古文が不得手な人、古文が好きになれない人のため書かれた本。
私は受験生のとき、古文が不得手であり、好きになれなかった。そんなわけで、大学に入って以来古文とはずっとおさらばしてきたが、 そろそろ古文のことを知ってもよいのではないかと思い、古文に関する本を買った。
第一章は「むかしの暮らし」である。いきなり古文の話が出てくるかと思いきや、暮らしについての話だ。これなら入っていける。 千野栄一なら、きっと「レアリア」と名付けたものだろう。ここの◇複数性の時間◇のところに感動した。
著者によれば、昔の日本人は年間のいつでも一日を等分に分けるスタンダードタイムと、年間で一日が不等分のプラクティカル・タイムを使い分けていた、 というのだ。詳しく言うと、スタンダードタイムでは1日を12等分するのだけれど、このプラクティカルタイムでは日の出から日没までを6等分、 そして日没から日の出まで6等分するというものである。 かつての日本の時刻では、ご存知の通り、午後零時が子の刻で、子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥、と12等分される。
この本では、プラクティカルタイムでの日の出と日没がそれぞれどの時なのか示していない。 私の推測では、おそらく日の出が卯の時で日没が酉の時ではないか。 であれば、夏至では酉の時といえば午後7時ごろを指すのに対し、 冬至では同じ酉の時が午後5時ごろを指すのではないか。
同書に戻る。pp.50-52 で、源氏物語のある個所が登場する。 光源氏が船に乗って須磨に都落ちする場面である。原文は次の通り。
道すがら、おもかげにつと添ひて胸も塞がりながら、御船に乗り給ひぬ。 日永きころなれば、追い風さへ添ひて、まだ申の時ばかりに、かの浦に着きたまひぬ。
著者による通釈は次の通り。
道中ずっと、(都に残してきた紫の上の顔が)頭のなかの影像となってピタリと寄り添い、 (そのため)胸がいっぱいの状態で、御船に乗りこまれた。日の永いころなので、追い風までが加わって、まだ申のときぐらいに、その浦にお着きになった。
ここで著者は疑問を呈する。「なぜ日の永いころだと、申のときのときに着くのか。」確かに日が長かろうが、短かろうが、ふつうの海流で、 普通の風ならば、同じ時刻に着くのではないか。ちなみに、追い風までが加わって、とあるが、これは「日の永いころ」とは無関係だ、 というのが著者の主張だ。私が補足すると、 「日が永いころだと、当地の気象上の理由で追い風が加わる」という因果関係はないからだ。
先の疑問にたいしては、上記のようなプラクティカルタイムで解釈すればわかると著者はいう。 私なりのことばで解釈すれば、なぜ日の永いころ、つまり夏至のころの日の出から日没までの二時間、否、 日中で隣接する時の間隔(たとえば申の時と酉の時)の絶対時間は、 日が短いころの隣接するの時の間隔よりずっと長いからである。 そういえば午前、午後の「午」は「午の時」を指しているのだとこの文を書きながら生まれて初めて気づいた。 「正午」というのもまさに「正しい午の時」そのものではないか。
では現代の理科年表で見てみよう。手元にある理科年表 2015 (平成 27 年)で調べる。 2015 年、春分は 3 月 21 日、夏至は 6 月 22 日、秋分は 9 月 23 日、冬至は 12 月 22 日である。 理科年表に掲載されている日の出・日没(以下合わせて日出入)は、都道府県庁所在地、かつ元旦から 10 日おきに限られている。 須磨の所在地を考えれば、神戸で見るのが自然である。神戸の上記月日近辺での日出入はどうか。
月日 | 日出 | 日入 |
---|---|---|
3 月 22 日 | 06:01 | 18:12 |
6 月 20 日 | 04:46 | 19:15 |
9 月 18 日 | 05:44 | 18:03 |
12 月 17 日 | 07:00 | 16:50 |
なるほど、仮にこの船旅が夏至に近いころだとして、須磨に午後四時過ぎにつけばまだ日が高いころだから「まだ酉のときばかりに」 ということもわかる。ついでに著者は<なぜ「ばかり」なのか、よく理解できよう>とも言っている。 最後に、このプラティカルタイムが源氏物語に現れていることを発見したのは佐伯梅友博士であると著者は付記している。
以上、長々と述べてきたのは、最近サマータイムの議論がかまびすしいからだ。私に言わせれば、 サマータイムなど生ぬるい。毎日が違う時間の「プラティカルタイム」こそが、人間の過ごすべき時間制度である、と主張する。
大塚ひかり訳の源氏物語2では、午後四時前後、と現在の時をいれてわかりやすくしているが、 今述べたような問題点がある。
書 名 | 古文の読解 |
著 者 | 小西 甚一 |
発行日 | 年 月 日(第版) |
発行元 | ちくま文庫 |
定 価 | 円(本体) |
サイズ | |
ISBN | |
その他 |
まりんきょ学問所 > 読んだ本の記録> 小西 甚一:古文の読解