本書には「転落」と「追放と王国」の2篇が収められている。
主人公であるクラマンスが、自分の過去を語る
読んだのは 1990 年ころだと思う。それ以上のことは覚えていない。これから書くのは、2019 年再読した結果である。
主人公クラマンスは、今は改悛した判事といったところです
(p.13) と自分のことを言っている。さて、判事とは何か。日本では、
裁判することのできる者を(上から下まで)裁判官と呼び、その階層のうちの一職名を判事、といっている。
のちの部分で「裁判官」ということばも出てくる。この小説では「裁判官」と「判事」を使い分けているのだろう。
「異邦人」では主人公のムルソーが、<アラビア人を殺した動機は太陽のせいだ>という。いっぽう「転落」の主人公であるクラマンスは、
判事の前は弁護士をしていた。そのときの活動ぶりは、自身によればこうだ。
(前略)被告に犠牲者らしいものを感ずるとそれだけでわたしの弁護服は活動を始める。それもすさまじい活動ぶりで、まさに嵐のごときものでした!
ムルソーの弁護人にクラマンスがたてばどうなるか、という小説を見てみたかったが、残念ながらクラマンスの専門は「気高い訴訟事件」である。
これは「寡婦と孤児を扱うこと」というので、ムルソーは寡婦でもなく、また孤児でもない。
p.14 では、クラマンスが聞き手に向かって質問している。
では、貧乏人に財産を分けておやりになったことがありますか? ない。それやあなたは、わたしのいわゆるサドカイ教徒ですな。
わたしはここを読んで、サドカイ教というものがあるのかと思っていた。どうやらそうではなく、ユダヤ人の中にサドカイ派(サドカイ人とも、 以下はサドカイ派で統一)というのがあることから、 ユダヤ教徒のなかのサドカイ派の人をクラマンスがサドカイ教徒、と名付けたのだろう。それが証拠に、「わたしのいわゆる」という修飾句がある。 では、貧乏人に施しをしないのがサドカイ派の特徴なのだろうか。よくわからない。 サドカイ派と対立する党派にパリサイ派(パリサイ人の名前でよく出てくる。ファリサイ人とも)。パリサイ派の人たちは施し物をするのだろうか。 聖書がわかっていないと、こんなことでいちいち悩まなければならない。
「転落」は佐藤朔氏の訳である。日本人の(下の)なまえで「朔」という名前はあまり聞いたことがない (萩原朔太郎のように名前の一部として出てくることはまれにあると思うが、これも萩原朔太郎があまりにも有名だからで他の例は聞いたことがない)。 ミュジコフィリアという漫画の主人公の(下の)なまえは「朔」一文字である。これが例外か。
計6篇からなる短編集。窪田啓作氏の訳である。
最初の「不貞」は、表題からして怪しい。まして、主人公の人妻の名前がジャニーヌである。私は何度もこの名前をジャニーズと読んでしまった。結末はお愉しみ(2023-11-12)
書名 | 転落・追放と王国 |
著者 | アルベール・カミュ |
訳者 | 佐藤 朔、窪田 啓作 |
発行日 | 昭和 60 年 (1985 年) 6 月 30 日(24 刷) |
発行元 | 新潮社(新潮文庫) |
定価 | 440 円(本体) |
サイズ | 文庫版 |
ISBN | 4-10-211404-1 |
その他 | 千葉駅ビルにあった改造社書店で購入、現在は処分して手元になし。 |
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