和声学でしばしば言及されるナポリの六度について、理論を確認し、実例と比較した。 実例では理論通りの和声進行になっていることは稀で、 さまざまな揺れがあることを確認した。
ナポリの六度(Neapolitan sixth chord)とは、 主音の半音上の音を根音(ルート)とする長三和音をいう。 流儀によってはナポリの二ともいう。
厳密な意味では、下記の要件を満足するのがナポリの六度と言われるが、 実際の楽曲ですべてが守られているわけではない。
ナポリの名のいわれは、18世紀、 ナポリを中心に活躍した作曲家がこの和音を頻繁に用いたからとされる。 これらの作曲家、いわゆるナポリ楽派(ナポリ派)は、 アレッサンドロ・スカルラッティを始祖として、 ドゥランテ、レオ、ペルゴレージ、ハッセ、 ヨンメッリ、ピッチンニ、トラエッタ、 パイジエッロ(パイジェッロ)、チマローザなどがいるが、 彼らが常にナポリの六度を用いていたかどうか、私は調べていない。 また、このナポリ楽派の前、17世紀でも、 コレルリらが使っていたという記述が英語版 Wikipedia にはある。 しかしこちらも、検証していない。
池辺晋一郎による「シューベルトの音符たち」では、 ナポリの六度はコレルリやパーセル(イギリスの作曲家)によって既に使われていた、 との記述がある。しかし、パーセルの作品での検証もまだ私はしていない。 (2010-05-30)。
一般的な和声進行は、イ短調の場合、ポピュラー系コードネームで書くと次のようになる。
Am → Dm → (Am/E) → E → Am
(注:以下、特記なき限り、コードはポピュラー系の絶対音によるものを使うことにする。 和声学で使われる I, VI, V などは使わないので、適宜読み替えのこと)。
トニカ(主和音)→サブドミナント(下属和音)→(トニカの第1転回形)→ドミナント(属和音)→トニカ
以上が機能の安定した和声の進行である。
さて、ナポリの六度では、こうなる。
Am → B♭/D → (Am/E) → E → Am
サブドミナントの構成音が、A ではなく B♭になっている。また、ルートはB♭ではなく D となっている。 これがナポリの六度である。 六度のいわれは、ルートから数えてB♭が短六度になっていることから来ている。
ナポリの六度を採用することによって、旋律をなめらかに(半音階的に)することができる。 また、和音の意外性を強調することもできる。下記の左は通常の和声進行、 右はナポリの六度の進行である。
なお、池辺晋一郎によれば、ナポリの六度を第一展開形だけでなく、 基本形や第2展開形(四六の和音)でも用いるようにした最初の作曲家は、 ベートーヴェンだという。(2010-05-30)
ナポリの六度が使われている曲として、 インターネットでは次のとおり挙げられているが、 これらは典型的な曲といえるのだろうか。
上記を含めていくつか調べてみよう。必要であれば楽譜を付ける。
平均律第2巻第2番ハ短調BWV871 よりフーガ 11小節(下記譜例は11小節より始まる)。 この第4拍に着目する。16 分音符単位の和声の流れはどうなっているか。 最初はA♭でよい。次は中声のみ動いて Fm となる。 次はどうか。ルートは B♭、中声は G♭、高い声部が C の掛留のあと B♭におりる。 私には、4拍の裏の和音を定めるのは難しい。 Fm に対するナポリの六度になるためには、(G♭とB♭だけでは不足で) D♭もなければならないが、 ここでは実際にはなっていない。
12小節では第1拍はFmに解決する。 第2拍ではD♭が出てくるが、今度は高声と低声でG♭は使われず、 Gが使われている。さきの11小節をナポリの六度といえるかは微妙である。
イ短調のフーガのうち、39小節から45小節を下記に掲げる。この42小節の2拍めの裏がナポリの六度である。
(2020-04-14 追記)
バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタト短調は、 ナポリの六度というには際どい個所がある。 際どい、というのは無伴奏であるため、 和声の扱いが難しいからである。 そこで、レオポルド・ゴドフスキーの編曲を参考にしてみよう。
ゴドフスキーによるピアノ独奏への編曲では、ナポリの六度を強調している。 まず、ファンタジア(アダージョ)では、 第10小節でEsの音によりナポリの六度を見せている。 もっとも、 第11小節へのニ短調へは解決していないようでもある(ルートがDではなくA)。
次に、フーガでは第13小節の右手の冒頭の As がナポリの六度と思われる。 こちらは、バッハの原曲のメロディーだけでも、 ナポリの六度が意識されていることがわかる。
3曲めのシチリアーナでは、 ゴドフスキーの編曲の7小節め、最後のAsは明らかにナポリの六度指向である。 これは原曲でも読み取れる。
最後のフィナーレではナポリの六度は読み取れないが、私が見逃している可能性はある。
なお、ナポリの六度とは関係はないが、 ゴドフスキーのこの編曲では、冒頭のファンタジアから、 既にフーガのテーマが織り込まれている。 先にネタを明かしていいのか、という疑問があるが、 これもゴドフスキーの技巧なのだから、許そう。( 2010-02-21 )
2声のインヴェンションホ長調の後半で、 G#m -> A -> D#7 -> G#m -> D#7 -> G#m となる部分がある。 (2010-05-10、楽譜追加 2016-03-27)
ここでトッカータ集は、オルガンのための作品ではなく、チェンバロのためのトッカータ7曲をさす。 その中で、ハ短調とト短調ではフーガの部分で確実に使われている。(2010-06-06)
ブランデンブルク協奏曲第4番(BWV 1049)ト長調第1楽章の150小節3拍目裏から151小節3拍め表の F ナチュラルがナポリの六度である。 したがって、 同協奏曲の編曲であるチェンバロ協奏曲第6番ヘ長調 BWV 1057 の同じ小節の E フラットもナポリの六度である。
ラルフ・カークパトリックの「ドメニコ・スカルラッティ」の邦訳書 pp.219-220 では、 次のように記されている。
スカルラッティのナポリの六の和音の用法には特に目立った特徴はなく, それは豊富な変化法のなかのごく一部分にすぎない。 スカルラッティの場合のナポリの六の和音は, 純粋な短三和音サブドミナントや順次進行の声部によって生じた旋律的変化にしばしば従属している (ソナタ第29,96番)。
残念ながらソナタ第29番(K.29のこと)では、ナポリの六度は確認できなかった。 ソナタ第96番(K.96)ではカークパトリックが次の例を挙げている。 譜例は65小節からで、68小節め第2拍右手がB♭となっているのがナポリの六度である。 しかし、左手の和声音にBとAが入っているので、半音で衝突する。これを何も気にしないのがスカルラッティである。 スカルラッティの楽譜の校訂者ロンゴはこれを気にして、左手を D F B♭ として、 左手もナポリの六度に適合するように書き換えている。
ピアノソナタホ短調第1楽章の再現部で隠し味程度に用いられている。
ピアノ協奏曲第23番イ長調第2楽章のシチリアーナで用いられている(後述)。
月光ソナタの冒頭はよく引き合いに出されるが、 典型的な C#m → D/F# → C#m/G# → G# → C#m ではなく、 第2小節は A → D/F# → C#m/G# → G# → C#m になっているところが異なる (実際にはもう少し経過和音がある)。 もっとも、最初の A の前である第1小節は、C#m → C#m/B とたどっている。 A は経過和音と考えれば、 ナポリの六度ということになるだろう。 これと同じことが、ショパンの前奏曲第20番にも言える。
典型的という意味では、むしろ49小節から51小節の進行、つまり G#7/B# → C#m → D/F# → G#7 → C#m の D/F# およびその前後が、ナポリの六度らしい。
第3楽章では、32小節のG#m を受けて33小節 A/C# の和音ffが鳴らされるところがナポリの六度である。 この和音が延々3小節続くのがなんというかベートーヴェンならではのしつこさである。 その後、 G#m/D# → D#7 となるのだが、G#m では収まらず E に化ける。 さらに A/C# の和音ff をおかわりするのだから念には念を入れている。
第1楽章の235小節から240小節という指摘だが、実際には237小節から239小節が、2拍単位で次のようになっている。
Fm → D♭/F → Cm/G → G7 → (C) → C7
(C) の意味は和音ではなく、C のみのユニゾンとなることを表している。 なお、上記部分はソナタ形式の再現部なので、提示部も同様にナポリの六度が現れている。 具体的には 82 小節からで、やはり2拍単位で書くと、
Em/G → F/A → Em/B → B7 → C
となる。最後は Em に解決するのではなく、C に解決するところが凄い。
先に「ワルトシュタイン」を出したのだから、 「熱情(アパッショナータ)」にも触れるべきである。 熱情、つまりピアノソナタ第23番ヘ短調では、第3楽章のロンドがわかりやすい。 減7の和音からの導入からほどなくヘ短調に解決する。この 右手で奏されるヘ短調のアルペジオと音階は、次に変ト長調になり、最終的にヘ短調に解決する。
Fm → G♭ → C, D♭,B♭m6,C → Fm
では第1楽章はどうか。ヘ短調で始まる付点を伴う分散和音はハ長調に半終止するが、 次に来るのは同じ付点のリズムを伴う変ニ長調である。 これをナポリの六度というべきなのだろうか?
第2楽章で用いられている、というのが池辺晋一郎の指摘である(2010-05-30)。
本曲で用いられている、というのが池辺晋一郎の指摘である(2010-05-30)。
調べてみたけれど典型例とはいいがたい。下記、ピアノ独奏用編曲で説明するが、冒頭 Fm のあと属和音 C との交代が続き、C の後にすぐ G♭が続く。 典型的なナポリの六度ならば、Fm の次に G♭となるからだ。 だからこの例には意表を突かれる。しかも G♭の次は Fm (on C) になるのが通例だが、C が半音下がっている。 この説明としては、G♭の直前が C であることから無理に Fm に戻ることはなく、 G♭を主和音と考えた時に自然な和声進行である属和音に相当する D♭をもってくるのが自然である、ということができるだろう。 しかし、このような説明はこじつけに聞こえる。 むしろ、作曲者がナポリの六度という範疇を超えて、自由な転調により音楽で表現したいものを考えた結果がこのようになったのだろう。(2016-03-27)
シューベルトは、ナポリの六度を嗜好している、という記述がインターネットにあった。 そうだろうか。
ピアノソナタ イ短調 D784 の第3楽章は、24小節、アルペジオの形でナポリの六度の和音が爆発する。 (同様に、109、209、215の各小節でも聴かれる)。 シューベルトのピアノソナタを校訂したエルヴィン・ラッツは、 この第3楽章を「たんにシューベルトだけでなく,すべての音楽作品の中でもっとも成功した, もっとも美しいフィナーレ」と評している。
ピアノソナタ ハ短調 D958 の第1楽章、178小節では、 主調のハ短調に対する変ニ長調の和音がフォルテで奏される。
即興曲 Op.90 では第1曲、第2曲(中間部、ロ短調のところ)に見られる。 第3曲は典型例からずらした用法が見られる。第4曲では、間にさらに経過和音が挿入される。
即興曲 Op.142 のうち、第1曲では経過和音が挿入されたナポリの六度が見られる。 第4曲でも見られるが、ここの和声進行は相当長い。
それから、D.940 のピアノ連弾の幻想曲(ヘ短調)でも20小節で出てくるが、その後はヘ短調ではなく、 変イ長調に解決する。これも典型的とは呼べないだろう。
アルペジョーネソナタは典型だろう。 ピアノ伴奏のみの6小節から9小節にかけては、次のように和声が進行する。
Am B♭/D | F7/E♭ B♭/D | Am/E E7 |E7 Am |
F7/E♭が挟まっているが、骨格はナポリの六度である。 同様の和声進行は旋律楽器が出てから、まず16小節で生じて17小節で解決するところがある。 その後、18小節から20小節まではずっと(間にF7が挟まりつつ)B♭/Dが鳴らされる箇所がある。 これを聴くと、嗜好という段階から偏愛という段階に昇華しているようだ。
四重奏曲断章ハ短調 D703 では、9小節がD♭の和音になる(ヴィオラは下からF, D♭、A♭を弾く)。
他にも、弦楽四重奏曲の「死と乙女」、「ロザムンデ」にもあると思うのだが、思い出せない。
シューベルトのナポリの六度で、典型とはかなりはずれるが憶えておきたいのが「魔王」である。 魔王の終結部は次の和声進行である。
Gm → Gm7 → Cm → Cが高音で保持されルートがC,D♭,D,E♭,E,F,Gと上昇 → A♭→ B♭dim/A♭ → A♭→ C# dim → D7 → Gm
Gm から A♭に行くまでの進行が Cm を挟むだけでなく、ものものしい。 また、A♭の和声は、ルートもA♭であり、転回していないので生々しい。 解決への進行もディミニッシュが挿入されていて、見通しが利かない。 そしてなんといっても、A♭から C# dim のあいだは歌のレチタティーヴォで、伴奏のピアノは休んでいる。 その効果は劇的である。ゆえに、もうナポリの六度にこだわること自体が意味がない。
アルバム・ブレッター(Op.124)の第4曲「ワルツ」 の譜例(9小節から)を下に掲げる。12小節第1拍のB♭にアクセントがあり、 和音 B♭-D-F がナポリの六度になっている。 次の13小節の第1拍はトニカだがルートが E なので完全には解決していない。 第3拍でドミナントになるが、 14小節は Am となり、はぐらかされる。最終解決は16小節になる。 ということで、典型例にひねりが入っている。
アルバム・ブレッター(Op.124)の第5曲「幻想的舞曲」 もナポリの六度がある。 冒頭の4小節のうち、最初の3小節は音階であるが和声ももっている。 第4小節は和音のみである。これらを示すと次のようになる。 | は小節の区切りを表す。- は拍の裏を表し、特記なきかぎり表と同じ和音である。 拍の表と裏は次の通り。
Em - Am - | B7 - Em - | F - F - | Em B Em - |
この和音 F がナポリの六度である。前奏曲第20番はよく引き合いに出されるが、 典型的な Cm → D♭/F → G → Cm ではなく、 A♭ → D♭/F → G → Cm になっているところが異なる。 もっとも、最初の A♭の前に Cm があるのだから、 この A♭ には Cm の名残があると考えれば、 ナポリの六度ということになるだろう。
バラード第1番もナポリの六度の典型例のように言われている。 しかし、私には疑問である。 なぜなら、冒頭にト短調(Gm)の和音がない状態で、 のっけからナポリの六度を認識できるとは思わないからだ。 おまけに和声の認識はユニゾンの分散和音であり、和声の響きが少し薄くなること、 これがト短調に解決するのはあとになって初めてわかることもある。 典型例とは言いがたいと私は感じる。
むしろ、バラード第1番ならばコーダ、
すなわち Presto con fuoco に入ってからの9小節めから12小節目(全体では216小節~219小節)などの一連の進行が、
ナポリの六度にあてはまるだろう。(譜例は 2020-04-14 追加)
ショパンは多くの夜想曲でナポリの六度を使っていると Wikipedia にはあるが、 私がすぐに認識できた例はこの嬰ハ短調 Op.27-1 のみだった。 これも、C#m → D とすぐに移行するのではなく、 C#m → C#7 → F#m → D と徐々に移行している。 また、左手は常に C# を鳴らしているので、他のナポリの六度とは少し趣が異なる。
また、「戦場のピアニスト」でも使われた、 遺作の嬰ハ短調のノクターンの第17小節にも使われている。 これは、金子一朗「挑戦するピアニスト」p.66 で述べられている。 ただし、同著では「ナポリのⅡ度」と呼んでいる。内容は同一である。(2010-02-21)
練習曲に使われている例では、 Op.10-6 の末尾、E♭m に解決する前に E に一度途中下車しているところがある。 また、Op.10-12 の末尾でも、 Cm から D♭を使う場面がある。 それから Op.25-6、美しい3度のトリルで知られる嬰ト短調の曲、 全体の 3/4 のところにある、cis-e から A の和音で3度の右手が降りてきて、 最後に G#m -> d#7 -> G#m となるところは、印象的なナポリの六度である。
そういえば、イ短調の「華麗なる円舞曲」にもあった。(2010-02-21)
Wikipedia 日本版で、スケルツォ第2番はナポリの六度で始まる、とあるが、 私の耳ではナポリ六度には感じられなかった。
トスティは 1846 年に生まれ、1916 年に死去したイタリアの作曲家である。 多くの愛らしい歌曲を残した。ちょうどヴァイオリンのクライスラーに当たる人だろうか。 さて歌曲の中に「マレキアーレ」という威勢のいい恋歌がある。 ナポリ近くの海岸名であるマレキアーレを絶叫するところが、 まさにナポリの六度だ。 これは、服部克久の指摘による (2010-11-09) 。
ヴォカリーズには典型的なナポリの六度が出てくるが、私が調べた限り言及がない。 私の認識が誤っているのか? 下記第6小節の2拍め裏の F ナチュラルがナポリの六度であり、和音が F になっている。 同じ小節1拍めが Em から始まり、2拍め表がすぐに F にならずに G を経由しているところが渋い。 これは、メロディーとの関係もあろう。 なお、下記楽譜は歌オリジナルではなく、Leonard Rose の編曲版による。 アーティキュレーションは省略した。
それからこちらも有名な、前奏曲嬰ハ短調 Op.3-2 がある。 この曲は「鐘」「モスクワの鐘」などの名前で親しまれているが、 冒頭から使われている。不完全小節を除く第2小節の3拍目裏がナポリの六度である。 ただし、基本の D に加えて7度の音があり、D7 になっている。第3小節も同様。 (2010-02-27)
吉田秀和の「私の好きな曲」所収の「ブルックナー:交響曲第9番」で言及されている。 Wikipedia のブルックナー交響曲第9番でも、ナポリの六度について記述がある。
この人は、機能和声に従っているのかいないのかわからない作曲家である。 だから、ナポリの六度を使っているのかどうか、よくわからない。 ただ、交響曲第7番のある個所で、ナポリの六度っぽいフレーズが聞こえてきた。 しかし例によって、典型的な和音には解決しなかったので、やはり幻だったかもしれない。( 2010-02-21 )
「オーボエ、バソン、ピアノのためのトリオ」の第1楽章のイ短調の経過句で次のように出てくる。便宜上オーボエを右手で、 ピアノを左手で代表させている。バソンはピアノの第1拍表を伸ばしている。 こう見ると典型例に近い。
展開部でもこの経過句がヘ短調で再現される。そして練習記号10の直前にナポリの六度のG♭の和音が現れるが、 練習記号10の直後の C の分散和音が倚音を交えて解決されずに延伸され、さらにダメオシの六度のG♭和音が挿入されたあと、 やっとのことで最後にヘ長調に解決する。古典的ではあるが、憎い使い方だ。
ほかにもナポリの6度は練習記号14の少し前にも出てきている。譜例は省略する。
なお、有名な「トッカータ」に出てくるナポリの6度についてはリンク先参照。
3つの映画音楽、という、弦楽合奏のための作品がある。 その中の「他人の顔」では、ウィーン風のワルツが武満独自の味付けで作られているが、 そこにもナポリの六度が顔を出す ( 2010-02-21 )
ナポリの六度の名前の由来は、ナポリ楽派が使っていたから、ということは先に触れた。 実際はどうだったのか。 私が確認できたのは、ナポリ楽派の始祖、アレッサンドロ・スカルラッティのマドリガルのみであった。
下記は、Intenerite voi, lacrime mie(優しくしておくれ、私の涙よ)の22小節から24節である。 22小節4拍のG♭がナポリの六度である。
ナポリ楽派の前、コレルリにも作例があるという。 確かに、有名な「クリスマス協奏曲」にも例があるが、ここでの掲出は割愛する。
今までナポリの六度の理論と適用された実例を比較した。 結果は、どの実例も理論どおりに和声が進行している例は皆無であった。 比較的近かったラフマニノフも経過音がはさまれていたのであるから、 他の例はさらに典型例から多かれ少なかれ違いがある。 それが、作曲家の個性というものであろう。
インターネット上のあるページでは、シチリアーナ(シチリアーノ、シシリエンヌとも)では、 ナポリの六度が使われる、という解説がある。 しかし、次のシチリアーナでは、私の分析の限りではナポリの六度は使われていない。
今回調査が進まなかったのは、現代のポップスやロック、歌謡曲など、 ポピュラー音楽の分野である。 音楽者の小泉文夫は、「現代日本の歌謡風土」(冬樹社発行「歌謡曲の構造」所収。 なお「歌謡曲の構造」はその後平凡社ライブラリーで再発)に、次のように述べている。
ただ筆者の立場としてもの足りない点は、 以前『駕籠で行こうよ』などで試みられた沖縄音階(琉球音階)がまだ利用されていないことである。 また、外国の影響を受けるにしても欧米ばかりでなく、 イスラエルやアラブのポピュラー音楽とか、 またインド音楽の影響も新しく開拓してみる必要があるだろう。 さらに和声の技法としては、都節音階などとの結びつきがかんがえられる 「ナポリの六度」をうまく使ってみることも、 これからの課題かもしれない。
なお、この論考の初出は1968年12月である。 その後、沖縄音階は、その後「ハイサイおじさん」「島歌」などが広まり、地位は獲得したと考えられる。 しかし、イスラエル、アラブ、インドの各音楽については、未だ広がっていない。 そして、「ナポリの六度」が歌謡曲で効果的に使われた例も、私は未だ見出せずにいる。
このページを作った理由のひとつは、小泉が論考で提起した「ナポリの六度」 を私が知らなかったためである。理解するためにいろいろ調べたのだが、 結局小泉の希望は実現したのか、調べることは多い。
ひょっとして、松田聖子の「青い珊瑚礁」の歌の冒頭がナポリの六度ではないかと思ったが、 違った。残念。(2010-02-21)
その後、ポピュラー音楽では、次の例があることがわかった(2010-05-30, 2010-12-29)。 カッコ内は作曲者または歌手である。
楽譜は掲げないが、最後の「また君に恋してる」のコード進行を取り上げよう (以下は 2010-05-15)。 坂本冬美の歌ではホ短調 (E minor, e-moll) のように聞こえる。 以下はそのように判断して聞き取ったコードだ。 枠は1小節として解してほしい。
Em | Am7 | D7 | G7+ |
F | Em | F#7 | B7 |
歌詞は次の通り。上記に対応している。最初の「朝」は弱拍のため記載していない。
露がま | ね(招)く | 光を浴び | て/はじ |
めての よう | に ふれ | る ほ | ほ |
この和音 F が、ナポリの六度と近い。厳格なナポリの六度と異なるところはこうだ。 コードでは前後が Em → F/A → B7 → Em となるはずだが、前は Em ではなくて G7(+) だし、 F の和音もルートが A ではなく F に聞こえる(はっきりしないが)。 最後に、解決もすぐに Em になっている。
ビリーバンバンの歌ではイ短調 (A minor, a-moll) に聞こえる。 コード進行は坂本版とほとんど同じだが、ナポリの六度の感じが強く出ている。 これは F の音の強さによるものだろう。
恋のフーガは、編曲によってナポリの六度の採否が分かれる。 採用している版は、 まず前奏のティンパニのあとのコードが Am → C → B♭ → E7 となっている。ベースはもちろん A → G → F → E の進行である。 そして、サビの部分、♪はじめからー、のところが B♭になっている。 一方、 ナポリの六度を採用していない版は、どちらも B♭のかわりに F6 を使っている (2010-07-22)。
そして、典型的ではない、怪しい例も含めるといくらでもあることがわかった。 たとえば、作詞: 松本隆、作曲: 筒美京平、 編曲: 馬飼野康二、歌:近藤真彦の「スニーカーぶる~す」がそうである。 私が聞いた音源では、これも「また君に恋してる」の坂本版と偶然の一致でホ短調である。
Am | Am | G | G |
F | F | E7 | E7 |
歌詞は次の通り。上記に対応している。
ジーグザグザグ | ジグザグジグザグ | ひとりきり | ー |
青春の | 手前で | 裏切りはないぜ | ー |
典型とは異なるところは、F の前が Em ではなく G であること、 そしてF のあとは B7 や Em ではなく E になっていることだ。 最初の点は、G が Em7 と類似していることでわかる。 第2の点は E から Am に移るために不安定になる要素があり、 ナポリの六度の効果はあると思う。
岩崎宏美のヒット曲に「聖女たちのララバイ」がある。 日本の作曲者が、John Scottの作品を盗んだ(いまだとリスペクトというらしい) ということでも有名だが、私は別の観点からの興味がある。 それは、前半部分にナポリの六度が使われていることだ。 ロ短調ではコード進行はこうなる。
Bm → F#7 → Bm → B7 → Em7 → A7 → D → C on G → Bm on F# → Em6 → F#7 → Bm (以下繰り返し)
この C on G がここで出ているのがナポリの六度である。 歌謡曲ではまったく見つからなかったので喜んだが、 これが外人の作品にあったのかどうかは調べていない。
以上は 2010-03-28 23:02 の私のブログ「まりんきょの音楽室」からの転載である。 ブログからは消去してこちらに持ってきた(2017-01-14)。
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