日々のことば

作成日:1998-07-03
最終更新日:

このページでは、日々、気付いたことばについて記録する。 他のページと同じく、日付けの新しい順から古い順に並べ直した。 2004年からは、「ことば日記(2004年)」に記録している。


牛の牛肉 ふたたび

つれあいが昼間テレビを見ていたとき、長嶋(茂雄)さんが「牛の牛肉」を言っていたという。

私は仕事場で、うっかりマニュアルに「各プロジェクトごとに」と書いていたので、 きっと長嶋さんと精神が呼応したのだろう。

後記:今ではマイクロソフト社のワードで上記のような文を書くと、 「各」と「ごとに」に波線が引かれて<重複しています>とのありがたいご託宣をくれる(2016-06-10)。

No1

つれあいが、広告を見て笑っている。何のことかと思ったら、チラシがおかしかったらしい。 宅配サービスのチラシの上部にあった見出しが、つれあいにはこう見えたという。

添加物NO1

他の業者の宅配物より添加物が多いのを自慢している、と思ったらしい。 いくら何でもおかしいと思い、よく見たらこうだったという。

添加物NO!

チラシの制作者の方々におかれましては、受け取り手が誤解しない配置や字体について、 よく考えて下さい。お願いします。

お直し

古今亭志ん朝の「お直し」を聴く。真面目な私は郭噺が苦手なのだが、 それでもだんだんと引き込まれてしまう。しかし、オチが理解できなかった。 真面目に聞いていなかったのか。 でも、落語を真面目に聞くというのもおかしな気がする。まあとにかく、 笑いたければ笑いたいように聞くのがいいだろう。それで、噺の粗筋をインターネットで調べた。 これでわかった。今度は素直に笑えるだろうが、笑い方が素直でないなあ。

絵文字

通りがかった美容院の前に、次のような手書きの貼り紙が出ていた。

5月4日、5日はお休みとさせて頂きます m(__)m

絵文字の威力、おそるべし。

看板と落書きの観察

最近目が悪くなってきた。おまけに、見えているけれど、観ていないことが多くなった。こんな具合だ。

散歩をすると、こんな看板が見えた。

日本人ら鮒釣研究所

「日本人よ、立ち上がれ。伝統の鮒釣を愛せよ」という愛国心溢れる研究所かと思ったら、 よく観ると次の通りだった。

日本へら鮒釣研究所

川沿いの公園にベンチがあり、そのなかに汚い落書きがある。○○という女性への賛辞である。

○○、バカら、君を愛している。

愛のことばなのに、バカというのはおかしい。それに、なぜ複数なのだろう、と思ってもう一度観た。

○○、心から、君を愛している。

雑貨屋での観察

言い換え

国立国語研究所が、 「分かりにくい外来語を分かりやすくするための言葉遣いの工夫についての提案」 を、2002年12月25日発表した。 具体例は国立国語研究所のホームページの中にある、 「外来語」言い換え提案(www.ninjal.ac.jp)からたどることができる。 実際の提案は pdf になっているのでそちらを見ればよい。 わたしも少しは考えてみようとした。 たとえば、「ライフサイクル」だが、ここにはないことばで「輪廻」あるいは「輪廻転生」ということばがある。 しかし、これでは却ってわからない人が出てくる可能性が大きい。 また、「ライフライン」は「命綱」とも言えるだろうが、比喩的意味が強すぎる。 なお、「コミットメント」は、ISO 9001 に出てくることばであり、1994 年版に基づく JIS では「責務」と訳していた。 2000 年版に基づく ISO では、「コミットメント」とそのままの形で使用している。

そして、この中には取り上げられていないことばも多くあることに気付いた。 たとえば、「アイデンティティー」、この説明は難しい。 また、いつもわからずに恥を書きそうになるのが「イデオロギー」。 ホームページを見る人、という意味で使う「オーディエンス」、 最後のよりどころ、という意味の「セーフティネット」などがある。


国際旅行

つれあいとあるとき話していたら、たまたま自分たちの新婚旅行を思い出した。つれあいに、 「そういえば、新婚旅行の前にも一人でたくさん国際旅行へ行っていたんだよな」 つれあいが怪訝そうな顔をするので、さらに進んで私は話を進めるが、つれあいが乗ってこない。 どうしたのかと聞いてみると、「だって、『国際旅行』っておかしいんだもん」 少し考えてみたら、確かにおかしい。ふつうは海外旅行という。 でも、なぜおかしいのだろうか。一方で、空港の発着は国内線と国際線であり、 海外線とはいわない。少し考えればわかりそうな気がするが、 最近考えるのが面倒なので結論は出せない。

昔、高校の倫理社会の時間で先生が「公衆便所とはいうが大衆便所とはいわない。 大衆演劇とはいうが公衆演劇とはいわない。これらから公衆と大衆の区別がわかるだろう」 と説明してくれたことを思い出す。当時は若かったからわかったような気がしたが、 今はさっぱりわからない。


くりくり

NHK のニュースを見ていたら、字幕に「くりくり」ということばが見えた。 ニュースで「くりくり」とは可愛いなあ、と思ってよく見たら、 全文は(ひったくりの常習犯が話題になっていて、その常習犯が越谷、草加市内で) 「ひったくりくり返す」だった。前の「くり」と後の「くり」の間に「を」を入れればよかったのに、 とつれあいは言っていたが、私が思うに、ニュース作成者は意地であえて入れなかったのだろう。 この話を書いていて、今はなき連想ゲームのワンワンコーナーに「くりくり」ということばは出たかなあ、 と連想するのだった。


おさめる

職場の同僚と飯を食っているとき、おさめる、という動詞の漢字の使い分けをどうするのかが話題になった。 特に「納める」と「収める」の使いわけをどうすればいいかが私にはわからなかったので、同僚に聞いてみた。 若い方の同僚の答はこうだった。「納める」のは「納品」、「納入」、「納税」のように自分から相手に渡る向きのとき、 「収める」のは「収入」、「領収書」、「買収」のように、相手から自分に渡る向きのとき使うのではないか。 なるほど、こうすれば使い分けがわかる。理屈ですっきりと分ったのは収穫だった。ただ、 人が使うときは目くじらを立てないでおこう。そして、他にも漢字がわからない動詞があるときは、 私はひらがなで書いてごまかす。皆さんも目くじらを立てないでください。


ビルの名前

家の近くに、大きな看板で「ワチビル」と書いてあるビルがある。 この看板を見ると、いつももう少しで「くちびる」と読んでしまいそうになる。


シュチー

あるカレー屋でビーフカレーを食べた。その店の看板には「特製ビーフシュチー」とあった。 酒池肉林というぐらい沢山ビーフが入っている、わけではなさそうだった。 少なくとも、ビーフカレーにはあまり肉は入っていなかった。


笛吹きさんからのお便り

「とうかん」と「地口」の話題について、笛吹きさんがお便りを寄せてくださいました。 感謝のしるしに、そのお便りをのせさせていただきます。

おはようございます!
「頭」を「ず」と「とう」に読み分けるのは、基本的には「ず」と呉音で読むか「とう」と漢音で読むかという問題 でしょう。
  漢字の日本伝来ということでいえば、まず5,6世紀ごろ(奈良朝以前)、中国南部の呉の地方(揚子江下流沿岸) の漢字音が伝わりました。それが呉音です。つぎに、8世紀ごろ(奈良から平安にかけて)中国北部の漢中地方(昔 の長安、いまの西安あたり)の音がはいってきました。それが漢音です。漢音を伝えたのは、遣隋使、遣唐使に派遣 されてかえってきた人たち〜つまり、当時の超エリートです。彼らが、日本で学んでいった呉音は、中国では通じな かったので(あたりまえですが)「正しい」発音である漢音を使おうという運動をおこし、呉音は人々のあいだに定 着していたため守旧派と大論争になりました。結局、漢音派が勝って792年(延暦11年)には、大学寮の学生に 正音である漢音を学べという詔勅がでました。
こうして、次第に漢籍=儒学関係は漢音で、仏教関係は呉音でという棲み分けができてきました。江戸時代は儒教が 盛んになったので、それまで呉音よみされていた漢語のかなりな部分が漢音よみされるようになったらしいです。こ の傾向は幕末から明治中期にかけても続いていました。にもかかわらず、呉音読みの漢語もまだがんばっているって ところでしょうか。
頭(とう)が機能的、比ゆ的で、頭(ず)が解剖学的、形態的というのは後からした説明のような気がしますね。 頭巾、竜頭などは複合語という感じがあまりしない語ではありますしね。わりと「ずきん」「リューズ」という風に うけとっているのではないでしょうか?とうきん、りゅうとうとは変わりにくかったのでしょうね。(関係ないけど 、「如雨露」だって、「雨露の如し」と意識して使っている人は少ないと思いますよ。おそらく、「ジョーロ」と思 ってるのでは?関西人は「ジョロ」という人も多いです。)平安時代に「頭中将」とか「蔵人の頭」とかいう言い方 があるので、そのながれで「頭取」「会頭」などというのでしょうか。
地口は、近世の浄瑠璃や歌舞伎なんかの道行文にやたらとでてきますよ。何をみても、いやっちゅうほど。ではでは。
P.S.「饅頭」の頭(じゅう)は唐音ですよ。

この話をしたら、つれあい(広島生まれ広島育ち)は「そういえば、昔はじょろといっていた」とのことだった。

5月5日、散歩をしたら「五十旗頭」という看板があり「いおきべ」とヨミガナがあった。頭をベと読むのは始めてだった。


牛の牛肉

あるホームページから、つれあいが採取した例です。「○月×日に新しくリニューアルしました」

とうかん

つれあいに頭寒足熱のことを「とうかんそくねつ」と言ったら笑われた。 「ずかんそくねつ」が正しい読み方だそうである。 「頭」を「とう」と読むか、「ず」と読むか、規則性があったように思うが、忘れてしまった。 「づ」が解剖学的、形態学な観点から(頭巾、頭痛、竜頭、頭が高いなど)、 「とう」が比喩的、機能的な観点から(頭取、会頭、教頭、筆頭、出頭など)と いう記述をどこかでみたような気がする。 (では「頭髪」、「頭皮」、「頭部」はどうしてトウと読むのか、という疑問は湧く)。 正しいことを御存じの方はお知らせください。 もう一つ利口になったのは「ヅ」ではなく「ズ」と読みがなをふることだった。

地口

ある仲間と飲んでいて、 「恐れ入谷のキシボジン」といったらこのしゃれは私より十歳若い者には通じなかった。 おまけに、二十歳年輩の方には「これはキシモジンと読むのが正しい」というお叱りを受けた。 この際だから若い衆に「その手は桑名の焼きはまぐり」は知っているかと尋ねたら知らないという。 今度は別の二十歳年輩の方に「桑名では水質汚濁が進んではまぐりが取れなくなってきているそうよ」 とたしなめられた。外堀も内堀も埋められていく。私は切れてしまい「何だかんだの秋葉原」とか、 「そうか越谷千住の先よ」とありったけの地口を並べて悔しがった。 (註:このときは出なかったが「ああ旨かった、牛負けた」というのも知っている) 溜飲が下がったのは、先に「キシモジン」を指摘した方が、 この手のしゃれの総称を「地口」ということを知らなかったことだ。

そういえば、この地口を勤務先でも得意になって使ったところ、十歳年上の方が 「ホテルニュー越谷もあるね、これは違うか」とボケていた。これには驚いた。


クルー

勤務先の近所の肉屋のガラスに「クルー宅急便」とあった。船員が運ぶのかと思ったが、 直に「クール宅急便」のことだとわかった。


公共料金

信用金庫のポスターを見たら、信金でできることとして「五大公共料金」というのがあった。 隣のポスターには「5大公共料金」とあった。 出費が大きいという意味なのでしょうか。


イメージ写真

ある住宅の広告に、弦楽四重奏コンサートの「イメージ写真」と称する写真が出ていた。 ふつう、弦楽四重奏といえば、ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロの組み合わせだが、 この写真はヴァイオリン1の他は、バンドネオン、ピアノ、コントラバスの、 いわゆる「キンテート」であった。イメージだから、いいのでしょうか。


二つの読み方

ニュースを見ていると、もうすぐ始まる大相撲九州場所に備えて稽古をする、 部屋の親方に対するインタビューをやっていた。インタビューする記者は、 さかんに「まくのうち」ということばをいっていた。俺は「あれはまくうちと読むのでは?」と 疑問に思った。すると、インタビューに答えた親方は「まくうち」といっていた。 私が正しく、アナウンサーが間違っていた。

しかし、この「の」が入ったり入らなかったりは結構微妙である。 いってしまえばただの慣習であろう。「の」の有無で伝統が破壊されることもないだろう。 昔、私がものごころ着いた頃、丸い緑の電車は「やまてせん」だった。 ところがいつからか、これを「やまのてせん」と呼ぼう、という運動が起こり、 ある日から「やまのてせん」になった。そんなもんだ。

私の住んでいる街は越谷市であり、「こしがやし」と読む。昔は「越ヶ谷」と書いていた。 今でも越谷市の字(あざ)には越ヶ谷がある。 東武伊勢崎線の新越谷駅には駅近辺の案内図があり、その図の上部は 「新越 谷駅周辺地図」となっている。 最初に作られたときに「ヶ」の字を入れてしまったのだろう、剥がした跡がある。 ついでにいえば、越谷と書いて「こしや」とよむ名字の知人がいる。

高校のとき、「三矢」と書いて「みや」とよむ名前の同級生がいた。 いつも先生は「みつや」と読んでしまう。すると、三矢君は伊武雅刀ばりのいい声で 「みやです」といつも答えていた。この答が同級生にはずっと受けていた。

二つの言語

あるビルでこんなポスターを見た。バッハ没後 250 年を記念してのコンサートである。

"Hommage à Bach"

バッハはドイツ人なのに、フランス語を使っていいものだろうか。 もっともドイツ語ではどのように言えばいいのか、私には分からない。

二重否定

私は、ある人に「私が***をすることはやぶさかではありません」という返事を出した。 辞書を調べてみたら驚くべきことに、「やぶさかではない」は「喜んでやります」の意味だった。 つい二重否定のように「どちらかといえばやってもいいですよ」の意味で書いたので、 これはどうも間違いのようである。

伝言ゲーム

ある人から、伝言ゲームの例が紹介された。

もとのことば
山中の賊を破るは易し、心中の賊を破るは難し。(新渡辺稲造)
変換後のことば
三十の後家を破るは易し、四十の後家を破るは難し。

類義語の区別

中小企業診断士の勉強で政府の施策を覚えているのだが、似たことばが多くて困る。

きっと使い分けをしているのだろう。自分で調べないといけないかな。

あとで翻訳関係の雑誌を見ていたら、英文和訳の翻訳の方のお話に「使用と利用と活用のどれを使うか、 悩ましくもあり、楽しくもある」ということばがあった。感心した(2001-05-06)。

註:政府刊行物では、利用と活用の違いをごまかすため、「利活用」ということばを使っている。(2004-05-30)

註:ある人が「やっと『虫酸が走る』という言い回しが活用できるようになった」と述懐した。そこで私は、 「ほう、じゃ『虫酸が走らない』『虫酸が走ります』『虫酸が走る』『虫酸が走るとき』 『虫酸が走れば』『虫酸が走ろう』と言えるようになったのか」と突っ込んだ。 でも、「虫酸が走ろう」ということばはないな。(2004-05-30)

聞き間違い

ニュースを聞いていると、聞き間違いばかりする。

臨場感

これはつれあいが見つけた記事である。チラシに新しいマンションの広告があった。その売り文句に 「臨場感溢れるエントランスホール」というのがあった。エントランスホールはそこにあるのだから、 臨場感もなにもないだろう、というのがつれあいの意見だった。

きとうときこう

ニュースがあった。「容疑者は、死んだ子どもに対してきとうやきこうをすれば生き返ると親に告げ、、、」。 これを「亀頭や奇行をすれば」と聞いてしまった。5秒ほどして「祈祷や気巧をすれば」のことだとわかったのだが、 すっかり頭がオヤジになっている。


のも

帰り際、投資信託の店の前を通りかかると、次の画面が写っていた。

投資信託は(中略)お客さまの元本を保証するのもではありません。(後略)

エ スティ

近くの美容室の看板に、黒地に白字で「エ スティ」とある。エとスの間の空白が気になっていたのだが、 どうやら長音のーを誤って書いてしまって、それを消した跡がよく見るとあった。

あるアパートを見ると、壁に「シャーロック ホームズ」とあった。

別のアパートを見ると、看板に「フラッツ アンダンティーノ」と書いてあった。 アパートを表す単語にフラッツを使ったのは、音楽のわかる人のしゃれなのだろう。

5

会社の同僚が、地元の子供達のサッカーチームの監督になったという。 いろいろと悩みごとがあるらしい。その中に、チーム名がある。 なんでも、サッカーの練習場の確保に尽力してくれたのが○○5丁目町内会の会長さんで、 その会長さんの意向でチーム名にぜひとも「5丁目」の文字を入れないといけないのだそうだ。 しかし、同僚は受け入れたくないようなのだ。5丁目をあからさまにすると、 他の○○の5丁目以外の子供達がこれから 入ってこなくなり、チームの存続が危うくなるから、という理由だ。 この同僚と別の同僚が話し合って、妥協案として5を意味する外国語を使おう、ということになった。 そこで監督が「何かラテン系のことばで、5を意味するかっこいいことばがないですか」と私に尋ねてきた。 では、といって私は「ネーミング辞典」を貸した。この辞典には、イタリア、スペイン、フランス他、 7種のことばで、身近なものの名称を説明してある。 知人は結局、フランス語の5である「サンク」をつけることにした。最初はイタリア語を予定していたが、 「チンケ」ではどうも語感がよくない、スペイン語の「シンコ」も同様、とのことだった。 5ではなくて、11の数字も試しに見てみたが、イタリア語で「ウンディーチ」になり、ますますだめだ、 ということになった。
ちなみにその「監督」がメガネをかけると、トルシエ監督にそっくりだ (2000-04-01)。

たわもの

家具屋のチラシにこんな文句があった。

この度、「○○家具△△店」はおかげ様をもちまして開店5周年を迎えることができました。 これもひとえに、地域の皆様の温かいご支援のたわものと深く感謝申し上げる次第でございます。

「たわもの」というのを最初は「つわもの」と読んでしまった。本当は「たまもの」だろう。 家具屋だからたわむものに敏感なのか(2000-02-20)。

後記:「たわけもの」でなくてよかった(2016-06-20)。

アクセント

最近,「月下の棋士」というテレビ番組をみた。原作は、あるマンガ雑誌に掲載されている、 将棋の棋士を主人公とした物語であり、 これを人気男優が主演している。それがためか、けっこう人気が出ているようだ。 この番組を見て、おかしいと思ったのが、「棋譜」の発音だった。主人公のみならず、 出演者全員が「棋」を低く、「譜」を高く、しりあがりの発音をしていた。

舞台は大阪だから、大阪弁か関西弁なのかという仮説を立ててみた。 しかし、わたしが聞く限り、関西のプロ将棋棋士でもしりあがりの発音をする人はいない。 不思議に思って将棋のメーリングリストで尋ねてみたが,明確な答は得られなかった。 それでもわたしと同じ違和感を持つ人がいた。

わたしが立てたもう一つの仮説は、「内輪における専門用語の語尾上げ化」だった。 これは何かの本で読んだのだが,忘れてしまった。 さて、この場合の内輪というのは、芸能界という彼らの居場所と、将棋界という彼らが 演じる世界の両方を意味している。彼らの中ではある特定の世界に浸ることが日常茶飯事 に行なわれているから,専門用語はすべて語尾上げ発音になってしまうのだろう。 だから、もう少しこの番組を見て(聞いて)、将棋用語がすべて語尾上げになっているかどうか 調べてみる必要がある。

後記:その後、特に注意しているわけではないが、棋士が将棋を解説しているのを聞いていても、 将棋用語が語尾上げされている例はめったにない。考えられることとしては、「棋譜」を語尾上げで読むと、 「棋風」(その棋士の将棋の指し方の一定の傾向)と間違えやすいからではないか、ということである。 「棋風」ということばもよく用いられ、しかも語尾を上げるからだ。

看板

列車の窓から、妙な看板が見えた。

○×工業(株)設建×○

どうも、○×グループのオーナーが、○×工業(株)と○×建設(株)の(株)の部分を共有させて 読ませたかったのだろう。(1999/10/16)

言葉遣い

列車に忘れ物をした。運良く見つかったので保管してある駅に行き、取りに行った。その場での会話。
私「みどりのかばんをなくして取りに来たのですが」
駅員「かばんですか、緑のかばんはないな」
私「電話で尋ねたら、あると聞いたのですが」
駅員「みどりのならナップザックでしょ、それならあるよ」
私「それです」
駅員「かばんとナップザックは違うでしょ、区別しなきゃ」
わたしはムッとしたが、荷物を取りかえさなければならない。渋々うなずいた。
この窓口に、今月の目標という札があった。「お客さまに不快感を与えない言葉遣いをしよう」(1999 10/11)

聴象

コンサートで渡されたパンフレットのあいさつのことば。

「(前略)生の演奏会は演奏家と聴象が共に楽しみ、 歓喜し、心を豊かにするものだと思います。(後略)」

耳をダンボにして聴け、ということか。(1999 5/13)

新たな新コーナー

ニュースステーションで、長島三奈が「新たな新コーナー」といって、久米宏に突っ込まれていた。(1999 4/23)

竹の子族から

今朝の新聞から

「沖田浩之さんは川崎市の高校に在学中(中略)「竹の子族」からスカウトされ(後略)」

最初、沖田さんが「竹の子族」なる事務所からスカウトされたのかと思ってしまった。本当は 「沖田さんは竹の子族として活躍中、芸能界にスカウトされ」の意味なのだろうな。もっとすっきりした 言い方はないのかな。高校在学中、とか、卒業後在職中とかは言えるが、竹の子族在族中、とはいえないなあ。 (1999 3/28)

耳触り

本屋で流れていたラジオ放送から「都知事候補者は耳障りのいいことしかいいませんが」 こんなセリフこそ耳障りである。(1999 3/18)

喫茶店

勤務先周辺を散歩していたら「俺」という名前の看板があった。 何の店だろうと思ってまわりもみると、どうやら喫茶店である。 妙な名前だと思い、「café 俺」と書いてある看板を心に焼き付けて立ち去った後 数秒して、やっとこう名づけた店主の気持ちがわかった。(1999 1/4)

電話を差し上げます

ある雑誌に載っていた、敬語の使い方でこういうのがあった。たまたまその場にいなかった人あての電話で 「こちらからお電話を差し上げるよう伝えましょうか」と答えたほうがマナーがよいかもしれない、ということである。 それはそうなのだけれど、こういうとき普通私は「電話をする」ぐらいしか言わない。 どうしてだろう、と思って連れ合いに話すと、「電話をもらってもうれしくないからじゃない」という答だった。 確かに二人とも電話で話をすることは苦手だ。蛇足だが、電話機をもらうのはやぶさかではない。(1998 12/13)

ビーフラット

付近を散歩していたら「ビーフラット」という看板があった。「牛肉とねずみの組み合わせは変だな」と思ったら 「B-Flat」と脇に書いてあり、ごていねいにフラット2つある楽譜まであった。 ちなみに、美容院の名前である。(1998 9/13)

警視総監

連れ合いがテレビを見ていた。その中に色々な人が語る日本語像というのがあった。 その中で連れ合いが覚えていた話である。
井上ひさしさんは、「警視総監」と聞くと「近親相姦」を思い出すそうである。

色川武大・阿佐田哲也の世界

1998年9月6日、東京国際フォーラムAギャラリーで開かれている回顧展につれあいと二人で行ってきた。 つれあいをこういうところに連れてくるのはどうかとも思ったが、まあいいと判断した。 三十分ほどで出ようとしたが、途中で彼の生涯を紹介するビデオテープが放映され、 ついひきこまれてみてしまいかなり長くいることになってしまった。 「阿佐田哲也」のペンネームのいきさつが紹介され、連れ合いは笑っていた。
このビデオで紹介されていた語録には、うならせるものが多かった。ただきちんと覚えているわけではなく、 うろ覚えのを載せても故人に失礼である。ここでは掲載をあきらめる。

付記:ある記念誌に、「徹也」さんの名前が誤って「徹夜」さんになっていたのをみたことがある。

ドラ1

夕刊紙を見ていたら「よりどりみどり、今年のドラ1」という文句が目に入った。 そういえば麻雀をやってないなあ、「ローン、メンタンピンドラ1」なんて声をかけたのも昔だなあ、 しかしなんで甲子園に麻雀が出てくるのかといぶかしく思っていたら、 どうやら「ドラ1とは」ドラフト1位のことだったようだ。(1998 8/21)

そそぐ

つれあいが、コーヒーを買ってきたらもれなくついてきたというグラスを見せてくれた。 そのグラスの箱には「活気をそそげ」と書いてあるが、私には「活気をそげ」と見えた。 (1998 8/21)

あなたがた

1998年7月26日、つれあいと町に出たところ、なんとか高校の放送部員からインタビューを受けた。 内容はどうでもいいものだったが、翌日つれあいが「あのインタビューおかしいと思わなかった?」と私に聞いた。 私はあんなものじゃないかとこたえたが、「あの女の子、私たちに向かって<あなたたち>って聞いたでしょう、 あれおかしいと思わない」というのだった。そういえば確かにそういっていた、あれには違和感があった。 「ああいったとき普通どういう?」と重ねて聞かれ、<お二人は>とか<お二方は>というんじゃないかな、と答えた。 私はさらに、二人だったらよかったけれど、一人の場合適当な呼びかけ言葉はあるのか、と問い返した。 つれあいは、「名前がわかっているならその方の名前を呼ぶけれど」と答えたが、 そうでない場合はどうしていいかわからないようだった。そういえば、

よびかけの二人称が思い浮かばない。後者のとき「もしもし」と呼びかけたら連れの人に笑われた。

着くさし

1998年7月19日, つれあいが私にたんすの整理をするよう命令した。 その中に「ちゃんと着くさしを入れているところを作りなさい」というので、あれ?、という顔をしたら、 「一度きたもので洗濯するほどじゃないのを入れておくところ、 たんすに戻すと洗濯したものと区別がつかなくなっちゃうでしょう」というので、 その場はわかったつもりになって整理を続行した。
整理を終えて、着くさし、って聞いたことがないんだけれど、というと、「ほら、何か途中でしかけている、 という状態のこと、食べくさしとかいうでしょ。」とのこと。それなら食べさしっていうがな、と答えると、 「うーん」。
辞書(新明解国語辞典第五版)で調べると、「くさし」では載っていなかった。 「さす」の用例で「しかけた事を途中でやめる」とあり、用例に「言い−」とある。 つれあいのことばによれば、「食べくさし」「着くさし」のほかに 「読みくさし」「 飲みくさし」というそうだから、なんとかくさすというのは辞書のなんとかさすと同様らしい。これは広島の方言なのだろうか。 ご存知の方はメールで連絡ください。

追記:Webページの中に、ある方が集めておられる広島方言集があった。 これによれば「食いくさし」あるいは「食べくさし」は「食べ残し」の意味であるという解説があった。

かんたま

スネークマンショーの「かんたまきゆい」と同じことば遊びを考えてみた。 1998 7/12に、つれあいといっしょにお好み焼きを食いに行った。 満足したので「ああ、今、猛烈に、いなかが、おっぱい。」と行ったら顔を背けられた。
これは自業自得なので仕方がない。問題は、こういうことば遊びがどう名づけられているかが思い出せないことだ。 英語ではきちんと名前がある。その現象・行為を現すその名前はある人の名前からとられたそうで、 その人は絶えず「かんたまきゆい」のような間違いばかりしていたのだそうな。

追記:ついに名前がわかった。スプーナリズム(Spoonerism)がそれで、Spooner さんが件の人だとわかった。 いきさつはスプーナーさんに乾杯に書いておいた。

参考文献:郡司利男「ことば遊び12講」大修館書店
つれあいがたまたま持っていた。 郡司先生に習ったこともあるという。(1999/10/16)
郡司先生はお亡くなりになったそうだ。合掌。(2000-03-19)

もじり1

1998年7月4日、目やにをいじっていたら連れ合いに汚いといわれた。 悔しくて「壁に白蟻、障子に目やに」と言い返したら、やだー、と叫ばれそれで終わった。 ちなみにこの言葉は「壁に耳あり、ジョージにメアリー」とか、もじるのに使いやすい。

谷川俊太郎さんの朗読

1998年7月4日、谷川俊太郎さんの朗読とDIVAのコンサートに行ってきた。
谷川さんの朗読はうまい。もう30年以上やっているというのですね。 ことばあそびうたのなんか、本当にこう、のせられた。
DIVAというのは、(詞ではなく)詩に曲を付けて歌おうという3人組。 ピアノの谷川賢作さんが俊太郎さんの息子である。この人たちの歌もこう何か救われるようなものだった。
DIVAの歌は谷川俊太郎さんの詩につけたのが多いのだが、 他の詩人の詩への曲もあった。まどみちおさんの「駅のホームで」という詩である。 大意は「駅でくちにこみあげるものがあった。ちりがみがない。 あわてて駅をあちこちさがすと、たんつぼがあった。始末してすっきりしたあと、 たんつぼを掃除する人へ感謝する」というもの。この詩自身がおかしい。 ネタもさることながらことば遣いもおもしろく 「たんつぼの そうじを なさる ひと」とか 「おもっても みなかった ひとが いらっしゃるのだ」という敬語が新鮮だった。 この詩はあとで谷川親子の話の種にもなった。さらにおかしかったのは、 このコンサートに行く前に、「スネークマンショー海賊版」を買ってしまったこと。 これに入っていたのはどんなネタだったかな、としばらくの間わからなかったが、 翌日聞いてみてあの「たんつぼ小僧」があるのを確認したのだった。

そんなことはどうでもいいが、谷川さんの話で印象に残ったことが二つある。 一つは、詩を国語の問題に使うことについて。これは営業妨害であるといっていたこと。 これはわかる。

もう一つは、年を取るというのは一直線に年を重ねるのではなくて、 年輪が育つように子供のところを残しつつ老人のところも現れる、 社会人は子供のところを押さえているが自由業の私のようなものは子供のところが残っているということ。 こういってなるほどと思っていると、しばらくして年を取るという話題がもう一度出てきた。 司会が賢作さんに、俊太郎さんはそんなところがありましたか、とたずねると、え、何のことですか、とたずねかえす。 俊太郎さんは、さっきいったじゃないか、年を取っても中身には 餓鬼みたいなところがあるんだと。 私にはこの餓鬼ということばがやっぱりな、と思えたのだった。

コンサートが終わって、俊太郎さんのサイン会があった。私は昔からもっていた「コカコーラ・レッスン」にサインをしてもらった。

注:「駅のホームで」は、「まどさんの詩の本 人間いきてる」(理論社)に収められている。

人工知能学会

1998年6月18日、人工知能学会に行ってきた。ほんの少ししか聞かなかった講演のうちの挿話である。 自動翻訳(機械翻訳)に苦労した先人の話で有名なものがあるとのこと。

原文

He is a boy.

訳文

ヘリウムは少年です。

「時蝿は矢を好む」もいいけれど、これはもっと好きです。

注:英語としては、単に "Time flies." とのみ述べるのが自然なのだそうである(2016-06-10)。

聞き誤り2

1998年5月か6月,タモリ倶楽部で「空耳アワー」の総集編をやっていた。 グランプリは、サッチモの歌う「できればスパゲッティ」だった。確かにそう聞こえるのだ。元歌をご存知の方は教えてください。 これ以降、妻と出かけて「何食べたい」と聞かれると、決まって「できればスパゲッティ」になった。

全然関係ないが、セサミストリートの歌の"How to get to Sesame Street"が 「"初月給セサミストリート"に聞こえる」という投書があった。

聞き誤り1

1998年6月のある日、岡江久美子の話。 「子供たちにかきフライを作ってあげたの。 おいしい?って聞いたら 『ママのがいい』っていうから、 できあいのものに比べてやっぱり手作りのがいいんだな、 って喜んでたの。 そしたら話がどうも違っていて、 子供たちは「生のがいい』って言ってたんだって。がっかりしたわ」
岡江久美子自身、連想ゲームで数々の名解答を生み出した人である。

井上ひさしさんの講演

1998年6月6日、隣町に井上ひさしさんが講演に来たので聞きに行った。 やはり本題(「脳とことば」)より脱線した話題がおもしろかった。 こんなのがあった。「言葉をしゃべるというのは、 人間の資質の中でもっとも重要なもののうちの一つです。 −−−、あれ、もっとも重要な、というからには一つしかないのに、 そのうちの一つなんていっているのは重要なものはたくさんあることになり、 形容矛盾ですね。」

確かに形容矛盾なのだが、私はこういった表現を最近はおかしく思っていなかった。 原因は英語である。"one of the most important things"としても、 英語を話す人は特に形容矛盾とも思っていないということをどこかで聞いた。 これを鵜呑みにしたためか、日本語の語感に疎くなってしまっていた。

まりんきょ学問所ことばについて > 日々のことば


MARUYAMA Satosi