著者による後記より引用する。
私がここで書こうと思ったのは、自分の過去を思い出している一人の「私」である。 わたしの過去は、朝鮮につながるものだった。
本書には次の小説が収められている
「夢かたり」と「鼻」については後藤明生セレクション3の評を見てほしい。
冒頭は雑煮の話で始まる。
わたしは雑煮の餅に納豆をまぶして食べるのが好きだ。納豆は醤油ではなく塩でとくのである。 そうすると醤油よりねばが強く、白く太い糸を引いた。
そういえば、『饗宴』問答でも、塩納豆の話が出てきた。 確かに、後藤明生の話は、同じ話を何度も違う文脈で使うという意味で腰が重い。
そして、雑煮から皇国臣民に話がおよび、後藤が戦中戦後にいた朝鮮での話となり、そして読み方の話になる。
日本人はすべてコウコクシンミンであり、朝鮮人はコウゴクシンミンだったのである。
読み進めると、戦争で負けた日本人が朝鮮の永興駅へ向かう場面が出てくる。
収容所を追放されたわたしたちはリュックサックを背負ってぞろぞろと永興駅へ向かった。(中略) 道の両脇は朝鮮人たちで埋っていた。恥かしかった。捕虜のほうがまだましだろう。 捕虜ならば自分一人だ。相手は敵か、味方の他人だけである。わたしは下を向いて歩いた。 祖母や兄弟たちと一緒であることが、何とも恥かしかった。 六十何歳かだった祖母も一歳になるかならないかだった妹も、家族ぐるみで朝鮮人たちから笑われていた。 コウゴクシンミンを笑ったコウコクシンミンを、コウゴクシンミンが笑っていたのである。
ここにも、「笑い地獄」の関係がみえる。
後藤明生が生まれ育った永興では、山といえば南山だという。その南山の思い出が書かれている。具体的には、
日本人墓地があるのも、火葬場があるのも南山だった。
ドイツ人神父のいる耶蘇教会があるのも南山だった。そして朝鮮人たちが大勢で泣きながら行列を作って登って行くのも、
南山だったのである。
と書かれている。そのあとで、朝鮮人の葬式について、そして身内の葬式についての記述が続く。
さて一方、私はどうかというと、身内の葬式というのを経験したことがない。 それどころか、親しい人の葬式というのも数えるほどしか経験していない。 これは親しい人がいないということなのかもしれないが、この年になって葬儀に参列した経験が少ない、 というのは問題かもしれない。
この「夢かたり」の小説はもちろん、他の小説を合わせて読んでいると、 後藤明生はこんなにも、少年時代のことを思い出せるのかと感嘆する。 いや、後藤明生と小説の「わたし」とを同一視してはいけないだろうけれど、 この本における小説群では同一視したい。 そして、軍歌や勅語やその他いろいろなものを暗記していて忘れていないのだ。 理由は、後藤明生が作家だからというのではないだろう。理由の詮索など、野暮に過ぎないだろう。
今、読んでみると、「わたし」が38度線を渡った時の記録がそこにある。この記録には、安辺という地名が出てくる。 安辺といえば、北朝鮮のミサイル発射基地がある場所ではないか。
冒頭は次の通り:
高崎へ行ったのは去年だった。辛夷の花が咲いているのを見て、それを思い出した。
早速つまづいた。「辛夷」が読めないのだ。調べたら「コブシ」だった。 千昌夫の歌に出てくる、あの「コブシ」だろう。どうもわからない。 後藤明生は、植物の描写が苦手と言っていたのではなかったか。 私も植物のことは何も知らない。そこにつけこんで後藤明生の小説を読んできたのに、 裏切られた気分である。
「わたし」は知人に会いに高崎に行った。荷物は次のように書かれている。
わたしの中型旅行バッグの中身は町田さんへの手土産一包みと、着替えの下着上下一枚ずつ、 その他に荷物に、小型テープレコーダーが入っていた。表裏で百二十分のカセットテープも三個用意して来た。 もちろんそこに、わたしは永興の破片を広い集めたいと思った。(後略)
この、小型テープレコーダーとカセットテープを持っていくところは、見習いたいと思う。 雑誌の記者やデスクをしていたことと関係があるのだろうか。
「君と僕」は、「わたし」が朝鮮にいたときに見た映画の題名である。 そこから「わたし」は、映画を制作した松竹の本社に行き、この映画を調べに行く。 そして、「君と僕」が実在したことを確認し、そして「映画旬報」の時評を見ておどろくとともに、 写真をひとつずつ眺めて思いめぐらすのだった。
私にはこういう事はできない。
冒頭は、「わたし」の長女が水疱瘡にかかったことから始まる。 そして風呂に入った「わたし」は自分の水疱瘡のことを考えてみた。
わたしは思いついて自分の左腕を調べてみた。 まず首をまわして肩のあたりを調べた。 肩にはかなりの肉がついていた。 もともとわたしはそういう体格である。 懸垂は得意だった。 そしてその肩の力は日本陸軍のために用いられるはずだった。
そして戦争が終わって用いられるはずだった肩の力が使えなかったことに関して、
「わたしたち」は三人で話をしたことを思い出すのだった。「わたし」はそして、
永興時代の校医に思いをめぐらす。そのあと「わたし」の家族に話が戻ったあと、
「わたし」は永興時代の記憶をめぐらすが種痘に関しては依然として出てこない。
しかし、そしてとつぜん出てきたのはナオナラだった。
この本に収められた小説はすべて、現在と過去を行きつ戻りつする。
正直、読み進めるのは疲れる。後藤明生はあとがきでこの小説でわたしが考えてみたのは、
過去から現在へ向う時間と、現在から過去へ向う時間の複合だった
と述べる。普通、このような時間の考え方はしない。私がこれらの小説を読んで疲れるのは、
ふだん考えない時間と対峙しているからだろう。
「わたし」は、小学校の校医であった山室さんに会いにいく。山室さんは、謡曲の「鞍馬天狗」を謡った。そういう話である。
山室さんの住所は、岡山県吉備郡真備町である。この「真備町」という字を見て驚いた。2018 年の西日本豪雨で浸水し、報道がされたのが真備町だった。 昔の話がこうして今に続いている。
書名 | 夢かたり |
著者 | 後藤 明生 |
発行日 | 年 月 日 |
発行元 | 中央公論社 |
定価 | 980円(本体) |
サイズ | |
その他 | 草加市立図書館で借りて読む |
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