る。少し登るとリフトを横切った。時々下山する登山者とすれ違う。中には家族連れもあり、子供や中高生くらいの女性が混じっていることもあった。西島神社で休憩をとった。正月のお供えだった串柿や勝ち栗、橙を食べたが、この神聖な山にとても相応しい味がした。それに実際これらは携帯食として優れている。

 西島のリフト終点を通過する。ここの看板で頂上ヒュッテが年末年始営業していることを知った。なるほどそれで合点がいった。先ほど出会った家族連れは昨日登って宿泊していたものだろう。それで朝から下山できたのだ。営業は今日の正午までらしいが、なんとか間に合うだろうか。だが実は暖かいものを口にしようにも二人とも財布は車に置いてきていたのだった。

 大剣神社の寒暖計は氷点下7度を示していた。頂上付近は準平原で風がかなりあり、体感温度はもっと低い感じだ。木道を三角点までたどるが、視界は悪く周囲の山並みはほとんど確認できなかった。

 頂上ヒュッテに入る。文無しなので多少の遠慮があったが、休憩できるか確認すると気持ちよく迎え入れて下さった。ここではテレビも見られるようになっている。リフトがそこまで来ているのだから電気がここまで通じているのも当然か。テレビの脇には写真集などの書籍と並んで「天涯の花」のビデオなどがいくつか置いてあり、俳優達と一緒に撮った小屋主の写真も掲げられている。相棒がこの作品を知らなかったので私が少し紹介をしていると、小屋仕舞いの支度をしていた当の小屋主さんが詳しい話をしてくださった。

 しばらくくつろいで腰を上げたが、下山を始めると薄日が差したりしはじめている。天候の回復を期待して再び頂上付近へ取って返してあたりを徘徊したが、時折何山とも知れぬ山腹がのぞくくらいで、霧は簡単には晴れそうになかった。見切りをつけて下山開始。

 剣山は海底から隆起して出来た山だということで、地質学を研究している相棒は途中で岩石標本を採集した。下山は早かった。

 夕方、金刀比羅宮の奥社まで参拝したが、この高度差が400m程あった。剣山の高度差が500m程度であるから合わせ技で900m程稼いだことになる。翌日は鳴門の大塚国際美術館で一日中西洋美術史の研究を楽しんだ。

 


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