本書の帯より引用する。
流行歌を学問する。
一見、西洋風なポップスの中に、いかに日本人の伝統的な音感がしのびこんでいるか、 変貌する歌謡曲の変わりゆくものと変わらざるもの―――日本人の無意識のうちに現われる音楽構造、 音楽融合のドラマを、豊富な曲例をあげて解析する
なお後に、同書は平凡社ライブラリーから出ている(私はそちらの版は見ていない)。
日本の歌謡曲を音楽構造から位置づけるという試みは、特にアカデミックな側からはほとんどなされていないように思える。 この意味で、本書は貴重な労作である。 私が衝撃を受けたのはpp.184-185 で、著者が日本の歌謡曲に関して提案をしている次の箇所である:
ただ筆者の立場としてもの足りない点は、 以前『駕籠で行こうよ』などで試みられた沖縄音階(琉球音階)がまだ利用されていないことである。 まだ、外国の影響を受けるにしても欧米ばかりでなく、 イスラエルやアラブのポピュラー音楽とか、 またインド音楽などの影響も新しく開拓してみる必要があるだろう。 さらに和声の技法としては、 都節音階などとの結びつきが考えられる「ナポリの六度」をうまく使ってみることも、 これからの課題かもしれない。
沖縄音階については、わずかではあるが歌謡曲に浸透している(沖縄の土地を想起させるような場面でしか使われないのは、 ちょっと気になるが)。 わたしはイスラエル、アラブ、インドの音楽についてはよく知らないのだが、これらを取り入れることは価値があるだろう (ひょっとして、久保田早紀の「異邦人」のイントロはその走りだったのか?) そして私が一番気になってずっと残っているのが学術用語たる「ナポリの六度」だった。これは何か? 私は和声法を体系立てて勉強したことはないが、 このナポリの六度はクラシック音楽で多用されていることがあとになってわかった。 そして、都節音階との関連も少しわかったのだった。ナポリの六度は短音階の和声の解決に出てくる和声で、 その使用音はフリジア旋法の構成音である。そのフリジア旋法から第三音(と場合により第七音)を抜いたのが都節音階である。 ということは、小泉のいう「都節音階などとの結びつきが考えられる」ことになったのだろう。
さて、歌謡曲の構造を明確にする試みは、 散発的に黛敏郎氏が「題名のない音楽会」でやっていたことを覚えている。 また、歌謡曲評論については、近田春夫氏が継続的に行なっていた。 ただ、小泉氏の著作の正統的な後継はひょっとしたら、 BS12 で毎週放映されている番組「ザ・カセットテープ・ミュージック」ではないだろうか。 したがって後継者もマキタスポーツ氏とスージー鈴木氏ではないだろうか、という気がする(2020-02-04)。
書 名 | 歌謡曲の構造 |
著 者 | 小泉 文夫 |
発行日 | 1984 年 11 月 20 日(第二版発行) |
発行元 | 冬樹社 |
定 価 | 1500 円(本体) |
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