英語について

作成日:1999-10-21
最終更新日:

1. はじめに

最近、英語は使うこともなく、これから使いたい気持ちもますます薄れていく一方だ。 今でこそこんな状態だが、昔は英語が新鮮だった。 いつからこんなことになったのだろう。今から昔まで時間を逆にたどってつづる。

ただいえることは、今の私には英語はもういらないものだ。 だから、これからも使う必要もないものを磨いても仕方がないと思っている。 また、構造の複雑な英語に肩入れすることは、 英語のできる者とできない者の格差をますます広げることになるだろう。 このように明るく諦めている。

「英語力」を説明する指標として手っ取り早いのは各種検定試験の成績だろう。過去の成績はこうだった。

英検1級一次試験と二次試験がある。1986 年挑戦時は一次試験で not passed A、 1993 年挑戦時に一次試験で not passed B だった。

TOEIC は初めて受けたのが1994年、この年は790点ほどだった。 その後、年1回受けるたびに20点から30点ほど前回より下回るようになった。 それではいけないと勉強して 2002 年 6 月に受けた結果は、 835 点 (listening 400 点、reading 435 点)に上がった。 これは別に英語の勉強をしたからではなく、TOEIC の勉強をしたからだ。

いずれにせよ、英語力は確実に落ちている。 いつがピークだったかというと、大学受験時なのだろう。

2. 英語はどれだけ必要だったか

必要というのが何に対してか,ということにもよる。 仕事に対してということだと、こんな感じだろうか。

読む、ということなら、社会人生活の前半は研究部門に在籍したこともあり、 だいぶ行なってきました。 しかし、30歳を過ぎてからはほとんど必要性を感じなかった。

書く、ということでは、逆に30歳までは全くしなかった。 これは研究部門に在籍していたにもかかわらず、何も情報発信をしなかったということであり、 恥ずかしいことだ。 その後は、必要にせまられて電子メールでやりとりができる程度のことはできるようになった。 電子メールというのはありがたい。旅の恥はかき捨て、というが、 電子メールも「書き捨て」に近いものがあり、もっとも私にとってはありがたい媒体だ。

聞く、ということに関しては、同年代の平均よりは多少できるかな、とは 思っている。それでも込み入った英語、速い英語はお手上げだ。

話すのは、今まであげてきた能力のなかでもっとも劣る。 だいたい日本語においてさえ一般的な日本人に比べて見劣りすると感じる。 いわんや英語においておや。

3. 初めての外国旅行

私が初めて外国旅行をしたのは30歳のときだった。 行かずにすめばそれに越したことはないのですが、 いつ用事ができるとも限らない。それならば観光旅行で場慣れしておいたほうがいいだろう。 だからちょうど、酒友達 Koike さんから旅の誘いがあったとき、ほいほいと乗ってしまった。 Koike さん曰く、こんなに「まる」が乗ってくるとは思わなかった、と。 Koike さんの誘った時期は、私にとって実は非常識な時期だった。 だから、Koike さんも私を誘うのをためらった。 しかし、その時期に行こうとけしかけたのは私だ。 非常識な時期に休暇を取った私に対して、私の上司はあきれた。 しかし、もう多くは語るまい。

場所はオーストラリア。治安はいい、英語は通じる、時差ぼけは少ない、 他にもいろいろ都合がいいことがあった。 分担は、Koike さんが車の運転を、私が英語を使った各種交渉を、というものだった。 私は免許をもっていないし、Koike さんは多少英語を苦手としていたことから、 自然とこんな分担になった。

畳の上の水練だった私の英語がどの程度通じるか、私は恐れていた。 しかし驚くべきことに、私の英語はほぼ通じた。 シドニーの空港では飛行機の乗り換えに遅れてしまい、本来乗るべき飛行機に乗れなかった。 Koike さんはあせったそうですが、私はとにかく窓口に行って、 乗り遅れた(I missed my airplain. のような英語だったように思う、この my はへんだよな) ということを伝えた。 すると、 窓口の人は次のかわりの飛行機を手配してくれた。こんな感じで万事すんだ。 カバンをなくしたとか、病気になったとか、そういう重大な事件にはならなかったことがありがたかった。

わたしが参ったのは、Koike さんの飯のことだった。 あるときKoike さんが「ラーメンが食べたい」と言い出した。 私は思いとどまるよう説得したが、彼は聞かない。 仕方なく中華料理屋へ行き、ラーメンを頼んだ。そのとき私は、 noodle with soup ぐらいしかいいませんでした。 すると出て来たのは甘酢あんと汁がかかっている麺で、 味付けが甘く、Koike さんは文句たらたらだった。 Koikeさんは次の日、懲りずに「もっとラーメンらしいのが食べたい」というのだった。 私は「もう諦めたら」となだめたが、Koike さんは強硬かつ粘った。私は Koike さんの粘り腰に折れ、 再度別の店でラーメンを注文した。今度は私はもう少し真面目になり、 「細い麺を、甘くないスープで煮込んでくれ」などとまくしたてた。 出て来たものは前日に比べればもう少しラーメンらしいもので、 Koike さんは少しは満足したようにみえた。 英語というと、こういうことも思い出す。

4. 学生時代

学生時代は、英語の成績はよかった。 ただ、英語が心から好きだったか、といわれると疑問だ。 好きとか嫌いとか、そんなことを考える心の余裕がなかった。

私は高校から大学にかけて理科系の学問が好きだった。 しかし、大学に入ってきた家庭教師の口の半分は、英語だけをやって欲しいというものだった。 私はそのころ真面目だったから、英語だけという注文もきちんと受けた。 中学生相手には、セサミ・ストリートや星新一のショートショートなどに題材を求めた独自の教材を作り、 生徒に英語が好きになってもらうよう工夫した。 タイプライターを買ったのも、自分のためというよりは、生徒達のためだった。 高校生相手には残念ながらそこまでできなかったが、ことばのおもしろさと複雑さを伝えようと、 市販の単語暗記本を使って説明を試みた。

中学生相手のほうはうまくいった。二人一度に教えていたのもよかったのかもしれない。 高校生相手のほうは思ったような効果があがらなかった。申し訳なく思っている。

学生時代、印象に残っている体験がある。 あれは 1980 年代前半のできごとだったか、 渋谷近くの街をブラブラしていたところ、 台湾か中国の出身の方から「渋谷の駅に行く道を教えてほしい」と日本語でいわれた。 ふつうに日本語で道順を答えたところ、「わかった、ところで今時間あるか」と聞かれた。 あると返事をすると「では日本語を教えてほしい」とむこうが切り出し、 私は寿司屋へつれていかれた。 そこでどんな話をしたかというと、今では思い出せない。 「ある」と「いる」はどのように使い分ければいいのか、 という質問に近いかもしれない。 さて、むこうは日本語を勉強中なので日本語がうまくない。 私は中国語がまったくできない。 そうなると、意思を通じあわせるには、英語を使うしかなかった。 二人で寿司をつまみながら、日本語の教科書を肴に英語をしゃべる姿は、 傍からみれば異様だっただろう。

寿司の代金はむこうが持ってくれた。果たしてそれだけの役が果たせたかどうか。 それにしても思い出すのは、アジアの若者二人が英語をしゃべっていたことだけだ。

5. 英語について(その後)

1999年11月23日、Koikeさん、Aさん、Hさんとつれあいと私の5人で 寄り集まって遊んだ。

どうやらわたしのホームページはKさん(Koikeさん)のほかAさんにも読まれていたようだ。 Aさん曰く「まるちゃん、年に20点もTOEIC 落ちたんだって?そんなに落ちるものなの?」 わたしは「使わなければ落ちるものだよ。最初の試験だけはわざわざTOEIC用の勉強をして いたということもあるけどね」と答える。Kさんは、「使わなければ落ちるのは当然だ」といった。

Kさんに誰かが「今度TOEIC 950 点とるの?」と聞くと、「そんなことないだろ」と 気色ばんだ。さらにKさんは英語に向かって怒りの言葉を吐くのだった。 英語が国際的に認められるように、次の3点は直してほしいというのだ。

  1. 綴り字は発音の通りにしろ。
  2. 発音も簡略化しろ。
  3. イディオムをなくせ。

彼の主張をもう少しいえば次の通りである。

1.過去多くのことばは簡略化を断行してきた。ドイツ語しかり、 イタリア語しかり。綴りを見て発音できないのは英語とはおかしな言語だ。 発音どころか、イントネーションまで規則的でないとはなにごとか。 中学の英語を学んだとき、発音記号というものが存在するのに驚いた。 その驚きはずっと持ちつづけている。

2.だいたい"This"の「ず」の音なんか、英語以外にあるのか? そんな大多数の人間が使わない発音など、採用するな。 母音も2重母音やあいまい母音などやめて、あいうえおの5音に統一すべきだ。 ドイツ語やイタリア語は現にそうではないか。

3.についての演説はなかった。

わたしも上記3点について賛同できるので,1.2.については他の証拠を持ち出したり あえて反例を挙げたりして、二人が同志であることを確認した。

さてそこでわたしは「エスペラントはどうですか」と言おうとしたとたん、 「エスペラントはだめ」とKさんはいう。どうしてとたずねると、 こんな趣旨だったように思う。

英語そのものはこれだけ世界で広まっているのだし、 エスペラントに置きかえる必要はない。共通に使えるという意味で、英語の改良でいいのだ。

残念である。それならと持ち出したのがピジン・イングリッシュである。これは、 英語を国語とする宗主国と現地語を使う植民地との間で,意思の疎通を図るために 自然に形成されたことばである。これなら、1.2.3の条件は満たしている。 どうでしょうか、と問い掛けた。Kさんは「ではピジンとはどういう意味か? どこで発達したのか」と聞き返して来た。わたしは正確な返答ができず、 田中克彦さんの本を頼りにしつつ説明した。しかし、わたしは酔っ払っていて どのように説明したか覚えていない。Kさんも酔っ払っていたのではなかったか。 したがって御開きとなった。

お開きとなってからカラオケに行った。俺以外は英語の歌を歌った。Kさんも英語の歌を歌った。 あの「天国への階段」である。エレキギターをやるやつなら必ず最初練習する、あれであった。 その「階段」は通して歌うと7分かかることを、私は初めて知った。

6. fall と fell

今、つれあいは通訳ガイド試験に合格するための講座に通っている。 つれあいがこんなことを話してくれた。 先生がこういったというのだ。

『落ちる』fall の過去・過去分詞はそれぞれ fell, fallen ですね。 でも、『倒す』fell の変化は felled, felled です。ややこしいですね。

驚いた。だいたい、fell という動詞があるとは思わなかった。 辞書で調べると「木を倒す」という特殊な動作でしか使わない他動詞だった。 この一連の話を聞き、「エスペラントは楽でいいなあ。 動詞が自動詞・他動詞のどちらであるかをはっきりさせるには、-iĝ-, -ig- を使えばいいのだからな」 と心の内で思った。しかし、これを口に出してつれあいには言わなかった。なぜなら、 まず、エスペラントの接尾辞 -iĝ-, -ig- のどちらが自動詞で、どちらが他動詞になるかがそのときはわからなかったからだ。 もう一つは、fall をエスペラントで何というかがわからなかったからだ。 調べたら、fall に相当するエスペラントは fali で、英語の fell にはエスペラントの faligi が当たる、 ということがわかった。

英語の混乱はまだあった。某政党のチラシが郵便受けに投げ込まれていたので見てみると、 いろいろな e を実現すると公約している。そのうちの一つは electric とある。ううむ、これはエネルギーとしての「電気、強電」であって、 その公約で述べている情報技術に関するほうは electronic ではないだろうか。電子メールのことを今はほとんど e-mail などと表記する。この e-mail も electronic mail の略である。

どうでもいいが、E 電ということばの E が電気を意味するものだとすれば、 見事な牛の牛肉だなあと思うのだった(2000-05-28)。

7. ワインの英語

近くのフランス料理屋の主人から連絡があった。 「オーストラリアワインの試飲会を兼ねて料理の会を開くから来てみませんか」という お誘いだった。オーストラリア贔屓の KOIKE さんとつれあいと私の3人で出かけていった。 なんでもこの日にワインだかオーストラリアだかの国際見本市があって、 そのためにわざわざオーストラリアからワイナリーの主が3人、この試飲会に来た。 彼等は英語しか話せないが、 通訳がいるから心配することはない、と料理屋の主人はいっていた。 しかし、どうも場の雰囲気からして通訳なしで直接主と相対することになるのではないか、 私には嫌な予感がしていた。果たして予感は当たった。 我々3人は、ワイナリーの主3人のうちの2人と英語で話すことになってしまった。 しかしよくしたもので、ワインの品種に詳しい KOIKE さんと、英語がふつうに話せるつれあいと、 この二人が困った時にいいかげんな語彙を見つけてゴリ押しする小生が、 組み合わせの妙を発揮して、なんとかお互いに意思が通じたようだった。

そうそう、当然のことになるのが悲しいが、むこうは全く日本語は使わず(「こんばんは」だけ日本語)、 もっぱら英語をこちらがしゃべることによって会話が成り立っていた。

英語はもう要らない、と思っていても、やはり必要な時があり使わなければいけないというのが 悲しい現実である。ワインを飲んで酔っぱらっていたせいもあるが、オーストラリアのワイナリーの主に エスペラントが通じるかどうかを試してみようなどとは全く思わなかった。 (2000-06-11)

8.「英語青年」を買う

もはや青年ではない私が雑誌「英語青年」を買うのはこれが最初でおそらく最後だろう。 気になる特集があったからだ。「英語公用語化論に一言」である。 いろいろな人の意見を興味深く読んだ。 私が引っ掛かっているのは國広正雄氏のことばだった。「いまの日本と日本人に、 果たして第二公用語を持つだけのエネルギーが存在するかどうか極めて疑わしく思えてくる。」 という一文である。そしてとくに、日本の若者のエネルギー不足を痛感している、と書いている。 もし私が青年であれば(40歳前なら青年といってもいいかもしれない) エネルギー不足の典型として國広さんは私を挙げるだろう。

そんなことを思うと、私は妙な夢想をしてしまう。 エネルギーを持つもの/持たぬものの選別をしてしまうのがこの英語公用語化、 ということではないか。私の知るあるエネルギッシュな日本人は、外国の株を買い、 外国の雑誌を購読している。これはありそうだ。 たぶん、エネルギーを持つ人は英語くらいでつぶされることはないだろう。

昔の話を思い出した。社会人になったその年、英語の研修が週2日あった。 私のいるクラスに、失礼ながらあまり垢抜けない感じのする男がいた。 こいつの日本語はぼそぼそと頼り無げであった。 ところが英語になると先生を相手に流暢に英語を操るのだった。 その落差を訝しく思った私は彼にその秘密を尋ねてみた。 答は「英語でする議論は中身がないからいいんだ」(2000-09-03)。

9. TOEIC 900 点

これは私のことではない。つれあいが今度の TOEIC で 900 点をとると宣言したのである。 確信度はどれぐらいかと聞いてみたら、10%くらい、ということだった。 「じゃあ、870点以上とる自信は?」「30%くらい」「じゃあ、830点以上は」 「いじわる。」、そう、私は英語ができるものに対してはいじわるだ。

その後、つれあいは TOEIC を受けた。得点は 895 点だった。 「(私が)900点とったら(あなたが)風呂の掃除してよね」 とさんざん言われていて結局せずに済んだ。 これはつれあいの恩情と言うべきだろう。

こういうこともあって、つれあいに頭が上がらない。いろいろあるが、英語もその一つである。 一つだけ威張れることがあって、何ヶ月か前の「時事英語研究」の特集にあった、 時事英語をテストする、という問題で競ったら、私が数点だけ上回った。

10. 時事英語研究を読む

つれあいは私より英語が得意である。また好きでもある。大学で英語を勉強した程だ。 今も英語を勉強している。雑誌も 2 種類とっている。「e-トランス」(旧名 翻訳の世界)と 「時事英語研究」(2001年 4 月号より「時事英語 Current English」)だ。

さて、「時事英語研究」の 3 月号の特集は『あなたにとって「英語」って何ですか』 というものだった。寄稿者の半数以上に見覚えがあった。何のことはない、 「英語青年」の半年と少し前の特集の寄稿者ではないか。 両雑誌は同じ研究社から出版されていたのになぜ気が付かなかったのだろう。

「時事英語研究」では、村松増美さんの論がもっとも気になった。 <英語帝国主義>と暗く考えずに、最大公約数的に世界中で一番普遍性がある言語として受け止めては」 というものだった。 私はこの論の後半は認める。だからこそ、へたくそな英語で伝えたいことを載せている。 つれあいは「あなたの英語を見ていると(へたくそだから)書き直してあげたくなるけれど、 そうすると私の英語になってしまうから」といって何もしない。 だったら自分でホームページを作れば、と何度も言っている。

そういう経緯で私は英語のページを公開している。私より英語が堪能な日本人は掃いて捨てる程いる。 このような人たちで日本語のホームページを作っている人は当然多い。 ただ、大部分が英語のページを作っていないのではないか。それは怠慢ではなく、 すぐれた見識のゆえだと推察する。私より英語ができる知人がいる。彼のページを見てみると、 最初は英語でホームページの標題が記されている。 そしてホームページ開設日と対応ブラウザが同じく英語で記されている。 その後で、英語で次のように記されている。「参加したいなら日本語を勉強して、 日本語のブラウザを使ってね」。あっぱれである。

なお、どこかに記した通り、私のページは日本語、エスペラント、英語の3本立てになっている。 どれが出るかは、その人の使っているブラウザの設定に従う。ディレクトリの切り方も平等である。 なお、実はいくつかのページはこの3種類以外の言語でも作っている。 暇な方はどんな言語で、どこのページを作っているか当ててみてもらえるとありがたい (2001-02-11)。

11. 英語と試験

青色ダイオードを世界で初めて開発した技術者である中村修二が本を出している。 その本で、中村さんが大学卒業後入った会社の試験を振り帰って 「日亜化学の入社試験は英語だけ。 その理由は、当時の社長がこつこつとものごとを継続して行う適性を試したかったから」 ということを書いていた。

中村さん自身は、この方針について特に是非を明らかにしていないように私は読み取った。 ちなみに、中村さんは小さい頃から親の勧めで英語の稽古に通っていてそれは厳しかったという。 しかし、そのおかげでアメリカの人たちと交渉できる力がついたと述懐している。

今はどうなのかしらないが、昔は文系か理系かにかかわらず、英語は入試科目で必修であった。 なぜ、英語が入試科目にあったのだろうか。こつこつ性を調べたかったからなのだろうか。 まあ、あれだけ例外が多くしかも日本語とは遠く離れたことばだから、 こつこつやる以外手はなさそうである。

こつこつやらずに英語ができるようになることはあるかもしれない。 でもそれは英語で日常の会話で用を足すレベルなのではないか。 こちらはこつこつ性ではなく、度胸であろう。

問題は、こつこつやれることが仮に英語で測れたからといって、それで英語はいいのだろうか、 ということである。わたしはもう、このこつこつ性がいやで、英語そのものもいやになってしまった。

この話が本当かどうかはわからないが挙げておく。昔リクルート事件でつかまった江副浩正は、 大学受験のとき、大多数の受験生がとる英語ではなく、中国語を選択したという。 英語に比べて中国語のほうがレベルが易しいというのだ。この話を紹介した佐高信は、 江副のずるがしこさを示す挿話として紹介したが、 別の観点から見れば、英語なんてやめればいいのにという勧めにもとれる(2001-05-27)。

12. 雑誌「時事英語研究」を読む(続き)

「時事英語研究」2001年9月号を見ていると、<【特別企画】読者からのお便り「私にとっての英語」> ということで何人かの意見が載せられていた。その中の某氏の意見を読み、怒り心頭に発した。

某氏は<英語は単なる「手段」ではない>という表題で次のように言う。まずチャールズ・ベルリッツ 博士の主張「言語は単なる伝達手段ではない。それ以上のものである。民俗や国の全記憶そのものである。 個人が属する民族、国家の性格と独自性を表すものそれが言語である」を引く。 返す刀でエスペラントに触れ 1887 年に創案された人口(ママ)言語エスペラント語が期待以上に普及しなかった事実を照合する時、その国の習慣、伝統、 歴史を包括する文化を反映しない言語は決して永続しないことを証明している。と切り捨てている。

某氏がエスペラントについて述べた文は誤りである。まず、エスペラントは普及している。 1995 年現在、地球上でエスペラントを話す人は100 万人いる。 分布も、ヨーロッパ、アジア、南北アメリカ、アフリカ、オーストラリアと幅広い。 なるほど、英語とくらべれば話す人の数は桁違いに少ないだろう。 しかし、事実はこれだけ話している人がいるのだ。これを普及していない、 と切り捨てるのならば、その根拠を知りたい。

次に「その国の習慣、伝統、歴史を包括する文化」のくだりについてであるが、 エスペラントを自国語とする国はない。なければ反映しようがないからだいたい前提がおかしい。 だいたい某氏の論の立て方がおかしい。まず「国ありき」という発想がおかしい。 エスペラントは「言語ありき」で作られたことを再確認しなければならない。

百歩譲って、国がないから文化を反映しない、と考えたとしてみよう。 しかし事実は、エスペラントは地域の言語を反映している。 文法は主語+動詞+目的格というヨーロッパのことばに共通する形をとっている。語彙も半分がロマンス語系であり、 残りがゲルマン語系、少数がスラブ語系である。エスペラントの設計者ザメンホフは、 ヨーロッパ地域の習慣、伝統、歴史を重視した。だからこそ、これだけ広まったのである。 某氏の意見は、世界初(とされる)人工言語ボラピュク ( Volapük )や、 エスペラントに対する不必要な改造案イド ( Ido ) に対してはあてはまる。 しかし、エスペラントに対してはあてはまらないことを銘記すべきだ。

最後に、<英語は単なる「手段」ではない>という主張の裏づけとなる事実として、 エスペラントの例を挙げたのであれば、これも間違っている。某氏がエスペラントの例を挙げたのは、 <エスペラントは単なる「手段」としてのことばである>という観念があったからだろう。 しかし、この観念がそもそも誤っている。エスペラントは、ほかならぬ英語の台頭・席巻に対抗して、 より中立な立場で、対等な意見のやりとりができることを理念としているからである。 この理念に照らせば、英語こそやはり「手段としての英語」 に堕してしまう危険を絶えずもっている言語ということになるだろう。 それは、英語がイギリス・アメリカだけでなく、 至るところでビジネスとして使われていることからくる当然の帰結である。

以上をまとめて、この某氏に対しては、私は次のように主張する。 英語は単なる手段でない、という主張は認めざるを得ない。 しかし、言語が単なる手段ではないのは他の民族語においてもそうなのだ。 手段にしかすぎない、と思い込まれているエスペラントにも文化がある。それをわかってほしい。 英語に夢中になっている人は、ときとして他の言語を見なかったり、蔑んだりしているのではないか。 私がもっとも恐れていることは、そこである(2001-08-12)。

13. 「科学英語に強くなる」を読む

池辺八洲彦氏が書いていたこの講談社ブルーバックスの本にも、 「エスペラントには歴史がないから言語として広まらなかった」という意味のことが書いてある。 やはり池辺氏も上の方と同じ発想に囚われている。

エスペラントを切ったその反動で以下池辺氏は英語がたどってきた歴史を書いている。 この小史はよくできており、参考になった。 これを承知した上で私から言わせてもらえば、英語には大音韻転換ということがなければ、 もっと読みやすくなっていたのである。 歴史があったからこそ文字と読みが一致しなくなったのだ。歴史があるからいいというものではない。

ついでにいえば、「エスペラントはコンピュータのプログラミング言語のようなものだ」 と一種侮蔑的にいっているが、これはいい意味においてその通りだろう。 さらに言わずもがなのことをいえば、 コンピュータのプログラミング言語にだって、歴史もあり、文化もある(2001-09-01)。

14. 田中耕一さんのノーベル賞受賞に思う

田中耕一さんがノーベル賞を受賞した。 たんぱく質の新しい解析方法を考案したことが受賞理由らしい。 ノーベル賞そのものに対する価値判断は今は留保するとして、 気になったのが受賞を決めるに至った新手法の発見時点の判断である。 私が見ていたニュースによれば次のようである。 この手法の発明者には、田中さんとほぼ同じ方法を発見したライバルである Aさんがいたという。 A さんと田中さんはほぼ同時期に英文で論文を発表していた。論文の到着は A さんが早かったが、 論文の発表は田中さんが早かった。これは、田中さんの論文の審査期間が A さんの論文の審査より 短かったためである。さて、問題は次の点にある。A さんの論文到着が早かったのだから、 いくら発表が遅れたからといっても先に発見した先取権を認めないのはおかしいのではないか。 この点についての報道はこうだった。 先取権は田中さんにある、なぜなら、A さんが英語で論文を書く前に、田中さんは新しい解析方法を既に日本語で発表していたから、と。

わたしはこれを聞いて、世の中は変わったと感じた。日本の著名な学者の回顧録を読むと、 日本語での報告をしても世界では先取権を認めてもらえず、 悔しい思いをしてきたことが伺える。 私が覚えている最古の例は、オイラー関数を既に発見していた江戸時代の久留島義太 (この人は詰将棋作家としても有名)だが、まだまだ沢山あるに違いない。 しかし、ノーベル賞選考委員は、日本語の論文にも先取権を認めたのだ。 これで、下手な英語で論文を書かなければいけない日本の学者の苦労は減るといいのだが。

以前、養老孟司さんが、『からだの見方』のあと書きで綴っていたことを思い出す。 不正確だが、こんな内容だ。 「英語で論文を書いても読む人は限られている。日本語で本を書けば、 金を出して買ってくれる人がいる。これからは日本語で書く。」 私も微力ながら、日本語の論文や解説を書いてくれる方を応援する(2002-10-15)。

15. 日本人の英語

表題はどこかのベストセラーを連想させるが、これから書くのは違うことである。

日本で作られた、あるオープンソースのソフトウェアがある。 そのソフトウェアの出来がすばらしかったため、もとは日本語だけだった説明に加え、 後に日本人開発者による英語版のメニューや使い方も作られた。 たまたま私は勤務先でこのソフトウェアの利用導入に携わっていて、 英語版で使いたいというお客さんの要望に従って英語版メニューを動作できるようにした。 お客さんは、英語を母語としている。 すると、お客さんがその英語で書かれた「使い方」のページを見て「英語がむちゃくちゃ」 と言った。お客さんにとっては意味不明で書き直そうにもできなかったらしい。 結局、「使い方」のページはばっさり削られた。ソフトウェアそのものは問題なく使えている。

たぶん、完璧を要求する英語人にとっては、怪しい英語は耐えられないだろう。しかし、 英語が広まった今、その広まりに応じて許容の幅も広げなければいけないのではないだろうか。 少なくとも日本語は、日本人がよく行く観光地において、そのように怪しく取り扱われているのだ(2002-11-27)。

16. 帝国主義に屈す

私は、英語がいやだ、勉強しないと言い続けてきた。 しかし、今は寝返って英語の単語の勉強をしている。 理由は、つれあいの英語の勉強にカツを入れるためである。 手始めに、つれあいが持っている英単語本を借りて、 どれだけ覚えているか(当てられるか)を試してみた。 その英単語本は、一ページあたり10個の英単語とそれに対応する日本語が書いてあり、 何個正解するかがページごとにわかるようになっている。つれあいの書き込みを見ると、 どのページでも一ページあたり少なくとも8個は当たっている。私はといえば、 8個も当たればいいほうで、せいぜい5〜6個である。 受験生時代にこんな言葉なんか覚えていないというものしか出てこない。 それでも、大学受験後に実生活の経験から導き出せた英単語は、10個のうち1個はある。 以下はその数少ない例である。

しかし、この程度では焼け石に水である(2002-11-27)。

17. アウォーズ

国広哲弥さんの本でたびたび「英語の綴りでwarが出てきたらたいていはウォーと読む。 これをワーと読むのは日本人の悪い癖である」という記述が出てくる。 私はこれを覚えていて、テレビのアナウンサーが何か言う度に、 「この授賞式のことをまたアワードといっている」とか、 「君たちが行って来たのはフィッシャーマンズ・ウォーフだろう」とか何度も減らず口を叩いていた。 ところが今日、テレビで知らせていたサッカーの授賞式のことをアナウンサーは、 「Jリーグアウォーズ」と言っていた。いざ正しい発音で言われると、却って落ち着かなかった。 やはり慣れというべきなのだろう。 そして、「書いてある通りに読まない英語はおかしい」という主張にも、 今さらながら一理あるような気がしてきた。 なお、私は先の「漁師の波止場」を「フィッシャーメンズ・ウォーフ」と覚えていたが、 どうやら「フィッシャーマンズ」が正しいらしい。だから英語は困る。

18. 「時事英語研究」休刊

つれあいが毎月購読している雑誌「時事英語研究」が来月3月号をもって休刊になる。 これだけ英語がのさばっている時代に休刊するのかと驚いた。しかし、 のさばっているからこそ、休刊せざるを得なかったのかもしれない。 まず、英語の上達に、雑誌を購読して読むという悠長な方法はこの時代に適さなかったのだろう。 即効を期待して本を買うか、英会話学校に通うかだろうから。 それに、インターネットなどでも英語の教材はある。 事実、つれあいが購読していたもう一つの英語雑誌である「翻訳の世界」は、 いつからか「e−Trans 」という名前になり、 コンピュータを利用した翻訳を主要な記事として扱う雑誌に様変わりした。 つれあいはこの変わり様に驚いて、しばらくして「e-Trans」の購読を中止してしまった。 「e-Trans」は今も発売されているから、こちらの方針変更が当たったということなのだろう。 ともあれ、「時事英語」休刊でつれあいが気落ちしているようだ。 私に八つ当たりしないのとよいのだが。

19. アクースティック

電気を使わない、楽器生の音のみであることを、アコースティック、という。 ただ、もとの英語は Acoustic で、発音はアクースティックであるから、 厳密にいうと日本での発音は誤りとなる。 しかし、もう定着してしまって、戻らないだろう。 私は、友達と話をするときはクの音を弱くしてアクースティックと言ってみるが、 キザなやつと思われているかもしれない。 ( 2009-11-28 )

20. 英検1級一次試験を受ける

つれあいが何度英検1級の一次試験を受けても合格しないのに業を煮やし、 私も受けてみると宣言してしまった。もちろん、私に受かるつもりはない。 ただ、一生懸命私が勉強してい(るふりをす)れば、つれあいも一生懸命勉強するだろう、 そう考えたのだ。

つれあいにはこう言っておどした。「今でこそ英語は嫌いといっているが、 昔は俺も一次試験を2度受けたことがあり、最初に受けたときはいきなり Not passsed A だった (次は B だったけど)。それに、俺は同じ試験を3度続けて受けて落ちたことはない。 俺のほうが先に受かるからな」と偉そうな口を叩いて豪語した。

試験は1月26日にあり、二人とも受験した。 さて、私の結果はどうだったか。 最初の30問の択一式の問題で、正答は10問もなかった。 がっかりである。私の3戦無敗伝説も、破られるときが来た。

もう、私は英検1級の試験は受けないだろう。 たまたまこの日帰って聞いた志ん生の「妾馬」のある場面と、 英検1級の試験問題が一致したのである。 「妾馬」のある場面とはこうだ。

重役の三太夫に「ご同道願え」と言われた主人公の八五郎が、「どうどう?はいしどうどう」 とあたかも馬を引いているかのようにふるまう場面だ(実際の落語でどうするのかは知らない)。 このときは三太夫が「一緒についてこい、ということだ」と言い換えたので、 八五郎が「なんだ、最初からそういやあいいじゃねえか」と呟く。

これが試験問題と何の関係があるのだろうかというと、単語の質ということである。 英検1級一次試験の最初の単語の正答は、"intoxicated" だった。 これはたまたま選んだ結果があっていたのだが、英英辞典を引いてみると、formal という注釈があって、drunk とのみ記されていた。drunk だけ知っていればいいのに、 と思ったのだった。

21. 英検1級一次試験の結果

2003年2月12日に、英検事務局から英検1級一次試験の結果が電子メールで来た。 私は不合格であった。 当然の結果だ。 つれあいは、合格であった。めでたい。 しかし、二次試験がある。気を引き締めるようにと私は口を酸っぱくして言っている。

一緒に受ける時、一次試験の合格確率は千%と豪語していたから当然の結果だろう。 とはいえ、私が人柱になったこともつれあいに合格をもたらした一つの要因といえるだろう。 私はこれですっきりと英語からおさらばすることができる。 私がつれあいに対してできることは、 この勢いで二次も合格するよう、祈ることだけである。

付記:最初に書いた項では、 一次試験と二次試験の区別なく単に合格、不合格と記述してしまいました。 そのため、誤解を与える表現になっていました。つれあいと関係者の方々にお詫びします。 さて、英検の二次試験が間近に迫っているので、つれあいにはプレッシャーがかかっています。 みんなで応援してプレッシャーを増やしてください。

後記:つれあいは、二次試験に2004年11月に合格した。おめでとう。(2004-12-05)


22. カタカナ英語

つれあいが英会話レッツスピークを聞いている。そこでは、カタカナ英語が話題に上っていた。 この、話題にあった英語を、現地英語ではどのように呼ぶのか、対比して示した。 ついでに、エスペラントではたぶんこうだろうという単語も調べて添えた。

カタカナ英語現地英語エスペラント
ホッチキスstaplerkrampulo
ワンルームマンションoneroom condominium unuĉambra kunsuvereneco
コインランドリーLaundromatmemserva lesivejo
サインペンfelt-tipped penfeltpinta plumo
アンケートquestionnairedemandaro
コンセント(electric) outletŝtopilingo
フリーダイヤルtoll-free callsenpaga telefono
(住宅などの)リフォームremodelrekonstrui

なお、わたしは最初この項を「和製英語」として書こうとしたが、 つれあいは、講師はカタカナ英語といっていたよ、というので直した。 最近私の頭は鈍っていて、メモには「和声英語」と書きなぐっていた。

このレッツスピークでは、英語がはなせるようになるためには、絶えずテキストを持ち歩き、 練習しなさいと講師が言っていた。英語について練習する気はさらさらないが、 他の言語にたいしてはまじめにやらないといけないだろう。

23. テレビの話しことば

NHKテレビで日本語以外のことばを話している場面がよく出てくる。 このとき、英語であるとまず吹き替えは行なわれない。 その他の外国語であれば、まず吹き替えられる。英語だけ特別扱いするのはよくないなあ、と思う。 こうまでして英語が優遇されているのにもかかわらず、 日本に住んでいるあるインドネシア人は、「NHKには、 ぜひとも(日本語の番組に)英語で字幕をつけてほしい」というのだ。 まったく、やりきれない。

なお、英語を除いて、その国のことばの調子そのものを放送する場面が一つだけあった。 北朝鮮の「朝鮮国営放送のニュース」である。

24. Well come

つれあいが怒っている。しかし、珍しいことに私に対するものではない。 スペリングミスについてである。 つれあいは、M 駅の近くで "Well Come" と書いてある看板を発見した。 「なんでわからないんだろう、辞書を引けば済むのに」と文句たらたらである。 私は「間違っていると思わないから、辞書も引かないだろう」と冷静に答えた。 こんなことを話していたら、今度は G 駅の近くでも"Well Come"を発見してしまった。 私は、"Welucome"と書きたいのを我慢しているのと、"well"というスペリングを知っているのと、 この両方でつい "Well Come"と書いてしまうのだろう、と考えて、そのようにつれあいに伝えた。 しかし、つれあいの怒りは、当面収まりそうにないのだった。

このページを見ている皆さんにお知らせします。 もし自分のホームページに "Wellcome"とか "Well Come"と書いてあれば、 こっそり "Welcome" に直しておきましょう。

25. Have a fun

知人の某氏から次の話を聞いた。

NHK の「日本語なるほど塾」という番組で“Have a fun!”という英語が紹介されていたが、 “Have a fun!”ということばはない。正しくは“Have fun!”だ。 なんで真面目に調べないのだろう。 自分のところに来たカードにも“Have a fun!”とあった。格好だけ、 イメージだけで作られているからこんなことになる。ことばとして書くなら、 メッセージとして伝えたいものだけにしなければならない。そうでない、 イメージだけのものは、書いてはいけない。

私は、「イメージだけのものは、書いてはいけない」という主張には賛同できない。 それをいったら、私のホームページ自体の存在が怪しくなるからである。 それはそうと、a がついたりつかなかったりで生じる間違いは、 名詞の素性が数えられるか数えられないかで区別されなければならないところから生じる。 こういうところを見ると、英語は嫌らしいと思う。もちろん、どのことばにも、嫌らしい所はある。 あるがままを受け入れるのは、私には難しい。

なお、“Have a fun!”と間違えてしまう理由を考えてみた。 “Have a nice day!”からの類推で、 have には a がついてしまうものだと思い込んでいるからではないか。

26. ある人に英語を教える

私が知っているある人は、英語が得意である。私は、英語がそれほど得意ではない。 それどころか、英語を憎んでいる。しかし、どういうわけか、ひっかかる英語がある。 それをある人に確認すると、知らなかったといわれることがある。以下は、そんなことである。

length ということばがある。long の名詞形で長さという意味である。発音は レンスあるいはレンクスである(「ン」はものを飲み込むような音)。gは読まないか、 読んでも「ク」であり濁らない。 ところが、ある人はレングスと発音すると思い込んでいた。だから、 私はある人に対して英語で自慢できるとすれば、これだけである。 同様な例に、strong の名詞形 strength がある。実は、こちらは意識していなかった。(2004-12-30)


27. 五十肩

テレビを見ていたら、「五十肩」を英語で何と言うかというクイズがあった。 正解は "frozen shoulder" 、すなわち動かない肩、という意味である。 ちなみに肩凝りは "stiff shoulder(s)" あるいは "shoulder stiffness" とある。 辞書によれば、frozen は stiff と同義のようだから、 英語では区別しないのかもしれない。ちなみに「四十肩」ということばもあるが、 これと五十肩の区別は知らない。更にインターネットで調べると、 肩凝りをneck stiffness と表現した外人もいたようである。 腰痛が backache であることは紹介した(ような気がする)が、 英語も奥が深い。だからかかわりたくない。(2005-01-26)


28. 聞き間違い

テレビを見ていたら、「段ボール」という言葉の元を探す番組があった。 「段」は、その材料の厚紙が段状になっていることから来ている。 「ボール」は何かというと、これは board のことなのだそうだ。 すなわち、段ボールの材質である厚紙を英語では paper board というが、 この段ボールを作った当時である大正時代の日本人は、 board のdの音が聞こえず、「ボール」に聞こえた。そのため、 段ボールという標記になった。そういう話である。

この番組では「聞き間違い」として紹介していたが、 これでは大正時代の日本人が浮かばれない。この番組でも検証していたが、 英語をしゃべる人が board と発音したとき、 最後の d の音はほとんど聞き取れない。 聞き取れない音を文字にしたのでは、却っておかしい。従って、 耳に忠実だった当時の日本人をむしろ誉め讃えるべきだろう。

他にも、聞き間違いと指摘された例に「メリケン粉」、「ミシン」、 「ワイシャツ」、「ラムネ」などがあった。 「メリケン」、「ワイシャツ」などは、 当時の日本人の耳の確かさを示すものといえる。

典型例は「ヘボン」と「ヘップバーン」であろう。 つづりはどちらも同じ"Hepburn"だ。前者が耳から入った記法であり、 ローマ字の「ヘボン式」はこちらだ。後者は文字から導かれた記法であり、 「オードリー・ヘップバーン」である。

29. する人とされる人

英語の時間、する人は "er", される人は "ee" をつけることがある、 と教わった。そして、"employer" と "employee" の例を学んだ。 ふとしたことで、他に例があるかどうか知りたくなった。 ちょこっと調べてみた。 対になるのか、怪しいものもある。例えば、referer と referee、 committer と committee は、怪しい。 なお、ee だけの形で存在するものも挙げた。 日本語の意味は記さなかった。 (2006-06-08)

debugger と debuggee を追加。(2006-07-28)

eeer
abductorabductee
addresseraddressee
amputee
callercallee
chaserchasee
committercomittee
consignerconsignee
debauchee
debuggerdebuggee
devotee
draughtee
employeremployee
evacuee
examinerexaminee
inheritorinheritee
interviewerinterviewee
licensorlicensee
managermanagee
murderermurderee
nominatornominee
pawnee
payerpayee
pledgee
presenterpresentee
refererreferee
refugee
returnee
reviewerreviewee
testertestee
trainertrainee
trustee

30. ことばと喧嘩

私が学生のとき、たまたまフランス語を学んでいた某君の教科書を見せても らった。確か蓮實重彦の著/編集で、序文にこう書かれていたと思う。

「そのことばを学ぶ目的は、そのことばで喧嘩をすること」

これには驚いた。単なる意思疎通では生温いのだろう。 また、単に教養を高めるとか、新しい世界を知るということは、 本質からはずれている、という見方なのだろう。

その主張は痛いほどわかるのだが、。。。

31. 英語基本動詞類語マニュアル

英語基本動詞類語マニュアルという本(田中 実 編著、北星堂書店、ISBN4-590-00879-3) がある。日本語の基本動詞を取り上げ、英語にした場合の意味の違いを説明している。 取り上げられた日本語と英語は、それぞれ次の通りである。 ついでに、私の手でエスペラントを追加した。

日本語英語エスペラント
集める/集まる gather, collectari(ig|iĝ)i, kolekt(ig|iĝ)i
選ぶchoose, select, electelekti, selekti, preni
得るgetgajni,preni,profiti,ricevi,rikolti
置くputloki,meti
起こる/起こす happen, occur, take place okazi, okaziĝi
思う/考える think, believe, consider pensi, opinii
変える/変わる change, alter, turn ŝanĝi, ŝanĝiĝi
聞くhear, listen (to) aŭdi, aŭskulti
試みる try provi
答える answer, reply respondi
拒む deny, refuse, reject, turn down malvoli, rifuzi
殺す kill, murder mortigi, murdi, pereigi
壊す/壊れる break rompi
探す/見つける look for, look up, search (for), find (out), seek (for/after) serĉi, malkovri, trovi
知る know, learn, understand, realize ekscii, ekkoni, sciiĝi
育てる raise, grow eduki, kultivi, kulturi, varti
助けるhelp, aid, assist helpi, asisti
作る make put up, build, construct fari, generi, konfekcii
泣くcry plori
望むwant, wish, hope voli, deziri
運ぶcarry, bring, take, fetch iri, veturigi
話す/言うsay, tell, speak, talk diri, paroli, rimarki,
見るsee, look (at), watch vidi, rigardi
揺れるshake balanciĝi, skuiĝi, svingiĝi, tremi, vibri
要求するask, demand depostuli, postuli, pretendi
笑うlaugh, smile ridi, rideti

上記に掲げた英語の動詞は基本的なものだけで、準基本的な動詞や、応用して使う動詞も含めると結構な数になる。 つくづく英語は大変だと思う。

エスペラントではどうなるか考えてみた。話す/言うに相当するのは、主に diri と paroli である (他に、rakonti もある)。diri と paroli diri は(発語内容を目的語とする)他動詞であるのに対し、 paroli は基本的には自動詞である、ということである。 これなら、わかるだろう。

32. どうやって英語を勉強してきたか

ふと思ったことがある。 自分がどうやって英語を勉強してきたかを振り返っておくのもいいのではないか。 以下、自慢話になるかもしれないが、書き連ねてみる。

32.1 旺文社の中学1年用英語の参考書

母は英語ができなかったので、ひけめを感じていたのだろう、 自身が勉強するつもりで英語の参考書を買ってきた。 名前は忘れたが、旺文社の中学1年用英語の参考書だった。 ところが、母は自分ではほとんど勉強せず、俺がその参考書を読むようになった。 小学校3年のときだ。 これが私と英語のつきあいの最初のようだ。 何が書いてあったかさっぱり忘れたが、 This is a pen. あたりが書いてあったようだ。 なぜ a という単語が入るのかを説明してあったようだ。

32.2 NHKラジオ「基礎英語」

旺文社の参考書を読み始めたのと同時に、NHKラジオの「基礎英語」を聞き始めた。 当時は大野一男先生という方が講師だった。 テキストもあったが、これも最初母が自身のために買ってきたのに俺が使い始めた。 内容で覚えているのは毎月2回の英語の歌で、 Row, Row, Row Your Boat, とかBeyond The Reef とか、A Hundred Miles など、今でも原語で歌えるはずだ。 なお、Beyond The Reef(珊瑚礁の彼方) は、アップダウンクイズでも聞いていた。 アップダウンクイズでは、ハワイ行きが決まった解答者に、 旅行の目録が贈呈される。このときに流れる音楽だったような覚えがある。 それから、くやしかったのは 12 月の歌の White Christmas のときだった。 著作権の都合で歌詞も譜面もテキストに掲載されなかったのだ。

32.3 学研「たのしいジュニア英語」

基礎英語を聞き出して数ヶ月あと、学研の教材を売る営業員が家に来た。 母が出ると「小さいうちに発音を鍛えておくといいですよ。 これは LL ですからいいですよ。ぜひともどうぞ」 とか何とかいわれたらしい。私もその気になって、ぜひ欲しいとねだった。 教材が来る予定日には、俺は気になって外へ出て、まだ来ないかと待ちわびていた。 結局その日にはモノは来なかった。あとで営業員が詫びた。 教材は、LL のできるテープレコーダ、LL のテープ 5 巻、 そして横長で横開きのテキスト5巻だった。 これは結構まじめに練習した。今でも実家にあるかもしれない。 声変わりのする前の俺の声が残っている。 Old MacDanald had a farm, E I E I O, などは今でも覚えている。 (基礎英語の今月の歌でもやっていたけれど)。

ところで LL とは何かということだが、Language Laboratory のことだと思う。 ただ、語学用の視聴覚教室というのとは意味合いが違う。 既に先生の英語が吹きこまれたテープに新たに自分の声を録音することができるテープレコーダのことを意味するのだと思う。 これをあとで聞き取って、比べながら自分の英語を直していく、という方法を LL と言っていたのだろう。 (2021-08-05)

32.4 NHKラジオ「続基礎英語」

基礎英語を一通り終えたと俺は思っていたので、 その後、続基礎英語を聞き出した。講師は安田一郎先生だった。 内容は中学2年から中学3年の文法であるが、 夏休みは特別授業として発音聞き取り訓練用の課題になり、 これが怖かった。

32.5 テープ教材「続基礎英語」

ラジオの続基礎英語はなかなか難しく、 毎回聞ける教材が欲しいと思った。 もよりの駅の隣にあった書店である有隣堂だったか久美堂だったかに行き、 このテープ教材があったので、母にねだった。 つづける自信があるなら買ってもいいよと許された。 こちらはテープが10巻とテキスト1冊で、 「たのしいジュニア英語」と同様、 LL 教材としての利用もできた。

しかし、結局テープ10巻のうち、きき通せたのは最初のわずか2巻だけだった。 やはり小学生には難しかった。この教材にあった対話で、 constitution day が憲法記念日だ、ということだけを覚えている。

32.6 中学校の英語の授業

中学に入る前までに、先の教材などで中学の英語の文法事項はほぼ把握していた。 とはいえ、やはり学校の授業として学ぶ英語は違うだろう、と思っていたし、 ばかにしてはいけない、とも思っていた。 普通に勉強していた。 中学1年は M 先生(私が所属していた卓球部の顧問でもあった)、中学2年は O 先生、 中学3年は K 先生(担任でもあった)は、みな授業に熱心であった。

あるとき、O 先生の授業がつまらない、と誰かにこぼしたことがあったらしい。 それを M 先生が聞きつけ、私を呼びつけ「熱心に聞きなさい」と説教した。 当時はまじめだったから、私はこころを入れ替え熱心に勉強したつもりだ。 教科書は New Horizon だった。中学1年のときの教科書には、 表紙をあけたカラーページに、 英語圏の中学生ぐらいの男女が紅葉した森を歩いている写真があって、 ちくしょう、あいつらかっこいいよな、と内心思っていた。

32.7 高校の英語の授業

さすがに高校の英語の授業は難しくなった。 英読本(リーダー)、英文法(グラマー)、 英作文(コンポジション)という3個だてになったことに俺は驚いた。 リーダーは3年間一貫して H 先生、グラマーは1年生と2年生が N 先生、 3年生が M 先生、コンポジションは1年生のとき K 先生(外部講師)、 2年生と3年生のときが M 先生(3年のグラマーと同じ)。

どれもあまりいい思い出がない。 高校一年の英読本の試験で "look forward to" のあとは不定詞ではなく動名詞だということを忘れ、 失点した悔しさは忘れない。 高校二年の英文法の授業で教科書の問題を訳すようにいわれ、 私はうろたえた。辛うじて板書した答を見た N 先生は、 「"sleeply"ということばはありませんね」と断言した。 英作文にいたってはまったく思い出すらない。

32.8 大学受験用参考書

参考書についてであるが、英読本のための参考書は用意しなかったと思う。

英文解釈

問題集として Z 会のを買ったが、難しすぎた。

英文法

英文法の参考書は高校指定の易しい参考書を買わされたが、 N 先生からは、「どうしてこの参考書が指定されたかわからない。 高校英文法は学校の教科書で十分だが、 どうしても参考書を揃えたいなら***の***がよい。」 といわれた。*** の *** は結局わからずじまいだった。 その後数十年が経った。 たまたまつれあいの持っていた英文法の本を見ると、江川泰一郎の英文法解説だった。 たぶんこれではなかったかと今にして思う。

英作文

英作文については、Z 会の入会案内に出ていた佐々木高政の和文英訳の修業を買って、 例文の丸暗記をしたが、途中で挫折した。 ただ、この和文英訳の修業だけは、大学入学後に改版が出版されて新たに買い求め、 未だに手元にある。

単語

単語は、森一郎の「試験に出る英単語」ではなく、それに似た頻度順の単語集を使った。 なお、Wikipedia には、関東では「でる単」、関西では「しけ単」と呼ばれて 親しまれていると書かれている。 私の高校は関東にあったにもかかわらず「しけ単」だった。

熟語

熟語は、森一郎の「試験に出る英熟語」を使った。

32.9 大学受験ラジオ講座

高校の英語を真面目にやって、それだけで大丈夫だろうかと思い、 大学受験ラジオ講座をテキストを買って聞き始めた。 思ったよりも効果があった。 西尾孝講師の英文法は内容よりも語り口がおかしかった。「鉛筆は知っていた」 という文句が有名だが、そのほかにも「私は選択肢をエー、ビー、シー、 デー、イーといっている。ディーといえなくてデーとしかいえない、 じゃないか思われるかもしれないがそうではない。イーと間違えないように、 わざとデーといっている」という講釈がおもしろかった。

それから、松山正男講師は、英語の歌で英語を覚えるという講座を担当していた。 これはおもしろかった。ビートルズやサイモン・アンド・ガーファンクルを覚えたのは、 この講座からだった。

それから、猪狩博講師の英文法などもあった。

32.10 大学語学

大学の英語は一般のものと少人数講義のものとがあった。 一般のものは講読形式である。H 先生の講義は、最初の 10 分がヒアリングで 「マザーグース」の歌だった。全く聞き取れなかった。残りは「マン・ウォッチング」。 U 先生はオルダス・ハクスリーの「若きアルキメデス」。渋い作品だった。 ほかにも O 先生(有名な翻訳者だと思っていたがどうも違うようだ)、 N 先生(この先生には不可を食らった)、 H 先生(テキスト持込可だったので、訳文をすべてテキストに書き込んだ。本来はケインズの研究者で経済学の先生) などと多彩だったのだが、私にはよくわからなかった。 少人数講義とゼミナールでも英語をとった。S 先生というネイティブの方で、 本来は音声学が専門とのことだが、私は S 先生のもとで英作文やヒアリングを習った。

32.11 会社に入ってからの英語 - 1

私が入った会社は、ご丁寧に 1 年間新入社員のうちに英語を習わせてくれるのだった。 おもにビジネス英語を行うのだが、業務には全く関係がなかった。なお、 英検 2 級は社会人になってすぐに受けて合格したが、その次に受けた英検 1 級は not passed A だった。 その数年後、準 1 級は合格したが、結局 1 級には何回か挑戦するも歯が立たなかった。

32.12 会社に入ってからの英語 - 2

次に入った会社でも、英会話の時間をとってくれた。 モンタナ州出身の明るい方だった。私ではなく、 別の同僚が聞いたところでは、この先生と生徒たちが酒場へ行ったとき、 先生が肉じゃがを示し「ニック、ジャガー」と言って笑わせていたのだそうだ。

33. l と r の混同

たまたま以下のことがらは同時に起こったのでおもしろいと思い、書いておく。 なお、趣旨を損なわない範囲で改変している。

33.1 spring と spling

あるところで、春に行なうスプリングセールの意味で spling sale と書かれているところがあった。 春は spring である。

33.2 clan と crown

ある人から、ホゲホゲクラウンという商品について調べてほしいと頼まれた。 調べてみるとこれはホゲホゲクラウンではなく、ホゲホゲクランだった。 クランということばはなじみがなく、王冠の意味のクラウン (crown) ならばなじみがあり、 そちらに引っ張られたのだろう。ちなみに、クラン (clan) は氏族と訳される。

そういえば以前、l と r について、ある知人とやりとりしたこともあった。 もう内容は忘れた(2010-09-26)。

33.3 plofile と profile

ある方のホームページに plofile と書いてあるのを見て恥ずかしくなった(2014-05-06)。

34. 英語に強くなる本

桐生のとある喫茶店で、岩田一男の「英語に強くなる本」を見つけたので拾い読みしてみた。 冒頭の5つのお題が面白い。私はそのうちの3つがわからなかった。

他にも拾い読みしたところはどこも面白い。 exaggerate と sound という単語を比較して、一見前者が難しくみえるが、sound にもいろいろな意味があるよ、 という話だった。そして、日本人は短い単語より長い単語を好むとしている。

私の考えはこうだ。長い英単語が好きという理由は、 長い単語は比較的意味が限定されることが多く、 その狭い意味に日本語がうまく対応するので覚えやすいから、ではないか。 少なくとも私はそうである。長い単語が多く含まれる会話や文書は、 英語を使っている人たちにとって自然に感じるかは私にはわからないが、 何も伝わらないよりはましだ、ということで私はおしまいにしている。 (2012-06-24)

35. シクラメンのかほりの歌詞を英訳する

布施明の歌う「シクラメンのかほり」は、次で始まる。

真綿色したシクラメンほどすがしいものはない

これを訳すときに、真綿色とはどんな色かとか、すがしいとはどういうことかという単語が気になる。 まず、真綿(floss silk)とはかいこのまゆから作る動物性の綿であり、絹(silk)の原料である。 木綿(cotton)ではない。 では真綿色とはどういう色かというと、白であることは間違いないのだが、どのような白かがわからない。 真綿をホームページで見る限りは白いが、ただの白ではないだろう。光沢がある白ということだろう。 すがしい、というのは歌詞の都合だろう。正しくは清々しいという。これならいろいろ想像できる。 さて、ある訳では次のようになっていた。

Nothing is as pure as cotton white cyclamen.

Nothing とか as … as はこのように使うのだな、と感心した。 ただ、cotton ではなく、floss silk なのだが。

Nothing is crisper than cyclamen in floss-silk color.

こちらは Nothing に比較級を組み合わせている。こちらのほうがいいような気がする。 crisp は、空気や天気について、身の引き締まるような、さわやかな、という意味である。 ちなみに、ファジィ理論 (fuzzy theory) における fuzzy と対立することばがこの crisp である。 すがすがしいには、ほかに brisk とか refreshing を使うことができるかもしれない。 (2012-06-27)

36. 英語に対するひけめ(劣等感、コンプレックス)のないことが最大の武器

勤務先にたまに英語の電話がかかってくることがある。 「マーケティングの担当者がいるか」というようなことを片言の日本語で尋ねてくる。 「いません」とぶっきらぼうに言うと、英語で「英語がわかる社員がいないのか」と絡んでくる。 「ここは日本の会社ですので日本語でお願いします」と答えるとあとは押し問答になる。 年に1、2回かかってくる。もちろん、英語に弱い日本人に付け込んで情報を盗み取ろうという輩だろう。

さて、そんな話を同僚にしたら、もしなんだったら私が出ましょうか、という。 ひょっとしたら本当の商談かもしれないので、それならば商機ですよとほほえむ。 では、ということでしばらくするとかかってきたので同僚に渡した。

同僚は英語で何やら受け答えをしていて、十数分話をしていた。 話を後で聞くと、何やらある種の分野で商談をしたいということのようだった。 別に同僚は勤務先の情報を教えているようでもなさそうだった。私の取り越し苦労だったかもしれない。

まあ、私は英語に対するひけめがあるからぶっきらぼうな態度に終始してしまったのだろう。 一方、同僚はそんなひけめがなく、英語は道具ですから、というように淡々と会話をしていた。 どちらが得かは自明だろう。だが、私は損を承知で英語に対するひけめを持ち続けていく。(2013-01-19)

37. 横綱と平幕の違い

この日、御嶽山が噴火した。俺が「噴火って英語で何ていうんだっけ。explosion だっけ」 とつれあいに尋ねた。つれあいは「えっ!eruption じゃないの」と答えた。 ジーニアス英和辞典(第4版)で調べると、explosionは爆発、eruptionは噴火とある。 これはやられたと思ったが、念のため同じ辞書で volcano を調べたら、こんな例文があった。

Which volcano erupted [×exploded]? どの火山が爆発したのか

つまり、つれあいが正しく、私が誤っていた。蛇足だが、eruption は 動詞 erupt の名詞形、 explosion は 動詞 explode の名詞形である。

さて同じくこの日、ニュースで大相撲秋場所の話題が伝えられていた。平幕の逸ノ城が横綱の白鵬と対戦し、白鵬が勝った。 これで格の違いが明らかになった。ちょうど今回の件で、英検一級保持者のつれあいと非保持者の俺が戦って格の違いがわかったのと同じだった。 (2014-09-27)

実務としての英語は無視できるか?

議論のためのメモ、と称して実務としての英語は無視できるか、という題名だけ記しておいた。 このとき、どのような議論をしようとしていたのか、今となっては全く思い出せない。 きっと俺のことだから、どんな議論をしようが結論は「実務としての英語は無視できる」となりそうだ(2016-06-14)。

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MARUYAMA Satosi