鳳凰山(地蔵岳)登山

 今回は単独行だ。そのため比較的入山者の多そうな鳳凰山を選んだ。オベリスクで有名な地蔵岳の秀麗な姿はとても魅力的だったが、積雪は例年になく深く、実はかなりハードな山旅となった。


日時  2001年2月11(日)〜12日(月)

行先  御座石鉱泉から地蔵岳往復

日程と記録

11日(日)

  9:00御座石鉱泉到着、準備  9:50御座石鉱泉 --- 10:50 西ノ平 10:55 --- 14:20 燕頭山 14:20 --- 18:00 ビバーク地(2400m)

 前夜10時に出発して、阿智P.Aで4時間ほど仮眠をとる。御座石鉱泉に到着したのは朝の9時頃だった。須玉からのアプローチは狭い深雪の山道で、車輪を完全に轍に落としての運転だった。幸い傾斜は緩くスリップもほとんどなかったが、車体はガタガタと激しく振動し、路上には落石も多い。山深いところにやってきたという印象だった。

 御座石鉱泉の駐車場は広かったが、除雪してあるのはほんのわずかで、林道を少し下った三叉路に駐車する。

 朝食をとり、御座石鉱泉で登山者名簿に記名をして、登山開始の前に登山口にある仮設トイレ前の雪面に荷物を置いて朝のお勤めをする。すっきりした気分で再びザックを担いだが、妙なことにザックを置いていた雪面が黄色く染まっている。「ややっ、小便の上にザックを置いてしまったのか?しかしまさかトイレを目の前にして立小便をする人もなかろうし、第一さっきはこんな色は付いていなかったはずだが・・・。」と思いながらそこを覗き込んでみると、普段嗅ぎなれた芳しい香りが漂ってきた。すぐさまザックの雨蓋を開けてみると・・・そこにはスコップのザックリ突き刺さったオールモルトビールの空き缶が入っていたのだった。今夜の楽しみがこれでパーになり、年季の入ったザックにはさらに深い味わいが加わったのだった。

 今年は積雪が多い。標高1100mの御座石鉱泉の登山口から地蔵岳までの標高差は約1600mあり、そのほぼ全行程が膝近くまでのラッセルとなった。一昨日登った単独行者が下山していったが、二日間で燕の頭までしか到達できなかったようだ。私は鳳凰の小屋に泊まるつもりで居たのだが、御座石鉱泉の人の話だと今日は上まで行けないでしょうと言う。非常時の泊まりはツェルトだ。実はこれまで2月のツェルト泊は経験したことがない。

 私の前にはまだ4パーティーが入山していたが、燕の頭までの途中に2パーティーが下山してくるのに出会った。一昨日入山したパーティー達だ。途中までしか辿れなかった彼らの心中はさぞ無念だろう。だが私の方は偉大な先人である彼らの付けてくれたトレースのおかげでまずまずのペースで歩を進める。なかなか急な登りだ。だがきつい分、短時間に高度が稼げるのは有り難い。御座石鉱泉から1000m登ったところが燕頭山だ。午後2時30分、ここでは私の少し前に入山した単独行者が早々にテントを張っているのを見た。

 夕闇迫る頃、かなりの疲労感を覚えながら登り着いた標高2400mのプラトーに最後のパーティーである4人がテントを張っているのに出会った。確かにここは広々としていてテン場にうってつけだ。彼らも鳳凰小屋まで行くつもりだったが、ここで力つきて幕営したもののようである。私は明日の登頂のことを考えるともう少しルートを延ばしておいた方がいいように思われたし、あわよくば小屋を利用したかったので先を辿ることにした。小屋はほぼここと同じ高度なのだ。あまり極端なアルバイトがないことを祈りたい。

 4人パーティーのテン場の少し先まではトレースがあったが、すぐにまっさらな雪面となり、いよいよ自力でルートファインディングし道を切り開いてゆくことになった。だが6時頃にはすっかり日が暮れ、樹々に付けられた赤いマーキングもついに見えなくなって、それ以上進むのは危険に感じられたのでやむを得ずツェルトを張ることにした。

 ラジオを聴きながら夕食を取り、眠る支度をするが、吹き付ける風にツェルトがはためくたびに感じる侘びしさが妙に懐かしい。出来るだけの厚着をしてシュラフにくるまるが、丁度冬型が強まっていて1時間ごとに寒さで目を覚ます。薄目を開けると月明かりが木の葉の影をツェルトに映しているのが見えて、好天が続いていることに感謝しつつまたウトウトとするのだが、3時頃からは目が冴えてしまって寝付けず、こうした場合の独り身の寂しさを紛らすために持参したウクレレをポロポロ爪弾きながら夜明けを待った。ストーブの音がコーラスをつける。

12日(月)

  6:30 出発 --- 7:10 鳳凰小屋 --- 10:00 地蔵岳 10:25 --- 11:05 鳳凰小屋 --- 11:30 ビバーク地 12:30 --- 14:20 燕頭山 --- 15:40 西ノ平 --- 16:15 御座石鉱泉

 夜明けとともにツェルトから出て地蔵岳を目指す。薄日の差すまずまずの天気である。だが深雪でなかなか歩は進まない。鳳凰小屋まで40分。小屋は静かに雪の中にあった。冬季小屋の入り口は半分ほど雪に埋もれていて、入るとしたら一仕事が必要だ。結果的に昨夜のビバークの決断は適切だったといえるだろう。

 小屋の左手を通過し、奥の尾根に取り付く。急な登りを息を整えながら少しずつ進む。1時間かかって100m程高度を稼いだ頃、カモシカが2頭私の行く手を横切った。ラジオを聴いていたので、その音に警戒したのか、彼らはすぐに右手の沢へと逃げていったが、その後を追いかけて対岸の方を覗き込むと1頭がじっとこちらを見て佇んでいるのが見えた。このあたりはカモシカが多いのか、ここまで来る途中にも何度も彼らの足跡や糞を見つけた。面白いのは彼らもラッセルすることを嫌ってか案外登山者のトレースを辿っているケースが多いことである。糞も登山靴の足跡の上にばらまかれているのを4カ所くらい見た。

 さらに歩を進めるとやがてルートは左側の沢に出た。地蔵岳は右手間近に見えるが、まだこれから200mの高度を登らなくてはならないのだ。実はそのうちに例の4人パーティーが追いついてきて一緒にラッセルしてくれないものかと期待していたが、一向に姿が見えない。だが幸いというべきか、上部は風が強く雪面がクラストしていてあまり足が潜らない。逆に時々靴先が雪面にはじかれがちになるが滑落するほどには凍っていない。数十歩登っては雪煙が上がるのを眺めながら息を整える。また数十歩登る・・・。なかなかきついがその繰り返しが確実に私を頂上に導いてくれるのだ。

 アカヌケ沢の頭と地蔵岳の鞍部からは、まるで人差指と中指を合わせて二本立てたかのようなオベリスクが目の前だ。たった一人ここまで来た私の登頂を祝福してくれているようだ。

  

 頂上はオベリスクの天辺だが、そこを登るにはやはりパートナーとロープが必要だろう。その岩峰の基部にある祠の前で記念写真を撮ったあと、一般登山者が安全に登れる限界の高みまでは登ったが、ついに天辺は断念した。そうして僕が岩と格闘しているときに、丁度薬師岳の方から1パーティーだけ縦走してきたが、その他にはたぶん入山者はなく、遭難したらすぐに助けてくれる人も期待できないだろう。

 私も出来れば観音岳や薬師岳まで足を延ばしたかったが、すでにテン場から4時間ばかりもかかってしまい、今日中に神戸に戻るためには、とても三山縦走をするといったようなことは不可能になっていた。

 地蔵岳からは、曇ってはいたが空気は澄んでいて、真っ白な白峰三山や仙丈、圧倒的なボリウムの甲斐駒、雄大に裾野を張る八ヶ岳、雲海に浮かぶ富士などの展望は最高だった。朝のラジオによるとNHK甲府放送局からは曇っていて富士が見えなかったようだが、ここは特別な神の視座なのだ。

   

 下山を始めたのは午前10時30分頃になっていた。雪壁の下りはアイゼンを付けて慎重に行動するが、樹林帯に入るとすぐにそれを外し、半ば雪の上を滑るように飛ばして下った。なるべく夕方早くには御座石鉱泉に着いておきたいからだ。往路に付けたトレースは風でほとんど消えている。そのうちバランスを取りながら疲れた足で滑るのが面倒になって、シリセードし始めたらこれがとても具合がいい。

 40分で鳳凰小屋を通過、さらに30分弱でツェルトに帰着した。ここで1時間の休憩を取って、水を作りインスタントラーメンを食った。朝からの疲れが胃袋の中で癒されるようだ。至福のひととき。

 ツェルトをたたむと再び下山を開始した。あいかわらずトレースは消えてしまっている。例の4人パーティーのテン場を通過するが彼らのテントは既になく、どうやら下山したらしい足跡がここからははっきりとついていた。ジグザグのトレースはその間をショートカットする形でシリセードしまくって、下山時間を少なくとも3分の2程度に短縮できただろう。私にとってシリセードはスキーに代わる新しい楽しみの発見だった。それにしてもヨレた脚でも下山できるとは雪山ならではだ。夏ならこうはいかない。御座石鉱泉に着いたのは午後4時過ぎだった。

 御座石鉱泉で下山の手続きをし、車を出したのは4時40分。神戸に帰るにはまあまあの時刻と思えたが、現実はそんなに甘くはなかった。この日は連休最終日だったので高速道路はあちこち渋滞していて、結局神戸に帰着したのは午前2時過ぎ、床についたのは2時半になっていた。極限状態でやっと眠りについたが、翌日は仕事だったので土曜日から3夜連続4〜5時間睡眠となってしまった。単独行というのはついついこうした無理をしてしまう。仲間と一緒ならいろんなことが随分楽なのだが・・・。


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