高等遊民「代助」はどう生きるのか。
本書は柳広司:「二度読んだ本を三度読む」で紹介されていたので読んだ。
私は高等遊民にあこがれる。私自身は高等でもないし遊民でもないけれど、働かずにぶらぶらするというところにあこがれる。 確かに私は働いていないしぶらぶらしているけれど、代助ほどではない。
話の前半はぶらぶらしていている描写が多いが、後半からだんだん切羽詰まった感じになり、最後はこうなるのか、という思いで一気に読んだ。 この「それから」の最後はなぜか印象が強い。昔「企業診断」という雑誌を購読していた時に、 シリーズ【街の色】という色のイメージをテーマにした連載があって、 第一回の「街の赤」のときにこの「それから」が引用されていたのをとつぜん思い出した。以下末尾の文章を引用する。フリガナは省略する。
忽ち赤い郵便筒が眼に付いた。 するとその赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘を四つ重ねて高く釣るしてあった。 傘の色が、又代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を捲いた。四つ角に、大きい真赤な風船玉を売ってるものがあった。電車が急に角を曲るとき、 風船玉は追懸て来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはっと電車と摺れ違うとき、又代助の頭の中に吸い込まれた。烟草屋の暖簾が赤かった。 売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真っ赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと燄の息を吹いて回転した。 代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。
p.112 から引用する。
四人 はこの関係で約二年足らず過ごした。
p.221 から引用する。
四人 は肩を揃 えて玄関まで出た。
当時は、四人のことを「よったり」と読んでいたのだろうか。Wikipedia では、広島弁の項で、「よったり」という方言は「4人」を指すと解説している。 そういえば、宮沢賢治の童話にも「よったり」が出ていたはずなのだが、忘れてしまった。 広島弁でいえば、身近にいる広島出身の人によれば、広島で「よったり」という言葉は年配者しか使わなかったという。
もう少し調べてみると、広島のほか、さまざまな地方でも主に年配者が使っているようだ。また、(江戸)落語でも「よったり」を使うようだ。ということは、方言周圏論が適用されるのだろうか。
書名 | それから |
著者 | 夏目漱石 |
発行日 | 平成 22 年(2010 年) 8 月 25 日 百三十六刷改版 |
発行元 | 新潮社 |
定価 | 438 円(本体) |
サイズ | ページ |
ISBN | 978-4-10-101005-2 |
その他 | 新潮文庫、越谷市立図書館で借りて読む |
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